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2014年2月

失言

某元総理が、真央ちゃんのことを「あの子は大事なときに必ず転ぶ」と云った問題は思いのほか大きな波紋を呼んでいます。デリカシーがないとか、人間性を疑うとか、東京五輪の組織委員会会長はふさわしくないとかいう怒号に似たクレーム。きちんと全文を読んだら意図は違うとかマスコミが意図的にそこだけ抜粋したとか、本人も「意図とは異なる」と云ったとか。

この現象に対する皆さんの客観的な意見も千差万別です。先日は日経ビジネスのコラムで、鶴野充茂氏が書いてた文章も読みました。彼が云うように、一番の問題は森氏が「何を話しするかまだ頭のなか、整理つかないんですけども」と云った事、つまり講話の依頼が来ていたにもかかわらず目的を持たずに雑談しただけなのが問題だ、というのにも同調できました。

でもどうでしょう。そんな次元の問題ではないような気がします。彼らは、日頃からいつもあんな云い方を雑談でしているわけです。「TPOをわきまえて、公人であることを意識して話せ」というのは、つまり日頃はどんな下世話な云い方や考え方をしていてもいいから、「公の場ではきちんとウソをつけ」と云うこと。ここのところがどうしようもない情けなさなのではありますまいか。

奇しくも、その渦中の浅田選手や羽生選手やもっと若いメダリストたちの受け答えのなんと素晴らしかったことか。彼らは、尋常ではない大量のテレビ局の争奪戦の中にいて、見当はずれの数多の質問に対しても一言一言ことばを選んできちんと話していました。あれは、あのときだけの余所行きことばではなく、日頃からあんな表現の仕方をしてきたからできたことでしょう。一言一言のことばにココロを込めて話すことができる若者たちと、お下品なことばを「誤解だ」と弁明する情けない大人との対比があまりに対照的すぎて、笑ってしまいました。

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あえてしない

ここ2ヶ月、わたしは仕事から帰ってからは仕事のことを考えないことにしています。仕事を持って帰っても何もしないまままた翌朝持って行くというのはこれまでも日常茶飯事でしたが、そういうことではありません。いつも何かに追われて生きてきました。講演依頼やコラム依頼や業務上の必要書類や企画書や、一つが終わったらすぐまた次の締め切りがやってきて、いつも何かをしなければならない感覚で生きてきました。だからどうしてもココロが休まりません。若いころから時間があったら何か自分のキャリアにメリットがあることをすべきだと教わって、ずっとそんな生活だったので慣れっこになっていたつもりでしたが、それが何か最近妙に疲れてきています。

だから、仕事のことは一切アタマから外して職場に置いて帰って、家ではプライベートのことだけをすることにしました。来月半ばに講演が迫っていますが、それは職場で考えること。「間に合うだろうか」という心配はしない。だって、これまで一度だって間に合わなかったことなんかなかったんだから、これからもきっと間に合うに違いないのだから。そう思うようにしたら、これは意外に楽。世間の皆さんの多くはそうなのかもしれませんが、そういう習慣のないわたしには、これがなかなか勇気のいることだったのです。

最近、月曜の朝に職場に行くのが妙に久しぶりな感覚です。土曜の午後まで働いていても月曜にそんな感覚になるというのは、きっときれいにオンとオフが切り換えられているからだろうと自己評価しています。ま、一番出世しないパターンのやり方ですけどね(笑) これをライフワークバランスと云ってもいいのでしょうか?

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男性の発想

うちの施設では、健診受診者は皆受診着に着替えてもらいます。検査を円滑に進めるために、不要なものを身に付けてもらわず、すぐに脱げるようにです。一番の留意点は女性のブラで、着脱が簡単な上にレントゲンで映り込むようなもの(金具ホックやワイヤーなど)が入ってないものを身に着けてもらうことになります。

そのため、以前からスポーツブラを付けてもらっていました。この条件に合致する最適なグッズだと思われていたからです。でもこれはまさしく男性の発想。本当は、とっても不評でした。なにしろ若い運動選手が胸の揺れを最低限にさせるために身に付けるバンドですから、とにかくきつい。しかもご高齢になるとバストの位置が下方修正されるのが当たり前なのに、もちろんまったくそんなことなど加味されているはずもなく・・・はみ出てしまうご婦人も多数おられました。

保健師さんを中心に、女性スタッフが、少なくともこの忌々しき問題を解決することは非常に重要である!と声を上げて、使用するブラを見直し始めてから10年くらいになるのではないでしょうか。フロントホックでしかもレントゲンに映りこまない材質。しっかりと乳房をカバーできるもので決して下品にならないように・・・今、うちで使われているブラは何度か手直しした改良品です。これでもまだ十分ではありませんが、利用者の立場に立っていろいろ試行錯誤する雰囲気とそれを認めてもらえる環境にあることを自慢に思っています。

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おこぼれの苛立ち

「勿体ないから少なく作れ。残さず全部なめるように食い尽くしたいから最初から勇気を持って半分しか作るな!」・・・ずっとそう云ってきました。目の前に大好きなごちそうを山盛り積んであるのにそれを眺めながら手元の料理をチマチマ食うはずがありません。作った者の負けです。外食なら1人前の料理も、家で作ると多めに作ります。その多めの料理は残さず食い尽くします。当たり前です。だから、概念としては「少なく作る」のではなく、「作りすぎずに普通量を作る」勇気と云うことになります。むかしは外食の方がリッチで、「今日は好きなだけ食ってもいいぞ」とお父さんに云われながら食べていましたが、今は家で作ってもらった方が量の点でははるかに得かも。

