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2014年8月

和食のはなし

最近、わたしは北里研究所病院の山田悟先生のDoctor's eye(MTPro)がマイブームです。今回も面白いお話を紹介してもらいました。

蛋白質も食後の血糖上昇を抑制する』(MTPro 2014.8.18号)

これは2014.5.9の記事『和食の主食・主菜・副菜という構成には意味がある』を受けたものです。この話が面白いんです。日本女子大グループがBr J Nutr(2014;111)に報告したものだそうです。食事を4つの様式(S食=白米200gのみ、SM食=S食+木綿豆腐+ゆで卵)、SMF食=SM食+マヨネーズ、SMFV食=SMF食+ほうれん草・ブロッコリー)に分けて、メタボではない日本人成人男性に取ってもらって食後血糖を測っています。細かいことは読んでもらうとして、結局諸般の原因を経て、食後血糖の振れ幅が大きい順にS食→SM食→SMF食→SMFV食であったわけです。何を先に食べたとか、噛んだ噛まないとか、そんなことなど何の関係もなく、もちろんカロリー量とかどうでもよく、糖質に偏らずにおかずをきちんと食べると食後血糖上昇を是正できるということ、つまり主食に偏らず主菜(蛋白質と脂質)、副菜(食物繊維)を一緒に取るのが医学的に意義があるというわけです。デッカイ身体のメタボ腹の欧米人はカロリー制限が重要なのかもしれないけれど、さほど太ってもいない日本人の糖尿病はカロリー制限や脂質制限などよりも、きちんと主菜/副菜(資質を含む)を食べることを勧めるのが大事だと云うておるわけです。

そんな中で、今度は欧州糖尿病学会の機関誌Diabetologia(2014;57)に蛋白質が食後高血糖を抑制する効果があることを発表しています。詳細はいいとして、脂質も蛋白質も食後血糖上昇抑制効果があるのです。ここのところ、しっかりと意識して勉強しなければなりません。

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塩のはなし

ここのところカナダのMcMaster大学のMartin O'Donnell氏の研究=PURE試験というのが話題になっています。世界17カ国から10万人のデータを集めて尿に出てきたナトリウム/カリウム量と心臓血管イベントや死亡に関して平均3.7年の前向きコホート試験を行った結果、3~6グラム/日のナトリウム量がベストで、それ以上でも以下でも心血管イベントは増加する、というものです。

こんな至極当たり前の結果に何を騒いでいるのだろうか?と思っていたら、世界の心血管疾患予防ガイドラインの推奨するナトリウム摂取量は1.5~2.4グラム(塩分換算して3.8~6.0グラム)/日なのだそうです。そんなもの、どう考えても達成できるはずがないし、そんな量で生活したら、へなへなな生活になるぞ!と思うのは、わたしが日本人だからでしょうか。そういえば、むかし、研修医だった頃、大学病院に低ナトリウム血症の患者さんが入院したことがありました。原因不明の倦怠感と筋力低下か何かが主訴だったでしょうか。NaCl点滴を繰り返してもなかなか血中ナトリウム量が上がらず往生した記憶があります(わたしが受け持ちではなかったですが)。ナトリウムは生き物の細胞を維持する上でなくてはならないものです。少なけりゃ良いってものじゃないでしょう、当然。まあだからこそ、人間は、これ以上少ないと危険だということをカラダが分かっているから、そう簡単にはそんな少ない塩分量を維持できないようになっているのだ、というのも日本人ならではの考え方(いやいや単にわたしが高血圧患者で塩分大好き患者だから)だったりしますか?

幾多の解説文のうち、日本の高血圧の第一人者である桑島巌先生のCareNetに書いた一文・・・「注目すべきは、7g以上の高ナトリウム排泄量(塩分17.5g以上)では、ナトリウム排泄量と心血管死/脳卒中との関係は血圧値で補正すると有意でなくなるが、1日ナトリウム排泄量3g未満(塩分換算7.5g未満)の低減塩摂取例では、血圧値で補正してもなおかつ全死亡、心血管死、脳卒中発症とのオッズ比が有意なことである。これらの結果は、高塩分摂取によるイベント発症は高血圧の関与が大きいが、過度な減塩による死亡率上昇には血圧以外の要因が関与している可能性が示されている点である。」というところが気になりました。つまり簡単に云えば、高血圧のヒトは減塩に励むべきだが、血圧が高いわけでないヒトは塩分制限しすぎると危険だぞ!ということ・・・それでいいのでしょうか?

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鉄のはなし

「ヘム鉄の吸収・代謝と有害性」という記事がメール配信されました(Nutrients for preventive medicine>:株式会社ヘルシーパス)。たまたま、「先生、鉄剤はサプリとかで摂っても大丈夫なんですか?」と受診者から質問された翌日でしたので読んでみました。

以前、ここでヘム鉄のはなしを受け売りで書いたことがありましたが、病院で処方される鉄剤が非ヘム鉄で、肉やレバーに含まれるヘム鉄とは違うこと、サプリにはヘム鉄配合のものがたくさんあることなど、知っていたようできちんとは知らなかったことがまとめられていました。

おさらいです。ヘム鉄は本来赤血球内に存在するヘモグロビンの構成成分そのもので、赤身の肉やレバーなどから摂ることができるが、動物性脂肪を含むので大量に摂ると何かと問題である。しかし体内への吸収率が高く、非ヘム鉄の5~6倍にも及ぶ(非ヘム鉄は食事由来の食物繊維やお茶などに含まれるタンニンの影響で吸収阻害されるがヘム鉄はそんなメカニズムはない)。さらに、病院の鉄剤にあるような副作用(吐き気、嘔吐下痢、腹部不快、光線過敏、発疹など)が少ないようで、見るからに病院から処方される鉄剤(非ヘム鉄)より、サプリ系で得られるヘム鉄の方に軍配が上がるような気がしてなりません。ただし、ヘム鉄が吸収されずに余ってしまうと最終的にフェリチンとイオン化された鉄として体内に貯蔵されますが、このフェリチンに取り込まれる際に酸化ストレスが生じて細胞を傷つけることが分かっています。肝臓機能が弱ると血中鉄イオン濃度が増して酸化ストレスが生じやすくなりますが、その他、ヘム鉄を多量に摂ると2型糖尿病になりやすくなるとか、内臓脂肪量とフェリチン値が相関するとか云うデータもあり、とにかく摂りすぎはかえって弊害が大きいようです。

つまり、鉄欠乏性貧血の治療はサプリ系のヘム鉄が薦められるが、摂りすぎると肉やレバーの食いすぎと同様に、酸化ストレスや糖尿病やメタボの危険因子にもなる、ということで総括していいのでしょうか?

