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2014年1月

お酒が合わないはずがありません

それは変です。だってわたし、もう20年以上ずっとお酒が大好きで、毎晩飲んできたんですよ。わたしにお酒が合わないはずがありません!

先日、ある妙齢の女性の健診結果を説明していたときに、ご本人からそう訴えられました。少しずつ増えてきた空腹時血糖と空腹時トリグリセライド(中性脂肪)、そしてγ-GTP。「最近、晩酌の量が増えたからでしょうか?」と自分から訊くから、「もしそれがお酒のせいだとしたら、それはあなたのカラダから『処理するのに疲れたから、酒はもうそろそろ勘弁してもらえないか?』と訴えていることになりますよね」とやさしくお答えしたにすぎません。

あなたのアタマは欲しがっているかもしれないけれど、あなたのカラダは嫌がっている。そのヘルプコールが検査値の若干の変化で、それを無視するようにアタマがカラダを押さえつけたとき、カラダはやむを得ず直訴状を目安箱に投げ込んで自害するのですよ! ・・・なんてな過激なことは云いませんでしたけどね。「そのコトバ、あなたのアタマが云わせてますけど、もう一度カラダに聞き返してみてはいかがですか?」とだけお答えしました。

わかってるんですよ、たぶん犯人はお酒じゃなくて、一緒に食ってるものが多すぎるんだってこと。そこで一般受けする”酒”を話題にさせて煙に巻くところが、エクソシスト様の巧妙かつ賢いところですよね。

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便利屋

最近わたし仕事を断りません。読影のルーチンに加えて診察やら検査結果説明やらパニック値の対処やら検査の可否の判定やら・・・。うちの業務は多岐に渡るので日替わりで担当業務を分担するのですが、現実は額面通りには行かないもの。自分のルーチンワークが滞ってくると皆さん焦ってカリカリし始めまして、「今、忙しいから、ムリ!」って突っぱねるみたい。わたしも前はそうだったんですけど、まあそういう仕事を束ねる職務を仰せつかっているので、やむを得ず「わたしがしますよ」と答えているうちに、こうなりました。

「いつも自分にばかり仕事を頼まれるが、他の先生はしないなんて不公平ではないか?」・・・そういう不平不満もわたしのところに回ってきます。そりゃそうですね、ごもっとも、と思いながらもまあ、頼む方も頼みやすいヒトに頼むのが常。「ごね得ってこと?」と云われそう。

わたしはスキルがあまりないので何でもかんでも引き受けるわけにはいきませんが、頼まれたものを引き受けるうちにわかったことがあります。かなりな量を引き受けても、意外に自分のルーチンワークは時間内にこなせます。焦らなくてもちゃんと昼休みはいただけます。そして、何よりも、引き受ければ受けるほどスタッフの信頼感が深くなっていく感じがします。「イエスマンは損をする」「ごね得」「自分は便利屋?」などではなく、自分が他の誰よりも頼りにされ、信頼されているのだということが、誇りに思えてきます。自分だけいっぱい仕事をさせられている!と思い込んでいるけれど、客観的に見たらそう大した量の差はありません(笑) 大したことじゃない、ちゃんとこなせるはずの仕事量だけしか頼まていないんです。「他の人が楽(らく)しているのに」と意味のないことを考えるから無意味な不満が出るのです。

「はい、あなたのためにわたし、がんばってやりますよ♪」と、いつもがんばっておりますのです。

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ノロウイルス

この冬のノロウイルスの猛威は尋常ではありません。何が起きているのでしょう?

むかしからこの季節の腸炎はノロかロタ。小児科外来はそんな患者さんとインフルでごった返すのが日常茶飯事でしたが、ここまで集団発生したり営業停止になる店が出たりするような特殊なウイルスではなかったはず。オトナの場合はせいぜい「牡蠣に当たった!」とかいう場合に耳にする名前レベルではなかったでしょうか。年末からわたしも激しい水下痢に悩まされましたが、あれはノロではなくてロタだったのでは?とも云われましたが、オトナになって感染するとは思ってもいませんでした。

これだけ衛生観念が行き届いていて、食品を扱う従業員の衛生管理もマニュアル化している中で、たしかに徹底できていなかったとかトイレなどに盲点があったとかいわれながらも、それでも一昔前とは比べ物にならないほど徹底した衛生管理が行われています。食べる側も特に子どもたちの手洗い指導の徹底ぶりはわたしたちの子どものころとは別物です。にもかかわらずこれだけの大量感染を起こす理由。

人間側の免疫力の異常な低下か、それともウイルス側の想像以上の猛毒化か?どっちもあるのでしょうが、わたしはやはり前者の方が強いような気がしてなりません。衛生観念の必要以上の徹底ぶりが子どもたちから免疫力の自浄作用を奪い取り、お母さん方のあまりにも神経質なちょっと間違いに近い消毒意識が巻き起こした現代病なのではないか?という気がします。日本人は、コトバとしては”中庸”が好きなくせに、行動として”ほどほど”ができない人種。「過ぎたるは及ばざるがごとし」は他人には勧めるがあくまで机上の空論で、自分は常に「備えあれば憂いなし」「転ばぬ先の杖」とばかりに過剰防衛してしまう、何かそのしっぺ返しのような気がしてなりません。

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コーヒーが記憶力を高める

コーヒーが記憶力を高める 認知症予防にも役立つ可能性

保健指導リソースガイドを経て、こんなニュース記事が出ていました。要するにカフェインの効能なのでしょう。パターンの微妙な違いを識別できる機能がある「海馬」の働きの改善を検討した研究として、コーヒーを飲む習慣のないひとにコーヒーを飲ませると、その識別機能が改善したというものです。

カフェインの持ついろいろな効能も、逆の効果も以前からたくさん発表されてきていますから、コーヒーは本当にポピュラーな飲み物として認知されているのでしょう。実はわたし、勧められて昨年の秋からダイエットコーヒーを飲んでいます。妻は止めましたが、わたしは飲み続けていますしそれなりに良いかなと思っています。

でもね、基本的にコーヒーを飲む習慣がありません。コーヒーや紅茶や緑茶は、「ちょっとお茶にしませんか」というわけで、「コーヒーブレイク」なわけで、ココロとカラダを休めるときに、癒しのために飲むものです。決して、これがカラダに良からとか、ボケ防止に良いからとか、ダイエットできるからとか、そんな目的で飲むべきものではありません。逆に云うと、そんな目的だけで飲みたいとも思うものではないので、「飲んだ方が健康に良いよ」と云われてもさほど食指が動かないんです、わたしは。

