失言
某元総理が、真央ちゃんのことを「あの子は大事なときに必ず転ぶ」と云った問題は思いのほか大きな波紋を呼んでいます。デリカシーがないとか、人間性を疑うとか、東京五輪の組織委員会会長はふさわしくないとかいう怒号に似たクレーム。きちんと全文を読んだら意図は違うとかマスコミが意図的にそこだけ抜粋したとか、本人も「意図とは異なる」と云ったとか。
この現象に対する皆さんの客観的な意見も千差万別です。先日は日経ビジネスのコラムで、鶴野充茂氏が書いてた文章も読みました。彼が云うように、一番の問題は森氏が「何を話しするかまだ頭のなか、整理つかないんですけども」と云った事、つまり講話の依頼が来ていたにもかかわらず目的を持たずに雑談しただけなのが問題だ、というのにも同調できました。
でもどうでしょう。そんな次元の問題ではないような気がします。彼らは、日頃からいつもあんな云い方を雑談でしているわけです。「TPOをわきまえて、公人であることを意識して話せ」というのは、つまり日頃はどんな下世話な云い方や考え方をしていてもいいから、「公の場ではきちんとウソをつけ」と云うこと。ここのところがどうしようもない情けなさなのではありますまいか。
奇しくも、その渦中の浅田選手や羽生選手やもっと若いメダリストたちの受け答えのなんと素晴らしかったことか。彼らは、尋常ではない大量のテレビ局の争奪戦の中にいて、見当はずれの数多の質問に対しても一言一言ことばを選んできちんと話していました。あれは、あのときだけの余所行きことばではなく、日頃からあんな表現の仕方をしてきたからできたことでしょう。一言一言のことばにココロを込めて話すことができる若者たちと、お下品なことばを「誤解だ」と弁明する情けない大人との対比があまりに対照的すぎて、笑ってしまいました。
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