« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2014年3月

医者の不養生?

最近、カラダの調子がどこか今ひとつなんですけどね。

どこがどうというのでもないけれど、運動してから帰っていると何となく胸が切ないとか、夜中に急にお腹が壊れたり胸焼けしたりするとか、何も食べていないのに腹いっぱいになるとか、いつも妙に眠い、だるいとか。

2ヶ月前に職員健診を受けたけれど大した問題はなかったんだよな。普通の人間ドックメニューだけでなく、脳ドックや大腸内視鏡検査や肺CTまで受けたけど、どうもなかったんだ・・・だから、大丈夫だと思うんですよね。

同じことを受診者が云ったら、「2ヶ月前のことは当てになりません。少なくともそのときは今の症状はなかったのだから、今改めて内科を受診した方がいいと思います。受診の2~3ヶ月後に膵臓の進行がんが見つかった人もいるのですよ」と忠告するでしょう。でも・・・内科受診しても、簡単な検査に問題がないならば、結局「健診結果に問題なかったのなら大丈夫なんじゃないですか?他に追加する検査もありませんし」とか云われることが容易に想像できるのです。

こういうときに、医者は損なのか得なのかわからないなあ、と痛感します。「先生に、わたしから改めて助言するなんておこがましいことできませんよ。何かあったら、先生、自分でちょっと調べてみたらいいんじゃないですか」と云われますけど・・・いやいやいやいや、そんなイケズなこと云わずに、ちゃんとアドバイスしてくださいヨ。

| | コメント (0)

いいところを見つけ出す目

元幹部の方が健診を受診されました。「先生、大変お世話になります」と腰を低くして神妙にしていますが、わたしは今でもこの方が苦手です。「あいつは仕事中に遊んでいる、給料泥棒だ」と間接的に何度も云われました。わたしがヒラのままなのはこのヒトの誤解の影響が大きいと思っています。そんなことにいつまでもわだかまりは持っていませんが、きっとその殊勝なことばの裏では「こいつはダメな医者」のレッテルを貼ったままでいるに違いない、と思ってしまうのです。卑屈なワタシです。

そんな昔の苦い思い出を頭に浮かべながら、「上に立つ者はいつも他人の良いところを見つけ出す目を持っていたいものだ」ということを再確認していました。部下を評価するときに悪いことだけを列挙してはいますまいか。「この子は素晴らしいわ」と思っても、それはここで働くなら当然だもの、という態度で眺めてはいますまいか。自分自身そういう仕打ちを受けたからかもしれませんが、いつのころからか、わたしは部下をみるときに(まあ、上司を見るときにも同僚を見るときにも同じですけど)、その人のできないことよりできることを見つけ出すように気を付けるようになりました。いいところを見つけるのは簡単なようでなかなか大変ですが、何とか見つけて「あなたは、ここがステキですね」と云ってあげられたら素晴らしいですね(わたしは恥ずかしくてよう云いませんけど)。

そんな偉そうなことを書いておきながら、先日あるパーティで、「むかし、先生に落第点をもらった○○です」と云いながらあるナースが声をかけてきました。そうです。若いころ、わたしはいつも批判ばかりして仕事をしていました。「こんなことができないなんて給料泥棒だ!」「プロならミスは許されない!」といつも叫んでいました。そんなバカな男に怒鳴られたみなさん、大変申し訳ありませんでした。

| | コメント (0)

試してみればいい

「いつも夕食の後だけお腹が苦しくなって気持ち悪くなる。胃の辺りをマッサージしていると良くなるのだけれど、これはなぜでしょうか?」

という質問を受けました。朝食や昼食の後には起きないけれど、夕食の後だけ起きるのだと。聞けば、朝昼に対して夕食は若干多めに食べてしまうことを除けば特に特殊なことはしていないとのこと。やせ型の女性の方ですし、これまでの胃カメラの歴史をみても軽い萎縮性胃炎を指摘されている程度なので、可能性があるならば胃下垂などによる機能的な問題なのかな、と思います。

で、どうするか? 一応、消化器クリニック受診をお勧めしましたが、どうせ消化剤を処方される程度ではないかと想像がつきます。器質性の病気でない以上、そして胃下垂などの構造的な問題であるならば、食事のとり方を変えてみるしかないでしょう。クスリをしばらく飲んでおけば完治するというものでもありますまい。夕食の量を半分にしてみるとか、内容を軽くしてみるとか、いつもより噛んでみるとか、よくなるならその方法を続けることでしょうし、よくならないなら違う方法を試してみることでしょうし、試行錯誤してみるのが一番いい方法なのだと思います。

生活習慣や食事習慣に関連するカラダの反応は千差万別ですが、少なくとも自分のカラダからのノー!の意思表示なのですから、これをマニュアル通りにというか、普遍的・教科書的な理屈に則って処理しようとしてもうまくいくとは限りません。各人各様のカラダの主張がありましょう。自分のカラダがイエスと云ってくれるまで試してみればいいだけのことだと思います。

| | コメント (0)

慣れるということ

上向きに寝ると背中周辺が痛くてたまらなくなるんです。何軒か大きな整形外科を回ってみたけどどこも似たり寄ったりの見立てで、「側彎があるからでしょう」としか云われません。大学病院の先生は相手にしてくれませんでした。最近は水泳を始めて少しずつ良くなってきていますが、原因がわかりません。

左の膝が痛くなったり、足の外側が急に痺れだしたりして、歩いているときに転びそうになります。原因が何か主治医に尋ねるけれど、レントゲンを撮ってもわからないそうです。そんなときはそこで下半身のストレッチをすると良くなります。血行が悪いからでしょうか?

先日、健診の説明をしているときにたまたまこんな悩みを打ち明けてくれた受診者がおりました。2人ともそれなりに悩んでいるようですが、まあそれなりに折り合いがついている様子です。それでも納得いっていないのは、原因がはっきりしないから。症状があるから原因があるはずであり、原因が分からなければ治らない、というもの。たしかに治らないかもしれません。でも、きっと医療現場はあまり一生懸命にはなってくれないような気がします。だって「大した問題ではない」から。ガタがきて傷んだものは治さないといけないと思いがちですが、治らないものは治らないし、治せないものは治せない。でも治らなくてもさほど困らないことでもあるんです。上向きに寝ると痛くても横向きに寝ると痛くない。それなら痛くない寝方をすればいい。痺れる原因が腰椎ヘルニアだとして、痺れない歩き方をすればいい。ストレッチが有効ならストレッチをすればいい。

原因を究明して治療して元に戻さなければならないと思わず、今の状態を受け入れてうまく慣れてしまえば気が楽になれます。わたしなんて、ずっと痺れた足と痛い背中を抱えながら「こんなもんだぜ」と思いながら走り回っています。ゴルフして、少林拳して、イヌの散歩して、3時間運転してひいきの弱小サッカーチームを応援しに行っています。楽しいものです。

| | コメント (0)