食べ物や飲み物というものはどれもそういうものだと思います。食べたいから食べるモノ。たまたまそれが健康に良いのであればラッキーだけれど、キライじゃないけど好きでもないものを無理矢理食わされてもあまり嬉しくはないですし、続ける気はあまりしません。わたしにとってのコーヒーは、そんな立ち位置にある食材です。

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評価の違い(後)

(つづき)

決しておべっかで云ったのではありません。単に体重が減っていないだけで、よく見ると検査データは軒並み改善していたのです。その程度は誤差範囲で改善のうちには入らない、と云われるかも知れませんが、がんばった成果は成果としてきちんと認めてあげたいと思いました。データが正常値にならないと努力が不十分だ!と評価するのは、予防医療従事者としては当たり前のことなのかもしれませんが、アタマではなくカラダ自身が意識改革のモードに入るまでにはそれなりの準備期間が必要なのだと思っています。

結果としてわたしは依頼されたのとはまったく逆の評価を伝えてしまいました。最近、代行して説明する場合の8割方がこんな感じです。「申し送られたほどデータは悪くないじゃない」という印象ばかり。数年前まで、生活習慣病の生活療法に厳しく介入していたのはわたしだけでした。まだ異常でもないのにそんなに厳しくしなくても、という目で見られていました。ところが、最近は軒並みみなさんの方が返って厳しい指導をされています。他人のグループのカンファレンス内容をみると、それはもう受診者さんがかわいそうになるくらい厳しい指導内容がつづられていまして、おそらくわたしのグループの指導内容が一番緩いのではないかと思うくらいです。そんな修行僧のような人生送ったって楽しくないでしょう!と思うのですが・・・。明らかに温度差がある。それが完全に以前とは真逆の温度差だということ、おもしろいなと思いました。

「実は・・・」とくだんの受診者さんから最後に相談を受けました。最近夜間の頻尿があるけれどこれは歳のせいか?というもの。わたしは「神経因性膀胱の可能性もありますが、良い睡眠がとれていないせいかもしれません。睡眠時無呼吸の治療を再開してはどうでしょうか?」と助言しました。それを聞いた彼の目がキラッと光りました。

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評価の違い(前)

うちの会員制会員の受診者の方には各々に専属の担当チームがつきます。その担当チームが皆で前もってカンファレンスをして問題点を共有することになっています。ただ、健診結果を説明するにあたって担当医師が当日いないことがあり、その場合には他の医者が代行します。

先日、そんな代行業務をいたしました。その方は百キロ超級の体重があり、ダイエットのために熱心にフィットネスに通ってきていますが一向に体重が減らないのがスタッフの悩みのタネです。昨年は筋トレのやりすぎで筋肉破壊を示すCK値が著増していたために運動は有酸素運動に制限されています。わたしが申し送られたカンファレンスの内容は、

●減量に努めるように(フィットネス利用中だが、効果が出ないため食事療法も併せて栄養士からの指導も行う)
●就寝前の飲食を禁止(食生活の根本的見直し必要)

というものでしたが、当日、結局わたしは、

●データはきちんと改善しています。努力の成果は十分出ていますから、あとは食事の味わい方に目を向けると鬼に金棒です。皮下脂肪が多いので簡単には体重は減らないはずですが、結果は良くなっているのですから焦らずにしっかりとモチベーションを維持させてがんばってください。

とだけ説明しました。     (つづく)

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ステーキとにんじん(後)

(つづき)

「料理」とは一皿で完結するものとして考えられ、一流のシェフほどトータルとしての完成度を競うモノです。あるいは、栄養素がどうこうとか食べ合わせで相乗効果がどうこうとかいう理屈は常に後付けで、古人はみな経験値として体調がよくなる組み合わせを云い伝えてきているのです。少しはなしを横道に逸れさせるなら、食育の基本は「丸ごと全部戴く」ことであり、そこには栄養素ごとの理屈ではない本来の自然が蓄え持っている智慧が結集されているはずですから、料理もまた、メイン料理と付け合せの丸ごと全部で意味を成すのではないのだろうか。料理は理屈で食うものではなく、栄養バランスから考えて何が足りないからそれを追加する(サプリも含めて)というような単なる足し算ではいけないように思うのです。

たまたまこの記事を書いていたら、facebookにこんなPR記事がありました。

免疫力を高めるなら癌免疫のブロリコ研究所にお任せ下さい

ブロッコリーに含まれるブロリコが免疫力を高めてくれるから、もっとブロッコリーを食いましょう!ということでもあるような気がしますが、「ブロッコリーやにんじんはカラダに良から食いなさい」ていう理屈、見るからに後付けの屁理屈だから、わたしはあまり好きではありません。幸い、わたしはブロッコリーもにんじんも大好きだから理屈抜きで食えてラッキーですけど。

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ステーキとにんじん(前)

「ステーキにはにんじんが添えられてますよね。あれは何でですか?」

先日管理栄養士さんにお聞きしたら、「どうしてでしょうね。にんじんには抗酸化作用があるからお肉や油ものの酸化を抑える意味じゃないですかね?」との返事。ネットを見ていたら、「にんじんは、油と一緒に食べるとカロチンの吸収が良い」と書いてありました。方や、「あれは単なる彩りのためであって、高級ステーキ店では肉しか出ません」という意見もありました(わたしは高級料理店に行ったことがないのか、バブルの頃にお接待で連れて行ってもらった鉄板焼きのお店でも目の前でシェフはにんじんを料理してくれましたが)。

いや、ふとそんなことを思ったのは、最近の居酒屋料理に野菜を添えることが少なくなったのはなぜなんだろうかと思ったからです。料理に添える野菜がないだけでなく、下に敷く野菜が残っていてもメイン料理が無くなったら皿を下げようとする・・・野菜は料理の中に含まれてないのか?と憤ることが時々あるから。どうせ付けてても食べないヒトばかりで勿体ないから、「野菜を食べたかったら別にサラダを注文してください」という概念は理解できるのだけれど、それは栄養学のはなし。この野菜にはこんな栄養素があってこんな効果があるとかいう理屈ばかりが成り立っているけれど、本来付け合せは、メインの料理にくっ付いて一皿のメニューとして完結するものではないのか。ステーキにキャベツは添えないし、コロッケににんじんは添えない。それは単なる見栄えなのか?という疑問の答が私の中で完結しないのです。

(つづく)

