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2014年10月

何が軽いってや?

むかしから不思議に思っているのだけれど、どうして保健師さんはあんな柔らしいことばを使うのだろう。

「軽いメタボですから、食べ過ぎないように注意しましょうね」とか、「軽い高血圧だから、少し減塩しましょうね」とか。軽いわけないでしょ!高血圧は高血圧だし、メタボはメタボ。くすりを飲まないといけない状態ではないから『軽い』なんだそうですが、わざわざその『重い』状態になるのを待ってあげてどうするんだろう。軽いと重いの間には、『中くらいの、』とか『立派な』とかいうきれいな日本語があるんですよ。

もし「軽い」を使うなら、軽いメタボとは「メタボ予備軍」とかいうもので、軽い高血圧とは「正常高値」のことです。どうです?「軽い」って、全然違う世界でしょ?

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送るコトバ

糖尿病セミナーの本番が終わりました。以前に書いたメッセージの〆としてこんなスライドを作りましたが・・・ウエルカムしてくれたかなあ(やっぱり変なオヤジだったって、思ったかも)。

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 糖代謝異常は神様のおくりもの

   理屈で食うな!
   理屈で動くな!

チャンスを生かさなければ勿体ない!

  楽しくなければ、人生の無駄遣い

治療でもなければ予防でもなく、自分の体質に合った生活の習慣作りです。

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不摂生の結果?

「若いころから不摂生ばかりしてきたからねえ」・・・あるパーソナルトレーナー付の生活改善プログラムのCMを見ていたら、そんな聞き飽きた台詞を云わされている若者が映っていました。乱れた生活を見直して運動や食生活を改善させたら、こんな見違える姿に変わりました♪、というとても分かりやすいストーリー展開のようです。

健診業務をしていると、医者も保健師も管理栄養士も運動指導士も、みんな口をそろえて同じことを云います。「今の乱れた生活がこの乱れた検査データの原因ですから、それを今こそ正しましょう!」と。でも、それは本当でしょうか?このCMを見ていて、急にそんな疑問が湧き出てしまいました。自分がぶくぶく太ってきた理由は?健診の検査データが乱れてきた理由は?そうそう、毎日ゴロゴロして食べてばかりいるからだ!毎晩夜更かしして生活リズムが壊れているからだ!・・・健康情報が溢れまくっている昨今、何かよりどころとなる理由付けをしたくて、妥当そうな名目を並べてみているだけ、ということはないのでしょうか。

みんながみんな、本当にそんなありふれた理由だけでおかしくなっているといえるのか。生活を改めたらちゃんと良くなるはずなのに、大して変わらないのは・・・やり方が甘いから、という理屈で間違いないのか? 隠れた病気のためにカラダの防衛反応でそうなっていることだってあるのではないのか? 各々に理由は千差万別であって、一律にストイックな生活スケジュール作りをしても頑張り損になる人の方が多いのではないか、という疑問。やっぱりわたしは究極の天邪鬼なのかもしれません。

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節制なんかしない

その男性は、見るからにメタボの典型のカラダつきの29歳。どこかの地方議会の議員さんだそうです。不摂生の結果として、高尿酸血症も肝機能も糖代謝もどれもこれもがひっかかる健診結果でした。

「もうわたし、云ってやりましたよ。『こんなこと続けたら、今に痛風発作をおこしますよ!』『肝硬変になっても知りませんよ!』って」と、保健相談を担当した保健師さんが興奮気味に語りました。「かなり神妙な顔をしていたので、今度ばかりはちょっと懲りたんじゃないでしょうか」とも。

そのはなしを聞きながら、わたしは首をかしげました。そんなことでこの若者は節制なんかするものでしょうか? 議員職の宿命として毎晩のような宴席や会席があるでしょう。「これは仕事だから、しょうがないんです!」と、酒好きの男ほどまことしやかにそう云い訳します。痛風発作が起きたこともない高尿酸血症や肝機能の数値すら増加していない脂肪肝があっても、何の症状もないのですから、たとえちょっとだけ神妙な顔をして聞いていたとしても、「予防」などという漠然とした行為に具体的に取り組むとはとうてい思えません。

「将来のために、若いうちからもっと節制した人生を送るべきです」・・・保健師さんや管理栄養士さん方はいつも怖い顔してそう云いますけれど、生まれて30年も経っていない当事者たちにとっては、そんなことに何も現実味も危機感もありますまい。

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しょうがないよと言ってもろた。

研修医時代を過ごした大学医局の同窓会がありました。久しぶりにお会いした元同僚や先輩の中には神経内科専門の先生が何人もおりまして、ビールを勧めながら聞くことは一つ。

「頭を後ろに反らすと即、右手全体がビンビンしびれるとよね」
そしたら、返ってくる答えがみんな一緒でした。

「そら、頸椎症やろうなあ」
「階段なんか普通に降りよるけん、脊髄疾患は心配なさそうやけどな」
「なんかする方法はあるん?」
「慣れるしかねえやろうなあ、しょうがねえわなあ」

気の毒そうにそう言ってくれました。でも、私はそれを聞いてとても気が楽になりました。「そうかやっぱり頸椎症やな。頸椎症やから、大した治療法はないんやな。この状態に慣れればいいんやな」、と。

「仰向けになるとすぐにビンビンしてきて寝られんのよ」
「横向きにして寝るしかないんやないんかえ」
「でもな。もう治らんやろうなと思いよったら、ある時急に治ったりすることもあるんで。ただ、慣れただけかもしれんけど・・・(笑)」