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水はいっぱい飲みよるがなあ。

「水はいつもいっぱい飲みよるがなあ」

軽度のCKD(慢性腎臓病)所見や高尿酸血症に対して、健診結果を説明するときに「意図的に水をたくさんとってくださいね」と云うと、よくこんな答が返ってきます。「おれはそれくらいちゃんとやってるんだ」と主張したいのでしょう。はい、それはすばらしいことです。別に、飲みが足りないからさらにもっと飲むべきだと云いたいわけではありません。それをこれからもどうぞ続けてください。こういう病態は、生活態度が悪いから、あるいはやっていることが間違っているからこうなった、というものではありません。今がこういう状態(あるいはもともとの体質)だから、これを進行させないように普通の方以上に日々の生活に注意しましょう、と云っているだけです。やっているのに1年前より少し悪化したとしたら、それはその方法の限界ですから、早めに医療現場に委ねていただきたいだけ。「めんどくさがらずに毎日カラダを動かしましょう」というと「わたしは毎日朝夕1時間ずつ散歩しよるがなあ」と口をとがらせて反論するヒト。良いんです良いんです、それを続けてください。今、それを続けているから今があるのですから、今の状態を維持させられるように、今を続けてくれればそれでいいんです。もっと早歩きにとか、スロージョギングで、とかそんなこと云いません。

でも、「食事は量をあまり食ってないがなあ」というのは、ウソ。だって去年より2キロ太ったんだもの。あなたが少ないと思っている量が根本的に間違っているから太るんだもの。そこは妥協しません。きちんと見直してみてください・・・でも、この押し問答が一番大変で、みなさん首をかしげながら部屋を出て行きます。納得いってないようです。彼らのエクソシスト様が後ろアタマからヌーッと出て来てわたしをにらみ返している気がします(笑)

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思い出は免罪符ではない

「それは前に検査して、『異常ない』と云われているから」と、精査依頼書を無視する理由に書いてくるヒトたくさんいますけど、わたしたちはそんなことくらい承知の上で”要精査”の判定を下しておりますのよ。それも1年前ならまだしも、3年とか5年とか、ヘタすると10年以上前に受けたとか・・・そんなもの、ただの思い出日記でしかありませんがな。

3年も5年も前の結果がどうであったにせよ、それが一生同じのはずがありませんのに、一度経験したがために、かえって異常の発見が遅れてしまうのが心配なのです。場合によっては前とは全然違う所見の全然違う病気を想定しておるのに、「心電図?ああ前も異常を指摘されて検査したことあるから」とか、「レントゲン検査はいつも指摘されるから」とか、したり顔で斜に構えている皆さん・・・むかしは、こういうのカチンときてましたけど最近はあまり気になりません。基本、わたしの人生じゃないし。うちの施設の”要精査”はかなり考慮した挙句に出す結論だから危険なんですけど、わたしたちはちゃんと「必ず行ってください」と云うし、その後「ちゃんと行きましたか?」と返信が来るまで何度もしつこく声をかけるんですからね。いくら云っても、むかしの思い出を免罪符にしたがるのだったら、わたしたちの責任じゃありませんもん。

でも、くどいうようですけど、「むかし受けた検査」はただの”思い出”です。「あなたは今後これで文句を云われても無視していいですよ」とその時に云われていない限り、有効期限は1、2年ですからね。しかもあなた自身が毎年歳とって、むかしと違う人間に変身していることを忘れません様に。

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時は勝手に通り過ぎていく。試験だったり、研修の実習だったり、初めて会う人たちだったり、初めての場所だったり、「どうしよう」と思って憂鬱な日々を送ったりするのだけれど、ふと気づくと、時は勝手に粛々と自分の前を通り過ぎている。そして、その後には、「大したことなかったな」という実感だけが残る。

後になればそうなのだけれど、あいつが通り過ぎるまではココロ休まらない。何をするでもないのに。今まで例外なく、わたしの存在など何も気づいていないかのようにして、あいつは通り過ぎていったのに。

くどいようだけど、目の前に施設認定審査の日が迫り、専門医試験の日が迫り、糖尿病教室の講義の日が迫っています(笑) どうか、早く通り過ぎてください。

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何もしない、ということ

突発性難聴のくすりが先週末にやっと飲み切り中止になりました。おかげさまで聴力はほぼ回復したものと思われます。ご心配をおかけしました。この闘病の1か月間、病気の治療以上にわたしが経験したこと。それは「なにもしない」ということ。仕事は最低限、済ませたら定刻で帰宅、軽く散歩をして、晩酌もせず、早めの夕食、早めの入浴、そして早々に就寝。そんな生活を少なくとも2週間は続けました。

あれもしなきゃ、これもしなきゃ。この時間にあれができるこれができる。次にしなければならないことはあれとあれ。それをこなすためには今日のうちにここまであれをして・・・基本的に、わたしのアタマの中はいつもこんな感じでした。それを一切しない・・・しなければならいことは無くなってはいないし、先送りすればそれだけ後で大変になる・・・最初はそんな不安もありましたが、何しろしたくてもできない状況だから、ドクターストップと云うよりそんなこと考える気力もない状態だから、やむを得ない、という開き直りの中で、「なにもしなくてもなにも困らない」ということを実感するようになりました。「しょうがないさ、できないんだから。しなきゃいけないことが生じたらそのときにするさ、だってしょうがないんだもの」・・・そう考えると、何も焦りません。家に帰ったら、専門書を開けたりスライド作りしたり本を読んだり執筆したり、そんなこと何もしない生活なんて何十年ぶりだろう。考えてみると、うちの父はいつもそうだった。母がいっぱい仕事を持って帰って居眠りしながら夜遅くまで仕事していたのに、父は帰って晩酌してメシ食ってすぐベッドに入ってました。あの人真面目に仕事しているのかな、教師のくせに少しは勉強してるのかな、と子どもながらにいつも不審な目で眺めていたのを思い出します。「ちゃんとしよる。オレはメリハリつけてちゃんと学校で済ませてきよるんじゃ!」と云っても信用してませんでした。だって、それに加えて家でもやったら、もっとたくさんできるしもっと知ることが増えるじゃないか!って思ってましたから。

「なにもしない」ということは決して堕落ではない。もがいて焦っているのと結果はさほど変わらない。そういうことをこの1か月の闘病生活の中で学びました。もっとも、ふと気が付くと目の前に施設認定審査の日が迫り、専門医試験の日が迫り、糖尿病教室の講義の日が迫っていることに気づかされてはいますが・・・何とかなるでしょ。

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わかっているさ、そんなこと

「ストレスがたまるんで、毎晩のように寝る前にスナック菓子とコーラを飲むんですけど、それ関係ありますか?」

躊躇しながらそう質問したのは、毎日規則正しい生活をし、朝昼晩の食事管理もできており、晩酌習慣はなく、睡眠時間も十分な引き締まった身体の三十代後半の男性。ほとんど申し分ない健診結果なのだけれど、なぜかしっかりした脂肪肝があり、頸動脈に軽い動脈硬化もみられる・・・「不思議ですね。どうしてこんなきちんとした生活してるのに脂肪肝が強いんですかね?」と素直に本人に問いかけてみたら、きっと問診の保健師にも云ってないであろうこんな答が返ってきたわけです。

その可能性はかなり高いでしょう。ココロが渇望しているけれどカラダは要らないからやむを得ず有事の際のために真面目に蓄えている状態。誰もが容易に想像できる病態です。「そうでしょうね」・・・本人もうすうす感づいていたことです。でも、ストレスが溜まって食べずにはおれないのです。寝る前のカフェインがアタマを覚醒させてしまって、良い睡眠を導けないこと。あるいは寝てすぐに分泌される成長ホルモンが細胞のキズを修復するのだけれど、就寝直前に血糖値を上げると成長ホルモンが出なくなることについても説明しました。「へーそうなんですか」と感心しきり。「やっぱり良くないんですね」と反省も。

