原因究明(前)
何度か書いてきたように、わたしは医療の役割は病気の原因究明でも治療でもなく、人間の人生の営みの中でのカラダのトラブルを解決させる際の裏方に徹するべきだと考えています。
体調が悪くなったとき、その原因は、大したことないかとても複雑で解きほぐせないかのどちらかのことが大部分です。だから原因究明されることもなく、自分の中のトラブルとして自分自身で解決させてしまうのがふつう。ところが最近は、だれもが原因にこだわるようになりました。そのメカニズムと理論を求めます。納得いかないと治ったのはたまたまであって、原因がはっきりしないことには完治とは云えないと嘯きます。だから原因究明してもらうために病院に行く、というヒトが多いように思います。まあ、病院の仕事が原因究明の証明書を出すだけであるとしたら、それはそれでもいいのでしょうが。
体調を悪くする場合は、体内からの何らかのSOSであり、カラダが尋常ではないことを訴えているのは事実なのだと思います。だから、その声に耳を貸しSOSの誘因になるものを取り払うことはトラブル解決のために必要なことだと思うのですが、誘因と原因は往々にして別物です。そして原因は意外にわからないことが多いものだと思いますし、その場合はわからなくても別に困らないものだろうと思っています。 (つづく)
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