健やかな睡眠のための12の指針

『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』 (日経BP社、三島和夫、川端裕人著)で一週間引っ張ってきました。ちょっとやりすぎですかね。やりすぎついでに、最後にこの本でまとめられていた健やかな睡眠のための指針を書き写して、〆にいたしましょう。

************************

1.睡眠時間は人それぞれ。日中の眠気で困らなければ十分

2.刺激物を避け、眠る前には自分なりのリラックス法を(ベッド上では何もしない)

3.床に就くのは眠たくなってから。入眠する時刻にこだわらない

4.同じ時刻に毎日起床

5.光を利用。目覚めたら日光を入れ、夜の照明は控えめに

6.規則正しい三度の食事。規則的な運動習慣

7.昼寝をするなら午後3時までの20~30分。長い昼寝はかえってぼんやりの元

8.眠りが浅い時は、睡眠時間を減らし、遅寝、早起きにしてみる

9.激しいいびき、呼吸停止、足のぴくつきやむずむず感などが要注意

10.十分眠っても日中の眠気が強い時は専門家に相談

11.睡眠薬代わりの寝酒は不眠の元

12.睡眠薬は医師の指示で正しく使えば安全

************************

これを書き写しながら、自分に重ねあわせてみていますが、わたし、意外に普通にこの指針をこなしています。あまり難しく考えることはないのだな、と確認した次第です。

| | コメント (0)

オーダーメイド睡眠

<参考:『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(日経BP社、三島和夫、川端裕人著)>

「理想の睡眠時間は何時間か?」「深い睡眠が多い方が良いのか?」・・・これについてはこれまで学んできた知識とあまりかけ離れた内容ではありませんでした。

「燃費の悪い動物ほど長く寝なければならないわけですが、我々人間の中でもそれに近いことがあります」という三島氏の表現がおもしろいと思いました。

「若年者の方が、基礎代謝が高くてたくさんエネルギーを使って生活するから、その分しっかり眠らないと回復できない。」・・・アスリートが現役引退すると眠れなくなることがあるのは、モチベーションの変化ではなく基礎代謝が急に落ちたから。「高齢者は赤ちゃんに比べて体重割のエネルギー消費が1/3に減る。だから、高齢者ほど眠れなくなるなんて当たり前。眠る必要性が低下するのです」・・・だから、眠れなくなった高齢者ががんばって8時間眠ろうとすること自体がナンセンスなのだ!というわけです。悩んでいるヒトには目からウロコのお話ではないでしょうか。

とにかく、睡眠の悩みは大きく深いもの。わたしは、短い睡眠、夜間トイレの回数などずっと気にもしていなかったのに、世で睡眠の重要性を説かれるのに比例して、「これでいいのか自分?」と自問自答するようになったわけですが、基本的には「眠れないことなんかで悩むな、自分!」ということですね。

「眠れなければ絶対ベットに居てはダメだというのが、今の不眠症治療の常識なのです」ということを知ったときはちょっとショックでした。眠れなくても横になっていたらカラダは休まるから・・・という誤った指導のために、不眠症がさらにひどくなるのだということ・・・これまた、目からウロコの方も多いかもしれませんね。

| | コメント (2)

25時間周期のウソ(後)

(つづき)

「光で体内時計を調節する時に、午前中の光は体内時計を朝型に、つまり時刻を早める(早寝早起きにする)効果があって、夕方から深夜の光は逆に夜型にします。」 (『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』日経BP社、三島和夫、川端裕人著)

本来は午前中の太陽光で体内時計を強力に朝型に調節できるようになっていた進化の流れを壊したのが、コンビニやGSのあの強い人工照明なわけです。あれを日没後にふんだんに浴びているのですから、調節なんて到底ムリ。一般的にあまり強い影響が出ないはずの家庭照明も長時間浴びることで夜型に向かわせる力が常に働いているのが現代・・・悪循環の夜型が出来上がる構図がとてもはっきりと見えてきました。

「たとえば視力を眼鏡で矯正するように、本当は自分の体内時計の特徴を知って生活リズムをきちんとリセットしていけばいい」と三島先生は云います。社会的なスケジュールを優先してもそれにカラダを合わるのは誰でも容易だと思い込んでいることが大きな間違いなのです。だから、自分の体内時計の周期とリズム特性を知っていることがまず大切だ、ということになるのですが、それを知るのはなかなか一般的にはむずかしいので、調節するための2つの方法を転記しておきます。

1.朝のタイミングを毎日きちんと合わせる:週末も含めて、できるだけ同じ時刻に起きて、光が網膜に入ってくるタイミングを同じにする。

2.光以外の体内時計を司る遺伝子を整える:つまり規則正しい食事と早い時間帯での規則的な運動。

結局ここに集結することを確認して、ホッとしました。

| | コメント (0)

25時間周期のウソ(前)

<参考:『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(日経BP社、三島和夫、川端裕人著)>

「地球の周期が24時間なのに体内時計が25時間周期になっているために放っておくとリズムがずれてくる。それを修正するのが朝日であり、網膜の中にあるセンサーを通して視交叉上核にある親時計のリセットができる。だから朝日をきちんとあびれないと起きれなくなるんです」・・・わたし、偉そうにずっとそう講演してきましたよ。今さら、「あれはもう否定さているんです」って簡単に云われても、ねえ。

最近の研究で修正されたのかな?と思いきや、「25時間周期と言われていたのは20世紀の話でして、現代的に洗練された方法できちんと測ると、体内時計の一日の周期の平均は、実は24.18時間(24時間11分)。(中略)私たちが測定した日本人の周期は24.17時間(24時間10分)とほぼ同じで、24時間にかなり近いんです。」と・・・。愕然です。1999年に最初に発表されたそうです。これが平均であり、これを中心にして正規分布するこの時間のバラつきに個人差があることが何かと問題になります。24時間に近い人は毎日苦労しなくても同じ時間に眠くなるし、目覚ましをかけなくても起きられるのですが、24時間より長いヒトは気を抜くとどんどん夜更かしの方向にずれていくのだそうです。後者は放っておくとどんどん夜型になっていくパターン(これが真の「夜型」)ですが、前者はたまに夜型生活をしたとしてもすぐに朝型に戻せるパターンなのだそうです。

現代人は眠らない・・・TVが24時間放送され、インタネット環境やコンビニや誘惑が多くてつい夜更かししてしまうから? 実は、主たる原因はそれではないらしいのです。現代人は「眠らない」のではなくて、「眠れないのだ」と三島先生は教えてくれています。24時間周期に近いヒトには分からない苦労が24時間より長い周期のヒトにはあるのだということを知りました。これは遺伝的な原因なので、朝日を浴びて体内時計をリセットさせるだけでは解決しない問題なのです。    (つづく)

| | コメント (0)

