人間性
わたしにこっそり忠告してくれる人が居ます。
「○○さんは、オモテではいつの先生を立てていますが、陰で批判ばかりしています。ああいうウラオモテのある態度をあからさまに取るヒトの人間性が信じられませんし、信用できませんよね」と。
「ふーん」と答えながら、実はあまり気にしていません。それはその人の目から見た○○さんの姿であって、わたしの側からみた○○さんの姿ではないからです。いや、勘違いしないでください。わざわざ忠告してくれたその人を無視しているのではありません。わたしは基本的に『性善説』で生きていますので、もしその人がそういう風に見える態度をとったのであれば、それにはきっと何か意味があるんだろうなと思うわけです。最初はわたしと意見が同じだったけど、いろいろ考えていたら考えが変わってきたのかもしれません。職務上の立場として管理職になるとしがらみが多くなって、わたしのように自由気ままに云いたい放題の人間が煙たくなったのかもしれません。ヒトの行動には必ずちゃんとした理由があって(自分で説明できるかどうかに関わりなく)、説明を求められないから何も話さなかったら、世間で勝手にまことしやかな誤解がまかり通ってしまったことは、ワタシ自身の人生にも何度もありました。あとでそれに言い訳する気もない(言い訳を求められてもいない)から、それが結局そのまま真実扱いになるわけです。
自分がそういう経験をしていると、似たような評価を受けているヒトも同じような感覚でみてしまいます。だから、「あんなヒトは人間性を疑いますよね」という云い方に同調できないのです。「ヒトが変わった」とか「人間性を疑う」とかいうことより、できたらそういう変化の事情を慮(おもんばか)れる人間でありたいものだと思います。
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