経験
健診で行った検査の読影や判読をするのが今の仕事です。わたしの分担は、心電図や心臓超音波検査だけでなく、最近は胸部レントゲンや眼底検査も読影しています。
毎日、毎日、うんざりするほどの量をさばいて行くうちにだんだんと自分が変わっていくのがわかります。前は必ず読んでいた所見をだんだん読まなくなるんです。この感覚は、きっとやったヒトにしかわかりません。
読影業務を初めて研修するようになったころは、小さな所見を見付けることが楽しみでした。自分は「異常なし」にしたのに先輩が読むと所見が見つけ出されていて、改めて見直すと、さっきは何も見えなかったところにたしかにそれはあるのです。未熟者だなあ、と思いました。だからそれを自分の力で見つけ出せると嬉しくてたまりません。画像の端々まで眺めて、重箱の隅をつつくような小さな所見まで見つけ出すことに喜びを感じ、それができるようになったことに自分の上達感を感じていたものです。
ところが、経験を重ねるうちに、そんな所見を読まなくなります。いい加減になってきたのではありません。その程度の所見は所見としては存在するとしても正常のヒトの普通の老化であって、病気ではないし、そのヒトの人生にとって大勢に影響はないし、いちいち指摘をするほどのことではない、と思えるようになるのです。
「細かい所見まできちんと指摘できるのがプロ」と思っていましたが、最近は「細かい所見まで指摘する必要があるものとないものを区別できるのがプロ」だ、ということを徐々に実感できるようになってきた気がします。もっとも、今でもとんでもないポカをしでかしますから、まだまだ未熟者ですが・・・。
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コメント
押忍!
書中お見舞い申し上げます。
「少年老い易く 学成り難し」
と、支那人が言っていた様です。
もっともっと、修行に励んで戴けなければ!
青春ど真ん中の asuka3h 拝
投稿: asuka3h | 2014年7月29日 (火) 09時08分
asuka3hさん
毎日お暑うございます。
肝に銘じて、精進いたします。
それにしても、毎日セミがワシワシワシ/ジージージージー/ワシワシワシワシと五月蝿うございます。せめて北のセミのようにミンミンと啼いてほしいものです。
お暑き中、どうぞご自愛ください。
投稿: ジャイ | 2014年7月30日 (水) 06時23分