宵っ張りの子ども(後)

(つづき)

子どもも眠れない。お母さんも眠れない。そのまま夜型の生活になって朝ゆっくり起きるならいいけれど、朝のスケジュールは決まっているのだから、おのずと睡眠時間を削ることになる。血の通った親なら、当たり前の現象ではないか・・・と書いてありました。ん~。

わたしの母は小学校の教師でした。フルタイムの勤務でした。わたしの記憶では子どものころの就寝時刻は21時だったと思いますが、わたしの中で母との関わりが少なかった印象がありません。むしろ20時にはさっさと寝てしまう父との方がほとんど会話がなかったように思います。もちろん、”でもしか先生”だった時代の学校教師です。定刻になったらさっさと職場を出てバスに乗って帰ってきていましたから、遅くまで残って残務をしたり研修を受けたりなどということはなかったようですが、彼女はいつもたくさん仕事を持って帰っていました。食事を済ませ、後始末や食後の家族の団らんが終わった後で、彼女はひとりテストの採点をしたり資料を作ったりやっていました(まあ、ほとんど居眠り状態でミミズが這ったような赤棒が答案用紙にいっぱいあったりしていました)。古き良き時代のはなしであって今のお母さんとは違うと分かってはいますが、でもきっと今の時代でも工夫次第でもっと良い母子関係が見つけられるのではないか、という気がしてなりません。

PS)寝不足の子は自分から「寝不足だ」とは云いません。昼間、先生に怒られるから居眠りせずにがまんしていると、イライラしてイラチになります。注意欠損とか多動児のレッテルを貼られたり、学習障害児にみられることもあると云います。子も親も気づかないでこういうパターンになることは意外に多いのだそうで、こちらはおとなが分かってあげないといけませんね。

| | コメント (0)

宵っ張りの子ども(前)

何かがブームになると必ず湧き出すようにアンチテーゼが出てくるから面白い。と云うことで、題名だけ見てさっそく買ったのがこれ。

『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』
       (日経BP社、三島和夫、川端裕人著)

買ったんですけど、読んでみたらわたしにとっては大したアンチテーゼではありませんでした。それでもわたしの思い込みを修正することになったいくつかを拾い出して、数日に分けて記しておこうと思います。

1.宵っ張りの子どもが増えた本当の理由
2.体内時計25時間説が真っ赤なウソだったこと
3.睡眠時間の理想値にこだわると眠れない~オーダーメイド睡眠のこと

*****************

「最近の子どもは夜の11時とか12時とかまで起きていて、そのために朝からボーっとして学校に出かけ午前中ほとんど起きていない感じだ。寝るべき時間に寝ないから、成長期にきちんと出すべきホルモンも出てこない。これは、何はさておき親が悪い。親がいつまでもテレビを見せたり、ディスカウントショップに連れまわしたり、あるいはゲームを一緒にやったりしているから、寝るべき時間に子供が寝ないのだ。自分の人生のリズムの都合に子どもを合わせさせている。親が宵っ張りだから子どもも宵っ張りになる。まずは親が生活習慣を改めるべきだ!」

わたしは常々そう云って回ってきましたし、ここでも書いた気がします。でもどうも現状はそれだけでもないらしいのです。『第1章 眠らなくなった日本人』の中で、働くお母さんの労働時間と子どもたちの夜更かしの割合とが見事にパラレルに相関していることが示されました。外で働かない専業主婦でも22時以降に寝るこどもは35%もいます。週60時間以上働くお母さんの場合はほぼ50%です。つまり、働くお母さんの働いている時間が長いほど子どもの睡眠時間が短くなるという現実。お母さんが帰ってきてから食事の準備、食事や入浴・・・まともなスキンシップもしないうちに22時はすぐにやってきます。 

                                       (つづく)

| | コメント (0)

健康増進月間

わたしが産業医をしているある全国規模の会社では年一回秋に「健康増進月間」というイベントがあります。従業員の中でいくつかの健康増進イベントに参加する意思のあるヒトに手を挙げさせて、この期間集中的に頑張らせる企画。「毎日ウォーキングする」「毎日、朝食を食べる」「体重を減らす」「禁煙する」などが並んでいます。全国の支店のうち一番高いところでは90%以上の参加率と90%以上の達成率を誇っているところもあるのに、うちの支店は20%にも満たない参加率なのだ、と産業保健師さんが頭を抱えていました。毎年やるのでモチベーションも落ちてきますし、いつの間にか達成した人への賞品も出なくなったわけですから、わざわざこの期間限定で手を挙げる必要性を感じなくて当たり前かな(するなら自分だけでできるし、みたいな)とも思います。これを復調させる方法は何か?それこそ90%以上の参加率の支店にノウハウを聞くのが一番でしょう。何かのご褒美を出すか、イベントとして全社あげての大イベントにして全員参加にするとか、部署対抗にするとか、もっととことんお祭り騒ぎにするのが良いのじゃないかな、と意見を云ったところです。

この話をしているときに、ふと思ったのです。これって、いつも健康を語ってばかりのうちの施設でこそやるべきことではないのか?と。他人に健康を語る前に、まずはスタッフ自身が自分の人生を見直すリフレッシュ月間、絶対に必要です。忙しい期間とか暇な期間とか関係なく(忙しいときの方がやれるんだよな、こういうのは)、イベントとして全員が自分で決めたことを宣言して一か月間がんばってみる、てどうよ。達成者はもちろん表彰して、プレモルくらい出してほしいよね。こういうときの目標は「ダイエットする」とか「血圧を下げる」とか云うのはダメ。結果が出ないと焦るし敗北感が生まれるから。「毎日8000歩以上歩く」とか「毎日朝食を食べる」とか「月曜と木曜は休肝日にする」とか「11時までには寝る」とか、とにかく毎日その都度に勝ち負け(○か×)つけられるのがいい。そして翌日リセットしてやり直せること。達成率80%以上を「達成者」としてたたえる・・・どうよどうよ。良いと思わない?

