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2014年6月

血圧とお酒

先日、受診された70歳の女性はとても自分に厳しくストイックな人生を送って来ておられました。そんなお方が云うのです。

「主治医の先生に提案されて晩酌を一切やめてみたのです。そうしたら血圧が下がって、今ではお薬はまったく飲まなくても血圧は正常です。これはやはりお酒の影響なのでしょうか?」と。だから、「きっとそうだと思いますよ。偉いですね、きっぱりお酒を止めることができて」とお答えしましたところ、「というか、夜には血圧が下がりすぎて気持ちが悪くなるんです。だから、ちょっと夜はワインでも飲んだ方が良いのではないかと悩んでいるところです」と意外にも深刻そう。

あまりに真面目に云われるからつい圧されそうになりましたが、それはやっぱり本末転倒ではありますまいか?タバコを止めたら太ってきたからあわててまた吸い始めることにした、というのと何ら変わりますまい。人間のカラダ、まずお酒ありき、ではございません。血圧が下がって気分が悪くなるのであれば、ストレッチ運動をするかさっさと床に就くか、カラダが快調過ぎてはしゃいでいるだけなのですから、すぐに冷静を取りもどしますよ。

それにしても、わたしにはできない芸当だから、尊敬しますわ。

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多数派

「40歳以上の5人に4人はロコモです」

うちの人間ドック受診者の方の持っているパンフレットにそう書いてあるのを発見しました。ロコモとはもちろん「ロコモティブシンドローム」のことです。膝関節や股関節の異常をきたし、将来介護を受ける可能性のある人たちのこと・・・これまでにここでも何度も紹介してきた疾患概念です。

今は若くしてロコモのヒトが想像以上に多いのだと云うことを強調して、今から運動習慣をつけておかないと足が上がらなくなり体幹のバランスが壊れて将来やばいぞ!と云いたいわけです。それほどに現代人の筋力は低下し、カラダを動かせなくなってきているのは、まさしく危機的状況なのです。若いうちからきちんとカラダを動かす意識が必要だ、と。

でもねえ、このパンフレットを眺めながら、思うのですよね。5人中4人がロコモ、ということは、ロコモじゃない方が少数派なわけですよ。ほとんどみんながロコモなのだから、そのうちロコモに合わせた社会が出来上がることになるに違いありません。20年後くらいには、今からがんばって非ロコモになったヒトこそかえって住みにくい社会になっていたりなんかしないのだろうか?と。

天邪鬼ですみません。

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片側交互通行

家の近くで突然道路工事が始まりました。夜の暗闇の中で、片側交互通行になっていました。運転しながら近づいたら、現場近くでオジサンが赤く点滅する棒を振り回して何か踊っています。なんか怪しい動きなのだけれど、何をしてるのかよくわかりません。何となく徐行してみたら、急に対向車線からガンガン車がやってきて驚きました。それ、「一旦停止」という意味だったのか?でも、それは工事現場では誰もが知っている常識的な決め事なのかもしれないけれど、そんなことを知らない一般市民には何も分からんバイ!と独りで叫んでやりました。わたしがたまたま停まってやったから大事には至らなかったけど、下手したら正面衝突したかもしれんじゃないか!と。

でも、こういうことは各々の世界で云えることのように思います。わたしたちの世界でも、「そんなこと普通に考えたら分かりそうなもんじゃないか」と思うようなことを、患者さんや人間ドック受診者の方の中には平気でやらかすヒトがいます。それをすぐに「常識がない」と云い捨ててしまいますが、「そんなこと、初めて経験するんだもん、わかるもんか!」と腹を立てる方が本当は普通なのかもしれない。そう思って反省した次第です。

自分の生きてきた世界の常識は、他人にはまったくどうでもいいことであり、常識とか非常識とかいう次元のものでもないこと、それこそ至極当たり前の常識だということを肝に銘じておきましょう。

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「床屋」は放送禁止用語

「今週末には床屋にいかないと」と友人に話したら、「それ、差別用語だから使ったらいけないんだってよ」と云われました。

それはいくらなんでも初耳である。でも、自信ありげなので早速調べてみた。「○○屋」という云い方が日銭が入る商売を軽蔑しているという理屈から、どうも遠い昔から差別用語、あるいは放送禁止用語として自主規制されているようである。韓国などでは風俗店の意味がある表現だからだとかいうのも書いてある。

床屋とは江戸時代の「髪結い床」から派生したコトバ。Wikipediaによると、「床屋の発祥は山口県下関市と謂われており、『髪結職文由緒書』によれば采女之亮政之(うめのすけまさゆき)が新羅人から技術を学び髪結所を開業したのが始まりとされる。店の中に床の間を設け亀山天皇と藤原家を奉る祭壇があり、人々は“床の間のある店”から転じて“床屋”という屋号で呼ぶようになったという」と。

こんな歴史のある「床屋」と云うコトバには日本らしい風情があってわたしは大好きなのに、これが差別だからダメという発想が良く分からない。もっとも、これは理髪業をやっているひとたち本人が自分の職業をそう呼ばれることをイヤと思うか思わないかに尽きるのかもしれない。それにしても、これを「〇〇屋さん」とすれば許される、なんて、何のこっちゃ?である。

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会議

最近、毎日のように会議があります。業務が終わった夕方から2時間近い会議が連日です。何となく朝の目覚めが快適ではありません。疲れがたまっているというよりも、今日も遅くなるのかなという気持ちが心を重くさせるのだと思います。