うちの5歳になるワンが時々イライラしています。一緒に住む15歳の老犬が最近あまりエサを食べなくなったのです(残念ながら2月20日に亡くなりました)。それがどうしてイライラの原因になるのかと云うと、おこぼれがもらえないから。老犬が食べ残したエサをこっそり横取りするのが楽しみだったのに、最近まったく食べないからそのまま食器ごと引かれてしまって・・・。これってハイエナや都会のカラスみたいなもの。

人間で云えば若いお父さんの立場でしょうか・・・「食べたくはないんだけど、子どもの食べ残しを全部食べさせられるんですよね。食べないと妻がうるさいんです」ってやつ。「単なる作りすぎなんだから、最初から半分しか作らなければいい」という提案に夫婦そろってうなづきはしますが、きっと実行しないでしょう。子どもが食べる分だけ作ったら、お父さんは大義名分のおこぼれがもらえなくてストレスがたまってしまう。お母さんはそこのところを心得ているから最初から多めに作るわけで、自分もたまにはおこぼれをもらいたいから自分の好きなものは多めに作るとかやってそう。 

このうまい具合の逃げ道を、だれも失くしたくなんかないだろうな、と思うわけです。

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禁煙の検討

「1年禁煙していたけれどまた始めてしまった。禁煙の再トライをすることを検討している」という問診データを見たあとで、ある40歳代の男性と健診結果を交えながら話しました。奥さんも一緒です。

こういうヒト、よくいるんですけど、いったい何を検討するのだろう?と思いませんか。一度経験があるのだし、もう一度トライしてみたいと思っているわけでしょ。今からすぐすれば良いんじゃないん?『お手付き2回したら失格!』とかいうクイズかなんかじゃないんだからさ、とりあえず思い立ったときに再禁煙始めたらいいんじゃない? 今日始めて、翌朝に失敗したら、またやり直せばいい。禁煙は何度でもできるし、禁煙している間は禁煙中なんだから、何度もすればいい。禁煙なんて、もっと気軽にやればいいんじゃないのかしら。

「禁煙は禁煙でなければダメ。減煙は意味がない!」とかいうものだから、それを言い訳にして敷居を高くしているんでしょうけど、あれは最初から「本数減らしただけじゃダメですか?」というヒトへの意見であって、禁煙しようと考えているヒトには関係ありません。何度失敗しても、禁煙中は禁煙だから。禁煙中は減煙じゃないんだから。

ね。

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どうもないから

ここでも何度か書いてきましたが、期外収縮が原因で「どうかあるとき」というのは、動悸息切れ症状ではなく、突然死するときか意識を失って倒れるときです。

先日、人間ドック受診者の心電図読影をしていて2人、危険な不整脈(期外収縮)を見つけて精査指示を出しました。実はどちらも3年前に同様の精査指示を受けていながら放置していました。その理由は「どうもないから」。ひとりはタクシー運転手でもう一人はバスケットボールプレイヤーです。本心はわかりません。精査を受けて重症だと仕事を辞めさせられるかもしれないとか、選手登録を外されるかもしれないとかいう思いがあって、「どうもない」を理由に受診していないのかもしれません。でも、こちらとしては運転中の突然死や試合中の突然死のケースを想定して精査指示を出しているわけです。そこに前触れはありません。精査をしてもその大部分は問題なく、「経過観察」の指示になる可能性が高いことはわかっています。でも、突然死や緊急入院を起こしたヒトの大部分は、こんな異常を示しているヒトなのですから、心配がない確約を得るために精査指示を出してるのです。どうか、仕事を休んででも受診していただきたい。だって、ドックでちょっと運動負荷をしただけでまるで「勘弁してくださいよ」と云いたくなるような危険な期外収縮の連発・頻拍が確認されているのですから。

時々ニュースで出てくるミゼラブルな事件が他人事ではない、ということをもうちょっとわかってほしいものだと思いながら、あらためて要精査の指示を出しました。

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やる気

『特定保健指導』とは、腹が出ていて、血糖が(正常だけど)ちょこっと高めだったり中性脂肪がちょこっと高めだったり血圧がちょこっと高めだったり(正常だけど)、さらに不遜にもタバコなんかくゆらせているオヤジに、「この機会に、人生改めませんか!」という布教活動をすることなのですが、これって意外に大変です。いや、その布教活動が大変だというのではなく(すみません、きっと布教活動も大変なのだと思いますが)、「やろう」「やらなければ」と思っているヒトが「いざやり始めること」が大変なのです。こんなヒトには、受診券を受け取ったら是非とも特定保健指導を受けに行ってほしいと思います。どうせしなければならないことなら、上からブツブツ云ってくれる人が居る方が絶対頑張れるんです。「そんなことくらい自分で頑張れる!」と意地を張らずに、是非、受診券を使ってください。

うちのお嬢さん方(妻とそのおともだち)がダイエットのために少林拳を始めるというので付き合っていますが、まだ1ヵ月もたたないのに彼女たちちょっとめげそうな顔をしています。「だって、やせないんだもの!」と。「来週は休みたい」オーラを出すのを「何云ってるの!」と相棒が叱咤激励(監視かも)して、必死で頑張っている様子ですが・・・どうなりますことやら。

好きでもないことを続けるときには、「無理やり」は大事です。そして「監視」も大事です。続けるということは一時の「やる気」だけでは成立しないのです。次を予約して帰るから何とか時間をやりくりして通うのだけれど、いつでも来れるなら絶対来ないだろう、とうちのフィットネスに通う会員さんが云ってましたが、それは蓋し正論かも。