と、一人で盛り上がっているのですけど、これって誰に提案したらいいんでしょう?組織が大きすぎてわからんのです。風土作りって大変だけど、おもしろいですよね。だれか賛同してくれないかしら。

| | コメント (0)

できないだろうな

わたしの友人から先日相談がありました。「職員健診の結果が年々悪くなっているけどどうしよう」というもの。空腹時血糖もHbA1cも少しずつ上昇して、今年は明らかな『糖尿病型』パターン。

「そりゃ、むかしやっていたように毎日万歩計をつけて歩いて、そして酒を少し減らすしかないよね」と分かりきったことを答えました。いや、わたしの経験上、おそらくそれをしたら簡単に正常域にコントロールできると思います。

でも、できないんじゃないかな。少なくとも自分だったらちょっときびしいかもしれないと思います。「どうして?こんなこと簡単じゃない?」と思うかもしれません。いや、簡単なんです。こんな簡単なことでおそらく正常化するんです。でも、続けないとまた戻るんですよ。そのときにはむしろ前より悪くなるかもしれない。生活療法というのは、その場だけがんばれば済むはなしではなくて、その後の生き方をずっと変え続けなさい!というメッセージなのですよ。そこが重いんです。それこそ一カ月くらいなら簡単にこなせますけど、したくもない生活パターンに変更し続けるとなると、モチベーションが保てない気がするのです。大した悪化ではないし、別にさほど乱れた人生を送っているわけでもないし・・・。「だから少しずつおかしくなってきたのでしょ。今修正しないとクスリが手放せない人生になるよ。それでもいいの?」って、わかる、そんなこといちいち云われなくても分かってるさ。わかってるんだけどねぇ・・・。

ま、彼はがんばれるでしょう。がんばってください。

| | コメント (0)

肥った男は細菌持ち?

MTProからの配信(2014.3.14)から、

太った男性がモテない理由判明?鼻の細菌が鍵か』(ポーランド研究 Am J Hum Biol 2014.2.12オンライン版)という記事に目を留めました。最近、専門的な内容よりもこんな”ほんまでっか云々”的な話題に食いついてしまうわたしです。

ポーランドで193人の健康な男女(男90人、女103人、平均年齢22.8歳と21.4歳)の鼻腔・喉粘膜から細菌の有無をチェックした結果、男女ともに黄色ブドウ球菌などの細菌が多数検出されたわけですが、男性の場合は身長や年齢に関連はなかったが細菌(+)の人は細菌(-)の人より有意にBMIと体重が高値だったし、呼吸器感染を起こしたことのある男性は細菌(-)の人より有意にBMIが高かったそうです。つまり、太っている男性の方がカラダに細菌を飼っていて呼吸器感染にもなりやすいということです。この話題、何がポイントかというと、種の保存を第一優先にするのが女性の本質だから、配偶者選びの選択基準として太った男が除外されるのではないかとのこと。そして、最後のオチは、女性の場合は細菌(+)の人ほど”ナイスバディー”の魅力的なウエスト/ヒップ比の持ち主だということ・・・男は美女に気を付けろ!ということらしい。

むかしは、男女ともにふくよかなヒトがモテていたのだけれど、もしかしてこの細菌感染の傾向は最近の動向? 細菌自体も栄養十分な環境を求めて長い年月を生き抜いてきた結果なのかもしれません。

| | コメント (0)

先約

大きな企業ほどたくさんの会議があります。職場の部署単位のミーティングから会社全体の会議や研修会まで千差万別です。自分たちの持ち場の定期ミーティングや臨時ミーティングが企画されていても、全体会議や研修会が後から企画された場合、それを優先するように云われます。お偉い方がその日しか都合がつかないからしょうがない、各持ち場の小さな会議は他に移動させて参集しなさい、とお達しが来ます。まあ、大企業であるうちの病院もそういうことは日常茶飯事です。

でも、申し訳ありませんが、偏屈者のわたしはそれに従いません。たとえそれがどんな重要会議であっても、よほどの例外を除いて、基本的に先約を優先することに決めているからです。プライベートな用事であっても必ず相手がいるはなしです。相手はその約束のために自分のスケジュールを割いてくれています。持ち場の会議であっても、その日を避けたくても他の日には他の定例会議で埋まっているのが普通ですから、実質移すことができずに中止するか他の会議とブッキングさせるかしかありません。お偉いさんの都合に振り回されることになっても、「それは当たり前だ!」とそのお付の皆さん方が色めき立つのが、気に入りません。だからわたしは堂々と無視することになります。

おかげさまで、そんな過激なことをしてもそれで減給されたり戒告処分を受けたりすることはありません。その程度の立場で良かったなと思う今日この頃です。

だいたいが、重要会議なんてものは最初から年間スケジュールで決めておくべきです。それにしたがってお偉いさん方もスケジュールを空けておくべきで、お偉いさん方はさらにもっとお偉い方々の都合に右往左往させられて大変でしょうが、それに従えるように努力すべきもの。大人数が関与する集団の統率は、上の者から自己犠牲しなければ成り立ちますまいぞ! なんちゃって。まあ、かっこいい云い方してますが、単なるサボりの口実かもしれません。その証拠に、気が向かない先約は、後から決まった重要会議を理由に簡単にキャンセルしたりしますから(笑)

| | コメント (0)

悩ましい問題

「わたしは高血圧の治療を受けているんですが、最近血圧が200mmHgから落ちません。主治医の先生がさらに寝る前のお薬を足されたんで飲み始めましたがまだ下がりません。週に3回の運動教室が楽しみで通っているのですが、始める前の血圧も高いのでちょっと怖いし、まわりも『運動せん方がいいんじゃない』と心配してくれます。じっとしておいた方が良いのでしょうか?」

先日、高血圧と運動についての講演をした際に、フロアからそんな質問を受けました。ご高齢の女性の方でした。

これは実はなかなか悩ましい問題なのです。一時的に上がる200じゃなくて、いつも200あって、原因になるようなホルモンの問題などなくて(二次性高血圧ではなくて)、それでクスリがあまり効かないわけ(いわゆる『難治性高血圧』)ですが・・・。管理者としては何が起きるかわからないからじっとしておいてもらいたいわけでしょうが、世の中にはこんな状態で元気で長生きしているおばあちゃんはたくさんおられます(不思議とこんな方はおばあちゃんが多いですね)。血圧を知ってしまったがために自分もまわりも怖がりますけど、知らなかったら何事もなく生活している。たしかに高血圧のためにポックリ逝った人も少なくないかもしれないのですが、それでもいい人生を送ったと思われます。方やこの方のような場合、合併症が起きないように引きこもって動かない、あまり興奮しない人生選択をして恐る恐る生きる人生って、人生として生きている意味があるのでしょうか。運動教室で何かが起きてしまうと管理者の責任を問われるだけでなく、当人にとっても「本末転倒」ということになるのでしょうが、よくよく考えると、だからしたいことをしないで生き延びる人生もまた「本末転倒」の人生ということにはならないのでしょうか。

「少なくともムリしないレベルの有酸素運動はやって大丈夫だと思います。レジスタンス(筋肉)トレーニングの類を避けて楽しい時間を作ってください」と云って逃げましたが、他人事でない高血圧症治療中のわたし自身にとっても、とても悩ましい問題です。

| | コメント (0)