「そんなこと、大したことないよ。俺なんかもっと憂鬱な会議が毎日目白押しだ。その程度で弱音を吐いてどうする。きみたちががんばらなけりゃいけないんだぞ!」と昔なら上司から一括されていたことでしょうが、最近はそんな叱咤激励はメンタルケアマニュアルでタブーの筆頭例に挙げられます。「その気持ちは少し疲れがたまってきているんじゃないの?場合によっては勇気を持って休むことも考えて良いんじゃないのかな」なんてなことを助言すべき、となっているはずです。

さて、自分に立ち返って考えるに、この感覚の蓄積の向こう側(薄い壁を隔てたすぐ向こう側)にうつ病があることは容易に察しが付きます。メンバーの中での立場がかなり上の方にあって、大して責任があるわけではなく、上司からしかられる内容のプレゼンをしなれればならないわけでも、何か新しい提案を自分がしなければならないわけでもない。極端に云えば2時間じっと座って黙っていても何も困らない会議ばかりなのに、それでもこんなに心身がへこたれる。やっぱり働き盛りの皆さんが簡単にうつ気分になるのはわかるような気がします。ここでへこたれてしまう自分=ダメな自分、情けない自分⇒自分はこの会社で存在価値もないつまらない人間なのか? なんて思考回路に陥ると危険ですが、おかげさまでそんなこと全然考えなくなってしまいました。好むと好まざるとに関わらずアウトローな人生を歩んでいる自分が、結果「ラッキー」と思う瞬間ではあります。あー、でもゆううつはゆううつだ。仮病を使ってでもさぼれるものならさぼりたい。

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腹が減る

「朝から何も食べていなくて腹ぺこなので、フロアに置かれている料理雑誌の写真が目に入るととても不愉快になる」というご意見をいただきました。健診や人間ドックを受診される方は8時間以上の絶飲食が基本なので少なくとも朝から何も口にしていません。だから腹が減っています。だから不機嫌な方が少なくありません。「朝から何にも食べてないんだぞ!いつまで待たせるんだ!」と怒鳴るヒトも時々おられます。わたしたちも気を遣って、説明の合間に口を潤わせるためのお茶やお水ですら陰に隠れてそっと飲みます。昼食も、朝を食べてないんだからもっとたくさん食べさせろ!と主張しますし、スタッフもまた「朝を食べていないんだからしょうがないよね」と思っている節があります。

まあ、良いんですけどね。基本、朝飯なんか食わなくてもいいんじゃねえのか?と思っているわたし的には、いい大人が何を子供じみたことで騒いでいるんだ?と内心舌打ちをしております。朝飯を食わずに昼飯を少しにしてみたり、あるいは夕飯を少なくして夜中に腹が減って目が覚めるようにしてみたり、とにかく毎日一回は「はらが、へったーーー!」というレベルの完全空腹時間を作ってあげることが、カラダの中の疲れ切った代謝機能をリセットさせる基本だ、といつも話しているわたしとしては、健診受診時の空腹が一番良い機会だからうまく自分のカラダと会話したら良いのに、と思うわけです。「朝飯食わないとカラダに悪い」ということばだけ信じ込んで居る方々は、文字通りエンプティ状態で頭に来ている”アタマ”が意図的に理性を失わせて行動させるので、せっかく”カラダ”が本心を打ち明けようとしても聞く耳持つ余裕がないのでありましょうなあ。「食わんでも死にはしないし、カラダはすぐに慣れるさ」・・・この真実はアタマに巣くっているエクソシスト様にとっては絶対気づかせてはならないものなのであります。もったいない話です。

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野次・・・本心だから

福島原発に対する石原環境大臣の発言問題も、セクハラ発言をした鈴木都議の問題も、なんだかなあ・・・です。

発言したこと自体の是非は論外ですのでどうでも良い(50歳越えた大のオトナがつまらんことをしたことに批判すること自体がばからしい)のですが、その問題の収拾のために云い訳するときのコトバは何とかならないものか。ま、今に始まったことではないですし、「大人の事情」としてはそれしかないのでしょう。鈴木都議に至っては、「早く結婚したらいい、と思って云ったのだけれど、公の場で云うことではなかった」・・・違うでしょ。「これが相手を潰す一番効果的なコトバだと分かっていたからこれを選びました」って云ったらダメなのかしら。私ならそう云うわ。だって国民の全員がそれが本当だと思っているのだから。しがらみの多い方々は大変です。石原大臣がお詫び行脚をしているようですが、これもどうなのでしょう。公の場で云うべきでなかったとかなんとかいう問題ではなくて、それは本心なわけで、「申し訳ありません」て云ったって本心は違うって全員が知っていること・・・こんな形だけの儀式をさせるために公費を使ってウロウロさせるのが許される日本って、平和です。

鈴木都議のような野次は昔から国会レベルから地方会議まであちこちで聞かれますが、あれはどうしていつの世でも規制しないのでしょう?「公に認められている戦略」ということですか。プロスポーツでも、特に野球の野次は昔から下品。下品ほどセンスがあると認められている?おかげで、アマチュアの世界でも相手に影響を与えるだけの野次が重宝される。フェアプレイどうこういうキレイごとを大義名分にしながら野次は必要悪だと認めている節がある。「節度ある野次ならいい」と思っている。変な話です。発言自体がイエローカード(本心は一発レッドカードですけど、そうすると今度は云った云わないの子どもみたいな水掛け論で大事な時間を費やす)って、なんでだーれも云い出さないのだろう?