持つべきは、気兼ねなく相談できる友人だな(笑)と思った次第。ただ、昨日からはビンビンだけではなくて痛みも出てきました。整形外科の受診は避けられない感じです。

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不平等感

ある中堅の職員がうつ病で欠勤を繰り返していました。いわゆる「新型うつ」と云われるタイプなので、なかなか快方に向かいません。自ずと担当の仕事も処理できずに、周りの同僚の仕事量が増えることになります。

仕事を回されても文句も云わずに、増えた仕事量をきちんとこなしてくれた社員さんは、きちんと人事考課でその評価を受けてボーナス支給額が増額されました。ただ、そんな彼がちょっと不服げにクレームというかグチを打ち明けてくれました。「自分の仕事に見合うだけの評価をうけたことには何の文句もないし、うれしいと思う。でも、どうして欠勤ばかりする彼がまともに給料をもらえるのか?彼は何もしていないのに、と思うと、不公平感が強くなるばかりで、『やってられない』という気分になってしまうんです」と。

「良いじゃないの、ヒトのことなんか。自分は自分の満足のいく評価を受けたのだから、他人が分不相応の評価を受けたかどうかなど、どうでもいいことだと思うわけにはいかないかい?」と云ってはみたのですが、当分は納得がいかないだろうという返事をしながら、去って行きました。般若心経では、この、他人と自分を比較して他人の幸せに不満を抱くことをやめなさい、と諭していますが、そうも行かないのが煩悩の世の常なのでしょう。

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思い込み

「聴診をしますので、前を開けてください」・・・人間ドックで診察をするときに、受診者に向かってそう云いますと、多くの方は受診着のひもをほどき始めますが、何人かは躊躇なく受診着をお腹のところからたくし上げてくれます。「あ、『開けてください』を『上げてください』と聞き間違えているんだな」、とすぐに察しがつきますので、何事もなかった顔をして、「もうちょっと上まで上げてください」と云いながら、聴診をし始めます。わたしは滑舌が悪いので、聞き間違えてもそう不思議ではありませんし、たくし上げてくれても特に男性の場合は何の支障もありませんが、誰一人として「え?何ですか?ちょっと聞き取れなかったのですが」みたいに聞き返す人も居なければ、一瞬ためらうこともないところをみると、おそらく最初からの思い込み・・・聴診と云えばたくし上げ・・・と決めてかかっているわけでしょうね。

こういう思い込みは日常にはたくさんあります。わたしも何か指示されながら「はいはい」といつものように処理してから、後になって「あれ、さっき何って云われたっけ?」と思い返せないことが幾度となく有り、わたしはちゃんと指示通りのことをしたのだろうかと不安になったりします。思い込みや聞き流しは、しないようにしようといつも思っているのに、ふと気づくとやらかしているわけで、その都度自己嫌悪な毎日です。

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どっちが良かったか

その女性は、前期高齢者になったばかりの農家の主婦でした。熊本県南部の地方都市から毎年この時期に人間ドックを受診してくれます。旦那さんは4年前に突然死しました。出血性ショックの診断でしたが、どこからの出血かは不明のままでした。

「わたしが毎年ここの人間ドックに通っているから、『あなたも一緒に行きましょうよ』と誘ったのだけれど、『おれは地元の病院の健診を受けているからいい』と云ってどうしても聞かなかったんです。引っ張ってでも連れて来ていたら、病気を何か見つけ出せていたんじゃないか、そうしたらあんな死に方しなかったんじゃないかと思うと、とても悔しい気持ちになるんです」・・・彼女はうっすら涙を浮かばせながら、そう云いました。

でも、どうでしょう。彼は、仕事から帰ってきて自宅の前で突然の出血で亡くなりました。闘病で苦しむことなく、一瞬にして居なくなりました。残された者のことは別にして、本人はほとんど”ピンピンコロリ”状態・・・わたしの父の死のときにも書きましたが、これは理想的な亡くなり方です。「いろいろ検査し過ぎて、半端に大きな病気を見つけだしたがために、それの治療で返って苦しみ続ける人生を送ることも有り得るんです。後悔は必ず付いて回りますが、結局どちらが良かったかは本当はわからなかったのかもしれませんよ」・・・わたしは彼女にそう話しました。先日、初めての大腸検査で進行がんが見つかり、ただちに手術をしたけれども、思いの外範囲が広くて人工肛門になり、感染症を繰り返し、脳への転移まで見つかって、結局そのまま入院を続けることを余儀なくされている男性のことを、ふっと思い出しました。

人間の運命と云うものは、何が良くて何が悪いのかなど、人生を終えるときになってみないとわかりません。少なくとも、周りの人間はだけは、後悔などしないで前向きに生きていかないと、やってられません。

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交番

日曜日に泊まった新橋駅近くのビジネスホテルの次の角に交番がありました。月曜日の朝、ホテルを出たら新橋駅の方から大量のサラリーマンの群れが歩道をあふれんばかりに占拠してこっちに向かって闊歩して来ます。その有り様をじっと見守るかのように交番の前に仁王立ちするおまわりさん。

その交差点を右に曲がって歩くこと20分ほどで、目的地の浜松町駅に着きましたが、ここでもまるでホラー映画のエキストラの撮影かのようにあちこちの地下鉄駅から無言の老若男女が湧き出て来ます。ここでも、交差点の角に交番があって、小柄なおまわりさんが微動だにせず立っていました。