脳ドック

「脳ドックは何年ごとに受けたらいいですか?」とよく聞かれます。脳ドックの結果説明をすると半数以上の方がそう聞きます。

「受けなくていいんじゃねえの?」とココロで思いながら、営業上そういうわけにもいかないので、「糖尿病や高血圧などが悪化したり、何か症状があったりするのでなければ、3~5年後でいいんじゃないでしょうか」と答えてお茶を濁しております。

脳ドックとかがんドックとか、著名人ががんや梗塞で入院したりすると必ずマスコミで騒ぎますけど、あれは日ごろ健診などを何も受けていない連中への啓蒙作業なのであって、日ごろからしっかり外来治療を受けている方や毎年人間ドックを受けている方にとって大した恩恵はないと思います。軽くても何らかの症状があるなら、当然まず行くべきところは専門医の外来です。「調子が悪いから」ドックを受けたところで何もみつかりません。高血圧や糖尿病などの生活習慣病がある方やスモーカーの方々は脳ドックや心臓ドックで今の状態を見ることに価値はありますが、あくまでも今日までの状態がどうだったかなわけで、数か月後以降のことの予見などできません。何か無症候性の所見(動脈瘤や強い動脈硬化など)がみつかったら、次からフォローをするのは専門分野の外来です。徐々に進んでくるものなら定期チェックの意義は大きいですが、ある日突然壊れるのが血管。ある日突然できるのががん。脳腫瘍ができたら症状が出るだろうからそのときはドックではなくて病院に行く。タバコを吸っている限り明日にでもがんはできる。

”虫の知らせどき”的に専門ドックを受けたけど特に大きな問題がなかったとしたら、しっかりと生活習慣病の管理をして、気になる症状があったら相談するホームドクターを持つ。あるいは普通の人間ドックを数年に一回受ける。これで十分だと思います。

| | コメント (0)

やっつけ仕事

高校時代の恩師が、地元の新聞に定期的にコラムを載せています。友人が切り抜いて渡してくれるので読ませていただいていますが、今回のコラム~たしかネット時代の恩恵と功罪みたいな内容だった思うのですが、いつになく内容がありふれていて文章も当たり障りのない表現に終始していました。

「これ、なんかやっつけ仕事ぽいね」と、友人に話しながらカバンに仕舞いました。依頼の締め切りが迫ったけどピンとくるネタが浮かばない。いろいろ忙しくて、ネタは見つけているのだが今一つ掘り下げた内容まで考える余裕がない。おそらくそのどちらかのパターンなのではないかと推測します。

物書きが本業ではない者にとって、定期的にやってくる締め切りは本当に煩わしいです(もちろん本業の人はもっと煩わしいのかもしれませんが)。浮かんでくるときは「勝手に手が動く」と云わんばかりに瞬時に出来上がる文章が、浮かばないときはまったく浮かびません。何か良くわかります。

小学校のある日、国語の授業で「ことわざを使って作文を書いてくる」という宿題がありました。詳しい内容は忘れましたが、翌日の授業の時間、担任のN先生はイの一番にわたしを指名して作文を読め、と云いました。だから立ち上がって読み上げたのですが、N先生の顔がどんどん苦虫を噛み潰したような顔に変わっていくのがわかりました。そのときは何も云いませんでしたが、あとで呼び出されました。「おまえ、手を抜いて書いたやろ?おまえだからきっといい作文を書いてくれていると思って模範に読ませたのに、あの作文は良くなかった。やっつけ仕事を覚えたらいかんぞ」と、やさしく諭されたのを覚えています。たしかにあの作文は自分でも「良くない」と分かっていました。でも、どこかの作文コンクールに出す作文でもなく、単なる宿題の高々原稿用紙1、2枚程度の作文なんだから適当でいいや、と思ったのですが、神様は見逃してはくれませんでしたね。

だから、わたしはこのブログを書き始めました。ブログだからやっつけ仕事でも何でもいいのだけれど、締切のある依頼原稿でもどこかに発表する原稿でもないのだけれど、初めて何かのご縁でどこかの1つを読まれた方に「つまらん」と思われたくなくて、ついつい本業そっちのけで文章書きに浸ってしまうことが多い今日この頃です(笑)

| | コメント (2)

落としどころ

先日、電話で受診者さんからのクレームを受けました。これもわたしたちの大事な仕事です。この日は、夜に行った温泉センターでも、受付の前で中年の夫婦が大声で騒いでいました。

わたしも若いころからすぐにカッときて声を震わせながら怒鳴るタイプだったから、世が世なら間違いなくブラックリストに載るようなクレーマー。彼らの云っていることはそれなりに理解できます。最初の注意や質問は大したものではないのに、それに対して相手が理不尽な対応したり、不真面目な誠意のない対応だったり、あるいは「はいはいごもっとも。こちらが悪うございました」的な紋切り型の聞き流す態度だったりと、火に油を注ぐようなことをするから収まらなくなるわけです(もっとも最近のモンスターさん方は最初からアタマから火の点いた油を自分でかぶってから飛び込んできますから、火傷どころか家ごと炎上してしまいますが)。

で、こういうクレーム騒動の場合、途中から、云ってる側も云われている側もどこで収めるか、その落としどころを探り合い始めます。振り上げた刃を無意味に振り回しながら、同じことを云い始めたら、云ってる側はそろそろ鞘におさめたいわけです。「で、どうしてほしいの?」「そのまま云い続けても何もおさまらないよ」と云われている側が感じているときには、もちろん云ってる側も分かっていますが、自分から引くわけにはいかないのです。「で、どうしてほしいんですか?お金ですか?」とか云ってしまったら「なんだその態度は!」と暴れ始めるかもしれない。だって、自分では収め方が分からないんですもの。陳腐な方法で良いので、なんとか云われた側から建設的な提案をしながら、「ふん、まあ今度はこの程度で許してやるさ」と云わしめるように骨を折ってあげてください。難儀ですけど、それが処世術というものです。

| | コメント (0)

デパートの階段

エレベーターに乗る習慣が無くなって久しいので、今日も今日とて非常階段を行ったり来たりしている毎日です。そういう生活になってみて気付くことがいくつかあります。

デパートのど真ん中には必ずエスカレーターがあります。皆、デパートに入ったらそのまままっすく当たり前のようにエスカレーターに向かいます。あるいは最初からエレベーターのある一角に向かうヒトは目的の階が決まっているヒト。この構造っていつからこうなっているのでしょうか。デパートだけでなく、おそらく病院も市役所も大企業のビルも、新しいものは設計する時点で当たり前の構造としてそうなっています。わたしが日ごろ探し回ってでも使おうとする階段はと云うと、決まってフロアの一番奥まった目立たないところにあって非常階段としてしか使わないでくれ、と云わんばかりの薄暗さで、ここを移動する限り途中の売り場や部署を目にする機会はほぼ皆無ですから、わたしのようなひねくれ者など相手にしていては売り上げは上がらないのでしょう。