とにかく皆さま、いろんな足枷を自分にはめこんで、頑張ってくださいませ。

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投げ込む食事

それがどんなにバランスの良い食材だろうとおいしい食材だろうと、口の中に投げ込んだだけでは何も起きません。口の中に投げ込むだけならゴミ箱と同じ。味の付いた石ころ投げ込むのと大差ない!と云い切ってもいい!と、云い続けてきました。

最近は「噛む」作業をしない。老若男女を問わず噛む作業をしない。というか、噛まずに食べられる食材がもてはやされる・・・これはバブルがきっかけなのか?それともその後の不況時代の技術革新・営業努力なのか。

動物は、もともと「噛む」という作業を重要な位置に据えてできています。面倒くさい「噛む」という作業をしなくてもおいしくいただける食材ができたらいいな!と、考えているうちは良かったけれど、それを実現させた瞬間からカラダの歯車は狂い始めて壊れ始めた・・・まあ容易に想像できる展開です。神様が、「面倒くさいけれど避けて通れない作業」と位置付けておいた「噛む」を省略できるようにしたことは、まさしく神への冒涜だと云えましょう。

「噛む」という作業は、食べ物を小さくこなして消化を良くさせるだけではありません。噛んだ後の各臓器から出てくる消化酵素やホルモン分泌のきかっけスイッチであること、あるいは口の周りの筋肉や顎の発達を促すことで、免疫機能を強めたりアンチエイジングに作用するホルモン分泌のスイッチを入れさせること、さらに噛む作業が認知機能に刺激を与えること・・・そんな多くの仕事をさせるスイッチを「噛む」に持たせたのは、人間が「食べる」という最大の欲求の足かせとして絶対避けては通れない行動だからに違いありません。

技術の進歩が、一番いじってはいけない禁断の部分に手を出してしまった! そう考えると、「噛む」の復興は人類滅亡を踏みとどまらせる最後の砦なのかもしれません。

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分離不安症候群

聞きなれない病名でしょう。人間の病名ではないのです。これはイヌ(またはネコ)の問題行動に対する病名です。

「飼い主への依存心が強い犬が1人きりで留守番できない、できないだけでなく、周囲にはばかる事なく大きな声で鳴き続ける、壁やドアを壊す、本来のトイレ以外のところで排泄する等して飼い主さんを悩ませる問題を起こすことを 言っています。これは、犬と飼い主との間に過剰な愛着があり、犬が飼い主に精神的に強く依存するため、自立した1人前の精神状態にまで発達できなかったためであると説明されています」(獣医師広報版2002/06/07)というものです。

うちの5歳になるワンが、わたしたちが留守の間に最近急に玄関マットを噛みちぎったり、おしっこシートとあえて違う場所に大量のおしっこをしたりするようになりました。玄関前の扉を閉めておいたら、とうとう扉の壁を噛みちぎる暴挙に及びましたが、これこそが「分離不安症候群」なんだ、と冷静に教えてくれたのはわたしの妻でした。産まれてすぐに我が家に来たのだしわたしたちの生活パターンは何も変わっていないのですが、同居する15歳の老犬が最近急に弱ってしまって階段から落ちたりウンチを部屋中にしながら徘徊したいるするようになったころから彼女の奇行が始まった気がします。それまで一緒に留守番していたパートナーの様子が変で、自分だけひとり取り残される不安感が突然襲ってきているのだと推測しました。ま、わかっていてもそのお粗相にはゲンコツをかましてしまうのは、わたしが大人になりきれていないからなのでしょうけれど。

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100年モノの運動器

今年の健康スポーツ医学再研修会が先日開催されました。その中で、熊本大学の水田博志先生がロコモの話をされました。

超高齢社会における運動器の健康-ロコモティブシンドローム

ロコモの重要性は承知ているつもりでいましたが、今回の先生の講演を聴きながらショックを受けたことが2つありました。

整形外科に入院して何らかの手術を受けた患者さんの数を年代別に見てみると、10歳代から40歳代まではほぼ同数なのに、50歳を超えると右肩上がりで直線的に増加するのです。手術の比率(骨折・脊椎・膝関節など)は年代であまり変わりません。これはつまり、もともと運動器の耐用年数が50年だったことを物語っており、「寿命が運動器の耐用年数を上回るようになった」結果を示していると云える、というのです。これは、大変です。歳を取ったら膝や腰が痛むのは当たり前だね~なんて暢気なことを云うてはおれません。ボーっとしていたら運動器は50年しか持たないのです。今どきの小中学生は、「体育の授業以外は運動を全くしない」が当たり前なのだとか。子どもたちが危ない。彼らは50年どころか20年も持たないかもしれません。

さらに今、現代人のバランス能力が極端に落ちています。実はわたしも得意ではありませんが、片足立ち(開眼でです)ができない人が多いのです。このバランス能力と骨折の関係も示されています。手首の骨折を繰り返す人はバランス能力が明らかに低いのだそうです。バランス能力が低いほど認知症になりやすいことは以前から云われていますが、これもまた日頃の運動習慣。

平均寿命を考えたら、もともと想定されているよりはるかに長く持つ運動器を作らねばなりません。100年持つ運動器を作らないと生きてはいけないのです。なのに・・・今の小学生たちは、きっとわたしたちより早くに壊れます。これは一大事です。ジジババの運動指導なんかしている場合ではありません。子どもたちを外に連れ出して、嫌がっても強制的に動かさなければ・・・父ちゃん母ちゃんが子どもたちの介護をすることになりますぞ!

