お墓の雑草
亡き両親に不義理を働いて、久しぶりに墓参りに行ったらそれなりに元気よく墓石の脇に雑草が生えてきていました。うっすらと汗をかきながらそれをひとつひとつ抜いた後に、自宅近くの有名花屋で買って持って行った華やかで立派な花を供えました。
その草取りをしながら、今まで何とも思わなかったことに気づいてからずっと気になっています。わたしが行けない間に元気に生えてきた雑草・・・かわいいスミレの花やタンポポの花といった雑草のスター花もあれば名前も知らない草もありますが・・・今まさに元気に咲き誇っていたこの雑草たちを無碍に引き抜くことは、「墓をきれいに掃除する」という大義名分の元での殺生(植物には使わないことばなのかもしれませんが)ではないのか。金を払って買ってきた艶やかな花を供えることがご先祖の供養にマルな行為であるのは良いとして、地面に健気に咲いていた雑草たちはそのままにせずに抜いてきれいにすることがマルであるというのは、どうなのか。どっちもきれいで健気な植物だ!と自分が思うならば、雑草を抜かずとも良かったのではないか。そこに差を作ってしまった自分は、汚らわしい考えの持ち主ではないのか。
結局は、「世間の常識」とおりの作法で墓参りを終えましたが、いまだにずっと気になっています。
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コメント
イョッ! 高給取り
さすが「有名花屋」より購入とは格が違いますね。
ところで・・・「雑草」と「有名花屋で売っている花」と、
何が違いますでしょうかね?
「生きとし生きる物」全てに甲乙は無いはずです。
が、お釈迦様の教えであり、
「生悪説」の耶蘇教とは正反対の教えです。
たとえば「牛」は人間に食べられる為に神が与えた物。
食される為に?生まれて来た牛やブタなどには
はた迷惑な話しです。
それでいて、鯨やイルカを捕るのは「野蛮人」
フザケルナ!
もしかすると「雑草」と「有名花屋で売っている花」の
根源がこの辺にあるのかもしれません。
死んでしまえば「カルシューム」は私の持論ですが、
殆どの生き物(動植物問わず)は、この範疇ですね。
仏教の冥土の総支配人は「阿弥陀様」ですが、
耶蘇教にはこの手の思想は余り耳にしませんネ。
やはり、死んでしまえば「カルシューム」なのかも。
安給料取りの asuka3h 拝
投稿: asuka3h | 2014年4月20日 (日) 17時43分