でもね、反省してもきっとその習慣は変えられません。だって、わたしがそうなのだから。そんな理屈がわかったからどうだというの。「カラダに悪いことしている?はいはい、そうでしょうね。わかってるさ、そんなこと。でもこれがストレスの解消法なんだもの」・・・健康に良いとか悪いとか、病気の予防に何が必要だとか、そんな理屈がどれだけ並べられたところで、「自分は健康のために生きているわけじゃないし」という言い訳には勝てません。このヒトが原因不明の口内炎で悩んでいること、頑固な下痢が続くこと・・・その誘因になっている可能性はあるので、その憂鬱さを解消できる可能性があるならガマンしてみるという方が建設的かもしれません(そう話すのを忘れてしまったことに、今になって後悔しているわたし)。

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捨てること

わたしは、基本的に「捨てること」には悩みません。人生常に優柔不断で、何でも先送りにする生き方をしてきましたが、「捨てる」ということには躊躇がありません。整理整頓の基本ですから。

昨日、メールの整理をしながら、「削除済みアイテムを空にする」というやつをクリックしたら、「本当に削除してもいいですか?」と聞いてきやがるから、「当たり前じゃー!要らん世話じゃー!」と云いながら躊躇することなくクリックしました。万事がそんな感じ。テーブル上に放置された郵便物やメモ用紙も、自分のものなら捨てるかしまうか即決定。妻のものならとりあえず棚に移動し、数週間後に捨てます。「あれ、ここに書類がなかった?大事な書類なの-!」と騒いでいる妻に、「捨てたよ」と簡単に答えるので、やっと最近は騒がなくなりました。

そんなことして大事なものを捨ててしまったら取り返しの付かないことになるかもしれないでしょ?とか、まだ使えるからいつか使うかもしれないでしょ?とか、意見してくれるヒトはたくさんおりますが、あまり意に介していません。捨ててしまったものはしょうがないんです。大事なものでも捨ててしまったら諦めがつきます。なまじどっかに仕舞い込んだりなんかしたら、さて探すのが大変。あるかどうかも分からないものを必死で探すことになります。「使うかもしれない」ものは、わたしの経験上9割方使うことはありません。なまじ仕舞っておくと、「あったはず」と思ってこれまた必死にあちこち探し回る羽目になります。そしてこういうパターンの大部分は、結局みつかりません。この無駄な時間、なんともったいないことか。

ただ、こんなわたしが容易に捨てられないのが「人間関係」。これが、ものを捨てると同じようにスパッとやれたら、いいんですけど。

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肝っ玉母さん

CareNet配信(2014/8/12)の記事

『わが子は健康』? 肥満児の親の認識不足が浮き彫りに

今回の論文(Journal of the Academy of Nutrition and Dieteticsオンライン版8月20日掲載)には、肥満児の親の3割弱は子供の体重を気にしていないし、3割は「すばらしい」と思っている。運動量を増やすより食事の改善をさせようとする。親の収入が少ないほど運動を勧めようとしない。親自身が太っていると子どもの減量に消極的だ、などというアメリカの小児科病院の研究報告が書かれています。

読みながら、さもありなんと思う部分とそうかなあ?と首をかしげる部分とがあるのですが・・・わたしは小学校4年生くらいまで、典型的な肥満児でした。クラスの中にいると二回りくらいデカくて目立っていました。でもそれが親の自慢でした。赤ちゃんコンテストではデカかったから表彰されました。健康優良児としても表彰されました。おやつに半斗缶いっぱいのあられを炒って入れておいたら一日で全部食べてしまった!とか、熱が40度あってもご飯は5杯必ず食った!とか、わたしの子どものころのそういう武勇伝(?)を語る父は生き生きとしていました。

古くから使う「肝っ玉母さん」というのはふっくらした大柄なお母さんで、しかも細かいことにこだわらずおおらかで何事もテキパキと切り盛りする主婦を指していました。その肝っ玉母さんの子どもが肥満児かというと、意外にそうでもなかった記憶があります。「自分のダイエットがうまくいかなかったから子どもにそんな辛い思いをさせたくない」というのは本当とも思えません。「子どもにダイエットを強いると自分も減量させられるからイヤだ」ならよく分かりますけれど。さらに、日本の場合、収入が少ないほど外で遊び回っている(家の中の遊び道具が買えない)か「遊んでないであんたも仕事を手伝いなさい」と云われるかで、運動を勧める云々ではなくて自ずと動かずにはおれない印象がありましたが・・・今は違うのかしら。

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うま味

『うま味』には食欲を抑える作用がある 海外で和食が注目される理由

これも8月1日に配信された情報です。日本で生まれた「うま味」。第五の基本味として旧東京帝大の池田菊苗教授が命名したと云われる「うま味」。今や英語でも「Umami」と書くまでに有名になった「うま味」ですが、その実態たるやようわからんでしょ。昆布などから取れるグルタミン酸とかつお節などから取れるイノシン酸とが主成分だということはわかりましたが、他の味覚である「酸味」「甘味」「苦味」「塩味」と違って、どう表現したらいいのかわからない味。だから「うま味」・・・まあ、言い得て妙ともいえる味。

これが満腹感を引き出して結果として食欲を抑える効果があるという研究成果を、英国サセックス大学のマーティン ユーマンズ教授(実験心理学)らが発表したそうです。確かにわたしも読んで意外でした。「うま味」なんだから、かえって唾液をダラダラ引き出していつまででも食べられます!とばかりに食欲を増してつい食べ過ぎてしまうのかと思いきや、逆にすぐに満腹感を感じるから食べ過ぎないのだと。ここに書かれているように、西洋料理でも肉や魚(イノシン酸)にタマネギ(グルタミン酸)を添えることでうま味を出す工夫をしていると云いますが、あれはどう考えても食欲を増す組み合わせのような気がします。「うま味」といえばグルタミン酸、グルタミン酸といえば「味の素」。合成調味料「味の素」は各家庭の食卓に必ずありました。食塩がそうであるように味の素のグルタミン酸は天然のものではなく、あれが神経症状を引き起こすから健康にはかえってよくないとかなんとかかなり話題になった時期がありますが、それとは関係なく、「味の素」はいつの間にか我が家の食卓から消えてしまいました。そう考えると、現代の日本の食卓、意外に「うま味」が消えてしまって、それのおかげで食い過ぎる肥満児を作り出しているのかもしれません。

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深層心理

健診の結果説明を終えて退室するときに、また云われました。「結局は、運動が足りないってことですよね」って。その念押しは、何?

「いいえ、たぶん、運動よりも食事だと思います」・・・わたしを甘く見てはいけません。わたしはそんなワナにははまりません。自ら発する決意みたいなものですから、間違ってはいけません。なぜか、自分がしたくないこと(できたらしなくておきたいこと)を絶対に最初には口にしませんよね。「大事なのは食事ですね」と総括したがるヒトは総じて運動が嫌い。運動しなくて何とかならないかを模索。「結局運動不足ですね」と結論づけたがるヒトは食べるのだけは減らしたくないという深層心理。そして、その各々がおそらく自分で避けたい方をまずすべきであることは分かっている。それでももしかしたら・・・と一縷の望みを持ってカマをかけてみる。「そうですね」とわたしたちに云わせて、空手形の形だけでもいいからとりあえずお墨付きをもらいたいわけ?