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ハサミ

「このお菓子の袋、開けにくいよね」「服のタグを切るのが大変だよね」とか云うと、「ハサミで切れば簡単でしょ」と答える人がいます。あなたは、ハサミの発想がある方ですか、ない方ですか?

家にハサミがないことを当たり前と思っている人と、あるのが当たり前と思っている人がいて、お互いに自分が常識だと信じています。実家に住んでいる若者や所帯を持っている人にはあって当たり前のグッズが、一人者のアパートには意外にないのです。私が独身だった頃、私のアパートにハサミなど存在していませんでした。あるばすがないのです。だって、入居するときに買ってないのですから。自分で買わずしていつの間にか湧いてくるものではありません。引越しをするに当たって生活必需品を買いに行く時、ハサミは意外にリストに浮かびません。実家にいる時には何処かに必ずあったから。子供の頃に学校で買わされたのかもしれません。それを引越しの時に荷物に忍ばせない限り、ハサミは新居に存在しない。で、必要な時にないから、何らかの方法で解決する。どうしてもなくてはならないものじゃないので、次に百均に行ったときにも買いそびれる。

こういうものは意外にたくさんあります。たとえば、釘とか金槌とかもその類です。

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出生後早期の過体重

出生後早期の過体重、青年期肥満の原因となる可能性

NEJMの2014.1.30号に掲載されたアメリカ・エモリー大学からの報告の概略を見ながら、肥満の始まりのことをいろいろ考えました。この論文には、5歳のときに過体重だった子供の肥満発生率は標準体重児の約4倍(31.8 vs 7.9%)であったことと高出生時体重児がその後ずっと肥満有病率を上げるということなどが書かれていました。

いろいろな要素が加わります。高出生時体重児は母体の影響を受けますから、糖尿病や肥満の母親から生まれやすいところがあります。出生直後あたりから3歳くらいまでの第一次成長期に脂肪細胞が増殖しますから、この時期に高カロリー食を取らせると脂肪細胞が無尽蔵に増えていき、いつでもエネルギーを貯められる袋が完成します。一時期流行った、「小さく生んで大きく育てる」の発想で成長した子に肥満や生活習慣病が増加した原因の一つです。そして、その増殖は思春期の第二次成長期に再び全盛期を迎えると云われています。

ちなみにわたしは、「大きく生んで大きく育てる」の流れに乗って、”健康優良児”という名の超肥満児でした。小学校に上がる前の写真をみると隣に住む2歳年上のお兄ちゃんより倍以上大きな図体でした。小学校4年生くらいから上向きに伸び始めて一気にやせましたが、中学卒業のころから今度はまた横に広がりました。オトナになってからは10kg単位でやせたり太ったりを繰り返しています。

今、子どものころの肥満の問題がクローズアップされる一方で、肥満児にさせないようにするために成長期なのに必要なカロリーを取らせない低栄養児の問題も出てきています。どうしてこう両極端な方向にしか向けないのでしょう?核家族化の影響だと簡単に片づけられないのは、じいちゃんばあちゃんと一緒に住んでいる方が返って肥満児が多くなること。「子どもは食べるのが仕事」・・・戦後の自分たちが教わった考え方を普遍的なものとして振りかざそうとするからなのでしょうか。

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FFR

久々に神戸で行われた心臓核医学の研究会に行ってきました。最近は「循環器は雑学だから」と明言しているわたしですが、さすがにまだ心臓核医学検査(心筋シンチ)の読影を担当していますもので・・・。

一昨年かその前に「『心筋シンチは運動負荷ではなくて薬剤負荷でやるべきだ』とある先生から聞いたのだけれど、どうなの?」と循環器内科のチーフに問われて、「やはり、負荷は運動が基本でしょう。『そこが狭いかどうか』ではなくて『そこに虚血が起きるのかどうか』なのですから」と胸を張って答えたことがあります。そう教わりましたし、そう信じていましたから。

でも、今回、その考え方が変わってきていることを知って、(こっそり)ショックを受けました。『FFRの測定』が今のPCIの常識!なのだそうな。冠動脈造影をして狭ければとりあえず拡張させる、なんて野蛮な時代はもうとっくに終わっていまして、造影上あまり狭くなくても心筋は虚血に見舞われている可能性があるというわけです(FFRもPCIもここでは説明しません。何のこっちゃ?と云う方、ごめんなさい)。

そのお話のひとつ前のセッションで、「運動負荷は虚血を示すが、薬物負荷は冠血流予備能を示す」という云い方をした先生がいました。冠動脈の見た目が狭かろうと狭くなかろうと、問題はそこより末梢の心筋が困っているかいないかなわけですが、冠血流予備能は運動による異常が出るよりはるか前から低下してくるから、心筋虚血の状況をより早く把握するためには、運動負荷による中途半端な虚血の誘発よりも薬物負荷による拡張能(冠血流予備能)評価の方が重要である、というわけです。

「もう、すでに皆さんはご存知のことばかりだと思います」と云われてしまいました(汗)

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先生もですか?

「先生は、健診にいて偉そうに食事や運動のことを指導されますけど、先生も高血圧だって本当ですか?薬飲んでいるんですか? へー、医者でも高血圧になるんだー!」って云われました。

はぁ?何云ってんですか? ”医者の不養生”と一緒にしないでくれませんか?