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相対性理論

朝、通勤の車の気温表示が氷点下になることが多くなりました。「さみいはずだなー」と独り言を云います。ところが、そんな日が続いて、ふと+0.5℃とか+1.0℃とかいう数字をみると妙にうれしくなります。「あら、今日は意外と寒くないんじゃーん♪」とか思いますが、これって不思議ですね。きっと体感温度はほぼ同じはずなのに。

うちの施設の受診者数は一日に140~150人程度です。それが予約枠の上限でほぼ年間を通して変わりません。それでも年度末と年度初めは若干人数が減ります。130人とかになると異常に楽な気がしてうれしくなります。高々10人の違いなのですが、人間、”やる気”は大切ですからね。でも、よく考えたら5、6年前の上限は120人くらいだったと思います。スタッフ数も検査器具も変わらないのに、いつの間にか少しずつ上限枠が伸びました。このままだとスタッフが疲弊するから何とかならないか、と当初は云ってましたが、怖ろしいことにそれが普通になってしまいました。

「やればできる」ということよりも、「慣れてしまえばあまり苦にならない」ということは、人間社会を生きていく上では重要なことです。機械は絶対値でしか評価できませんが、わたしたちは相対値を感じて生きていますから、ちょっとした変化に喜びを感じて、がんばる力になれる!というのは人間の特権です。

でも、それにばかり頼っていてはいけません。同じ人数で毎日30人以上多く対応している事実は、感覚が鈍麻していますが、確実にカラダを疲れさせていきます。「わたしは意外にできる人間!」と自分を褒めてあげる一方で、無理やりにでもカラダにご褒美をあげて息抜きさせてやってください、みなさん。わたし?わたしは大丈夫です。ちゃんと、がんばらないように、ご褒美と息抜きばかりやってますから(笑)

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2回か3回か

以前通院していた泌尿器科では「年2回の定期健診でいい」と云われていたのですが、今通院している泌尿器科では「年3回来てくれ」と云われています。今の方が病気がひどくなっているのでしょうか?

先日、ご高齢の女性の受診者さんに血尿のフォローのことで相談されました。自覚症状はなく、今回の健診結果も正常でした。おそらく以前通院していた泌尿器科の先生も今診てくれている先生も、云ってることは同じなんですよね。同じ先生が「2回」から「3回」に増やしたのなら意味はあるのでしょうが、違う先生の言葉なら単なる云い癖。しかも多分、本当は何もないから年1回の健診を受けているだけで十分なのだと推測します。カルテの継続のため、あるいは何かあったときの保険として、「何かあったらおいで」ではなく「定期的においで」と云い、回数を云わないと来なくなるからとりあえずの目安を云う。そんな感じでしょうか。

「わたしなら、『年2、3回来てください』って云いますけどね」と笑って答えましたが、日本語はむずかしいなあと思った次第です。「そんなことまで気にしてたら何も云えないじゃないか」と云うヒトもいましょうが、気軽に口にすることばが、どれだけヒトに影響を与えるものかを知っておかなければならないのも事実ですね。

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人間性

わたしにこっそり忠告してくれる人が居ます。

「○○さんは、オモテではいつの先生を立てていますが、陰で批判ばかりしています。ああいうウラオモテのある態度をあからさまに取るヒトの人間性が信じられませんし、信用できませんよね」と。

「ふーん」と答えながら、実はあまり気にしていません。それはその人の目から見た○○さんの姿であって、わたしの側からみた○○さんの姿ではないからです。いや、勘違いしないでください。わざわざ忠告してくれたその人を無視しているのではありません。わたしは基本的に『性善説』で生きていますので、もしその人がそういう風に見える態度をとったのであれば、それにはきっと何か意味があるんだろうなと思うわけです。最初はわたしと意見が同じだったけど、いろいろ考えていたら考えが変わってきたのかもしれません。職務上の立場として管理職になるとしがらみが多くなって、わたしのように自由気ままに云いたい放題の人間が煙たくなったのかもしれません。ヒトの行動には必ずちゃんとした理由があって(自分で説明できるかどうかに関わりなく)、説明を求められないから何も話さなかったら、世間で勝手にまことしやかな誤解がまかり通ってしまったことは、ワタシ自身の人生にも何度もありました。あとでそれに言い訳する気もない(言い訳を求められてもいない)から、それが結局そのまま真実扱いになるわけです。

自分がそういう経験をしていると、似たような評価を受けているヒトも同じような感覚でみてしまいます。だから、「あんなヒトは人間性を疑いますよね」という云い方に同調できないのです。「ヒトが変わった」とか「人間性を疑う」とかいうことより、できたらそういう変化の事情を慮(おもんばか)れる人間でありたいものだと思います。

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アポイントメント

あるメーカーの担当者さんはなぜかアポイントメントを取らずにやってきます。うちの担当になったときからずっとそうです。昨年12月も、ふらっとやってきてわたしの時間が空かなかったので帰ってしまい、改めて年末に来ましたがわたしが不在だったのでカレンダーだけ置いて帰ってしまったそうです。

どうして彼は、前もって電話して来ないのだろう。「ちょっとついでに寄りました」的な風景が好きなのか、それともわたしと話すのが苦手で極力「行ったけど会えなかった」の状況を作りたいのか、単なるいい加減な性格なのか。でも、どっちにしろ、こっちとしては迷惑千万でちょっと不愉快です。来月ある研究会のことで連絡を取らないといけないのですが、「新年になったらまたお伺いします」という伝言を残して年末に帰ってしまいましたので、そのお越しを待っていたら1月半ばを過ぎてしまいました。

嫌がらせなのかもしれませんね。

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「日本人でも糖質制限食は有効」

先週配信されたMTProに、いつも明快な解説をしてくれている北里研究所病院糖尿病センターの山田悟先生が、またセンセーショナルな研究報告をされました。

日本人でも糖質制限食は有効−初のRCT

山田先生は,糖質制限食に関する日本人の比較研究を行おうという趣旨の提言を2008年に行っており、塊より始めよ―5年半の歳月を経て、今年、山田氏自身が日本人を対象とした初のランダム化比較試験(RCT)を発表したもので、これによって日本人でも糖質制限食が有効であることを証明したのです。北里大学の外来患者24人の検討ですが、その結果はカロリー制限食よりも糖質制限食で有意に血糖コントロールが良好に改善したというもので、諸外国のそれと同じでした。さらに本文によると、蛋白摂取過剰に伴う腎機能の悪化や脂質摂取過剰に伴う血中脂質プロファイルの悪化といった懸念が杞憂であることが確認されたとともに、非肥満の日本人においても糖質制限食は有効ということが証明されたことになり、日本人でも糖質制限食は安全で有効だ、という結論を得たと云うのです。低炭水化物食をがんばっている皆さんには励みになることでしょう。