『交番』の語源は、『通常は2~3人一組で24時間交代、つまり交番(交代で番にあたること)で勤務にあたる』からきているのだとウキペディアに書かれていますが、本当は、ストリートの主要な交差点にあって、「交差点の番をするところ」という意味でもあるのではないかと、その前を通り過ぎながらふと思った次第です。

交番のおまわりさん、毎朝、ご苦労様です。

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偉ぶるひと

なぜだかずっと偉そうに振る舞っているヒトがいます。人間ドックなどでも、とても不遜な態度で受け答えしたり相手を卑下したような言葉遣いをするヒト。まあ、ドックでは、大金を払っていただくお客様なわけですから、わたしたちサービスを提供する側に対して偉そうにする権利があると云えばあるので気にしないようにはしていますが、あのヒトたちはふだんもずっとあんな感じなんだろうなと思うと、どうでもいいことなのに少しイラっとします。

ゴルフ場のレストランで、会員らしきオヤジが手を上げまして「おい、ビールもってこい!」と大声を上げました。ウエイトレスのお嬢さんが不機嫌そうにビール瓶を抱えて走っていく様子を見ながら、どこぞの王様に仕える召使いのような扱いだな、と思ってちょっと不愉快になりました。彼女も、仕事だとはいえカチンときていることだろうなと思いました。

年下の者や部下に対して誰彼なく「○○くん」と呼ぶヒトがいます。わたしはあれもちょっと違和感があります。わたしが「○○くん」という云い方をするのは、同輩や友人を除けば、親しく心を許した部下や同僚に対してであり、信頼をこめて敬意の表現をするときだけだからです。

社長さんであれ、どこぞの大会社の部長さんであれ、あるいは医者や弁護士や議員さんといった”先生族”であれ、一般社会から見るとただのオヤジでしかないのですが、ああいう云い方をする輩は、きっと人生の大部分をあんな感覚で生きているのでしょう。それに批判をする気はまったくありません。その人の人生にあまり絡みたくないと思うだけのことですから特別の想いも抱きませんが、自分が客観的に見て感じる違和感は、自分がそれをしたら周りから必ず抱かれるであろう違和感や不快感なのですから、自分の姿や立ち振る舞いを常に客観的に監視する目はなくさないようにしたいものだな、と思った次第です。

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笑顔の裏側

「あそこの角を右に曲がったら階段がありますからそこで下の階に降りてください」・・・アテンダントさんが受診者の方に説明している声が聞こえます。

受診者さんがすかさず質問。「・・・そこって、どこですか?」 

そうだよね、こういうことよくあるよね。わたしも昔は分かったフリして聞き流してしまって途方に暮れたことが何度かあって(聞いているつもりでいざそこにいくと、さっきなんて云われたっけ?と思い出せないことが意外に多いもの)、最近はよく聞き返します。「それ、どういう意味ですか?」って。

彼女はにこにこしながら詳しく云い直していましたが、実はどう思っているのだろう? 「わたしの説明のしかたがわかりにくかったんだろうな、勝手な思い込みは禁物。次から気をつけなきゃ」と反省しているだろうとは思いますが、逆に「うるさいなあ、このオヤジ。考えりゃ分かるだろ!」と思っているかもしれない。自分が質問する側に回ることが多いので、こういう社交辞令的笑顔の裏側って、とっても気になります。

そういえば、昔バブルがはじけた頃、若い銀行マンがわたしの職場に来て、わたしのメインバンクにしている支店のローンを全部まとめて自分の担当支店に移して借り直しをしませんかという提案をしました。どう話を聞いても自分に何の得もありません。「それ、わたしに何の利益があります?」と聞いたら妙に口ごもり、「結局あなたの業績をあげるためだけのことですよね」と云ったら押し黙ったので、それからくどくどと説教をしてしまったことありました。あのときの彼、今でもまだ銀行マンを続けているのだろうか。彼の、数字に対するアバウトさは絶対銀行マンには向かないと思ったのだけれど・・・。あの時神妙な顔をしてうつむいてうなずいてばかりいた彼、きっとアタマの中では「うるせえなあ、早く話し終われよ」と反発していたんじゃないかな。あの時に彼が少しでも反省できていたら今何かが変わっていると思うのだけれど、どうかな。 同じ銀行の従業員の方の診察をしながら、そんなことを思い出しました。

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満身創痍に対する慣れと老化

夏に突発性難聴を患ったあたりから、老化に向かって一段階ギアが上がった気がします。梅雨の頃にBLS(一次救命処置)の講習会の小児心臓マッサージ実習で痛めた右手首。安静にさせていたらすぐ治るよと云われながらかれこれ4,5ヶ月、ちっとも治りませんし、夏の暑気払いのボーリング大会で痛めた右中指の関節の痛みや腫れも一向に治りません。そして今、一番の悩みは右腕全体のしびれ感ですが、姿勢を正したり上向きにまっすぐ寝ると数秒後にはしびれ始めますので、間違いなく頸椎レベルの神経圧迫でしょう。これが気持ち悪い。突発性難聴の治療をしている頃から出始めていたからもう2ヶ月くらいかしら。素人ではないので、徐々に症状が進んで行っているのがわかります。