わたしの父の家系は代々続く高血圧家系として綿々と生き延びてきました。甘いものより塩辛いものが好きです。でも割に若いころから薄味を心がけていた方でしたし、周りから「こんな味のないもの食べて何が楽しいの?」と云われるのを、「十分においしい味が出ているじゃない?これ以上だと濃すぎでしょ!」と聞き流す余裕があります(ちょっと量を食いすぎるのが玉に瑕(きず)ですが)。子どもの頃から肥満児(当時は「健康優良児」と云ってましたが)で、これまで何度も10kg単位で体重を上げ下げしてきた人生だけれども、血圧が上がり始めてからは意図的に有酸素運動を心がけているのです。

それでも、トキが来れば血圧は上がる。現代社会で生きていく限り、今より十分な睡眠を取るようにして、仮に仕事を辞めて好きなことを悠々自適にできたとしても、きっと血圧は上がる。それが”サバイバルの家系”というもの。だから、あまり無意味に引っ張らずにさっさと薬剤管理を始めたわけです。

「自己管理のできている医者は病気にならない」とかいう発想があるとしたら、あまりにナンセンス。病気なんて誰にでも起きるもの。医者は病気のことを知っているからこそ自己管理しているのであります。わたしの自己管理は割に良い方だと自負していますんですけれど、それが何か?

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精のつくモノ

がんなどの大病を患ったり大手術を受けたりすると、どうしても周りが”精のつくもの”を食わせたがります。本人も元気になるために無理をしてでも食おうとします。「免疫力や抵抗力を養う」といえば”精のつくモノ”なのだと。でも、そういうときに選ぶのはなぜか高カロリーのごちそうです。だから、「間違っても大量のメシを食うとか高カロリー高脂肪の料理を食うとかしないでくださいよ。そんなことしたら返って悪化しますよ」と釘を刺すと、みんな決まって驚いた顔をします。

これは、戦後の栄養失調による感染症に対する方法としての”精のつくモノ”と混同しているからではないでしょうか?免疫力を高めるための”精のつくモノ”は、(これまでに何度も書いてきたとおり)くどいようですが、ビタミンやミネラル豊富な自然界の食品であって、カロリーとはほとんど関係ありません。

と、他人には云っているのだし、分かっているけれども、いざ自分自身が理由もなく少しやせてみると、妙に心細いモノで、たしかに「食べるのが足りないのかな」という錯覚にとらわれてしまいますね。わたしの場合は、「勝手にやせてラッキー!」と思っていますから、逆に「もうちっと食っても良いってことかな」とほくそ笑むパターン・・・おおっと、これもジャイ家のエクソシスト様のしわざか?

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水分制限

「周りの人はみんな運動中にペットボトルを持っていて水分を取っているけれど、わたしは絶対に飲みません!」

生活習慣病の改善のために最近フィットネスジムに通うようになり、体重が減ってきて、検査データも大半改善してきた60歳代の男性が、得意げにそう云いました。実は、腎機能の値(eGFR)が低下していたので、「脱水かもしれないので水分を十分とってくださいね」とアドバイスしたときに、彼が心外そうな顔をしながら云ったのです。

「運動中にも運動後にも水分をとらないようにがまんして頑張ってるから体重が減ったのだと思っていました」
「それは大きな勘違いです。運動前と後に体重測定するでしょ。あれはその体重の差が水分喪失分だから少なくともその量以上の水分を補充すべきだという目安です」
「そうなんですか?わたしは運動後に体重が減っているのが嬉しくて、飲みたい水分をじっとがまんしていたんですよ。間違いだったんですか・・・?」
「運動直後に減る体重はただの水分ですから減量とは関係ありません。むしろ運動による脱水は危険ですから、運動前にも水分をとってから始めてください」

運動や医療に関係している人間にはあまりにも基本的な常識ですが、こんな誤解をしているヒトはもしや世の中にはたくさんいるのかもれない、と痛感した次第です。

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やせた

先日の出張で、久しぶりにホテルの部屋の大きな鏡に映る自分の裸体を見ました。たしかに、やせた。自宅の洗面所の鏡に映る姿はひいき目ではなかったようです。

先日、数年ぶりに会った大学時代のクラブの先輩が、そっと寄ってきて「ねえ、やせた?」と小声で聞きました。この歳になると大病の可能性があるので「やせて見える」ことを大声で云えないところがあります。「え、実は年末年始に感染性腸炎を起こしてあまり食べられなかったんですよ」と彼女には笑って答えましたが、実はその後一か月以上経つのに太ってないのです。先日、職員健診がありました。体重は、バリバリの運動中毒だったころと全く同じ値。しかも高血圧以外に何の異常もありません。

「何もしてないのに、体重が減ったまま戻らない」・・・受診者さんからよく聞く台詞。「それは、本人が意識していないだけで生活パターンの何かが変わったんですよ」とか、「カラダが求めている理想の体重がその辺なだけで歳とともにそんな感じに集約されたのですよ」とか、ヒトにはまことしやかに説明するわたしも、自分のこととなると少し心配になります。今年に入って変わったことは、睡眠時間を1~2時間増やしたこと、ワンの散歩距離を少し伸ばしたこと、妻の作る弁当が毎日になったこと・・・。「それで、十分でしょ」と、ヒトには云うんですが・・・。

運動中毒だったころのように毎日ストイックにカラダを鍛えていたり、バスケットボールをしたり、自転車通勤をしたりということは何もなく、夕食を半分にするとか晩酌をコップ一杯だけにするとか、朝食を絶対にとらないとかいう、食事のストイックさも今はまったくできてはいないのです。いいのかしら・・・ま、大丈夫なのでしょう。今が今の自分の有るべき姿なのだと、何とか自分に云って聞かせることにいたしました。今より減ったら、そのときに考えましょう。