さらに先生は、日本糖尿病学会の『科学的根拠に基づく診療ガイドライン2013』(JDS2013)の食事療法の項にも言及し、日本人の研究報告にあるような①早食いするな、②野菜から先に食べよ、③咀嚼能力を付けよ、④1型糖尿病患者にはカーボカウントを指導せよ、という結果が勧告文に含まれず、あくまでも①25〜35kcal/kg標準体重でカロリー制限せよ、②炭水化物50~60%、蛋白質1.0~1.2g/kg、残りを脂質という三大栄養素比率にせよであることを、『ナンセンス』と切り捨てています。

これが、日本人の糖尿病の食事療法に新時代が訪れる大きなきっかけになってくれるといいなと思います。もっとも、わたし的には、今後も①よく噛んで食べよ、②まず野菜を味わうべし、③勿体ないから作りすぎるな、だけしか強調する気はありません。食事は「美味しく味わうべきもの」であるというポリシーにブレはないからです。

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「目標体重」

2010年から依頼されてきたコラムが今回最終回を迎えました。長い間、お世話になりました。ま、書いてあることは、ここで何度も書いてきたことの組み合わせです。

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『目標体重』

「私の理想体重は○○kgだからあと●kg減らしたい」「あなたの体重はあと△kg減らすと目標に達するから頑張りましょう」・・・メタボ健診が始まるはるか前から、体重は人類の最大の関心事であり、現代社会では減らせる人間がほめられます。健診現場には「理想体重」があり、各人が自分の目標体重を設けてそれを達成すべく行動計画を立てます。そして日々血のにじむような努力をしています。

物事のバランスはインとアウトの単純な引き算です。どちらかが多くなれば自然とどちらかに傾きます。お金の場合は稼ぎと使う量が変わらない限り貯金が貯まる一方か破産するかのどちらかです。でも、体重はそんなに単純ではありません。ズレたバランスを修復するまでは変化しますが、同じことをしていけば必ず平衡点に達します。毎日激しく運動して食事量を極限に減らしたとしても体重がいつまでも減少することはなく、どこかで横ばいになります。そこがそのパフォーマンスの到達点です。でもこの平衡を保つためにはその生活をずっと続けなければなりません。「あと2kg減らせば目標に達するからもう少し辛抱して頑張りましょう」と激励する姿を見かけますが、それ一生続けない限り維持できませんけど、本当にやれますか?

「頑張っているけどなかなか目標体重にたどり着けない」と悩んでいる方がたくさんいますが、その目標体重って何ですか?「理想体重」から割り出した値?こうなりたいと思い描く体重? では、「理想体重」って何ですか? BMI=22になる値? 腹囲が85cm以下になる値?・・・その値自体が間違っているのでは?と思ったことはありませんか。同じ身長、同じ性別、同じ年齢なら理想体重が同じという発想に無理があることはみなさん絶対感づいていますし、理想体重はその筋肉量や代謝量や生活様式や体質で変わるだろうこともみんな知っています。理想体重は各人各様のはずです。ではそれをどうやったら知ることができるか?それが平衡です。自分なりに節制してまあまあ良い感じのシルエットになって体調も良くなったのにあと少しが落ちないという方。減食も運動も自分なりに頑張っているのに増えも減りもしないという方、あるいは逆にもっと太りたいけど体重が増えないと悩んでいる方、きっとそこがご自分の身体が求める理想像です。努力が足りないのではありません。ふさわしくない努力をすれば必ず体重がどちらかに動きますから、平衡状態から減り始めた時こそむしろ注意が必要なのかもしれません。

計算式で求めた数字が理想値だとは限らないと頭では分かっていても、目の前に数字を示されると何とかその値をクリアせねばと思います。クリアできるのが「出来た人間」で、できないのは「ダメな人間」と思われがちですが、自分の体調が良好で、歳をとっても数値が全然変わらないのだとしたら、それは自分の身体が求めた理想像でいけている証だから、あまり気にしない方がいいと思います。

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適材適所

昨年、関東のある医科大学の教授から電話がありました。わたしが東京の病院で働いていたころに同僚だった先生です。教室員の若い医師が実家のある熊本での仕事を希望しているが、うちの病院はどうか?という相談です。わたしは早速循環器内科の部長に話をつなぎ、部長が直接本人と会って面談をする運びになりました。

その後、部長に会う機会があったので、どうなったか聞いてみましたら、「あの話はお断りしました」とのこと。会って小一時間いろんな話をしましたが、「彼は、うちのような病院で働いたら壊れてしまうかもしれない」と感じたのだそうです。輝かしいキャリアがあり人柄も温厚で申し分ないのですが、「彼のような医者は、うちのような回転の速い救急現場で毎日を忙殺させるより、もう少しゆっくりとしたサイクルの中でじっくりと学研的な研究をするのが向いている」と。

人手不足の現場ですし、わたしの専門分野である心臓核医学検査に詳しい優秀な先生が来てくれたらとても助かるなと期待していたわたしは、意外な結末に驚きましたが、現場のトップは、いつでもきちんと人材の有るべき位置を見極める目を持っていないといけないのだな、と思った次第です。医学部を卒業して国家試験に合格すると「医者」となりますが、医者には臨床家向きのひとと研究家向きのひとが居ます。前者には戦場のような救急現場に身を置くのが合っている者とゆっくりとした時間の中でじっくりと患者さんと対峙するのが合っている者とがあります。適材適所・・・ことばは簡単ですが、それが実践できるためには多くの人の手助けがいるのです。

くだんの若い医者は、結局となりの都市の九州を代表する大きな病院で放射線治療に従事することが決まりました。将来、彼がその分野の第一人者として周りをけん引する立場になったとしたら、それはうちの病院のN部長のおかげだと云えるかもしれません。

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要精検率(後)

(つづき)

さらに、一旦機械的に判定したものを各医師の裁量権でバラバラに変えることも組織は嫌がります。「統計的な整合性」とかいうやつを重んじるからです。この考え方は、おそらく健診の世界独特の考え方だと思います。