そんな満身創痍感に苛(さいな)まれ続ける毎日で、何しろ夜寝ていてもしびれる訳だから熟睡できない日もたまにはありまして、心身ともに休まらないことになるわけですが、不思議なもので、そんな不自由さや憂鬱さ、あるいは大げさに云えば「将来への絶望感」みたいなものが、最近急に何となくふわーっと萎(しぼ)んでいく感じがしています。症状なんて何ら変わりありませんけど、何か気にならない。ビンビン響く右腕の振り回しながら、まあこれ以上ひどくならなかったら困らないかな、などとココロに云い聞かせている、そんな感じです。これが人間に備わった自然麻酔(麻薬)機能なのかもしれませんし、これを受け入れることがすなわち、一歩一歩老化への階段を自ら上っていることなのかもしれません。それが、良いことなのか悪いこと(そのために手遅れになる)なのかは存じませんが、とりあえず一時期に比べてわたしの自律神経が落ち着きを取り戻しつつあることは確かです。

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読影結果(2)

(つづき)

画像の読影はできるだけ主観を入れずに粛々と事実だけを書くべきだ・・・むかしここでわたしはそう書きました。そう書きましたが、それでもそこには自分の治療に対するポリシーを付け足すべきだとも思っています。わたしだったらその小さな所見はあえて読まないでおきたい・・・そういうポリシーで読んでいるからこそ、最終読影者がわたしの所見を書き換えたとしてもあまり気にはなりません。最後の判定を下すのは彼であり、わたしはあくまでも第一審の地方裁判所の裁判官のようなものでしかありませんから。

むかしわたしがこの検査に従事し始めたときのボスは必ずわたしに声をかけて、何故そう読んだのかの意図を確認し、その上で変更したいときはわざわざ未熟者のわたしに承認を求めてくれました。だから、とても勉強になりました。それがあるから、今の自分があるのかもしれません。でも今、わたしは最終読影者との意見の相違があっても自分から「なぜですか?」と議論を持ちかけることはしません。それが、彼のメッセージなのであって、所見としての事実に対する読み間違いではないことがわかっているからです。

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読影結果(1)

臨床現場から離れて久しいわたしの唯一の臨床の仕事が負荷心筋血流シンチグラフィ検査の読影です。一応、これで若いころに博士号をいただいていますので、わたしの専門領域ということになります。血流に乗って心臓の筋肉に取り込まれる放射性医薬品を注射して、その心筋への取り込まれ方を比較しながら病変部位を探る検査です。今は、わたしが読影した後でもう一度放射線科医が二次読影して最終報告書が出される仕組みになっています。

2人の読みはほとんどの場合同じですが、時々最終読影者によって書き直されていることがあります。ほとんどの場合、わたしがあえて有意所見として取り上げなかった所見を読み足されています。画像診断の場合、目の前にあるものはひとつなのだから真実はひとつで、だれが読んでも答えはひとつのはずだ、それが食い違うのはどちらかがミスしているからだ!と、一般の方は思うかもしれません。たしかにそこに異常所見があるのに見逃すのは、単なる節穴の目をもつ未熟者です。わたしもときどきやらかして自分の未熟さ加減に落ち込むことがあります。でも判定結果の食い違いの原因はそれだけではありません。そこにあるのは経験値とポリシーです。そこに小さな所見が存在することは分かっている。それを意味あるものとして取り上げるかどうか、それは読影者の裁量権・・・その結果を見て、主治医はその患者さんに何らかの治療を施すわけで、同じ所見なのに、そのまま経過観察する場合と手術をする場合とがありえる重要な判断なのです。だからこそ、たとえ目の前の画像の結果はひとつだとしても、読影者はそれに自分の意見というフィルターを通した読影をすることになります。

                                    (つづく)

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味覚

うちの妻は料理がとても上手です。ちょっちょっちょっと作ってくれる料理のどれもがとてもおいしいものばかりです。

そんな料理をいつも食べているわたしは、実はあまり味にうるさくありません。基本、食べものに「不味い」という区分が存在しない人間です。好きか嫌いかと云えば、「あまり好きではない」は存在するけれど、「きらい」は存在しません。だから、周りからは「もったいない」と云われます。何でもかんでも「おいしい」としか思わないのだから、せっかくおいしい料理を作っても作り甲斐がないでしょう・・・と。

何か誤解しています。そんなことはありません。わたしの味覚に「不味い」はないですが、だから全部が同じ「美味い」なのではありません。うちの妻の作った料理は「とってもおいしい」「最高級の美味さ」なのです。わたしの舌は上向きには何段階にも分かれます。判定が”甘い”のかもしれませんが、「おいしい」ものは「超おいしい」「超超おいしい」なのです。どうぞ、ご心配なく。

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『治療する』

これまでに何度も書いてきましたが、『治療する』という単語に対する世間の意識のズレがちっとも埋まってくれません。『治療する』というのは「医療機関でお医者様に何か施してもらうことだ(ありがたや、ありがたや!)という認識を払拭できないのは、たぶん日本に西洋医学が入り始めたころに原型ができあがったような気がします。『治療を受ける』ならば、たしかに医療機関に行くということであり、さすがに生活療法のアドバイスも薬剤の処方もなければこの云い方はしないでしょう(わたしは、「くすりは要らないけれど通院して定期的にフォローしてもらいましょう」も含めて『治療を受ける』だと考えて、そう説明していますが、相手側(医者)がどう思っているか:保険請求もできないものを治療とは呼ばないと思っているお医者様なら如何ともしがたく)。でも、日本人の大部分の場合は、『治療する』=『治療を受ける』なのであって、自分が自分でがんばることを『治療している』などとは考えないようです。そして、『治療してない』のだから、それ自体が「まだ病気ではない」と云い張る材料になるわけです。あるいは、病院に行ったけれど何も処方されなかったから「病気ではない」という大きな烙印を押してもらったのだと胸を張るわけです。こうなると、かなり面倒くさい。

病気の診断名なんて、ついてもつかなくても大した問題ではないのですが(当事者には一大事らしい)、そもそも”療養して治す”ことが『治療』なわけですから、その作業の手助けに医者や薬剤師がいてもいなくても『治療する』に変わりないのです。もっと、おおらかな気持ちで、『治療する』を受け入れてもらえないものかしら。

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恋人に見られたくない部位

できたら恋人に見られたくない部位は?というアンケート調査の結果が載っていました。女性の場合、1位は「ウエストまたはおなか」、2位は「おしり」だそうです。オトメ心を端的に表している結果だと思いました。

これは全てをさらけ出しても大丈夫な彼氏に見せるときの場合のアンケートだから、ちょっとニュアンスは違いますが、実はこれを読みながら日頃の診察のことを思いました。うちの人間ドックの場合、受診者はこちらで準備した受診着に着替えてもらいますし、女性の場合はブラジャーもこちらで準備したものを付けてもらいます。その状態で受診着だけ前を開けてもらって聴診するのですが、聴診する側のわたしどももとても気を遣います。赤の他人の異性にさらけ出すのですから、できるだけ恥ずかしい思いをさせないように、そして「スケベそうな医者」と思われないように振る舞うにはどうしたらいいか、いろいろ考えるのです、わたしでも。健診の世界に入ってきたころ、わたしが若かったこともあるかもしれませんが、女性が医者にさらけ出すのに一番恥ずかしいのは胸(バスト)だと思っていました。だからできるだけ胸元を見ないように(ワタシ、見てませんよという態度で)気を遣っていたのですが、どうもちょっと違うな、ということに最近気づいてしまいました。彼女たちは、赤の他人だとはいえ(いや、赤の他人だからこそ)、胸ではなくおなかをそっと隠そうとします。若いお嬢さん方であっても胸よりもウエスト部分を明らかに気にしてます。たしかにそうですね。胸の大きさや形は持って生まれたもので如何ともしがたいけれど、おなかは自分の生活態度次第だということが明白ですものね。相手がどうでもいい赤の他人であっても最愛の恋人であっても、一番隠したいところは自分のできていない生活管理の成れの果て。だからバストでなくてダントツでウエストなんですね。納得、納得。

ちなみに、男性の場合も1位は「おなか」で2位は「おしり」でした。さらに納得。

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ヘキが痛い

「先生、最近”ヘキ”が痛いのですが、膵臓が悪いのじゃないでしょうか?」

先日人間ドックを受けられた女性が心配そうにそう質問しました。”ヘキ”・・・うちの若いアテンダントさんはそれがどこのことだかまったく分からないと云っていました。”ヘキ”とは、肩甲骨の内側の端辺りのことを云うようです。わたしも熊本で医者として働くようになって初めて知った単語ですので、きっと熊本弁なのではありますまいか。地方で働く医療人は、当然のこととしてその地方の医学用語や解剖学用語は知っておかねばなりません。それは臨床医として生きていくための基本的な常識です。

さて、その”ヘキ”の痛み。たしかにここは内臓のトラブルの訴えを表すことがある場所で、膵臓だけでなく胃やら胆のうやらからの訴えの可能性はあります。そして当然のように背骨や肋骨のトラブルなども想像できます。でも、みなさん意外に思いつかないのは頸椎のトラブルです。何を隠そう、このワタシも自分でそれを経験するまでは知りませんでした。家で掃除機をかけている途中に突然”ヘキ”の激しい痛みが出現して取れなくなりましたので、数日後に知り合いの整形外科医に相談したら、「意外にそこの痛みはクビのことがありますもんね」と云われまして、MRI検査を受けたら軽い頸椎ヘルニアが見つかりました。あのときはしばらくカラーを巻いていたら改善しまして、あれ以降、わたしの医学知識がひとつ増えました。

”ヘキ”の痛み。ことばも奥深いですが、それが表す内容も禅問答の様に奥深くて、一筋縄ではいかない症状ではあります。

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くすぐったい?

診察のときに甲状腺や首回りのリンパ節が腫れていないかを診るために頸部触診をします。最近気づいたのですが、ここを触ってもくすぐったがる人がめっぽう少なくなった気がします。普通にされるがままになっていますが、以前は手が近づくだけで必死に笑いをこらえる人やカラダを逸らす人がたくさんいました。特に若い世代に多かったのですが、ここ1年でそんな人は2、3人しか記憶にありません。

最初は、わたしの触診のワザが上手くなったのかなとほくそ笑んでいましたが、どうもそうでもないみたい。実際に、首を触られてくすぐったがる人が減ってきたのではないかと思います。なぜか?不感症になってきたというのではなく、もしや子どものころに親とのスキンシップが少ないのでは?と懸念しています。赤ちゃんのときや子どものときにお父さんやお母さんからいつもいつもくすぐってもらってケラケラ笑って成長してきた子は、おのずと条件反射のように毛を近づけるだけでもぞもぞ感じ始めるものです。触っても感じないのは子どものころにくすぐったさを開発されていないからではないかしら?だから無条件に満面の笑い顔ができない、表情筋の乏しい若者が増えてきてしまったのではないか、そんなことを思って憂慮している次第です。