地方の古いスーパーや映画館、あるいは古い町役場などは決まって階段しかありませんがちゃんと建物のど真ん中にあるので迷うこともありません。歴史ある小劇場もそんな構造が多く見られます。本当は文明の利器を発揮して集客したいのだけれどスペースも予算もないからそうしているのでしょうけれど、お年寄りや足の不自由な方を除けばそれで何も困ることはないように思います。

公共の場なのにどうしてエスカレーターやエレベーターを作らない?高齢者やカラダの不自由な方を切り捨てるつもりか!とクレームを云って作らせたとき、まずイの一番にそれを利用するのは、高齢者でもカラダの不自由な方でもない、というのが世の常なのです。そこにそれがあるのだから、公共の建物に高い予算を出してこれを作ったのだから、使わないと無駄遣いになる!と詭弁を発揮する輩たち。

| | コメント (0)

「トヨタの片づけ」

うちの居候の友人が嬉しそうに『トヨタの片づけ』(OJTソリューシンズ)を持って帰りました。「これ、ハマるよね。なるほどって思うことばかり」って。

それをうちの妻に声を出して読んで聞かせるのですが・・・「ん?それが、なにか?」と云う顔をして聞き流す妻。

まあ、真理と云えばまさしく真理。本を出したヒトには申し訳ないんですけれど、こんな本を買ってくるのは決まって掃除好きなヒトばかりなんです。この友人もまさしくそんな御仁。わたしの同類です。そして、そんな本を見ても絶対買わない掃除嫌い・・・それがうちの妻。どんなに掃除好きが「極意」を語り、「これなら簡単!」というやり方を語ったとしても、掃除嫌い(というか掃除下手)には”暖簾に腕押し”。

おもしろいなあ、と、この二人を見ながら思いました。

| | コメント (0)

生死観の違和感

先日、facebookに「15歳若返る脳の磨きかた」(苫米地英人フォレスト出版)の紹介とともにこんな内容が書かれていました。

●その人は「私は十分生きた。もう死のう」と思い「私に明日は必要ない」という諦念と覚悟が、その人の死期を決めたのです。じつは「生きたい」「生きよう」という考えを失うと、人間は死んでしまいます。
●逆に「私にはやりたいことがある。だから、明日が来るのが待ち遠しい」と思う人は、簡単には死にません。
●未来を信じることのできる人は生き抜き、信じられなくなった人はたやすく死ぬ、ということです。
●だから、「先は長くないだろう」と自分の死期を受け入れると、そのとおりのことが実現するのです。

何を云いたいのかというと、おそらく希望を捨てずに「もっと生きたい」「もっとやりたい」と考えることが若返りの秘訣で長く健康に生きることの秘訣だということだろうと思いました。

書かれていることのすべては良く理解できるのに、これを読み終えてもわたしは「いいね」を押すことができませんでした。「今が辛いから死にたい」というのはもちろん論外ですが、「もう自分はやり尽くした」とか「特に後悔することもなくなったな」と思うようになるのは、むしろわたしの理想とするところです。これは諦観・諦念ではないと思います。もうこの世でやりたいことは終わったな、と思うから死んで次の世の世界に導かれる、あるいは生まれ変わって次の試練を経験してみる。その考え方の何が悪いのだろう。「そんなこと云ってると早死にするからもっと『生きたい』と思うべきだ!」というのは、残されてしまう傍観者自身のココロの満足を得たいがための戯言である!と思うのであります。

「もうやり尽くしたからいつ死んでもいいぞ」と思ったからと云って、そう都合よく神様は連れて行ってはくれません。まあ、試験の合格発表のようなものです。本当にやり尽くしていると認めてもらえたらポックリ亡くなるのでしょう。「いつでも死んでいい」と云っているのに一向に死なないのは、まだ自分が思っているほどちゃんとした人生を歩んでないからやり直せ!ということです。 と、わたしは生死の考え方をそうとらえています。

| | コメント (0)

破滅の恋

「この肝機能障害は歴史がありそうですね」・・・40歳になったばかりの男性の人間ドック結果説明をしていました。ALT(GPT)が100近く、γGTPが300近い値だったと思います。

「はい。お酒のせいだと云われたことがあります。わたし、ビールしか飲まないんですけど、かなりの量飲むんですよね」・・・悪びれるでもなく、他人事のようにそう答えるところをみると、本当に歴史が長そうです。そしてこの値にもうすでに心身ともに慣れっこになっている感じ。それでも40歳になって糖代謝異常や脂質代謝異常まで加わり始めてきましたから、そう悠長には構えておれない感じです。

「まあ、残念ながらアタマが恋焦がれているのにカラダがあからさまにノー!を突き付けてきていますからねえ。そろそろ厄明けしますから、この片思いの恋に終止符を打たせる努力がいるのじゃないでしょうか?」と云ったら、「なるほどねえ」と云って力なく笑いました。

世の中には何もかもを破滅の方向にしか向かわせない、成就することのない悲しい恋というものがあります。ストーカーのように片思いをしても、恋焦がれれば焦がれるだけ、引き寄せれば引き寄せるだけどんどん我が身を破壊していく状態・・・悪魔にココロを売る前に目を覚ましていただくしかないように思います。早く別の新しい恋を見つけてほしいと祈っております。

| | コメント (0)

落し物

「わたしは先日とても寂しい光景を見ました。廊下に小さなゴミが落ちていたのですが、その横を何人もの若い職員の皆さんが何もなかったかのような顔をして通り過ぎて行ったんですね。みなさんの目の中には映っていたはずのゴミをだれひとりとして拾おうとしなかったんです。悲しかったですねぇ。どれだけ立派な建物で立派な医療をしているところだとしても、ゴミのひとつを拾おうともしない職員ばかりの職場で良いのでしょうか?」

かなり昔、ある管理者が全体ミーティングのときにこういう話をしたことがあります。お話の内容、とてもごもっとも。うわべだけの立派さに中身がついていかないようでは人間としてダメだということ。ただ、医療現場出身ではないこの方にはちょっと理解できないかもしれないのですが、病院の廊下やフロアに落ちているものは無造作に拾ってはいけないものも実はたくさんあるのです。綿花やガーゼではなくて単なる紙切れや布であっても、感染物の可能性がある。そのものではなくてフロア自体が汚染されているかもしれない。それが病院というところですから、現在の感染予防の考え方・リスクマネージメントの考え方からすると、「歩いていてゴミが落ちていたから拾ってゴミ箱に捨てた」という行為は必ずしも奨励されない時代です。おもむろにゴム手袋を取り出して拾い上げるなどということはしないでしょうから、許されるのはせいぜいティシュペーパー越しに掴むくらいまで。無防備に素手で、なんてことは言語道断なのです。「そんなことするくらいならそのままにしておいてください、専門の人がそうじしに来ますから」と云われます。