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説明のされ方

「さっきあっちで女の人が説明してくれたんだけど、さっぱり云ってる意味がわからなかったからさ、もう一度ちゃんとわかりやすく説明し直してくれない?」

たまにそんな受診者さんがおりまして、アテンダントさんを経てわたしたちのところに差し戻されてくるのですけれど、いつもちゃんとわかりやすく説明してくれているスタッフのことなので、何があったのだろう?と思うのです。そういうヒトと改めて話していると、往々にして「聞いてやるぞ」という空気を漂わせていますよね。おそらく本人は気づいていないでしょうけれど、どこか威圧感があって、きっとこの空気に圧されてタジタジになってしてしまうのではないかしら。

こっちが弱い立場なので、こういうときに相手を批判することなどしませんが、わたしたちはこういうことを経験しながら、自分が聞く側の立場のときにどうしたらいいのかを学びます。会話はそれが同等の意見交換であれ、説明する・聞くの関係であれ、あるいはレクチャーを受ける関係であれ、同じことがいえます。「あの人の説明はわかりにくい」という印象を受けるときは、総じて自分の方に説明を聞き取ろう、わかろう、あるいは説明しやすいような空気をつくろう、という努力が欠けているのだと思います。相手は実習生や未熟な学生ではありません。いままでずっとプロとして話をしてきたヒトです。ということは、「相手の話し方が下手」と感じるときは「自分の聴き方が下手」と同じことだと思って反省することにしています。

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悪あがき

「血圧ですけどね」と説明し始めたら、そのことばを遮るように、「さっき測ってもらったら正常だったんですよ。120くらいだって」・・・奇しくも同じ日に立て続けに2人、まったく同じ反応をされたので、ちょっと可笑しくなりました。どちらも厄明けしたばかりの男性。宿泊ドックの結果説明の場面。

「は?それが、何か?」とわざと突き放してみるわたし。1日目の血圧が若干いつになく高かったのでHマーク(基準より高いという印)が付いていたのです。それに対して、2日目の朝に測った血圧は下がっていたのだと主張したい様子です。「そうですか、それはよろしうございました」と聞き流してあげました。大腸がん検診の便潜血陽性の場合にそのあと何回便検査を繰り返しても「陽性」の称号が消えないのと同じように、一度高かったものがたとえ翌日、翌々日と高くなかったとしても「高血圧」の称号は削除できないのでございます。何かの間違いではなくて、高血圧は高血圧なのでございます。不本意かもしれないけれど、そういう歳になったのですから、気合いを入れて生活療法していただきたいものです。

「まあ、今朝の血圧が下がったと云うことはまだまだ血管の弾力性は保たれているということですよ。本当にガチガチに堅くなっていかないようにしっかりがんばってください」と、最後をマイルドにまとめてあげるあたりがわたしのやさしさというものでしょうね。

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ふたたびエクソシスト様、見参!

「先生はそのカラダだけん、いっぱい食べるでしょう?」

人間ドックの結果説明をしていて、なかなか食べものがおいしくて減らせないと悩んでいる男性が、そう問いかけました。

でも、わたしは実はそれほどでもありません。もちろん食べようと思ったらどこまででも口に入れられますし、目の前にあればなくなるまで食べます。でも、これが歳というものでしょうか、おなかが減っていても何かを少しだけ口に入れるとすぐに満腹感がやってくるようになりました。たぶん、カラダはそこで満足しているのだとわかります。ただ、アタマが、というかアタマを支配するエクソシスト様の気が済まないわけです。「こんなにひもじい思いをさせておきながらもう食べないのか。もうちょっとたくさん食べる権利はあるはずなんだから、もっと食わんかーっ!」と。そして、エクソシスト様の口車に乗って食うだけ食って食いすぎて、後悔。

うんうん、そういうことは日常茶飯事ですけどね(笑)

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同窓会

先日、大学を卒業して以来のクラス会がありました。総勢70人弱が集まりました。さすがに卒後30年、皆さん各々に活躍しております。この年で、他界した同級生がひとりもいないというのはすごいことだと思います。

特別講演をしてくれたA教授。ずっと眺めていたけれどどうしても学生時代の風貌と重ね合わせられなかった(きっと大学で働いている連中はいつも見ていたから違和感がないのでしょうね)。いろいろな医者としての人生を歩んできた同胞の話を何人か聞きながら、医師としての自分史を考えてみていました。研修医2年目の半年を今の病院の救急医療に従事し、大学に帰る最後の晩にボスの自宅に泊めてもらって「あと1年ここでやってみないか」と云われたあの日。要領が悪いけれど愚直でまじめな日常を気に入ってくれたのでしょうか。残念ながら大学はそれを許してくれなかったからやむを得ず大学医局を辞めたのだけれど、あのとき医局が1年だけ出向を認めてくれていたらどうなったのだろう?大学に戻ったとしても、不器用で地道な研究に興味のないわたしは大きな成果も出せなかったでしょう。同級生のFくんやK女史のように多動児よろしく興味のあるものが出てきたらすぐに移ろいで行くような勇気もないわたし。「まだずっとあんな大変なところにいるの?我慢強いねえ」と友人が口をそろえて云いますが、それは動く勇気がなかっただけのこと。