負けませんよ、わたしは。「残念ですけど、今食べている夕食を半分にするしか方法がないんじゃないですか」と、きっちり引導を渡してあげます。ご愁傷様です。

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ランニングの効果

ランニングは短い時間でも効果がある 1日5分でも死亡リスクが低下

2014年8月1日付けの保健指導リソースガイドからの情報提供です。毎日5~10分だけランニングしたり、時速10km程度のスロージョギングでも心疾患や死亡リスクが3~5割軽減するということがアメリカACLSのエアロビクスセンター縦断調査でわかったというものです。ランナーは走る習慣のないヒトより総死亡リスク30%減、心疾患や脳卒中で死亡するリスク45%減であり、何よりもそれが走る時間や速度とは関係がなかったというわけです。つまり走る量が少なくてもまったく走らないヒトに比べたら明らかに死亡リスクが低下するから、できる範囲内でランニングしましょう!といっております。

時を同じくしてMTProからは「インターバル速歩による血糖コントロール改善のメカニズムは?」というデンマークのランダム化比較試験の報告が配信されていました。インターバル速歩というのは信州大学の能勢博教授たちが開発した方法で、最近はよくテレビでも紹介されています。速歩とゆっくり歩行を3分間ずつ交互に繰り返す方法です。もちろんこれが中高年の体力向上や血圧・血糖・脂質などの改善に優れていることは実証されていまして、この報告はそのメカニズム(インスリン感受性など)の検討を行っていました。

まあ、内容はそれでいいとして、わたし的にはあまり好きでない話題です。したくはないけれど、”健康のため”にやむを得ずする運動。こんな簡単なことで病気を改善させられるのだから、しかたがない、がんばるか・・・ちっとも健康的ではないんですよね。第一、簡単に云うけれども、5分のランニングって意外にきついんですよ。10分なんて、どんなにスロージョギングだとしても運動好きでない限り続きません。「健康のため」という大義名分のために、がんばる姿って・・・なんか、人間らしくないですよねえ。そういえば、最近、ワンの散歩をしていると中年おじさんランナーが妙に多くなった気がします。走り方からしても体格からしても初心者。なんか、家の近くの企業で生活習慣病に対する介入事業かなんかが行われたのだろうか? これまた、きわめて奇異。

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くつした

わたしはなぜか右足のくつしたの親指部分に最初に穴があきます。左足の親指よりも右足の親指です。だから左右を時々入れ替えてはきます。でもスポーツ用のくつしたには筋肉の走行に合わせて歩きやすいようにサポーティングされているために左右を指定したものがたくさんあります。

わたしもそういうくつしたはたくさん持っているのですが、きのうは右足親指部分の大きな穴を隠すため(笑)にそれをあえて左右入れ替えてはいて過ごしました。よくできています。明らかにはき心地が変で、午後からは座っていてもそこにくつしたがあることが意識されるくらいの違和感に苛まれて、貧乏くさく無理してはいたことを後悔しました。

それでも、今まで気にもしなかったくつしたの存在を意識すると、自ずと歩き方にも意識が行きますし、姿勢にも意識が行きます。これは意外に面白い経験でした。もう二度とこんなはき方はしないだろうなとは思いますが、たまには本来の準備されたやり方と違うことをあえてやってみるのも面白いなと思った次第です。

でも、やせ我慢せずに新しいくつしたを買うか、ズボラをせずに穴を塞ぐ修繕をしてもらうことにいたします。

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先生は何を?

「で、先生は、何をがんばっておられますか?」

不意にそう聞かれました。更年期にさしかかろうとしている妙齢の女性の健診結果を説明していたときでした。「これから、人生が別物になりますもんね。今までの自分の姿は単なる思い出です。これから自分の本来持っている体質が出てきますから、どうぞ新しい自分磨きにがんばってください」といつもの調子で総括したら、「はい、がんばります。で、先生は・・・」と、こう来た。

「わたし?わたしは運動も食事もそれなりにがんばっていますよ」・・・突然の攻撃に面喰って陳腐な返事しかできませんでしたが、「そうですか。がんばってください」と笑いながら彼女は診察室を後にしました。別に悪い気はしませんでしたが、「くそ、負けた」と内心思いました(笑)

「基本的にはがんばってはダメ。がんばらない日常が、生活習慣病の生活の基本である」をポリシーにしている自分としては、ついムキになって答えてしまったことが心残りです。まだまだ修行が足りません。

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真意の伝達

「どうしてこんなものにわざわざ精密検査の指示を出したのだろうね」

先日、うちの健診受診者を精査目的で循環器内科外来に紹介したところ、外来医師がそんなことをつぶやいたのが気になった、と受診者さんからクレームがきました。それは心臓超音波検査の結果を踏まえた指示であり、その指示を出したのは担当者であるわたしだったので、スタッフから問い合わせられました。

その方のドッグ時の所見は、「僧帽弁逆流(軽度)+腱索が1本断裂しているように見える所見」です。つまり、「まだ僧帽弁がきちんと閉じなくなる(僧帽弁逸脱による閉鎖不全)所見は認めないけれど、1本切れているように見える腱索によってその後逆流がひどくなったりしないかどうかを確認し、今後どういうフォローをしたら良いかを判断してもらうために数ヶ月後に循環器内科専門医を受診することを勧める」という意味で紹介状を発行させました。こっそり外来カルテをのぞき見ると、その所見が最初はきちんと書かれているのに、最終的には「僧帽弁逆流(軽度)」だけしか記載されていません。「あ、この外来担当医、紹介の趣旨が分かってない。『こんな軽い逆流所見をわざわざフォローするために外来紹介するなんて・・・』というグチが今にも伝わってきそう」と思いました。さらに厄介なことは、その日に外来で行った心臓超音波検査の画像を盗み見ると、数ヶ月前にわたしたちが気にしていた腱索のヒラヒラがちゃんと見えるのです。でも、そのことはレポートに書かれていません。それは「見落とした」とか「問題ないと判断した」とかそういう問題ではなく、検査の目的が「それを観察することだった」ということを検査技師がわかっていなかったことになります。なぜなら、それが目的だと意識していたら、問題なくても「腱索は切れているが現時点で問題ない」あるいは「腱索断裂のように見えるがアーティファクトだと評価できる」など、それに対する負の評価を明記するはずだからです。

最近、検査指示や申し送りの簡略化が進み、最低限の伝言しか行われなくなりました。わたしたちは、紹介状にこの所見さえ書いておけば専門医なら真意はわかるはず、と思い込みがちです。でもわたしたちが重要だと思って書き足している内容を相手が気づかなければ真意は何も伝わりません。同じ施設内の紹介ですらこうですからこれが他の医療機関に行ったらどうだったのか。今回はわたしも反省させられました。結果としてこの数ヶ月で変化がなかったことは推測できますが、そんな結果論ではありません。問題は、わたしのプライドでも、外来医師のプライドでもなく、検査を受けた当事者に伝わるべき情報が伝えられていないことです。何が問題で受診し、結果として今後どうしたら良いのか、ということが伝えられないままになっています。手続きの反省云々よりも、当事者にきちんとその点を伝える義務があることを忘れてはなりますまい。

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アルコールの健康障害

先日、人間ドック健診情報管理指導士のブラッシュアップ研修会に参加してきました。昨年は、睡眠障害と生活習慣病のレクチャーを受けました。そのころからわたしの周りにはなぜか「睡眠」をキーワードとする情報ばかりが集まってきました。必然を感じました。そして今年はアルコール。んー、この体調の悪さとともに、必ずしも酒が人生の必須でない感じがするようになってきた昨今、次は「アルコール」がキーワードだぞ!と神様が伝えているのでしょうか。

アルコール代謝についての基本。
1.赤くならない男性の「節度ある適度な飲酒量」はアルコール20グラム(日本酒一合程度)
2.アルコール飲料は、飲料中のエタノールとアセトアルデヒドに発がん性がある
3.女性の大酒飲みは乳がんになりやすい
4.日本人は外人より酒飲みの大腸がんリスクが高い
5.野菜やくだものは食道がんのリスクを明らかに軽減させる
6.アルコールの発がんリスクはたばこのそれとほぼ同等である

そんなことよりも、
●少量の酒で赤くなる体質のヒトは多量飲酒すると食道・咽頭がんに特になりやすい(2型アルデヒド脱水素酵素がヘテロ欠損しているヒト:ただし飲んで行くうちに赤くならなくなるので、飲酒を始めた1,2年のころにすぐ赤くなっていたかどうかが大事)
●宴会の翌日に酒臭い体質のヒトは食道・咽頭がんとアルコール依存になりやすい(アルコール脱水素酵素1Bの低活性型のヒト:アルコールをアセトアルデヒドに分解できずに代謝が遅いために翌日酒臭い)

レクチャーをしていただいた久里浜医療センターの横山顕先生のお話によると、「アルコールを分解する2つの酵素の有無が人生を決めるから、18歳になったら自分のアルコール体質検査を受けるのが良い。それによって、自分の人生を変えられるのだから」とのことでした。ま、このお話を聞きながら、自分にはどっちの酵素の異常もないなと安堵し、今の自分は「アルコール依存症」の診断基準には当てはまらないなとも確認できて、そっとほくそ笑んだのであります(笑)

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運動禁忌?

くだんの研修会で、結局ずっと納得がいかなかったことがあります。研修会の実習事例は、血圧が150/100mmHg弱くらいで糖尿病があって、肥満で高中性脂肪血症の中年男性でした。「これは基本的に運動禁忌なわけだから、『まず運動』はダメですよね」と云ったら、その場にいた複数のドクターから苦笑いされました。「まだこの値なら運動禁忌にはならないでしょう。有酸素運動させれば絶対大丈夫。有酸素運動は血圧が上がらないから安全だから」と。さらに、最後の運動の専門家のレクチャーでも同様のことを云ってました。「高血圧の方は有酸素運動をするのが一番有効で安全です」と。

たしかに日本医師会の運動療法判定基準によると、運動禁忌は「180/100mmHg以上」です。でも、この事例は明らかな糖尿病を合併しているのだから、血圧がI度であっても「高リスク群」になります。高血圧の運動療法の手引きによると「高リスク群の運動療法は禁忌」というか、「高リスクはまず薬剤による降圧治療」とガイドライン上決められているのではないのでしょうか。わたしだって循環器内科医の端くれ、実際には運動前の血圧がどうであれ有酸素運動をする限り事故はまず起きないだろうことは経験上知っています。でも、死の四重奏は心筋梗塞発症率35倍、「今日の帰りに突然心筋梗塞で倒れても驚かない、ってことですよ」と堂々と伝えなければならない超重症者なのに、そしてガイドラインでもそう書いてあるのに、専門家たちが「この程度は運動しても大丈夫ですよ」って云って本当に良いのだろうか?・・・わたし、何か間違って認識していますか?

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ハウツー

「早足で歩く、これが一番。これさえ云っておけば運動指導はほぼ大丈夫!」
「食べるのが早すぎるよね。量も多い。時間をかけてゆっくり食べるべきだね!」

先日あった研修会のグループワークで、あるドクターが自信ありげにそう語るのを聞きながら、そういえば同じような口調で同じようなことを云っている内科医と話したことがあるなあ、と思い出しました。。ドクター、特に臨床をする内科医の中には、生活習慣病の保健指導なんて面倒くさいし医者の仕事ではない、と思っている輩がまだたくさんいます。「運動は早歩き、食事は少量で30回、それをすれば生活習慣病なんて必ず良くなる」なんてこと、誰だって知っている。当事者だって分かっている。でもできない、だからどうする?というところで皆がアタマを抱えているわけであります。「まあ、そこを指導するのはボクじゃないから」とこともなげに保健師さんに振る。何度も保健師さんが脅すより、医者がひと言きちんと指導してくれる方が行動変容には一番効果がある、ということをもう少し意識していただきたい。

方や保健師さんや管理栄養士さんは、これまた教科書的なノウハウをたくさん知っています。先日も皆さん講師の先生のお話を必死でメモしていました。「デザートのアイスクリームは欠かせない」というヒトには「アイスキャンデーやかき氷にするとカロリーが格段に減る」ことを伝えると良いとか、「出張先でついファーストフードの店に行ってしまうのを郷土料理の店に行けば良い」とか、いろいろな意見が出ていました。運動はヨガがかなり効果あるらしいから、運動嫌いな人にはヨガを勧めてみるのも良いかも、とかいうのもありましたが・・・。まあ、理屈の上の引き出しだからそれでも良いのでしょうけれど、アイスクリームに目がないヒトは別に冷たくて甘いお菓子なら何でも良いわけではないし、めんどくさくて手っ取り早く大好きなハンバーガーやデザートが得られるからファーストフード店に入るのに、ノンべでもないヒトのひとり旅で郷土料理屋なんか選ばないでしょう。忙しくて運動する時間がない、と云っているヒトが、家に帰ってヨガをしようなんて考えるとは思えません。基本的に、自分がそんなんじゃないから、自分に当てはめることができないから、どこかやる気スイッチに手を届かせられていない気がしてなりません。

こういう場合わたしは、できる限り、「自分ならどうするだろう?」と考えることにしています。何も考えずに衝動買いしていたアイスクリームをガリガリくんに替えるのではなく、それを2日に1回にガマンしても良いから、選びに選び抜いた至極の逸品を買って食べたいと思う。出張先のファーストフードは、目の前の店舗ではなくて、もうひと区画離れた場所の店舗を探すことにする。成果は大したことなくても、何よりもどこか「がんばった感」というか自分だけの達成感が得られるのがいい、と思うのです。

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朝型/夜型への変化

もうこの本のネタは書かないって云ったのに、どうしても最後にもうひとつ書きたくなりました。内山真著「睡眠のはなし 快眠のためのヒント」の「第15章 不眠症のメカニズム」から。

「不眠に悩む人と話していて気づくことは、健康に歳をとると睡眠がどうなるのかについて、みんなほとんど知らないということだ。・・・(中略)・・・お年寄りと暮らしたことのない核家族の世代が、実際にお年寄りになってきているのだ。」というくだりを読みながら、妙に合点したわけです。病気については妙に詳しいけれど歳をとるとどうなるかを知るよしもなく、元気の良いお年寄りのイメージと比べると自分は不健康なのではないかと悩む、というのは、健康や人生に対してマジメな人ほど落ち込むワナのような気がします。

本書によると、青年期は女性と比べて男性で夜型が強いが、45歳頃から男性が朝型化していき、55歳くらいからは女性と男性が逆転する、というのがヨーロッパの調査結果。我が国の住民調査の結果でも、40代から男性の早朝覚醒が増え、50歳以上からその傾向が著しくなる、と書かれています。夫の起床時間が早くなるにつれ、それに合わせる生活を余儀なくされる妻が入眠障害に陥っていくのだとか。と、これを読みながらつい笑ってしまいました。うちはそれが当てはまらない。わたしは当然早朝覚醒の朝型化が顕著です(ブログ書きも早朝の習慣です)。でも、妻は夜中の1時、2時までスマホとタブレットを駆使して戦っています。わたしに合わせることなく超夜型を貫いています。おかげさまで、「女性は夫が眠った後の時間を楽しめるようになれたらいいと思う」を実践しております。

内山先生の本、とても読みやすいのだけれど、うつ病のはなしになったら突然文調が変わっています。難解な医学書というより哲学の世界に豹変した感じ。先生の思い入れがそこにはあるのでしょう。般若心経しかり、うつ病しかり、奥を極めようとすると、なかなか難攻不落です。

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「冬眠の季節」

『睡眠のはなし~快眠のためのヒント』(内山真著)の追記をもうひとつだけ。

第5章 季節の変化と睡眠

この章の中の「冬眠の季節」というおはなしが面白かった。「夏が過ぎ、秋の気配を感じるようになると、外来を訪れる人たちから「このところ、長く眠っているのに眠った気がしない」という声を聞くようになる。この状態を、どうも夏の疲れが残っているのが原因だと思っている人が多い。しかし、実は、こうした症状は冬に備えるための生き物としての仕組みによるものなのだ」って、知っていましたか?

つまり冬眠の準備です。冬眠に備えて秋はたくさん食べたくなる。脂肪がすぐに蓄積する。食べ物が減るから徐々に寝る時間が増えてエネルギーを使わなくなる・・・熊の冬眠準備は生体が初めから備えている適応機能ですが、人間も冬眠する哺乳類と同様の身体機構が生まれつき備わっているのだそうです。食欲の秋、感傷的に浸る秋は、やむを得ないのです。そのまま秋から冬にかけて抑うつ状態になり、睡眠がだらだら長くなり、過食してぐーたらしてしまうのが「冬季うつ病」なわけですが、これもまた自然の流れなのかもしれません。この心身の季節変化をコントロールするのは、温度ではなく「日の長さ」なのだそうです。最近のような異常気象が続くようでは気温はまったく当てになりませんが、地球の動きが変わらない限り、日の長さの季節変化は普遍的ですものね。よくできていますよね。

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「眠りと記憶と忘却」

内山真先生の『睡眠のはなし~快眠のためのヒント』について先日紹介しました。あとは自分で読んでねーと〆ましたが、出張中にもう一度読んでいて、どうしても紹介したい衝動を抑えられなくなった内容があります。

第8章 眠りと記憶と忘却

球技の練習やピアノの練習を必死でがんばってもその場ではうまくいかないのに、ひと眠りして翌日やったら突然できるようになっていること・・・たしかにあるなと思っていました。それが、深いノンレム睡眠によってもたらされているらしい、という。つまり、夢を見ているときではなく、脳が完全に休んでいるときに技能の習得が起きるというのです。知識や記憶は睡眠中に脳に固定されるから、試験勉強などは徹夜でするより勉強後にきちんと寝た方が絶対効果があるというのは知っていましたが、それが技術の習得=バッティング練習やピアノの練習でも云えるというのに驚かされました。「練習後に十分睡眠をとることで手続き記憶は強化され、練習した以上に技能が巧みになっていくことを示している」「技能の複雑さが増すほどに睡眠後の技能向上度は大きくなり、さらにこの睡眠中の技能向上度は苦手な動作ほど大きくなるという」って、さらっと書かれているけど、すごいことじゃないですか? 一生懸命練習したら、とにかく寝るんだ、諸君!

この章にはもうひとつ、忘却のメカニズムも書かれています。睡眠には、イヤなことを脳に定着させずに忘れさせる機能が備わっているのだと。「夢を見ているレム睡眠中に記憶を消去されているという仮説を発表した。忘れる機能は、私たちの心の健康にとって重要な役割を果たしている」・・・寝ろ寝ろ、イヤなことは寝たら忘れる!とむかしから云われています。そんな非科学的なこと云って、無責任なんだから・・・と反発したこともありましたが、それは科学的な真実でありました。

人間の機能って、すばらしい! ブラボー、睡眠!

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おかげさま

『おかげさまで生きる』(幻冬舎)・・・たちまち12万部を超えたというベストセラーを読みました。著者は東大医学部救急医学分野教授の矢作直樹先生です。

書いてあること、何の違和感もなくアタマに入ってきます。その通りでしょうね、と思います。「我が意を得たり!」いうほどの感動もありません。当然のことだなと思います。ただ、医療者としては、おそらくわたしのような一介の田舎の似非医者が同じことをどんなに声高に話していても「何云ってるんだい?」と笑われるであろう内容でも、こんな高名な先生が本に書いて発表していただくと一気に世間の多くの皆さんに感動していただける。ありがたいことだな、と思います。

「自分の人生を全うするということは、すなわち自分を知るということ。」「自分を知るということは、他人を知るということにもつながります。」「他人を知らずして十全自分を知ることはないのだという事実が身に染みる瞬間が訪れます。良い出来事の時に訪れることもあれば、悪い出来事の時もあるでしょう。その時、人は「おかげさま」という言葉を学びます。目には見えないけれども、おかげさまという力が自分の周囲に満ちているのだと気づくのです。」・・・どうですか、興味が湧きそうならどうぞ読んでみてください。医学は科学!と息巻いている方々には、「は?なんじゃそら?」と思う方もおりましょう。そういう方は、まあその気になったときにでも読んでみてください。

「生と死の境目は神のみぞ知るボーダーラインだと感じます。それは私たちの目には見えない「大いなる存在」の領域で起きている現象であり、何か人智を超えた力によって私たち人間が生かされている、あるいは見守られている証拠であると感じざるを得ません。」とうことは、おそらく救急医療に携わってきた人たちにはすんなり理解できる感覚(摂理)だと思います。

「時が解決する」という言葉に神意を感じます。
「しかたがないことはしかたがない」「是非に及ばず」
自分が思っているほど、周囲は自分のことを気にしていない。

反省すれども後悔せず。
いつもお天道さまが見ている。誰も見ていなくても、恥じない生き方をする。
過去は変えられる。今を楽しめば、過去は変わる。

いいね。いいね、いいね。合掌(笑)

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起動率50%に想う

わたしのデスクのパソコンは相変わらず起動時に2日に1回はフリーズします。再起動率50%です(正式にはそれよりも多い再起動)。スタッフからは、「それ、イライラしませんか?」「それ、パソコン換えてもらった方がいいんじゃないんですか?」とか云われますが、意外に平気です。再起動すれば動くからです。周りが気にするほど苦になっていない自分自身にちょっと驚いてはいますけれど。システム室のスタッフにも伝えてはいますが、現在”経過観察中”です(笑) 

以前は「機械なんだから、そんな不具合は言語道断なんじゃないか?」と思っていました。人間がすることじゃなくて、機械がすることだから、機械はミスを犯すようには作られていないのだから一度でもトラブルが起きたらそれは事故なのじゃないか?と。東京で働いていたころ、検査機器が故障して検査ができなくなることがありました。修理に来たメーカーの技術者が「機械なんだからそんなもんですよ」と云ったのに切れたことがあります。「とても値段の高い放射性のクスリを注射しましたが、機械が壊れたから検査できませんでした。はいはい、お金は戻しますよ。機械の故障だからしょうがないでしょ」なんて無責任なこと、云えるか?病院は人間を相手にしているんだぞ!と。機械は一度でも故障したら存在価値なんかないんだ!と。

でも、どうだろう。2回に1回はトラぶるけど再起動したら普通に動くパソコンと、2回に1回は必ず同じミスをする人間とだったら、どっちがマズイだろう?人間はミスをする動物だからしょうがない?そんなことはないですよね。同じミスを繰り返すのは、学習能力がない、成長がない、ということ。そんなヤツに仕事を任せられたもんじゃない。機械はもともとそういうことを期待していないから、規則的にトラぶる方が安心で、むしろ勝手に直ってときどきトラぶる方がはるかに厄介だったりします。

「2回に1回は起動しない」ではなく、「2回に1回は起動する」ととらえています。つまり、1回で動く確率は50%なのだから、1回目で起動できない日が普通。1回目で起動できた日は「ラッキー!」。それが2日続こうものなら、超ラッキー!!

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結果判定

人間ドック受診者の健診結果について、スタッフたちとカンファレンスをしていると、最近ちょっと不満に感じることがあります。

どうも彼らの目には判定の重いものしか見えていないのではないかと感じることがあるのです。「軽度異常」どころか「経過観察」の判定も「異常なし」に脳内変換しているフシがあります。だから「要再検~要治療」の項目以外の内容について質問しても全く眼中になくて、「それは見てないですけど、特に問題ないですよ」と平気で云うヒトが多い印象。でも、それは論外だと思います。以前から主張してきたことですが、「要再検」以上の項目は健診の仕事ではありません。外来への橋渡し役に過ぎません。健診業務に携わる人間の最大の仕事はそんな振り分け作業ではなく、それよりも軽い判定の項目から注意を促してあげることのはずです。

それは健診に対するポリシー(考え方)の問題だから自分の考えを強要したくはないけれど、単に数値として成果が目に見えて分かる『精検受診率』(精密検査を指示通りに受けた人の割合)向上が何よりも大切だ、とする風潮のために、本来行うべき生活習慣病の「予防」への介入がおろそかにされるのは、やはり本末転倒だ!ともっと怒ってもいいと思いませんか。

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モラルハザード(3)

(つづき)

くだんの看護師さんも同類だとすぐに察知しました。信じられないヒトもおりましょうが、世間のクリニックはこんな無責任さの中で持っているところもあります。無責任というよりは保身ですね。きっと医療現場だけではなく、普通の職場にもこんな輩は普通に居るでしょう。何とか事なきを得るのは、周りのバックアップがあるからと云っても過言ではありません。だから、今回はフォローしに来た看護師さんがあの程度だったことの方が落胆しました。中国の食肉の問題が取り沙汰されています。彼らは自分の生活のためには何でもする。彼らにはモラルがない。食を扱っている責任感がない。やっぱりあの国はそんな国だ・・・と多くの日本人が思っている。でも、日本でもほとんど似たようなことは数多あるということを、わたしは存じております。

今回のエピソードをこと細かにここに書いた目的は、グチや腹いせではありません。それでは自分は大丈夫なのか?ということを確認するためです。受ける側の経験がないと与える側の自分の姿が見えません。つい不機嫌になる。自分はあんなじゃないのか?ヒヤリハットの報告がきちんとできているのか?現場ではそういう報告をすることが自分に不利になるとか、居場所がなくなるとかいう環境になっていないか?それによって秩序が乱れるようなシステムではないか? わたしは、この30年間、いろいろなところで働きましたが、一貫してこのモラルの世界ではまっとうな恵まれた環境の中で働かせていただいてきた幸せに感謝しています。

今回のエピソードの最後に、もうひとつ不思議だったことがあります。例の一過性の記憶障害のことを看護師さんにも医者にも院外処方の薬局の薬剤師さんにも話したけれど、誰一人として詳しく聞こうとせず皆が何とか聞き流そうとしている空気だったこと。ものすごいことが起きていると思いますし、今回の病気と関係ないと考える医療者はおりますまい。何らかの感想や意見を云わなくてもいいのだろうか?わたしはステロイドの副作用として何ら矛盾しないと思っています。何も云わずに次に何か起きたときどうするのだろう?危機管理体制はそれでいいのだろうか?いろいろ考えさせられ、いろいろ学ばせていただいた2時間でした。

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モラルハザード(2)

(つづき)

結局「やっぱやめとこ。漏れているといけませんしね、ちょっと違う人に入れてもらいます」・・・そう云って彼女は出て行きました。入れ違いに「はーい、わかったー!」と大声を上げながら元気のいい看護師さん。入ってくるなり、「はーい、じゃちょっと見てみますねー。なにをそんなに急いでいるんですかー?」「そこ、そこはだめ、そんなとこ入れたら痛いよ-」・・・お、こいつ、なんか変。おれはおまえの知り合いじゃねえし、なんでそんなタメ語使う?入ってくるなり謝るでもないところをみると、おそらく前の看護師、何か勝手なこと云ったな(ちゃんと入っているけど急ぐんだから入れ替えろってうるさい患者さんなのよ、とかなんとか)。いつまでもケラケラタメ語なので、さすがにカチンと来た。「あーイライラしてきた。痛くても痛くなくても良いから早く入れてくれませんか!」「そうですもんねー。急いでるんでしたもんねー」・・・まだ云うか!

若いころのわたしなら、「おい、もうガマンならん、院長か師長呼べ、患者をなんだと思うとるんか!」と一撃を食わすのだけれど、わたしも大人になりました。夕方にワンの散歩をしながら、伊達に、某クリニックのパート看護師をしている妻のグチを聞いてはいません。「うちの職場の不思議ちゃんときたら、絶対自分に不利にならないようにウソをつくのよ。めんどくさいことはできるだけ避けて逃げているし、注射や処置でミスすると何かと患者さんのせいにしたりスタッフのせいにしたりして、ウソをつくから厄介なのよ。アタマに来るよ」「そんなの、院長に云いつければいいんじゃないの?」「ダメよ!そんなことしたら、院長パニクッってわたしたちがとばっちり受けるんだから。院長になんか話さないで、わたしたちの間で解決させないと返って厄介なことになるよー。」 

そんな彼女が今回のエピソードについて一言・・・「あなたきっと云われてるよ。『さっきのヒト、神経質だったよね、耳が聞こえないからイライラしてるのよ。ステロイド飲んでるから一層神経が興奮しているのかもね~困ったもんだよね~』って。そうやって人のせいにして日々をこなしていくのがクリニックってもんよ。」・・・勉強になります。  (つづく)

 

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モラルハザード(1)