ERに行けばゴム手袋とゴーグルをして準備万端で救急車を待ち構えているスタッフたち。ちょっと異様ですが、むかしのように思わず見ず知らずの心肺停止の患者さんの上に馬乗りになって素手でマッサージするなんてことしてたら、どこの無知なお医者さん?これで感染したら迷惑千万!という目で睨まれてしまいます。感染防御の一番はまず自分を守ること、なのです。

| | コメント (0)

食品価格と糖尿病

CareNetからの配信記事に「食品価格の上昇が2型糖尿病患者の血糖値に影響」というのがあって、つい読んでしまいました。アメリカ農務省の経済研究サービスの研究成果です(American Journal of Public Healthオンライン版2014.2.13)。

内容としては特に驚くことでもありません。果物や野菜や低脂肪乳製品などの健康的な食品の価格が上昇すると2型糖尿病患者の血糖値が上昇する(生鮮食品1ポンドあたりの価格が10セント上昇すると空腹時血糖が20mg/dl上昇、低脂肪乳製品1ポンドあたりの価格が14セント上昇すると空腹時血糖が9mg/dl上昇する)と云う結果です。まあ要するに、食品価格が上昇すると果物や野菜、低脂質タンパクなどの割高の健康食品を避けて、より安い高脂質で砂糖やカロリーの高い加工品やジャンクフードを選ぶ傾向になる、ということです。

背に腹は変えられず、安くて簡単にカロリーを得られるジャンクフードに手を出すわけですが、これが不味いならたぶん今ほどのさばってはおられますまい。どうもあれを一旦口にすると多くの人間に魔術がかかってしまって、その食品の前を通るだけで無意識に手を出してしまうようになる魔物です。きっとこれを最初に開発したヒトは人間ではなくて魔界からやってきた妖怪に違いありません。無意識に鱈腹食わせてぶくぶくのフォアグラ人間を大量生産させるのが目的でしょう。

おそろしやおそろしや。目を覚ませ、人間ども!そうしないと妖怪に食われちゃうぞ!妖怪なんかに負けるな、みんなぁ!

| | コメント (2)

キャリア

重要な運営に関する会議があるというのを休んで、老犬の火葬のバタバタに向かいながら、なぜだかふと思い出したことがあります。

遠いむかし、わたしがまだ研修医だったか正職員になってすぐだったかのころ、うちの病院に神の手を持つスーパー外科医がいました。どうしてそんな繊細な手術がそんな速やかにできるのかわならないほどに無骨な太い腕の豪快な先生でした。カラオケと酒とタバコが好きで、いつも「ガハハハ」と笑っていました。

そんな先生がある日、病院を辞めました。地方の小さな公的病院に移るためです。その病院は緊急手術どころか手術件数自体もとても少ない病院です。それを聞いたとき、わたしは正直とても驚きました。こんなスーパードクターがメスを下すなんて、熊本どころか日本医療の損失です。勿体なさすぎますし、外科医であるY先生もそれは本意ではないと思いましたが、「妻が病気でね。うちのイヌはでっかいからオレしか散歩してやれんのよ」・・・先生は相変わらずガハハと笑いながら事もなげにそう云って去っていきました。たしか先生の愛犬はアフガンでした。彼はそう云ってましたが、きっと奥さんと過ごす時間を作ろうとしたのだろうと思いました。それを承知していても、それでもその決断はわたしには理解できませんでした。あまりにも失うものが大きすぎると思ったから。

それが最近、わたしもその感覚が分かるようになってきました。「先生は働き過ぎですよ。少し休まれるのがいいと思いますよ」と云うヒトがいます。わたしが救急現場から今の部署に異動したときにもたくさんの方がそう声をかけましたが、それは違います。疲れたからとか、楽をしたいからとかではなく、自分の人生の中で自分が大切にしたいものの優先順位が変わっていっただけ、そういう感じがします。

| | コメント (0)

節制自慢

健康になるためにがんばっているヒト。それこそが生き甲斐になってしまっていて、それを取り上げると人生の張りがなくなってしまうヒト。

健康を語る立場としては、「そんな人生は本末転倒だ! 健康は、何か生き甲斐になるべきことをすることができるカラダを維持するためにあるものなのだから生き甲斐を見つけるべきだ」と云ってきました。でも・・・どうでしょう。それは正しいのでしょうか。病気を克服して、あるいは病気を予防するだけのために健康を保とうとストイックに節制・摂生する人生は本当にナンセンスなのでしょうか。

「やいたいこともガマンして食べたいものも食べずに生きていて何の意味がある?何のための人生?」と思うのは、あくまでも傍からみている他人の感想であって、当事者にとっては健康のために毎日を節制することこそが楽しみであり、「健康オタク」と「マラソン中毒」や「ゴルフ三昧」とは同じことなのではあるまいか。きっとどちらも、それをやりすぎて死んだとしても本人としては本望で幸せに違いありません。わざわざ何もない生き甲斐を必死で見つける努力をするくらいなら節制を貫き通すことの方がはるかに面白いような気がしてきました。何事も、極めることは素晴らしきこと也。

| | コメント (0)

不幸?

「ホントに大殺界だわ! 今年は3月までに身近で不幸が続くって云われてたんだけど、このことだったのかなあ」

急きょ駆け付けた義母の家から帰る車の中で、妻が運転しながら吐き捨てるようにそう云いました。先月20日に亡くなった我が家の老犬に続いて、昨夜義母の愛犬が亡くなりました。

基本的に、仏教の考え方の中では犬を人と同等に考えてはいけないことは承知の上で書いています(最近はお坊さんが念仏を上げてくれるペット霊園があると聞いて驚きました)が、さて、これを「不幸」と云うべきなのだろうか?我が家のビアディは16歳の誕生日直前でした。義母の愛犬パピヨンは17歳直前。イヌとしても見事な大往生だと思われます。大きな病気もなく直前まで元気に飛び回ってわたしたちに元気を与えてくれた彼女たちの最期はまさしく”フッと失速した飛行機”の様で、静かに消え入るように落ちていきました。

ヒトでもそうですが、こういう形の逝き方を「不幸」というのでしょうか。ピンピンコロリは死に方の理想。少なくとも、本人にとっては決して「不幸」ではないと思われます。残された者にとって、突然目の前の最愛の存在が消えてしまった寂しさはあるとしても、それは不幸ではない。幸せではないかもしれないけれど・・・いや、こういう形の別れ方は、実は一番幸せなのかもしれません。おめでとう、ありがとう、おつかれさま、さようなら。