医者として大した足跡も残せそうにありませんが、これでそれなりにラッキーな人生を歩んできているのかもしれないな、と思いながらとなりの友人のグラスにビールを注ぎました。

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アレルギー

以前、眼が充血してかゆいということで妻がH眼科に行ったら、「アレルギー性結膜炎」の診断を受けてステロイドの点眼薬をもらいました。症状も治まり何度めか受診のときに「あとどれくらい続けたらいいですか?」と聞いたら「アレルギーなんだから一生に決まってるでしょ!」と怒鳴られて、それ以降妻は受診をやめました。

先日、突然左の眼瞼が腫れ上がって開けられなくなったので職場近くのG眼科に行ったら、「たぶんアレルギーだと思うから薬を出しておきます。この薬で治ると思いますが、2~3日使って、良くならないときは必ず来てくださいね。軟膏はたぶん半年くらいは有効だから腫れたときには使ってください」と云われました。

以前も書いたかもしれません。どちらの医者が良いとか悪いとかいうものではありません。実際に自分に合う医院に行けばいいこと。現実には前者の方がいつも待合室があふれていて後者の方がゆったりしているのも事実です。どちらがどうというものでもありませんが、内科でもおくすり信者の先生は少なくありません。きちんと決められた使い方をしなければ意味がない。中途半端は言語道断・・・蓋し正論です。わかってはいるのですが、そんなにたくさんをこれから一生飲み続けなければならないほど自分は重症なのか?と思うと、それは不信感につながるような気もします。できてもできなくても、服用する薬は最低限にするために常に吟味を繰り返してあげたい。わかってくれてもくれなくても、疑問に思われても思われなくても、常にこの薬は何のために今必要なのだということを説明し続けなければならない・・・それが自分への自問自答にもつながる、医師としての義務だと感じます。

とりあえずわたしの眼瞼、毛虫にやられたみたいですけど、早く治りますように!

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未必の故意

相変わらず多い「精査未受診者」。その理由は”多忙のため”・・・それが単なる「本当は面倒くさいから」という意味の云い逃れであろうことを察しながら、「とりあえずやるだけのことはやったからね」と健診機関側も云い訳をしながらパソコンに経緯を入力して受診追跡を終了させるのです。

わたし、基本的に「もしかしたら突然死するかもしれない」という所見にしか心電図の精査指示は出さないことにしているのだから、本当は”多忙の”ヒトほど危ないのですが、相手がそれほど深刻にとらえないのですよ。きちんと結果説明時に所見の意味を話しているのに受診しないのは、『がんを強く疑う』とかと違うから切迫感がなくて、「面倒くさい」「同僚に迷惑をかけてまで仕事を休むほどではない」ということになるのでしょう。突然死の可能性が他のヒトより高いとは云ってもその確率はたかがしれています。でも、万が一突然死したときに、「こっちは『危険だから精査を!』と指示したのに本人が無視したんだから、こっちの責任ではない」といえる準備はしておかないと、と云う感じのスタンス。これは・・・「未必の故意」とは云わないのだろうか?

そんなことを書きながら、もし自分自身の心電図に精査レベルの異常を認めたら、そのときは有給休暇をとってまでして外来受診するかしら・・・と考えてみる。しないかもしれないなあ。

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悟りのはなし

「先生、膵臓がんは採血で簡単にはわからんのですか?」・・・先日、わたしが受け持っている受診者さんが突然神妙にそんな話をし始めました。

「最近、わたしの周りで立て続けに知り合いが膵臓がんになってですね。・・・一人は、とてもまじめなやつで、酒もたばこもせず、毎日運動と野菜中心の食事に注意して、わたしと会ったら『ちゃんとせにゃいかんぞ!』といつもわたしのちゃらんぽらんな生活をしかってばかりおったつです。そいつが膵臓がんにかかって、半年もせずに逝ってしもうたんです。方やもう一人、こっちも膵臓がんが見つかって手術したんだけど1年後に再発しているのが見つかって余命半年って云われてですね、『もうおらよか!』って開き直って毎日酒ばかりかっくらってたらもうその後1年ですよ。今でも元気にしています。そう考えると、人生ちゃわからんもんですね」

そんなはなしを聞きながら、先日膵臓がんで壮絶な死を遂げた受診者さんのことも思い出しましたが、行き着く想いはやはり悟りのはなし。「人生、悟りを開いた順番に次の世界に昇天していきますからね。最初のヒトはまさしくそんなヒトで、簡単に卒業してしまったのだろうけれど、もう一人はまだまだ煩悩の塊で、まちっと修行が足りないってことになったのでしょう。わたしも後者の方と同類で、愛車が大破する交通事故に遭いながらまだ生かされています」・・・そう云って笑って返答しました。

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睡眠時間の怪

今年は意図的にきちんと寝ることに心がけています。生活習慣病も老化も、基本は食事や運動よりもむしろ睡眠だ!睡眠の量と質で決まる!というはなしをたくさん聞くにつけ、まずは睡眠だなと思うようになったわけです。とはいえ、魅惑の深夜の時間帯、誘惑は数知れず転がっていてなかなかベッドに潜り込めません。それでも何とか昨年より1時間は早く床につくように努力し、ソファでのうたた寝もしないようにがんばっています。

だから睡眠時間としては6時間~7時間半くらい有に取れるようになって満足しているのですが、手首に巻いたライフコーダ(JAWBONE UP)の記録を見てみると、わたしの睡眠時間は5時間~5時間半、下手をすると4時間ちょっとと記録されていることもあります。睡眠の深さはまずまずですから睡眠の質は悪くはありません。小便に何度も起きて睡眠が途切れているのはわかりますがそれとは全然無関係に1時間とか30分とかまとまって完全に「覚醒している」と判定されているときがあるのです。先日、妻から「あなた、夜中に突然大声で歌を歌い始めたけど覚えてる?それもかなりはっきりした歌声で。何かあったの?」と云われましたが、全く自分では身に覚えのないことでした。

わたし、真夜中にまったく別の顔をして起きているとでもいうのでしょうか? 何が起きているのかわからないだけ、不安です。

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ひとりひとり

いつも物静かで目立たないヒト。集団の中で接していると顔は知っていてもほとんど話したことのない印象の薄いヒトというのがよくあります。でも、そんなヒトと何かのときに個人的に関わる機会があるととてもしっかりとした考えに裏打ちされた強い意志を持っていることに驚くことを経験します。

昨日の朝、出勤中に出会った女性スタッフもそんなヒトでした。笑顔で会釈してくれた彼女と一緒に仕事をしたのはもう20年も前のこと。今やしっかりと組織の中でなくてはならない存在になっています。

自分が大きな組織の中の中間管理職の立場になって思うことは、大人数の集団であっても各々が個の集まりであると云うこと。当たり前のことですが、似たような顔立ちの若者が何百人居ようとも、そのひとりひとりは各々であるということ。各々が各々に別の考えをもって日々を生活し仕事をしているということ。各々のひとりひとりが各々にしっかりと生きているから今の大きな組織が成り立っているのであって、それは歯車でもなんでもない、あえて云うなら各々の細胞であります。「10人中8人がしっかりしていればやっていける」という社長さんがいますが、残り2人が本当は大事であって、彼らに社運がかかっているのではないかと思います(わたしは社長の立場にも残り2人の立場にもなったことがないのでよくわかりませんが)

久々に彼女にあって、そんなことを思いました。

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乱高下

関東以北で毎日異常気象。

昨日は、この季節に突然雹が降って大雨になったり大変な様子。梅雨前線が九州辺りで見事に垂れ下がっていて、その反動で東京辺りで跳ね上がっています。関東の大異変なので(自分たちに襲いかかる災害だから)テレビのニュースは各局で深刻に騒いでいます。「異常気象」・・・こんな季節に真夏日になったり突然雹が降ったり、スコールのような大嵐になったり日照りが続いたり・・・近未来の映画のまんまの光景が現実になってきています。

でも、それを見ながら、今にニュースでは騒がなくなるんだろうな、と思いました。怖いことですが、今にこれが当たり前になって、「異常気象」は茶飯事なので「異常気象」とは云えなくなる。”昔はこんなじゃなかったんだよ”と語ってもジジイ扱いされるだけ、となるのもそう遠くない未来の光景なのでしょう。

おそろしや、おそろしや。

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栄養と健康情報に思う(3)

善玉コレステロール(HDLコレステロール)をあげる方法は有酸素運動と禁煙とエチルアルコールをがんがん摂取すること(健診現場ではタブーの事実)くらいだと思ったら、今回日本で新たな戦士が発見されました。

高野豆腐で善玉コレステロール増 動脈硬化を抑制

高野豆腐(凍り豆腐)が中性脂肪を抑えたり、悪玉・超悪玉コレステロールを抑える作用があることは公表されていましたが、このたび、高野豆腐が善玉コレステロールを有意に増やすという事実を発表したのは長野県凍豆腐工業協同組合のこうや豆腐普及委員会です。

20代から60代の健康な男女40人に4週間毎日18.5グラムの高野豆腐を食べてもらったところ、試験前よりHDLコレステロールが3.0mg/dl増加し、悪玉コレステロールとの比率(動脈硬化指数)も低下したのだそうです。だから「高野豆腐を食べると動脈硬化を起こしにくくなる」というわけです。

さてそれは良かったとして、高野豆腐18.5グラムというのはきっと1枚くらいなんだと思いますが、これ食べ続けたら上がるとして、やっぱりやめたら下がるんでしょうね。毎日高野豆腐食うのか。毎日薬を飲むのと同じ感覚(「薬」に抵抗があるなら、サプリか養命酒の感覚)で食べるとして、滋養強壮のために食べるのはかなりの根性が要りますよねえ。普通の木綿豆腐を毎日1丁食うんだだったら二つ返事でOKするわたしも若干二の足を踏むかな。

でも、どちらにしろ高野豆腐の脂質代謝に対する効果は絶大ですから、いろんな料理にこまごまと活用してはいかがでしょうか。

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栄養と健康情報に思う(2)

「腸内細菌の変化」が肥満をもたらす、という話題。

肥満、第3の要因に「腸内細菌の変化」

2014年9月に「サイエンス」に掲載されたワシントン大学のグループの研究論文です。片方が肥満で、もう片方がやせ形の双子4組を集めて検討した、ということ自体がなかなかすごいことだと思う(双子なのにそこまで体型が変わるような嗜好の違いがどうしてでてきているのだろうか?とそっちの方が興味が湧きます)のですが、彼らの便を無菌のマウスの腸内に移植したら、太ったヒトの便を移植したマウスは太り、やせ形のヒトの便を移植したマウスは太らなかった、という研究です。あえて遺伝子系の影響がないようにするために体型の違う双子を選んだわけで、「細菌叢の違いは肥満の結果もたらされたのではなく、肥満を引き起こす原因だった」ということになるのだそうです。

本来腸内では大量の細菌が共存して安定した生き方ができるような宇宙を古来から作りあげているわけで、この共存関係を壊すものが「脂肪が多くカロリーの高い欧米型の食事」であり、肥満の原因になる細菌は食事で摂取した糖類の分解を早めて体内により吸収しやすい形に作り替える働きがあり、そういう菌が高脂肪食を好むのではないか、と論じられていました。「食物繊維の少ない食事や同じメニューを繰り返し食べることも共存関係を壊す」と云うのですが・・・だから「伝統的な和食が肥満予防に適している」という最後の結論にどうしても合点がいきません。今まで太古の時代から培われてきたバランスが壊れているのが食事の違いだとしても、アメリカ人の腸内細菌の共存バランスに今まで食ったこともない日本食を投げ込むことにパニクらないはずがないではありませんか。単に高カロリー高脂肪が入ってきて疲れ果てていた腸内細菌の仕事を休ませる一服の清涼剤になる可能性はありますけど。第一、日本古来の食事というのは、「ごはんと魚の日干しと味噌汁と漬け物」。これを毎日毎晩食っていたのであって、「同じメニューの繰り返し」以外の何者でもありませぬ。

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栄養と健康情報に思う(1)

最近食事に関する情報がばんばん配信されてきて読み切れずにいたので、先日まとめて読んでみました。

健康維持にDHA・EPA~摂取目標「中トロ5切れ」

DHA・EPAの摂取が健康改善につながるためには、1日1グラム以上摂取するのが目標だそうだけれど、よく魚を食う50歳以上男性でも目標の7割強しか摂取できておらず、10~20代では2割程度にとどまっているそうです。

まあ、魚を食わなくなったから・・・と書かれてはいるけれど、サプリか何かで補充しているヒトは多いはず。何しろ、「ごはんもおかずも食い過ぎるな。半分作れば十分」とアドバイスしている昨今、割合ではなくて絶対値で摂取必要量を云われるとちょっとつらいところがあります。「健康にいいもの」ばかり集めて各々の1日目標摂取量を毎日食っていたら、偏食になるだけではなくて、単なる「食い過ぎ」になってしまうじゃ、あ~りませんか!

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長生きの秘けつ

「長生きの秘けつは何ですか?」・・・長野県佐久市の百寿者のばあちゃんにお決まりのインタビューをする画像がTVで流れていました。「何も気にしないでのんびり暮らすことです」などと、満面の笑顔で答えておられましたが、それを見ていた妻が、「この人たちは自分では分からんと思うよ。別に長生きしたいと思って生活してきたわけじゃないんだから」と云いました。

たしかにその通り。くよくよせずにのんびりと生きてきた結果として長生きしたとしても、それでは今生きる若者がそんな人生にしようと意図的に努力したら長生きできるのかというとどうなるかわかりません。同じように、のんびり生きてきたヒトの中には早死にしたヒトもたくさんいるはずです。早く病院に行くべきなのに、「大丈夫」とほったらかしていたら手遅れになったヒトもおりましょう。いつもせかせか動き回っている百寿者もおりましょう。自然淘汰されて生き残った人たちに「あなたは何故生き残ったのですか?」と聞くのは、ある意味、失礼極まりないことです。

「若くして病気になった秘けつ」というならいくらでも真実を教えられましょうが、「長生きの秘けつ」を自ら論ずるのは実はとても難しいから、「何もしてません。何も気にせずのんびり過ごすことです」という陳腐でマニュアル通りの答え方をするのが無難なのでしょう。どこかで見た答。聞く側もそれを見る側もみんなが期待している答。それがこれなんだろうな、と思う次第です。

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禁煙指導

となりの診察室から大きな声が聞こえてきました。もうかれこれ20分以上禁煙の説得をしているようです。熱心な女医さんです。偉いなあと感心して聞き耳を立てながら仕事をしました。

わたしは、基本的に禁煙については強くは云いません。肺気腫やCEA高値のヒトには「それが身体に合わないから存在を知っちゃいけなかった」と話し、生活習慣病のヒトには喫煙が心筋梗塞のリスクをすべて倍増させるという事実だけを話しているにすぎません。

人間ドックを受けに来る喫煙者の多くは喫煙を肯定してほしいとは思っていません。身体に悪いことぐらい知っています。身体にあまり悪さはしていないという意見の記事も同じくらい読んで知っているはずです。でも実際にはどっちもあまり見ないようにしているのではないかと思います。できたら「タバコ」の話題そのものを素通りしたい。どうせ肯定も否定もおもしろくはないのだし、触れないでもらえるのが一番だと思って生きていると思うのです。

それでも行動を起こすには何かのきっかけは必要ですから、となりの診察室の彼女のようにあえて聞き流さずに熱心に背中を押してあげることはひとつの大きなきっかけになるかもしれません。わたしでも、「先生に云われたから1年前にきっぱりやめましたよ」と報告にくる方もおられます。「先生は一体何を言ったのですか?」と同僚に質問されますが、さて、大したことは云ってないはずですけど・・・きっかけってそんなものでしょう。

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高血圧は塩分が好きというおはなし

「何をいまさら?」と思うような医学研究は意外にたくさんあります。Care Net2014.6.5公開の<高血圧者は高塩食がお好き>というのもそんな発表報告です。

ブラジル、サンパウロ大学のPatricia Villela氏らの研究で、被験者118人を、30代と70代、それぞれ高血圧のある群とない群の4群に分けて、全員に塩分量の異なる3種類のフランスパンを提供したら、高血圧のヒトは若くても高齢でも「高塩分」のパンを選んだというものです。

もともと塩分が少なくて血圧が維持できずにバタバタ倒れていくヒトを横目で見ながら、塩分が少なくともきちんと血圧を上げて生き延びてきた遺伝子系が高血圧家系です。何も食えずにバタバタ倒れていく中を、何も食わずとも血糖を引き上げて生き延びてきた遺伝子系が糖尿病家系です。その記憶の遺伝子がきちんと情報を伝えているからこそ有事の際に備える体質になっているわけです。その辺にある食材に目をつぶって手を突っ込んでも、高血圧ならできるだけ塩分の多いものを、糖尿病ならできるだけカロリーの多いものをきちんと握りしめてくる能力をもっているなんてこと、当たり前すぎます。

「高血圧の患者は減塩しなければいけないのに目を離すとすぐ塩分の多いものを口にする。真面目に取り組んでいない!」と唱える学者さんや栄養士さんは、きっと自分が高血圧じゃないから基本的なことを何も理解していないのだろうな、と常々思っている次第です。

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自律神経の叫び

突然生あくびが出たかと思うと意識消失発作を起こす受診者の方がおります。意識自体は瞬時に回復するそうで、見るからにてんかんの欠神発作のように思われますが、複数の大きな病院で脳と心臓をいろいろ調べてもらったけれど原因がわからなかったということだから、きっとてんかんではなかったのでしょう。血圧の変動が著しいのでその影響か?とも思いましたが、すでに24時間血圧計検査や24時間心電図(ホルター)心電図検査も何度か受けたようです。

今回、うちの施設で2日がかりの人間ドックを受けられ、わたしがこの方の担当になりました。そうしたら大腸に大きな腫瘍が見つかりました。急激に大きくなったとは考えにくいのですが、これまでも毎年近くのクリニックで大腸検査は受けているのことでした。そして生検の結果、急いで外科的治療をすべきという結論に達しました。

この報告を受けながら、わたしの頭に浮かんだのは、以前読んでここでも紹介した本『心臓の暗号』のこと。体内に起きた異変を何とか主人に知らしめすべく、心臓を介して全身の自律神経が何らかのシグナルを送るのだというはなしです。名だたる病院でいろいろ調べて「特に問題はない」と云われるけれどこの調子の悪さは何かあるはずだ、と信じてさらに調べてみたら全然違う場所でがんが見つかったというエピソード。当時は、「ふーん、おもしろい。そんなことがあっても不思議ではないよな」程度にしか思わなかったはなしでしたが、もし今回、治療を受けた後に意識消失発作がなくなるようだったら、まさしく心臓の暗号だったといえるでしょうね。

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自分のために生きる

「自分のために生きるのではなく、ヒトのために生きるべし」という哲学書やハウツー本をこれまでに何冊も読んできました。ネットでも何度も聞きました。その都度、深く納得し、「いつも自分のことばかり考えて他人なんてどうでもいいわと思ってしまう自分はまだまだ未熟な人生を送っている」と反省しきりで生きてきました。

そんな自分が少し変わってきたことに気づきました。ヒトのために生きるようになったのではありません。考え方が変わってきたのです。ヒトのために生きる前に自分のために生きてみろ!ということ。「自分のために精一杯生きる」・・・これはかなり重労働です。自分が幸せになるために、自分が好きなことができるようになるために今やるべきことを書き並べてみたら、あまりに険しいので、「ま、いいか」と諦めてしまいそう。自分の目的達成のためにヒトの得になることをやったとしてもその結果が自分の目的を達する手段でしかないわけだから、それはどうでもいいこと。

そんなことを、あるfacebookの記事を見ながら思ったりなんかしたわけです。『自分のために生きる』・・・この歳からそんなために精一杯生きるという選択をもし自分ができたなら、わたしは自分をほめてあげたい。だって今、どうひいき目にみても、わたし、何もかもが面倒くさいので自分のために生きることを放棄していますもの。

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ただやせればいいというものではなかろう

減量は年齢を問わず心臓に良い

先日、CareNet配信で、「The Lancet Diabetes & Endocrinology」オンライン版に5月21日掲載されたロンドン大学(UCL)のJohn Deanfield氏らの研究報告が紹介されました。1946年3月に出生した英国の男女1,273人を追跡調査して、小児期、36歳、43歳、53歳、60~64歳時における正常体重、過体重、肥満のいずれかに分類した上でそのデータを分析した結果、成人期の体脂肪過多の時期が長いほど、後に高血圧、糖尿病、動脈狭窄など心疾患のリスク因子をもつ可能性が高く、成人期にどの年齢であれ体重の少ないカテゴリーになった被験者ではリスクが低減したのだそうです。