先日来、突発性難聴の治療のために近くの耳鼻咽喉科に通院しています。治療開始一週間目の再受診のときのことです。再検査を受けましたが残念ながら低下した低音域の難聴がほとんど改善していませんでした。「低音域だけだし発症すぐからの治療開始だからすぐ治ると思うけど、きちんとクスリを飲んでくださいね」と初診時に云った手前、思っていた経過を辿っていないことが苛立たしかったのか、担当医師はちょっと不機嫌でした。別にいいんです。治らないのは先生のせいでもわたしのせいでもないのですから。治療法の流儀は各クリニックで違っていても、治療プロトコールは決まっています。周りは「自分はこんな治療だった」「あそこは信用できない」などと吹聴してくれますが、わたしも医者の端くれ、受けている治療に何の不満もありません。ただひとつ残念だったのは、カルテを叩きながら云った最後の一言。「まだ、本当に耳が聞こえにくいの?」「そうですね、今朝からまた両耳とも詰まった感じで」「両耳じゃないでしょ! 右耳だけ悪いんだから!」

ステロイドの点滴をしてくれることになりました。別室の静かな部屋(ホテルの一室のような豪華な点滴室です)でリクライニングに座らされて、ひとりの看護師さんが点滴ルートをとってくれましたが、どうも自信がなさげです。案の定漏らしてしまいました。2度目も失敗。「点滴得意じゃないんだな、この人」・・・内心そう思っていたら、「その肘のところなら大きいのだけれど、そこに入れるとオシッコに行くとき困りますもんね。オシッコに行くかもしれませんて云いましたもんね」と云うので、「いいですよ、入るところに入れていただいて。さっさと終わって帰りたいので」と答えました。それで気が楽になったのか肘部に3回目の穿刺をしたのですが・・・点滴の落ちが今ひとつ。「どうだろう、痛いですか?」・・・点滴と穿刺部を交互に眺めながら私に聞きます。「何となくずっと鈍い痛みですね」「そうですか、腫れてないから大丈夫だと思うんですけどね・・・どうしましょうか?」「そんなこと患者のわたしに委ねないで自分で決めてくださいよ。点滴の中には重要なクスリが入っているんでしょ?一番太い血管に入れて、全開でその早さというのは普通じゃないと思うけど、それで大丈夫ですか?」「たぶん血管壁にあたっているだけだと思うんですけど」・・・どんどん自信なさげになる彼女。「どうします?」とまたわたしに振る。おまえ、こっちに責任転嫁するな!  (つづく)

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睡眠のはなし(2)

(つづき)

●「睡眠に関する知識がひろまってくるにつれて、私たちの眠りに対する極端な期待もあって、たとえ話が科学的事実と混同され、こうでなければいけないというような断定的な脅しや不安をあおるような話、憶測に基づく誤った健康法や睡眠法などが、この十年間で非常に増えているのも事実だ。」というこの事実は、少なくとも健康の語り部であるわたしたちはしっかり意識しておかなければならないと思います。半年ほど前に中学生たちにまことしやかにお話しした内容の1/3くらいは間違いだったこと、肝に銘じておきます。でも彼らは「むかしあの医者は偉そうにウソばっかり話してた」ってインプットするんだろうな。

基本的に、なぜに「睡眠」が必要なのかを考えさせられ、そして神の造り賜た絶妙なるメカニズムに気づかされる。最近、「睡眠」についての情報があることないこと湯水のごとく入ってくる中で、何となく自分の中で真偽を取捨選択ができるようになってきている気がします。眠らずにいる挑戦はことごとく失敗する。「私たちは、毎晩眠る直前まで活発に過ごしてぐっすり眠り、朝はすっきり目覚めると同時にしっかり活動できるというのが理想と考えがちだ。」・・・うん、そらそうだ。快眠快便、芸のうち!だろう。そう思っていたけれど、睡眠を勉強するとそんな陳腐な人間が考えた機械みたいな単純さでないことが理解できます。「しかし、スイッチを入れるように急に活動から睡眠に入り、急に目覚めて活動するというのは生物の身体の仕組みから考えると難しい。私たち生物の身体は機械とは違うのだ。」・・うんうん。

折り曲げているページはまだたくさんあるけれど、わたしはここに書評を書こうとしているのではないのでこの辺で・・・睡眠の面白さ、もうちょっと深くまで知ってみたいと思いました。

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睡眠のはなし(1)

『睡眠のはなし~快眠のためのヒント』(内山真著、中公新書)

ずっと読みたくて持ち歩いていたのに字が小さいので(?)なかなか読めなかった本書を、先日の病気療養中の週末に読んでみました。学術書というよりも読み物として、今まで学んできた睡眠に対する新しい考え方を学び直すというよりもただただ読み流せる雑学として、とても面白く読ませていただきました(読みながら何度も熟睡してしまいましたが・笑)。内容は買って読んでいただくとして、いくつかページを折り返してしまったところの内容を抜粋します。

●不眠は現代特有のものだと思われがちだが、昔の方が遙かにストレスにまみれていた。自然の脅威、肉食獣に襲われる危険、畑や家畜が野生動物に荒らされる恐怖、盗賊が多くて治安が悪い時代・・・一家の主は物音がしたらただちに起きれるようでなければならなかった・・・ここのところはわたしも知っていましたので、今となりでペットのワンが腹を出して大の字で寝ている姿を見ながら、平和だなあと思ったりしています。でも、「一方、同じ時代でも安全に眠ることのできる環境にいた人はどうだったのか。城で何不自由なく育った王女が敷布団と羽毛布団をそれぞれ二十枚重ねた下に一粒のエンドウ豆があっただけで一睡もできなかった、という話がアンデルセン童話にある。豊かで安全な環境で育った人はちょっとした環境の変化でも不眠になりやすいという逸話だ。」・・・うんうん、子どものころからお坊ちゃまで育ってきたわたしにはよく分かる(笑)。

●「実験的には、徹夜をすると、簡単な判断に要する時間がビール大びん一本飲んだ状態に匹敵するほどかかるようになることが確かめられている。」・・・わたしなら一番アタマが冴えてくるアルコール量だな!なんて戯言を云ってるヤツは誰だ?   (つづく) 

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見ないモラル

佐世保の女子高生による猟奇的殺人事件の報道が連日マスコミを騒がせています。徐々に内容はエスカレートしていて、各局のTVニュースも単なるワイドショー的になってきています。「少女に何があったのか、早く解明することが重要です」と、有名キャスターが揃って云ってますが、そんなことはない。当事者にとってはもちろん重要なことだけれど、それ以外の人間にとっては好奇心の満足を得るための獲物以外の何物でもない。もうそろそろ、少なくともテレビニュースでの報道は、自主制限をかけるべき潮時なのではないでしょうか。

そんなことを思っていた矢先、妻が、「あ、やっぱり」とスマホを見せてくれました。そこには鮮明なる加害者の女子高生の顔写真やあるいは父娘のそろったスナップ写真・・・ネット社会は人間の欲求に対して容赦ありません。今後この写真閲覧ができなくなってもすでにあちこちにコピーされてしまったであろうこの写真がずっとネットの中を飛び回ることでしょう。それが非人道的であることは分かっていて、そういう術がない時代にはモラルの力で抑え込むことができていた、それが日本人の美徳だと思っていました。でも、絶対にそれを無視する輩がいて、それを面白がる連中は、「見たがるヒトがいるから出すんだ」とうそぶく。

日本でも、良心とか道徳とか、そういうことで管理できる時代ではなくなったと実感します。もはや、モラルを求めるとしたら、それは出し手側ではなく受け手側に対してしかないのかもしれません。湯水のごとく流れてくる報道や情報に目を向けないモラル。見ないモラル・・・そんなことまで思うに至った今回の事件報道でした。

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