そんな想いを抱きながら、合掌してきました。

| | コメント (0)

ベジタリアン食

不思議なもので、何かのテーマについて講演準備をしていたり試験準備をしていたりすると、妙にそれに関連した情報が集中的に集まってきます。たまたまなのか、あるいはそれに興味を持っているから勝手に目に入るのかわかりませんが。今回は、次週依頼されている一般市民向けの高血圧講話の準備をしているのですが、例によってこんな話題がMTProから配信されてきました。

高血圧の非薬物療法としてベジタリアン食が有用な可能性~39試験対象のシステマチックレビューとメタ解析> (国立循環器病研究センター 横山葉子氏ら)

高血圧の予防として以前から提唱されている野菜や果物が血圧低下効果をもたらすかどうかの研究報告をまとめて再検討したものです。一言で「ベジタリアン食」と云っても、完全ベジタリアン食、乳製品や卵を含むベジタリアン食、魚類を含むベジタリアン食などがありますが、このうち7件のランダム化比較試験の検討と32件の観察研究の検討が行われて、いずれも統計学的有意に有効な血圧降下作用があることが確認されました(前者の場合は平均で収縮期血圧-4.8mmHg、拡張期血圧-2.2mmHg、後者の場合は収縮期血圧-6.9mmHg、拡張期血圧-4.7mmHg)。つまり、野菜中心食は血圧低下に関与しており、降圧目的の非薬物療法として積極的に働きかけてもいいものと確認されたことになります。もっともまだどんな種類の野菜が最も強く関与するのかなどの検討はなされていませんが。

先日、ある受診者の男性が「数年後には『主食は野菜です』とか云ってるかもしれません」と自嘲気味に話していましたが、それを聞き流しながら、「それの何が悪いの?」と冷たい視線を浴びせたわたしでした。うちはすでにずっとそんな食事ですけど、それが何か?

| | コメント (0)

公平

「公平を期す」というのは云うは簡単ですが、これがなかなかむつかしいことだよな、と思います。

本日3月3日からある企画商品の新年度の健診受付を始めるのだそうですが、例年数日で予約がいっぱいになって終了してしまうらしく、3月1日や2日にフライングしてFAXを送ってくる団体が出る可能性がある。だから、「公平を期すために、1日と2日は事務所のFAX機能を完全に休止させます」というメールが先週届きました。

何かの応募をするときにもよくこの「公平を期す」ためのルールというのに翻弄されます。何が公平なんだろう?スタートが同じことを公平と考える一方で、ダイヤル式電話はプッシュホン式より遅いから不公平だとか、大口団体がまとめて何十人も予約してしまうのは不公平だとか、FAX機能がない団体はどうすのかとか、まあいろいろな苦情が出てきます。「先着順」は不公平だから応募者全員から無作為に抽選にすべきではないか?全体申込み数の比率から割り出した人数で団体割り当てをまずするのが公平というものではないか? さてさて「公平」を考え始めたらキリがありません。

まあ、基本的には役場や政府の機関の税金を使った企画商品なわけではないのだから、提供する側に自分たちのルールで「公平」を決める(今回の場合は、一斉に募集開始して先着順で定員に達し次第打ち切り)しかないのでしょうね。結局は大組織が得をするんでしょうけど、しょうがないのでしょう。

| | コメント (0)

PM2.5が心筋梗塞を起こす、ということは・・・。

今週は、大陸の某大国から天空を使って送られてくる贈り物PM2.5で九州のみならず日本全土が汲汲とさせられましたが、PMと冠動脈疾患の関連がいろいろ報告されるようになり、どうも影響はありそうだという結論に達しそうです。先日のCarNetにも配信がありました。

大気汚染微粒子状物質の長期暴露による冠動脈疾患発生リスク増大への警鐘(コメンテーター:島田 俊夫 氏)-CLEAR! ジャーナル四天王(179)より-

これは、先日BMJに報告されたヨーロッパの大気汚染曝露コホート研究(ESCAPEプロジェクト)のデータ分析論文(PM2.5/PM10の長期曝露、冠動脈リスク増大と相関)についての解説です。

「この論文はPMの冠動脈疾患のリスク増大を単に取り上げた報告というよりも、むしろ全身臓器のリスク増大を反映した健康被害報告の氷山の一角を示している。PMの環境制限基準値に関しても、より低値でさえ健康被害が発生する可能性をこの論文から読み取ることができる。」とまとめてありましたが、まあ、PM2.5とはイコール「タバコの煙」です。ですから、誰が考えても狭心症や心筋梗塞を起こす直接原因であることくらい簡単に想像できます。だから某大国に排ガス規制を強化するように強要しろ!と云うか云わないかはどうでもいいですが、だからタバコ規制を強化しろ!と云わしめる確固たるデータが発表されたのだ、とだれも口にしないのはやはりスポンサーの問題でしょうか。たとえば完全分煙させていない公的施設で心筋梗塞を起こしたヒトがその施設を訴えたとして、この論文データがその根拠に出されることによって裁判に勝てるような、そんな時代になったらおもしろいのですが。

| | コメント (0)

自己中断

「先生、あの受診者さん、すごかったですね。あんなに糖尿病の値が悪いのに治療を自己中断してしまって・・・」

先日、若いスタッフが話題にしていたのは、ある40歳台の男性受診者のこと。空腹時血糖が200以上あり、2、3か月の平均点であるヘモグロビンA1cが10前後・・・2年前まで受けていた通院治療を自己判断で中止した、と問診には書かれていました。

その方への結果説明はわたしがしました。説明前の情報収集をする限りではまさしく『病識の無いふとどき者!』という印象でしたが、結果全体を見たらそれは間違いであることがすぐにわかりました。糖尿病のコントロールはたしかに全くできていない。糖尿病性網膜症による出血所見もかなりひどくなっています。でも、体重は絞られているし、中性脂肪値や肝機能の値、脂肪肝所見は著しく改善しており、自分なりにかなりストイックな生活療法をがんばってきたことが、一目瞭然でした。

こんな場合に大事なことは、「あなた、こんな状況で通院を止めるなんて言語道断ですよ!死にたいんですか!」みたいに頭ごなしに叱ったりしないこと。ご本人はきちんと分かっているはず。ただこれまで、きちんとした病態管理の基本を教えてくれるヒトに管理してもらえなかっただけ。これだけがんばっても良くならないどころか悪化することがある。努力だけではどうにもならないことがある、ということをきちんと理解してもらえれば、今後必ずきちんと通院をされるはずです。ストイックな自己管理ができるヒトですから、きっと良いコントロールができるようになると信じています。

| | コメント (0)

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »