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運命のタイミング

木曽の御嶽山の突然の大噴火で犠牲になった皆様のご冥福をお祈りするとともに、そのご家族の方のお見舞いを申し上げます。

最近は各自のスマホや携帯写真機の性能が高くて、噴火直後の画像がメディアにたくさんあふれています。山頂付近で大きな噴煙にまさに襲いかかられる寸前の登山者たちの写真やら、逃げ惑う登山者の動画やら・・・。こういう自然の惨事を見るにつけ、『運命のいたずら』は残酷なものだと思います。ちょっとしたタイミングの問題。朝から出てきて山頂を征服したまさにそのときに起きた惨事は、ちょっと出遅れてまだ山腹に達していなかった登山者やすでに下山中の人たちの命は奪わなかった。それは運命的なもので、いかんともしがたい。この日を選ばなかったらとかあと少し電車に乗り遅れていたらとか、後悔はつきませんが、運命はそんなものではないように思います。

航空機事故も然り。急用ができて搭乗をキャンセルしたがために無事だったヒトがいれば、そのキャンセルのために空いた席に滑り込めて命を失ったヒトがいるはず。わたしは基本的に運命論者ですから、こんな命のタイミングは『運命のいたずら』ではなく、『必然』だと思っています。なるべくしてなった結末だからいかんともしがたいもの。だからそれに周りがどんな後悔の念を抱いても無駄なこと、と思うことにしています。富士山が不穏だから関東の出張を控えてほしいと周りは云うかもしれないけれど、出張中に阿蘇の大噴火が起きて、出張しなければ興じていたであろう阿蘇のゴルフ場が修羅場になるかもしれないのです。確率と何の関係もないピンポイントの抹殺劇。煩悩の塊の小市民だからそう簡単には悟れませんが、それでも半端な運命論者でありつづけたいと思います。運命の駆け引きだけは、自然現象とやっても到底勝ち目はないのですから。

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