真意の伝達
「どうしてこんなものにわざわざ精密検査の指示を出したのだろうね」
先日、うちの健診受診者を精査目的で循環器内科外来に紹介したところ、外来医師がそんなことをつぶやいたのが気になった、と受診者さんからクレームがきました。それは心臓超音波検査の結果を踏まえた指示であり、その指示を出したのは担当者であるわたしだったので、スタッフから問い合わせられました。
その方のドッグ時の所見は、「僧帽弁逆流(軽度)+腱索が1本断裂しているように見える所見」です。つまり、「まだ僧帽弁がきちんと閉じなくなる(僧帽弁逸脱による閉鎖不全)所見は認めないけれど、1本切れているように見える腱索によってその後逆流がひどくなったりしないかどうかを確認し、今後どういうフォローをしたら良いかを判断してもらうために数ヶ月後に循環器内科専門医を受診することを勧める」という意味で紹介状を発行させました。こっそり外来カルテをのぞき見ると、その所見が最初はきちんと書かれているのに、最終的には「僧帽弁逆流(軽度)」だけしか記載されていません。「あ、この外来担当医、紹介の趣旨が分かってない。『こんな軽い逆流所見をわざわざフォローするために外来紹介するなんて・・・』というグチが今にも伝わってきそう」と思いました。さらに厄介なことは、その日に外来で行った心臓超音波検査の画像を盗み見ると、数ヶ月前にわたしたちが気にしていた腱索のヒラヒラがちゃんと見えるのです。でも、そのことはレポートに書かれていません。それは「見落とした」とか「問題ないと判断した」とかそういう問題ではなく、検査の目的が「それを観察することだった」ということを検査技師がわかっていなかったことになります。なぜなら、それが目的だと意識していたら、問題なくても「腱索は切れているが現時点で問題ない」あるいは「腱索断裂のように見えるがアーティファクトだと評価できる」など、それに対する負の評価を明記するはずだからです。
最近、検査指示や申し送りの簡略化が進み、最低限の伝言しか行われなくなりました。わたしたちは、紹介状にこの所見さえ書いておけば専門医なら真意はわかるはず、と思い込みがちです。でもわたしたちが重要だと思って書き足している内容を相手が気づかなければ真意は何も伝わりません。同じ施設内の紹介ですらこうですからこれが他の医療機関に行ったらどうだったのか。今回はわたしも反省させられました。結果としてこの数ヶ月で変化がなかったことは推測できますが、そんな結果論ではありません。問題は、わたしのプライドでも、外来医師のプライドでもなく、検査を受けた当事者に伝わるべき情報が伝えられていないことです。何が問題で受診し、結果として今後どうしたら良いのか、ということが伝えられないままになっています。手続きの反省云々よりも、当事者にきちんとその点を伝える義務があることを忘れてはなりますまい。
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