最期の選択(前)
我が家の15歳と8ヶ月になる老犬の前足に腫瘍ができました。「大きくなるようならがんの可能性があるけれど、小さく切るにしろ大きく切るにしろ全身麻酔をする必要がある。さすがに体力的なことを考えるとその選択肢はないと思う」と先生に云われました。さらにもう一つ、顎の下に大きなこぶを発見しました。それを触れたとき、先生の顔色が変わりました。「これ、顎下リンパ節です。明らかに腫れていますね。リンパ腫かもしれない」・・・リンパ腫はこの犬種に良く見られるがんのひとつです。「それでも今触ってみた限り他のリンパ節は腫れてないみたいなので様子を見ましょう。有効な抗がん剤はありますけど、この歳ですから・・・。」
お互いに「もう十分天寿を全うしている年齢だし、辛い思いをさせたくないから、自然に任せよう」ということで暗黙の了解をしている感があります。この子の父も肝臓がんでしたが最後まで自然に任せて看取りました。
それでは、これが人間ならどうなのだろうか?寝たきり老人のことを考えていた矢先だったので、ついそちらにアタマが行きました。自分の母親に対して、「もう80歳だから、がんが見つかっても治療をする意味がないから、何もしないでください」という云い方ができるだろうか。だから、「体力がもたないから治療はできないだろうし」という云い訳文を付けるのだろうかと思いますが、我が家の老犬にしろ人間にしろ、そこには全く本人の意思が入っていません。イヌの場合は已むを得ませんが、人間の場合は本人の希望があります。「もういい年だから何の治療も受けたくありません」と本人が云う場合がほとんどだと思うのですが、それは皆が皆、本当に本心なのでょうか? (つづく)
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