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何もしない、ということ

突発性難聴のくすりが先週末にやっと飲み切り中止になりました。おかげさまで聴力はほぼ回復したものと思われます。ご心配をおかけしました。この闘病の1か月間、病気の治療以上にわたしが経験したこと。それは「なにもしない」ということ。仕事は最低限、済ませたら定刻で帰宅、軽く散歩をして、晩酌もせず、早めの夕食、早めの入浴、そして早々に就寝。そんな生活を少なくとも2週間は続けました。

あれもしなきゃ、これもしなきゃ。この時間にあれができるこれができる。次にしなければならないことはあれとあれ。それをこなすためには今日のうちにここまであれをして・・・基本的に、わたしのアタマの中はいつもこんな感じでした。それを一切しない・・・しなければならいことは無くなってはいないし、先送りすればそれだけ後で大変になる・・・最初はそんな不安もありましたが、何しろしたくてもできない状況だから、ドクターストップと云うよりそんなこと考える気力もない状態だから、やむを得ない、という開き直りの中で、「なにもしなくてもなにも困らない」ということを実感するようになりました。「しょうがないさ、できないんだから。しなきゃいけないことが生じたらそのときにするさ、だってしょうがないんだもの」・・・そう考えると、何も焦りません。家に帰ったら、専門書を開けたりスライド作りしたり本を読んだり執筆したり、そんなこと何もしない生活なんて何十年ぶりだろう。考えてみると、うちの父はいつもそうだった。母がいっぱい仕事を持って帰って居眠りしながら夜遅くまで仕事していたのに、父は帰って晩酌してメシ食ってすぐベッドに入ってました。あの人真面目に仕事しているのかな、教師のくせに少しは勉強してるのかな、と子どもながらにいつも不審な目で眺めていたのを思い出します。「ちゃんとしよる。オレはメリハリつけてちゃんと学校で済ませてきよるんじゃ!」と云っても信用してませんでした。だって、それに加えて家でもやったら、もっとたくさんできるしもっと知ることが増えるじゃないか!って思ってましたから。

「なにもしない」ということは決して堕落ではない。もがいて焦っているのと結果はさほど変わらない。そういうことをこの1か月の闘病生活の中で学びました。もっとも、ふと気が付くと目の前に施設認定審査の日が迫り、専門医試験の日が迫り、糖尿病教室の講義の日が迫っていることに気づかされてはいますが・・・何とかなるでしょ。

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