かといって、わたしが若いお嬢さんの首元をくすぐってやったりなんかしたら、訴えられるのがオチ。世のお母さんやお父さん方、是非ともお子さんをくすぐり倒してやってください。お願いします

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台風報道

強烈な台風が近づいてきました。我が家も、今回だけは何らかの影響を受けそうで心配です。

「台風」というと、例によって、必ず暴風雨に吹き倒されそうになる若手女性アナが駆り出されて、荒波の海などをバックにレポートをさせられていますが、どうして各放送局ともこの時代遅れな風習を頑なに踏襲しているのでしょう? これって、完全なる”パワハラ”だと思うのだけれど、どうしてだれも社会問題として取り上げないのでしょう?不思議でなりません。あんたらの吹き飛ばされる姿なんか見たくもないからやめてくれないかな。まるで、災害を楽しんでいるようにしか映らないんだぞ(怒)

一方、昨夜、ある報道番組を見ていたら、沖縄の荒れ狂う台風被害の様子を撮影したという一般市民からの投稿動画が番組冒頭で流されました。これ、どうして何の躊躇もなく放映したのでしょう?関係者の誰か、ストップをかけるべきだと云わなかったのでしょうか? 家の中から写した動画はまだ分かりますが、後半の動画は明らかに荒れ狂う風の中に立ってガードレール沿いまで出てきて映しています。沖縄の台風を甘く見ていますから旅行者の若者が写したのでしょうか?このバカ野郎連中が勝手に吹き飛ばされて命を落としても何とも思いませんが、こんな投稿動画やYoutubeにアップした動画を公の報道番組で簡単に取り上げたら・・・もっとエスカレートした撮影をするバカ野郎が山ほど出てくるのは必至。最近は、ちょっと考えれば分かるような良識をチェックする機構が全然機能していない感じがして怖いです。不幸にして災害に巻き込まれた人たちにとって、こんな面白半分な行動をするバカ野郎よりも、それを簡単にもてはやしてしまう今の報道の在り方の方に憤りを感じるのではないでしょうか。

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将来の夢

「ぼくの将来の夢は、パイロットになることです」

こどものころに抱いていた将来の夢は?とか、大人になったら何になりたいと思ってた?とか、そういう話題をテレビでやっていまして、それを見ながら、ふと自分のことを考えてみたわけです。たしか、こどものころ、わたしは作文にこう書きました。でも、これっぽっちも思ってもいないことでした。なぜなら、わたしは子どものころから極度の高所恐怖症だったからです。それなのに、「パイロットになりたい」と書いたのには訳があります。いつもいつも、わたしの大好きなお母さんが云っていたのです。「おとこならパイロットになって大空を飛び回るようなかっこいいおとなになってほしいな」って。大好きなお母さんの夢を壊すわけにはいきませんから、わたしは作文で『将来の夢について書きなさい』と云われたときに迷わず「パイロトになりたい」と書きました。高所恐怖症なんて、大人になったら、少なくとも男なら、必ず治るものだと思うことにして・・・。ま、それだけ、自分では何の夢も目標もなかったわけでしょう。自分の夢がなかったから、お母さんの夢で穴埋めした感じ。

もちろんパイロットなんてもってのほかでした。最近、若干ずぼらな感性になって、かなり平気になってきたとはいえ、今でもちょっと高いところに行くとめまいがします。考えてみたら、わたしはお母さんの願いはほとんど叶えてあげていない気がします。高校の武道に母は柔道を勧めたのに剣道を選びました。洋風に憧れていた母なのに、改築した家は純和風でした(これはわたしの問題ではありませんが)。そして、老後にわたしと同居して孫と一緒にのどかに暮らす、という彼女の夢も・・・。

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5つの健康行動

健康的な生活習慣行動により心筋梗塞が86%予防できる>という報告記事を読みました。(CareNet2014/10/06配信号)

スウェーデン、カロリンスカ研究所の環境医学研究所のAgneta Akesson氏らがJournal of the American College of Cardiologyに報告したもので、スウェーデン人男性のデータではありますが、中年以上の男性で、適度な飲酒(1日に約1杯)、禁煙、適正な食事、運動(1日40分以上のウォーキングまたはサイクリング)、体重管理の超健康的生活を続ける(そんなストイックな人間は対象の1%に過ぎなかったけれど)と、何もやっていない人に比べ、心筋梗塞になる確率が86%低かった、というもの。「健康的な生活を送れば得るものは多く、節約できるお金も大きい」と云うわけです。

5つの健康習慣は遠い昔から提唱されていて、それによって罹患率のみならず健康寿命も伸びるという報告も多いのだけれど、「そらそうだろう。でも、できんバイ!」とわたし自身も一笑に付してきました。しかも、「健康のために修行僧みたいな人生を選択する、という生き方は本末転倒だ!」というのがわたしの持論です。でも、今の歳になって考えてみると、意外にできないこともない内容で、大した”修行”でもなく、ハードルは妙に低かったことに気づいてしまいました。それに加えて86%という数字はモチベーションを上げさせるには十分すぎる良いデータだと思います(もっとも、5つともやってない超不健康児と比較したのだから当然の結果かもしれませんが)。

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メッセージ

ご来場の皆さまへ

糖尿病は、乱れた人生のなれの果てではありません。激動の時代を乗り切った由緒正しいサバイバル体質のなせるワザです。

何が悪い? 何も悪くないさ。強いて云えば、生まれてきた時代が悪いのさ。

毒を食ってゴロゴロして平気でいる友人/知人を横目で見ながら、常に紳士淑女たれ!という人生を歩まざるを得ない、選ばれし勇士の皆さま方に幸あれ!