これをグローバルスタンダードというのであれば、それは申し訳ないがナンセンスだと思います。統計的な年次推移が比較できないのであれば、「基準が変わりました」と書けばいいこと。ヒト(医者)によって話すことが違うと困る、みんな足並みをそろえてもらわないとたまたま入った診察室で違われると困る、と云うのなら、初めから医者の説明など要りません。コンピューター占いの総合評価か何かを読んでおけば十分だということになります。

おそらく、この要精検率とか健診受診率とかで競い合う考え方=「統計的な整合性」というのは、集団検診(対策型検診)の考え方です。その理論を人間ドックのような任意型の健診にまで持ち込んではダメでしょう。数値はあくまでも目安で、それが長年の変化の中でどう変わっているかとか、他にどんな病気を持っているかとか、何歳かとか、どんな仕事をしてどんな生活をしてるかとか、そんなすべてを鑑みて、この値に「異常」の判定をするのかしないのかを、機械的なアルゴリズムで規定することなどできるはずがありません。さすがに外来主治医と同じレベルで考えるのはムリですが、そんな各人各様の生活に踏み入るのが人間ドックの結果説明です。それによって、「要精検率」の数値が異常に変化しても、あるいは他の施設と大きく違っていても、なんら恥ずべきことはないと思います。わたしたちは統計学の学者さんや政府のお偉いさんを喜ばせるために働いているのではないのです。

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要精検率(前)

この4月に、うちの施設の人間ドックの判定基準が大々的に変わります。というか、わたしたちが話し合って、歴史的な基準にメスを入れました。「要再検」という中途半端な判定をなくすのが主目的(この判定は紹介状を出すでもなく、どこか病院を探して自分で行って、あとはあなたの自己責任で、というわたしたちの逃げ道なんです)でしたが、長い間、日本人間ドック学会の推奨する判定基準と大きく食い違っていたうちの施設独自の基準をついでに見直そうということになったのです。「異常者」が異常に多くなるからと云う理由で基準を甘くしていましたが、その基準の数値に何の根拠もなく、単なる経験値=これくらいだったらほどほどに引っかかるのではないか?といった程度の理由でした。でも今は、グローバルスタンダードの時代。できるだけどこでやっても同じ判定基準にするのがスジだろうということになったわけです。

そのため、来年度から要精検率が異常に増えるのは必至です。もちろん、わたしたちは必ず結果説明をしますから、その時点で「1年後の経過観察」判定や「通院経過観察中」の判定に積極的に変えますが、それでも要精検率は確実に増えるでしょう。「要再検」判定を「要精検」に格上げする上に、その基準値が極端に厳しくなったのですから。

ところが、そうなると組織はそれをえらく懸念しイヤがるわけです。これまでの統計データと極端に食い違うので、受診者や保険者に説明が難しい!と。あるいは、せっかく精検率を目立たないように調整していたのに、他の施設より突出するようになるかもしれない、と。     (つづく)

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市民ランナー

近くの公園で愛犬の散歩をしていると、年を明けて急にジョガーが増えたことに気づきます。黄昏時にトボトボ歩くわたしたちを颯爽と追い越して行くアスリート系の若者たちに交じって、フーフー云いながら必死な形相で何周も走るオジサンや太めのおじょうさんなどの新しい顔ぶれ・・・地元のマラソン大会が近くなったことも理由だし、正月(一年の計は元旦にあり)だからという想いもあるのでしょう。みんなうつろな目で前を見ながら黙々と走り去ります。最近は健康意識が高まったせいか市民ランナー人口が激増し、夕方の公園はまさしくジョガー銀座です。わたしは膝を痛めているので基本的に走ることを断念していますが、わたしの同僚や先輩方の中にもここ1、2年で一気に走ることにのめり込んだ連中がたくさんいます。

ただ、そんな光景を愛犬と一緒に眺めながら(眺めているのはわたしだけですが)、これは本当に「健康的な姿」なのだろうか?と悩み始めました。ウオーキングやジョギングは有酸素運動の代表であり、健康運動を勧めるにあたっていの一番に推奨する運動です。だから、健康ブームの後押しもあって、皆さん走りはじめたり歩き始めたりするのでしょうけれど、良く考えると、変です! メタボの腹が気になり始めたから走ってムダなエネルギーを消費しよう!とか、老後に介護の世話にならないように筋力つけよう!とか、本来の人間には必要のないはずのもの。神様はそんなことをムダにやらなくてもうまくバランスが折り合うように造り出しているのだから、マラソン大会に出る連中のマニアックなトレーニングや家族のコミュニケーションのためのウォーキング以外の運動は、日頃の不摂生を見逃してもらうための行為=不健康の証なわけでしょ。「健康のためにする運動が一番不健康」であり、きっとそんなジョガーが世の中に居なくなるのが、あるべき「健康的な姿」なのだろうと思う次第です。

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魂が疲れる

月に2回、産業医の業務のためにタクシーである企業に出掛けます。契約は昼下がりから2時間です。もう5年以上続けているわたしの大事な仕事です。ただ、最近はこの仕事から帰ってくるととても疲れてしまっていて、「先生どうしたんですか?顔色が悪いですよ」と毎回云われます。

どうしたものか。仕事自体が疲れてるのではないのです。行きのタクシーに乗った途端に異常に眠くなり、同じように帰りのタクシーでも、乗った途端に異常な疲労感が押し寄せてくるのです。運転手さんと会話を楽しむ余裕もなく、目をつぶってひと眠りをするのですが、その時間は高々10~15分です。目的地に着くころには、生気を抜き取られたように腑抜けになっています。タクシー内の空気が悪いから(一応は禁煙タクシーですが運転手さんが喫煙者だと車内にタバコ臭が蔓延します)かなあと思ったりしましたが、タバコの臭いが全くしなくてもやはり降りるころには疲労困憊です。

それはタクシーのせいではなくて、産業医の仕事がストレスになっているのではないか、と云われました。でも自分的には楽しみにしている仕事であり、職場内で時間に追われるのに比べたら2週間に一度の息抜きの感もあるのに・・・そんなことはないと思うけどなあ。でもとにかく産業医の仕事から帰ってきた夕方には、わたしのココロもカラダも意味もなく完全にやられます。お祓いでもした方が良いのかしら?