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ハウツー

わたしは、ハウツーものが苦手です。

「こうやると人の心を掴むことができる」とか、「成功するための究極のサービスは」とか。本屋にもそういう成功本が並び、facebookにもそんな話が「いい話」としてたくさん紹介される時代です。”事業に失敗する理由と成功する理由”とか、”成功した人に聞く”みたいな特集もの、全くもって素通りします。

「ココロから感謝の気持ちを示せば、相手は気に入ってくれますから自ずと事業は成功します」という話も、それがサクセスストーリーとして<客を得るためのコツ>と表現された時点で、意図を感じてしまってイヤになります。きっと、先駆者の成功者は結果など考えずにココロを込めて事業に没頭したらうまくいって、後から「コツは何ですか」と聞かれたから「ココロを込めて頑張っただけです」と答えた。「いや、それが成功の秘訣ですよ」と周りから云われて「そんなもんかな」と思うようになった。と、ここまでなら素晴らしい。でも、「ひとのココロを掴むためのノウハウとして、ココロを込める」は、本当はココロが込められてないからキライ。「ココロを込めてがんばればひとのココロを掴めるらしいからココロを込めるフリをしてみる」に至っては、それは打算以外の何物でもない!と苛立ってきたりなんかします。

ま、わたしの人生には成功も失敗も関係がないから、どうでもいいといえばどうでもいいのですけど。

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スライド

若いスタッフの学会発表の予演を聴いたり、あるいは直接チェックを依頼されてスライドを見たりする機会は多いのですが、最近はみなさんスライドにいっぱい文字を書いています。ほとんど発表時にしゃべることのすべてが文章で書かれています。これは大学の教授や講師の先生方も同じみたいなので、最近の流行りなのでしょうか。それとも、欧米のスライドがそんな感じなので真似ているのでしょうか。

わたしが若いころにうるさく教わったスライドの作り方は、「とにかく最低限の文字数で必要なことを簡潔明瞭に箇条書きすること」でした。詳細は言葉で説明するのだから、スライドに簡潔に表現されている内容を分かりやすく説明しるのが理想のプレゼンだ、と教わりました。

今は、発表者の発表原稿通りの文章がスライドいっぱいにぎっしり書かれているから、単なる朗読会です。会議で手元資料を読み上げているのではないわけで、読めばわかることしか云わないのなら発表者が存在する必要がないように思われてなりません。とか云う前に、字が小さすぎて読むのが疲れるし、説明の前に読み終わるのでまどろっこしくて、アラ探しばかりしてしまいます。すぐ眠くなるのはそんなせいかもしれないなと思うようになりました。

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値上がり

消費税が3%アップするとか、異常気象で作物が不作だとか、価格据え置きをがんばっていたけれども、そんな理由で商品の値上げをせざるを得ずに、断腸の思いで値上げに踏み切ります!とかいう話題が先日夕方のニュースで出ていました。

街頭インタビューで「困りますねー」「家計に大きく響きますものねー」とかいう画像をまず出すのは常とう手段。そして「今回の消費税アップは家計に大きな打撃を与えることになりました」と、ニュースキャスターやアナウンサーが決まり文句のような口調で堂々と云うわけです。

この話題が出る度に、不思議でならないのはわたしだけなのでしょうか?「パンが値上がりしても買わないわけにはいかないから」って、なんで?「肉は買わないわけにはいかないから」て、なんで?値上がりして家計に響くんだから、パンとかお肉とかの買う量を減らしたら解決するんじゃないの?「いやそんなことはできない。育ちざかりの子どもが居るし、主人もウンとは云わないから」って。いやいやいや、お子さんが太り過ぎでお父さんがメタボなんだから、全然大丈夫でしょ。むしろありがたいきっかけ作りしてもらったようなものじゃない。家族のせいにしているけどね、実は自分がイヤなだけだってこと、分かってるんですよね。でも、食べ物を減らすということに抵抗を示すようになったのはいつの頃からなのでしょう?やはり戦後の新しい系統的栄養学の台頭があってから?むかしは、物価が上昇したら「食い物減らす」って、ほとんど当たり前だったのに・・・。

おそらく、値上げによって家計に響くのは、売り手(生産者)側だけの悩みだと思いますよ。

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要るのか、その努力?

先日、ひさしぶりに大学のサークルの同窓会みたいのがありました。そのときに、同級生の女性が生ビールじゃなくて「ノンアルコールビールはありますか?」って聞いたわけさ。そしたら店員さんが、「飲み放題はソフトドリンクだけになります」って。「じゃあ、ジンジャーエールをお願いします」って彼女。

これって普通、自家用車で来ているからだ、って思うでしょ?だから聞いてみたわけさ、「車なの?」って。そしたら、「いや、そうじゃないんだけど」と意外な返事。何でも、太ってきたから、1か月後に何キロか痩せる約束を家族としたから、お酒を飲まずに頑張るんだと。

どう思います? 生ビールやめてジンジャーエールですよ。「それ、意味ないんじゃね?」とココロでは思いましたけど、さすがにたとえ旧知の同僚だとは云え、頑張っている妙齢の女性にそんなことは云いきらんかった。たぶん、久しぶりに会ったむかしの仲間との語らいの場でその晩に好きなビールを控えることには大した効果はないと思うし、むしろストレスは逆効果だから飲んだ方が良かったんじゃないの?とも思う。