簡単に云えば、今やせているヒトはOK、太っていたヒトもやせるとOK、という結果の報告です。体重で生活習慣病のリスクの結果を語っているようにみえますが、本当にそれでいいのでしょうか。こういうEBMとして使われるに決まっているマススタディで大切なことは、体重が減って良くなったヒトの群と体重が減ったけど良くならなかったヒトの群をもっとよく比較することだと思います。体重が減ったら必ず良くなる!というデータであればやむを得ませんが、必ず良くならなかったヒトが居るはずです。体重が減って良くなったヒトよりも良くならなかったヒトの原因こそが重要で、それを検討してほしいのです。誰もが、ただやせればいいというわけではないのだから、それがメリットになる条件(あるいはデメリットになる条件)を見つけ出してこその予防医学。EBMはそこしか使い道がないように思います。

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教育的指導

健診の胸部レントゲン写真や胸部CT検査の読影所見は意外に読影者の意思が反映されていますので、同じ読影結果なのに「軽度異常」となる場合と「要経過観察」あるいは「要再検」となる場合があります。受診者さんにとってはこの差はとても大きいのでどちらかに統一させてほしいでしょうが、まあこれはしょうがないかなと思っています。

たとえば、喫煙者の肺気腫所見。呼吸器内科医も放射線科医も小さな気腫所見を見つけたら必ず指摘します。ただ、その判定評価に個人差がでます。「たばこを吸っているんだからこれくらいの異常は出て当たり前だろう」と考えて「軽度異常」と評価するヒト。「たばこを吸っているから肺が破壊されるのだから早く禁煙すべきだ」と主張して判定を厳しくするヒト。禁煙勧奨の思い入れが強いほど、小さな所見でも厳しく判定します。やはり、皆、現場で日夜治療をしている専門医たちですから、その気持ちは汲んでほしいものだと思います。少なくとも、それを説明するわたしはそれを汲んで熱くご説明することにしております。

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深層心理

最近、朝から健診受診者さんの診察をしながら、その日一日のことをふと考えることが多くなりました。今日の自分のあてがわれた仕事は何かを考え、「今日は楽そうだ」「今日は昼休みを削らないといけないかもしれない」とか思うわけです。あるいは「今日は忙しいけれど夕方に会議がないからラッキー!」とか逆に「憂鬱な会議が夕方にある。早退していいような体調不良かなんかにならないかしら」とか。

とても不謹慎な話ですが、こういう状態になるときは基本的に疲れているとき。「あまり働きたくないなあ」と深層心理で思っているときだということ、わかっています。きっとエブリデーのルーチンワークではなく、しなればならないことが目白押しに控えていることに対する抑うつ気分の表れなのでしょう。

それと、診察しながら、阿蘇の山の土地の草刈りをするイメージがよく湧くのですけれど、あれも、早く草刈りしなければならないなあと不安に思っているからなのでしょうか。でも、先週草刈りしてきたばかりなのにそのイメージは相変わらず時々脳裏をかすめます・・・わたしはいつも病んでいます。

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第一印象

また、やらかしました。

診療の最中に、「あ、これブログネタ!」と思って、慌ててメモ。『第一印象』~これだけでも十分だけど、万が一忘れてしまうかもしれんから要点を2行書き加え。

翌日、書き起こそうとメモを広げましたが・・・どう眺めても、なんて書いてあるか読めません。内容を想像するけど、信じられないくらいに何も思い浮かばない。2日間、ことあるごとに眺めて連想ゲームを繰り返しました。こんなことは良くあること・・・何かの弾みで思い出すもの・・・。と思ったけど、どう眺めても、なんて書いてあるのかわかりません。意味が分からないのではなく、「文字が読めない」。2日間眺めていたら、急に吐き気がして気持ち悪くなりました。

「先生、顔色悪いですよ」とスタッフに云われました。だから、そのメモ用紙を丸めて捨ててやりました。『第一印象』はそのままお蔵入りなり。

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達成感

いとこが脳出血を起こしました。リハビリを経て退院した彼に法事で会いましたが、見た目特に何ら変わったところもない感じでした。ただ、足の痛みが強く、退院してからはリハビリがなかなか思うようにいかないとのこと。ついココロも塞ぎがちになるようだ、と奥さんが云っていました。

今回、脳卒中サバイバーに対する運動処方のメニューがAHA(アメリカ心臓協会)/ASA(アメリカ脳卒中学会)から具体的に出されているのを読みました。慢性期には4つの運動療法(有酸素運動・筋力/筋持久力運動・柔軟体操・神経筋協調運動)が必要で、その具体的処方内容が細かく書かれていました。

ただ、どうなのでしょう。「サバイバーには少なくとも週3回、1日当たり20~60分の運動が推奨される」と書かれています。「この程度の簡単なことを続ければよい」というニュアンスで書かれています。それはよく分かるのですが、「簡単だから続けられる」という単純なものなのでしょうか?ヒトが何かの行動をするのは、それによって何かを得るという目的があるからです。脳卒中サバイバーのリハビリは、いつまで続けたら、何かに達したら、それで卒業!というわけではなく、それによって機能が元に戻るとかいうものでもありません。して得られるものはないけれどしないと失う・・・エンドレスの訓練は、基本的にはヒトのココロを疲れさせます。人生の最終点がいつになるのかすら分からない中で、楽しくもないものを当てもなく黙々と続けられるものなのだろうか。頂上のわからない山登りを「続ける」ということがいかに難しいか、それは経験者にしかわからない険しい道のりなのではあるまいかと想像します。

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