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オマエは絶対成功しない

こんなことをこんなところに書いていいのかしら、とか思いながら、最近のカミングアウトは割と大胆です。

ワタシの恩師である亡きH先生に「1年うちで頑張ってみないか」と云われ、それを大学の医局に話したら、「行っても良いが、見せしめの意味もあるので、医局を辞めて行きなさい」と云われ、それで大学を辞めたわけですが、その送別会のときに当時の助教授に云われたんですよね。「オマエは絶対成功しない」って。

これを聞いて、「なにくそ!」って思うヒトはきっと政治的にも学問的にも立派に出世して、日本でも有名な医学者になるのかもしれません。何も考えずに、「はあ、そうかもしれませんね」って、ほとんど聞き流してしまったわたしは、だからこの程度の似非医者になってしまったのかも(笑) 成功するとかしないとかの基準は何だったのかいまだにわたしにはよく分かりませんが、少なくともわたしは大学で学者さんとして学研的な研究に専念できるタイプの人間ではなかったことだろうと思いますから、大学に残ったところで何か大きな業績を残したりはできなかったことでしょう。

そんなT先生も退職されて、今では時々お会いすることがあります。あれが叱咤激励だったのか、それとも先見の明なのか・・・彼が当時酔った勢いであれをわたしにどんな意味で云ったのか?あるいは、それを云ったこと自体を覚えているのか?・・・確認する気はありません。今のわたしの中途半端な人生を鑑みると、さほど大した意味があることだとは思えないからです。

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病気って何

予防医療をやっている人が、今さらこんなことを云い始めていいのかしらと思うのですが、『病気』の本当の定義とは何なんでしょうか?

「高コレステロール血症とか高血圧とかは病気じゃないから病人扱いするな!」という”患者さん”に、「あんたら何を云おうと”病人”なんだから諦めてさっさと治療を受けなさい!」と云ってきました。でもねえ、たしかにねえ・・・病気と云えば病気なんだけど・・・”病気”って何なのでしょう?Wikipediaによると、「病気、病(やまい)とは、人間や動物の心や体に不調または不都合が生じた状態のこと」だそうです。ということは、コレステロールが高いとか血圧が高いとかいうことで、放っておくと体調を悪くする可能性があるから病名が付いているわけですが、まだ体調を悪くしてないのだから、これは病気ではないのではないの?と云われれば、それは一理ある。「がん」とか「肺結核」とか「風邪」とかを”病気”と云うのは分かるとして、「検査値が異常である」というのを”病気”のうちに入れていいのだろうか?

予防医療の医師として、別にブレはありません。生活習慣病の管理をするということはそのまま人生の管理をすることであり、自分のカラダの整備をして、人生を全うできるカラダを維持させることなわけだから、これからも云うことは一緒だと思います。でも、「病気」「病人」の扱いと認識は1年前より若干変わってきた感があります。

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総括

なんか最近、自分の人生の回顧録を書きしたためている友人知人が目につきます。

大学のクラブの先輩の回顧録は、わたしが入部する前に語り継がれていたレジェンドの世界を語っていて興味深く読ませていただいています。でも、なんか人生の総括を始めている感じがします。I先輩、まだ回顧録とか書き始めないでください。

そう云いながら、自分の人生を思い起こすとき、30年も40年も前のことなんかほとんど覚えていません。自分の人生だからゆっくり思い起こせば絶対思い出せると、少なくとも10年前までは思っていました(「中学の時に●●が付き合っていたのは△だよな?」とか突然わたしの携帯に友人が電話してきたのもそのころでした。さすがにそんなこと覚えてはいませんでしたけれど)。でも、今はダメです。大学のときのことなど思い出せる由もない。「中学の修学旅行の時に伊勢神宮の近くにあった○○というお店がどうこう」と、先日云い始めた同級生の記憶力は尋常ではないけれど、たしかに忘れないうちにおぼろげな記憶でもよいからどこかに記しておくべきかな、とか思う歳になりました。

まあ、もはや思い出せないから諦めてきている節はある。6年以上続くこのブログにも、時々思い出したように思い出話を書いてきましたが、それもここ1、2年はあまり出て来ていないはずです。書こうとしても思い出せないからです。

記憶は、自信があるうちに記録に残した方がいいかな、と思う今日このごろです。

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二次精査

毎年、健診後の二次精査指示に対する受診状況が報告されますが、惨憺(さんたん)たるものです。どこの健診施設でも30~40%のヒトが放ったらかしています。

アンケートによると、「どうもないから」「忙しいから」「病人と呼ばれたくないから」などが受診しない理由の大半のようですが、「それなら最初から受けなきゃいいのに!」と以前は思っていました。「別に受けたくなんかないけど、会社が受けさせるからしょうがなく受けてるんだ」と受診者。「受けさせないと厚労省がうるさいから予算を割いて受けさせてるんだ」と会社側。こんな不毛なけなし合いもまあ、お互いの潤滑油にはなっているのでしょう。だから健診に来て、不機嫌な態度で健診職員の態度に当たったりするのかしら(「おまえら、タダで受けてるんだろうが!偉そうにすんな!」と思っているスタッフは少なくないでしょうね)。

でも、二次精査を受けない理由・・・大部分はぶっちゃけ、「面倒くさいから」なんじゃないんですかしら?アンケートにそんな不遜な答えを書いたら悪いから、ちょっとカッコつけてみてるだけでしょ。病院受診ほど面倒くさいことはないもの。少なくとも、わたしが自分に指示されて行かないとしたら、その理由は「忙しいから」でも「病気だと怖いから」でもなく、「面倒くさいから」~これ、一番しっくりくる答えですよね。「何云ってるの、全部あなたのため、ご家族のためでしょ?」って保健師さんが両手を腰に当ててこっちをにらむの。わかってるさ、そんなこと。でも、面倒くさいんだもの・・・。

二次精査受診率を上げること。これは健診機関の最大かつ永遠の課題です。

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エクソシスト

「酒なしでは生きていけません」「わたしは腹いっぱいにならないと満足できないヒトなんです」「動くのは苦手です」

生活習慣病の対策は何をすべきか、それは決まっています。食べずに動くこと、カラダに良いものを食べて悪いものを食わないこと、十分な睡眠を取って良くも悪くもストレスを溜めないこと。「わかっちゃいるけどできないんですよね」と、定番のお返事?いえいえ、それは違います。やればできるのです。少なくとも、カラダはいつも健康になりたい(というか本来の姿でありたい)と思っているのですから、実は簡単にできるのです。そんなことはみんなわかっているのです。

でも、できることが分かってしまうのは、イヤ!とアタマの中に巣食うエクソシスト様がごねるわけです。だから「そんなもん出来ねえよ!」て云わせるのです。カラダはそんなこと云いたくないと抵抗しているのに、エクソシスト様が緑の液体かなんかを吐き出しながら、無理やりにそう云わせるのです。

先日、テレビで肥満手術を勧められた高度肥満の女性の話題が出ていました。胃を切って食欲を落とす手術。自分は何か治療したいと云い、それの効果があることは明白ですが、それを行えませんでした。「仲のいい友人がその手術を受けたが、手術ミスで命を落としたからコワい」という理由で。それを見ながら「あ、これもエクソシスト様の仕業だな」と思いました。

エクソシストのはなし、怖かった記憶だけで内容をもう忘れてしまいましたけれど、最後はどうやって退治したのでしたっけ?こいつをアタマの中から追い出さない限り、勝ち目はないですからね。皆さん、各々独自のエクソシスト退治策を講じてください。まずはそれが先決!