でもきっと、彼女はそんな頑張っている自分を他人にも自分にもアピールしたかったのかな。あるいはそんな自分の頑張る姿が、これからの自らのモチベーションに結びつくのかな。まあ、頑張ってほしいと思います。それにしても彼女、夜中までずっと居たけど、結局その後は何を飲んだのかなあ。

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チョコの効果

さすがはこの季節。

バレンタインは医学の世界も飲み込むんですね。

ダークチョコ、ヘルシーな苦味 高血圧、動脈硬化に効果

チョコ、お茶、ベリー類が糖尿病リスク低下に有用

カカオ豆に含まれるエピカテキン(ポリフェノール)は体内に入ると血管拡張させる物質の分泌促進による血圧降下作用だけでなく、強い抗酸化作用があるのだそうです。「血管の老化防止に役立ちます」という東京医科大学の椎名一紀先生の話が載っていました。でも、どうなんだろう。苦いからとはいえ、高血圧に良いからといって、高血圧のヒトがチョコレートを好んで食うのだろうか?わたしは両刀使いだからまあ良いけれど、基本、高血圧のヒトはカラいのが好きだからなあ。

一方、糖尿病リスクのはなしはイギリスの大規模調査の結果です。でもこの日本語解説の文章にはフラボンやアントシアニンの血糖降下作用が強いことだけしか書かれていません。「チョコレートやワインのように従来不健康と考えられてきた食物に有益な成分が含まれている可能性があるというのは興味深い」とありますが、「チョコ」の効果はどこにも書かれていません。こっちはたぶん、チョコ大好きなヒトたちばかりだからこそ、「マジか?」「本当に食べても大丈夫なのか?」と疑心暗鬼なはずなのです。その疑問を払拭できるほどの内容ではないような気がするんですよね。

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運動しない理由

「先生は仕事が忙しくなって、運動する時間がなくなったんでしょ?」

先日、ある方からそう云われました。奇しくも同じ日、受診者さんからは「フィットネスで噂してたんですよ、先生は最近太ったよねって。そしたらスタッフが、『いやいやそんなことはわたしの口からは云えません、上司ですから』って云ってましたよ」と告げ口されました。

あれだけ運動中毒だったわたしの運動量は減っています。一日一万歩以上歩いていることを免罪符に、フィットネスにも行けてませんし自転車通勤も止めました。たしかに以前やっていた昼休みの運動はできません。仕事量が増えて、まったく時間が取れなくなったからです。

でも、それが運動をしなくなった理由ではありません。時間は作るモノ。「運動する時間」を1時間作ることぐらい簡単なことです。ただ、作る気がないだけです。「運動したい気は十分あるんだけど、忙しくて時間が全然ないんです」というヒトはたくさん居ますが、わたしはそれを聞きながらいつも「ウソだ」と思っています。時間がないのではなくて、時間を作る気がないのです。ただそれだけ。大忙しの社長さんや大手企業の重役さんでも、きちんとフィットネスジムに通っているヒトは少なくありません。彼らは、自分のスケジュール表の中に「会議」と同等の重さで「運動」の項目を作っているだけのことです。「時間がない」と云っているヒトの人生の中には一生時間は生まれません。湧いてくるはずがないのです。なぜなら万が一空き時間が出来たら他に順番待ちしていたやらなければならないことですぐに埋まるはずだからです。運動する時間は、作らない限り絶対に生まれません。

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はみだす絵

わたしは、物思いが付いたころから、妙にこじんまりとまとまった面白くない絵を書く子どもでした。

「子どもは、元気よく紙の枠からはみ出るような絵を書くのが良いのよ!ほら、画用紙の下に敷いた新聞紙までがキャンバスだと思って書いてごらん、全然迫力が違うでしょ!」

絵画教室などに行くと、先生からいつもそう云われました。「きちんと書けているけど、子どもらしさがない!」って。はみだした絵の方が評価は高いし、絵画コンテストなどで特賞や金賞をもらうのはそんな元気の良い絵なのだと。そう云われても書けないわたしは、だからそんな「はみだす絵」を書くのにあこがれていました。でも、冷静に考えると、与えられた画用紙の中からはみ出す絵や字を書くのって、つまり、全体をまとめる力や計画力に欠けているということになりますまいか。それが面白いか面白くないかは別にして、全体をきちんと与えられたキャパの中に収める力の方が計画性のない行き当たりばったりのモノより優れているのではあるまいか?

小さくまとまっていたのでは新しい魅力的なモノは産まれない。既成概念にとらわれないはみだす力が想像力を生み出すのだ!・・・このことば自体が、今や陳腐な概念だと云えなくもありませんが、それはその通りだと思います。それじゃあ、子どものころにはみだす絵を書いていたヒトが大人になってそんな破格のアイデアを出しているのかというと、きっとそんなことはない。もちろん、大人の云うような打算のある”はみだし絵画”を書けるヤツ(「こう書くと賞がもらえるぞと云うから書いてやった」、みたいな)は、そりゃ大物になるかもしれませんが、気付いたら枠から出ちゃったんだ、ってヤツが大物になるとは限らない(というか、そんなヤツは最初から大物になろうなんて考えてもいないから、周りは「面白い」というかもしれないけれど自分はそんなこと思ってもいないでしょう)。

もっとも、わたしは打算がキライですから、やはり天然に紙からはみ出す絵を書けるヒトには一生あこがれて生きていくことになるでしょう。

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薬品メーカーの思惑

「それは神経障害性疼痛かも?」という某薬品会社のCMを見たことがあるでしょう。

昨日、その有名俳優が出ているCMのチラシを持ってきた受診者さんがおりました。足が痛いので地元の有名な整形外科病院に行ったけれどレントゲン検査に異常がなく、「様子をみましょう」と云われた。たまたまテレビを見ていたらこのCMがあったので、これを相談できる病院がどこか教えてもらおうと思って・・・その受診者さんはそう云ってバッグからチラシを出しました。