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月末にある耐糖能異常の皆さんへのセミナー資料を作っていて、その冒頭に印刷するつもりのスライドなのですが・・・「なんじゃこら? 変なオヤジが来たぞ! 大丈夫か? オレは仕事を休んで病気を克服するために来ているのに、ふざけてんのか?」と苦笑いされるかもしれません。でも、このテイストがわたしのスタンスですからしょうがありますまい。あと、『”食事の前にやさいを食べる”なんてナンセンス!』とか、『”自分の体重コントロール”をするのは、神への冒涜である!』とか、ここで書いてきたような偏屈オヤジのキャッチフレーズだけ、ビンビン浮かんできます(笑)・・・その前にある専門医試験の試験勉強からの逃避行動であることは百も承知。だから、くわしい内容作りはまちっとあとになりましょう。

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グチはキライだと云ったのに。

読み続けていたいろいろな人のブログやホームページなのに、それを見なくなるタイミングは、そこにグチや批判が多くなり始めたとき。もともともっと明るくて前向きの文章だったのに、もっと軽妙なリズムだったのに、それが好きで読んでいたのに・・・やはり、そういう文章を書き続けるのは難しい事なのだろうか。

斯く云う自分はどうか。「グチや悪口は絶対書かない」と決めてブログを書き始めたのに、最近は明らかなグチばかり、批判ばかり書いてはおりますまいか。わたしは決して前向きな人間ではないけれど、せめてグチらないでいたい。読者の皆さんに、「きょうもまたグチかよ!」と嫌気をさされるようなことのないページ作りにしなければな、と反省している次第。

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般若心経の真実

知人から「NHKで般若心経をやっているよ」と教えてもらいましたが、残念ながら4回シリーズの3回目だけしか見ることができませんでしたので、早速番組用のテキストを購入しました。

『100分de名著~般若心経』(花園大学 佐々木閑著)

こうやって他から勝手に情報が舞い込んでくることを考えますと、どうも今、わたしには般若心経が運命的な旬のようです。でも、ここで佐々木先生の書にはまず意外なことが書かれていました。般若心経は「日本で一番人気のお経」ではあるけれど、タイやスリランカなどの昔からの仏教を守っている国では人気がないどころかほとんど誰にも知られていない経典だそうです。なぜなら、世界で一番人気の経典『ダンマパダ』とは違い、般若心経は仏陀の教えを説いたものではないからです。大乗仏教の宗教運動から生まれた、仏陀の教えとは違う解釈を加えた経典であるということ・・・こういうショッキングな事実をテキストの序章で読みながら、あまり気になっていない自分がおります。般若心経は、「ある意味、仏陀の教えを否定する経典」であり、古い仏教を「錯覚」であると否定し、それを超越するもう一つ高次の論理を上乗せさせた教え、なのだそうです。

実はむかしからそのことは知っていた気がします。最初に般若心経の解説書を読んだときにも似たようなことが書かれていたように思います。でも無視してきたのです。当時は、そんなことを知ってしまったら、今から学ぼうとしている『般若心経』というものの価値が地に落ちてしまう気がしたからでしょう。でも、今は違います。その事実をしっかりと受け止めながらも、だからと云って、それでは真の仏陀の教えを学ぶために『ダンマパダ(真理のことば)』を学びたい、とはちっとも思わないのです。わたしが心得たいのは、”仏陀の教え”ではなく、あくまでも”般若心経”である、ということが今回ははっきりしました。

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逃げ口実

肺ドックを受診する理由。

「家族や親類にがんの人が多いから」「最近、職場や友人にがんで亡くなった人が続いて不安になったから」「そろそろ年齢的にチェックすべきと感じたから」など、その受診理由はさまざまです。ただ、「タバコを吸っているので心配で」とか云う人も若い世代には意外に多いですが、これって、明らかに逃げ口実ですよね。吸っている限り数ヶ月後にはがんが発症する危険性は高いわけだし、心配ならとりあえず禁煙をしたらいいんじゃないの?とか、云われることは分かっていて、それでも受診したくなる心理とは、何とか「今は大丈夫」と胸をなで下ろしたい心境なのでしょうか。

肺ドックを自分の意思で受診する方の大半は、できたら禁煙したいと思っているか健康被害を心配しているかの人なわけですから、可能な限り禁煙の後押しをできる方向に導いてあげるのがわたしたちの使命ではありましょう。「タバコ? やめるい気なんか全然ないよ!」とたとえ息巻いているオヤジさんだとしても、肺ドックを受診しているのだから、「検査して問題ないことを確認したから、心置きなくタバコを吸えるさ」と強がっていても、それが単なる強がりだと云うことを理解してあげて、そっと温かい心で包み込みながら、禁煙を促してあげるのが保健師さんの手腕ですよね。