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食欲

昨年末から正月三が日の間、わたしは経験したことのない強烈な腸炎に見舞われました。発熱もなければ腹痛も吐き気もないのですが、とにかく水下痢が続きました。

不思議なくらいに食欲がわかず、大好きだったお酒もその存在に興味がわきません。Facebookに並べられる友人たちの年末年始のおごちそうを見てもあまり目に入りません。何を口にしても満腹なわけではないのに「もういいかな」という感じがすぐ襲ってきます。「子どものころに熱が40度あってもご飯を3杯食べた」というのがわたしの父のわたしについての自慢だったようですが、それは”食欲”が失われていなかったからです。「腹の調子が悪いけど、食べたらまたお腹を壊すかもしれないけれど、でもその焼肉食いてぇ!」ということは良くあります。そして食べてしまって後悔するのです。でも、今回はそれとは違っていました。

数日で、誰でも分かるほどやせました。萎んだという感じでしょうか。「食べてないし、下痢で水分が抜けているのだから当たり前」と周りの人は云いますが、なんかちょっと違う気がしました。同じように食べなかった状態でも、ダイエットのためにガマンしたときのやせ方とは別物だということが実感されます。明らかに、体内に吸収すること自体をカラダが拒否しています。吸収したくてたまらないけど何もないから吸収できないというダイエット状態に比べると、おそらく同じものを食べても吸収率が全然違っていたと思います。

わたしに食欲をわかせなかった犯人は腸でしょう。腸が「今は食わんでくれ」と強く要望したのでしょう。するとカラダもアタマもそれに従って”食欲”を消させ、”吸収”を拒んで、とにかく腸の仕事を休ませてやろう!とカラダ全体が一致団結したのです。人間のカラダって、すごいな!と思いました。

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どうでもいい2

新年早々に腸炎でひどい目に会いましたし、予定していたことのほとんどができませんでしたが、意外に損した気分ではありません。ライフコーダーの睡眠パターンを確認すると、正月休みの睡眠パターンは本当に健全で、きちんと浅いと深いの周期が見られます。我が家のイヌたちは日頃居ないオヤジが存在するためにきっとココロ休まらないだろうと思いきや、人間が皆ぐうたらしているので、返って日頃よりもくつろいでいる様子でした。

こういうのって、何か、良いですよね。朝起きて、洗濯物を干して、家の掃除をして、コーヒーでも飲みながらファンヒーターの前でパソコンいじったり本を読んだりして、気が向いたらメシ食って、イヌたちがソワソワし始めたから散歩に出かけて、帰ってきてから洗濯物を取入れて、気が向いたときだけちょっとお酒を飲んで・・・。

年頭から(正確には年末から)何か大きな力がワタシを変えていこうとしているのが分かるのですが、そのひとつなのか、わたし何かにつけて「どうでもいい」と思うことが増えてきました。先日書いたような、ワタシの生き方や家族や仕事のことだけではありません。「サッカーの本田圭佑がミラノに着いた」とか、「帰省ラッシュがピークになった」とか、「安倍総理が靖国神社に行った」とか・・・世に流れるニュースを見ながら、『どうでもいい』と思うわけです。

わたしはきっと、晴耕雨読の人生が理想なのだなって思います。「人生の意味」とか「今世の自分の役割」とか、そんなこと考えなければならないと思っていたから苦しいのであって、自然体で空気の中に同化できるようになれたら、最高に気持ちいいだろうなあ、と。

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「カルシウム密度は治療で亢進する」てか。

昨年末に配信されたCareNet(2013.12.25)に東京医科大の近森先生が解説してあった『冠動脈CT:カルシウム容積スコアと密度スコア-CLEAR!ジャーナル四天王(164)より-』は、JAMAに2013..12.2掲載された『冠動脈石灰化スコア、密度スコアを加えることでリスク予測能上昇』の記事に対する解説です。

冠動脈石灰化スコアが心血管疾患イベントを予測できるとしても、ではどうしたらいい?わたしは石灰化があるけれど、どんなに生活摂生したところでこれが消えるわけじゃないなら、意味ないのではないか?単なる学者の自己満足じゃないか?という気持ちに変わりはないのだけれど、この文章の中で、「冠動脈石灰化は中膜に出現し、スタチンによる治療過程にて密度が亢進するとの基礎的報告もあることから、冠動脈プラーク病変の治癒過程を反映しているとの意見もある」というのに食いつきました。

そうか、だから「カルシウム密度スコアは冠動脈イベントおよび心血管イベントに対して負の相関を示す」というわけか。やっと意味が分かりました。「密度の高い冠動脈の石灰化は心血管イベントに対して保護的に作用する」(Criquiらの報告)というのはすごいことだと思うのですが・・・つまり冠動脈の石灰化が広いと動脈硬化がひどいことを示し、濃い石灰化なら動脈硬化が軽くなったことを示す、ということかしら?

いや、待て!で、同じ石灰化なのに両極に分かれるのだとしたら、その分岐点はどこにあるのか?AとBを比べたらのB方が良かった!というのでは臨床的には何の役にも立ちません。「Hであるわたしはどうですか?」という質問に答えられなければ。そして、それでは一旦できた石灰化でも、治療を続けていると一旦濃くなった後に消えていくとかあるのでしょうか?あるいは逆に、治療でいったん増した密度は止めたら薄くなるということでしょうか?薄くなったら改善なのでは?