数日前に、家でテレビを見ながら夫婦で文句をいっていたばかりでした。「このCMって、結局薬品会社の思うツボだよね。核心は何も云わないで『良い治療法があるから病院で相談しろ』って。鵜呑みにして受診されても、先生には何のことか分からない。薬品会社のMRさんが『このCMで受診したらこの薬をお願いします』って云われていたら『ああこれのことか』って分かるでしょうけど。で、『そんなものはない』って答えたら、ここの先生はヤブ医者だ!ってことになるわけでしょ」

この受診者さんの場合は、たぶんこのCMの症状とは関係なさ気でした。でも、もともとこのCMの意図するものが何なのかを何も知らないわたしは何の助言もできるわけもなく、「最初に行った病院の先生に訊いてみたらどうですか?」と返したのですが、見るからにイヤそう(たしかに最初の整形外科医の態度が不満だったからこうなったのでしょうから)だったので、わたしの友人を紹介しておきました。

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あるから使う

まあ、歩きスマホ、自転車スマホ、自動車運転スマホの何と多いことか。うちのゲーマー妻なんて、ゴルフをしながらでもいじってます。

先日、ワンの散歩をしていたら黄昏時にウォーキングしながら必死でスマホを触っているオヤジとすれ違いました・・・いや、ひとのことだからそんなことはどうでもいいんです。わたしも電車の駅まで歩くときや何かの時間を待つときにすぐにスマホを引っ張り出して、ご多聞に漏れずいじります。

スマホやタブレットは「便利なのか?」と云われると何とも云えません。それが帰ってから開けるパソコンではいけないのかと云えば、facebookでもメールでもLINEでも、別にそんなことはないでしょう。そこにモノがあるから開けるだけ。目的もないのにネットをつなぎ、誰かからメッセージがないかチェックするのは、ほとんど病気です。むしろ在ってはいけないのではないかと思うこともあります。「あるから使う、でもなくても何も困らない」・・・決してそれを「便利」と云いません。何かちょっと末恐ろしい気がしました。

あの、黄昏時の公園をウォーキングしながらスマホをいじっていたオヤジさん、スマホを持って歩かない方が良いウォーキングができると思いますがなあ。あ、いや、要らん世話ですけど・・・シャッターチャンスを逃すかもしれないけれど、それでも散歩中はスマホを持って歩かないように心掛けているわたしであります。

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すい臓がん

わたしが担当する会員の方が膵臓がんになりました。ご本人から連絡があって初めて知りましたが、実は今年の人間ドックを受けたばかりだったのです。今回はめずらしくPET-CT検査もしましたが、がんを疑うような所見は何も見つかっていませんでした。「孫が生まれたから、孫のためにも長生きしたい。これからは生活を見直すし、タバコも止める」と嬉しそうに宣言して帰ったのがつい数か月前でした。

何となくお腹の調子が悪くてかかりつけを受診し、そのまま精査の目的で病院を紹介されてたまたま行った検査でがんがみつかったのだそうですが・・・。あわてて人間ドック時の検査結果を見直しましたが、やはりどの検査にも膵臓の異常を示唆する所見は見当たりませんでした。

「健診って、何なんだろうか?」と疑問を感じます・・・本人の上司からそんな電話をいただきました。当の本人もあるいは近しいご家族の方もそう感じていることでしょう。”膵臓がんはそういうものなんです”と分かっているわたしですら、強烈な無力感を感じずにはいられません。この方が、そしてそのかかりつけの医師が、「ちょっと調子悪いけど、こないだ人間ドックで詳しく調べたばかりだからもうしばらく様子をみよう」と思わなかったことが幸いでした。何とか治療ができる状態だったそうですから。

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連載開始の心得

先日、友人が職場の機関紙のコラムを連載することになったといって右往左往していたので、お手伝いをしました。

物書きではない素人が文章を書くというのは、なかなか大変です。わたしみたいな変人は相手のことなど考えずに書いてしまいますが、どんなに大層な意見を切々と書いたとしても、相手がそれを読んでくれない限りただの落書きです。長かろうと短かろうと同じことです。だから、どうやったら読んでもらえるか、それが問題です。

何よりも大切なのは第一回目の文章。相手に分かってもらえるような誠心誠意ココロを込めた内容?いや、とりあえず内容なんか大したことはなくてもいいから、読者に食いついてもらう表現が必要です。一回目さえ読んでもらえて、「お、何か面白そう」と思ってもらえたら、あとはよほど手を抜かない限り次号を楽しみしてくれます。だから第一回目だけはじっくりと構想を練って、云いたいことを明確にした上で、簡潔明瞭に書きたいものです。

初めて、片思いの人にラブレターを書くときの気持ちを思い出してください。下書きをした上に何度も何度も書き直して推敲に推敲を重ねた最高傑作を投函したときの心意気(ま、それでも撃沈するのが常ですが)。わたしのこれまでの連載物の一回目(『その「常識」は非常識?』『楽しくなければ人生の無駄遣い』)はどれもそんな思いで書きました。

とか偉そうなことを云って臨みましたが、友人のためにがんばった200字の短いコラムには満足のいく表現ができませんでした。だから、わたしは素人なんだからちゃんと時間をくれないとー!

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