まだまだわたしのアタマでは理解できません。

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免罪符

「食後高血糖にならないように、まず野菜から食べる」は、かなり世間に普及してきているようで、老若男女を問わず「意識して食べています」とおっしゃいます。何よりなことです。でも、どうも「野菜」は好きなものを食べるための免罪符だと思っているヒトが意外に多いようで、子どものころの「苦い薬を飲んだらお菓子を食べても良いよ」と同じ臭いがします。

先日も、ある糖尿病とCKDの女性が、「わたしは若いころからグルメで、美味しいものばかり食べていた。お腹いっぱい食べないと落ち着かないの。だからまず昆布とか野菜とかを山盛り食べるのね。それからほんの少しのごはんを食べて、最後にやっと料理を食べるの。でもね、最近は腎臓が悪くなったから、その料理も少しにしなさいって云われてしまって、悲しいの・・・」とぼやいていました。「昆布とか野菜とかは食べ物じゃないと思っているでしょ?」・・・初対面でもズケズケと本心を伝えてしまうわたしは、躊躇することなく核心を突いてみました。「そりゃそうです。食べ物を食べるためにどうしてもあれを口にしないとダメ!って先生が云うから口にしているけど、あんなもの食べ物ではありません!」

おそらく、「まず野菜から頑張って食べているんですけどね」と自ら主張している方の大半が同類だと思います。まず食べる野菜は、免罪符でも、腹を膨らます道具でもありません。まず一番最初に口に入れる食べ物=料理ですから、野菜のおいしさをしっかり味わえるようでなければ、たぶん効果はありません。「野菜を食べればいいんでしょ!と云わんばかりに1~2分で噛まずに投げ込むヒトがいますけど、5~10分くらいかけてゆっくり食べないと意味ありません。食後血糖をゆっくり上げるのが目的なのですから・・・」と、管理栄養士さんが、いつもそう叫んでいます。

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どうでもいい

こまった、こまった。

何か、なにをするのも面倒です。どうでもいいやと思います。今、体調が悪いから、今やるべきいろいろを面倒くさいと思っているのはまあそれはしょうがないと思いますが、そうじゃないんです。

仕事も、家庭も、どうでもいいやって思うのです。「自分は何のために生きている?」とか「自分は職場や家族に本当に必要な存在なのか?」とかそういう悩みを抱えることは最近になっても周期的に良くあるのですが、そんなんじゃないのです。「せっかくの人生、そんなんじゃダメだよ!」「まだ若いんだから、なにかやりたいことをやってみたらいいんじゃない?」とか「そういわず、とりあえずがんばりましょうよ」とか周りが気を遣って叱咤激励してくれるのですが、何かやる気が生まれてきません。このままダラダラ惰性で生きていても別にいいかな、って。でも、何もしないでぼーっとしておくのも面倒くさいからとりあえず給料もらうために働いている、ってそんな感じなのです。

この話題を書こうと昨夜いろいろ考えてたのですが、忘れてしまった文章が思い浮かびません。ま、それもまたどうでもいいやと思う今日この頃です。文章書くのも、何か考えるのも面倒くさいんですよ~。こまった、こまった。

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説明会

うちの施設では、勉強会と銘打って、業者の学術担当の方に説明会を開いてもらうことがよくあります。臨床をしていたころは薬の説明会があっていました(薬の説明を聞くと云うよりも、出してもらえる豪華な弁当が目的だったことは否定しません)が、今はどちらかと云うと新しい最先端の検査についての知識を増やしたり、それを新しいドック商品に組み込むかどうかの選択のために開くことが主体です。

年末にあったある消化器系の検査の説明会のとき、最後の質問でうちのドクターが発言しました。「とても良い検査だということはよくわかりました。で、実際はどうなんですか?いろいろ負の要素を知り合いの医師から聞きますし、だから導入に二の足を踏んでいるという医者もいます。どうせ、こういう説明会ではチャンピオンデータしか出さないことになっているのでしょうけれど、わたしたちは実用する上での本当の問題点とそれがどのくらいで解決しそうなのかを知りたいのです」と。

そうなのです。学会発表や講演会を聴きに来ているのではないのです。自慢できるデータは配布された立派なパンフレットを見ればわかります。教えてもらいたいのは、実用性と今これに金を払っても得なのかどうかという点です。でも、担当の方は必ずたじろぎます。「ぶっちゃけ」は他人には口外しないのが業界の暗黙の了解なのでしょうか。それもわかりますけど、たじろげばたじろぐほど、「あ、これは何か重大なことを隠しているな。それを云えないのはかなり後ろめたい事実だな。じゃあ、もうちょっと様子を見た方がいいな」と思うのが当たり前。半額にしてくれたとしても買わないでしょう。相手が知り合いでもないのに真実をぶっちゃけるのはむずかしいことなのかもしれませんが、そこで自分の知っている実際と懸念している問題点を教えてくれる勇気があると、きっと将来得をすると思うのですけど。・・・残念。

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ベクトルの方向

明けましておめでとうございます。今年もウダウダ頑張りますのでよろしくお願いします(笑)

最近、宴会の〆のあいさつを頼まれるのですが、なにしろ気持ちよく飲んでしまいますので、あいさつのころはいつも何を話すのか忘れてしまい、「ま、いいか」となるのが常。昨年末の忘年会も同じ轍を踏みました。で、何を話すつもりだったのかを、昨夜大晦日の風呂の中で思い出した次第です。

うちの職場は例年のことながら人手不足と仕事量の多さで皆疲弊しています。なのに今年は常勤のベテラン医師が退職します。保健師さんも医師も技師さんもずっと補充できないまま。「2014年はもっと厳しい年になると心してください」とトップから訓辞されました。そんな2014年が始まります。

でも、わたしは「どうにかなるさ」と思っています。なぜなら、「今まで、どうにかなってきたから」。この病院で働くようになって20年以上になります。今の部署の職員数は180人です。職種はさまざま、年齢もさまざまです。でも、わたしがいつも感心するのは、皆が前を向いていることです。何の責任もない臨時や嘱託やパートの方々が大半を占めている職場なのに皆が前を向いています。もちろんその幅は個人差があります。「その程度が小さすぎる」とトップは不満なのかもしれませんが、でもその幅が1歩でも半歩でも前を向いています。斜めを向いている輩もたくさんいますがそれでもベクトルが少しでも前を向いています。これだけの人数が皆前を向いているのです。どんな大きな航空母艦であっても、前に進まないわけがないではありませんか。だから、案ずるなかれ。きっと前に進めます。だから、2014年のことは年明けの仕事始めから考えましょう。それまでの年末年始は仕事を忘れて楽しく過ごしてください。

そう話そうとしていたわたしですが、12月30日から続く急性腸炎です。こんな正月は初めて(笑)

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