がんばってくださいね。

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文章の質

どうも最近また、文章が雑になってきました。

内容がないからなのかもしれませんが、文章を考えるのが億劫。
長さを調節するのも面倒。

こんな周期ってありますよね。もともと物書きじゃありませんしね。

充電期間に入っちゃおうっかなー。

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説明のむずかしさ

「これとこれは何が違うからこんなに値段の差があるのですか?」・・・某家電量販店に行って、パソコン担当者と称するオジサンに質問したら、「CPUというのがパソコンにはありましてね。CPUというのは・・・」とくどくど語り始めました。「こっちのパソコンはタッチパネルかなんかが入っているんですかね?」と話題を変えてみたら、「タッチパネル?そんなもの無駄ですよ、つけても使いませんし・・・」とまた見当違いな蘊蓄を語り始めました。「おまえ、わたしらをバカにしとるのか?」と思って聞き流しましたが、このオヤジ、それなりのヘビーユーザーのわたしたちに今からパソコンとは何ぞやという講釈でも垂れようというのでしょうか。

「わかったでしょ。このお店は値段は安くしてくれるけど、店員の知識が低いクセに妙に上から目線で、ピントがずれてる年寄りばかりなのよ」・・・これまでに何度も足を運んでいた妻は、そう切り捨てて、別の量販店に行きました。商品が良いか悪いかという問題や値段がどれだけ安くなるかという問題はもちろん重要なのだけれど、そう何度も買い替えるわけではない大きな買い物をする時に一番ほしいのは適切なアドバイスと痒いところに手が届くような説明。それが結局はその店の信用度であることを痛感しました。

ちなみに、この日は予約していた新しいスマートフォンが届いたので携帯ショップにも行きました。手続きに一時間以上かかったので恐縮したのか、担当してくれたお嬢さんは、スマートフォンの使い方を全く語らず、さらに帰り際に「メール機能の切り替えはご自分でしてくださいね」とだけ云って解放してくれました。帰ってから復元作業をしてたらどうしても戻らないデータ・・・最終的にはインターネットの検索で解決したのですが、お嬢さん、あまりにも説明を端折りすぎではありますまいか。「こんなプライマリーなこと説明するのは失礼かも」とか気を遣ってくれたのかしら・・・。

「帯に短し、たすきに長し」・・・ヒトに説明して理解してもらうのは、とても大変だというお話。受診者さんに説明するのを生業としているわたしとしては、とても勉強になった日曜の昼下がりでした。

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前立腺と男性ホルモン

男性型の薄毛が前立腺がんに関連

はげている男性は悪性度の高いタイプの前立腺がんになるリスクが高いという報告がJournal of Clinical Oncology9月15日号に掲載された、という記事が届きました。

わたしが学生だったころ、前立腺肥大は女性ホルモンのなせる業で、前立腺がんは男性ホルモンのなせる業で、だから前立腺肥大になりやすいヒトは前立腺がんになりにくく、前立腺がんになりやすいヒトは前立腺肥大にはなりにくい、男性ホルモンの多い人は前立腺がんに要注意だ!と教わりました。あまりまじめに出ていない臨床実習(ポリクリ)でもそう教わった記憶があります。でも、その後その世界から完全に離れて(循環器内科医として救急医療に従事)いましたら、その常識は常識でもなんでもなくなっておりまして、今や前立腺肥大と前立腺がんが同時に発生することはまれではない、というのが常識のようですね。

でも、昔の知識が半端に残っているわたしには、今回の論文にあまり新鮮味を感じません。「2006~2008年の追跡期間中、1,100人を超える被験者が前立腺がんと診断され、このうち600人弱が高悪性度の前立腺がんであった。男性型禿頭症の人は、禿頭症でない男性に比べ、高悪性度の前立腺がんを発症する確率が39%高かった」といい、「当面、医師はこのタイプの禿頭症の40代男性を注意してみるように勧めている。『将来的に、男性型禿頭症は前立腺がんのリスク評価にある程度利用でき、スクリーニングに関する医師と患者の話し合いに役立つ可能性がある』と、研究著者の1人である米国立がん研究所のMichael Cook氏は述べている。」というのですが・・・結局テストステロンの問題でしょうから、そう驚くことでもありますまい。それよりも「はげた若い男は注意する」ということ自体が、何を求めているのか?がよく分かりません。健診を受けて、定期的にPSA検査を受けておけ!ということではダメなのかしら。「悪性度の高いがん」ということは、「PSA陰性がん」が多いということなのかしら?ここのところをもっと知りたいですよね。

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深夜営業

あまり乱暴なことは書けないご時世ですが、大手牛丼チェーン店の一部で深夜営業を休止することになったニュースを見ながら、それの方が健全で当たり前の姿なのじゃないのかな、とか感じています。たしかに不便ですし、一社だけが深夜営業を止めているとひとり負けになるのでしょうが、どの企業も似たようなものなのだからこの機会にそろそろ社会全体で考えた方が良いのではないでしょうか。

3年半前、日本中が薄暗くなって、皆が不便を感じながらもそれをがまんできることだと確認したときがあったのです。生物の営みにおいて、本来は夜は明るくてはいけないものであり、夜は起きていてはいけないもの、”不夜城”などもってのほかの神への冒涜なのであります。深夜に働いている人や夜まで働いている人がいるからコンビニやファストフード店は深夜営業を始め、いつの間にか24時間営業が当たり前になっていますが、どこもかしこもが深夜営業を止めさえすれば、不便だ不便だと騒ぎ立てている輩もすぐに諦めるはずなのです。あのときには日本人が一致団結しただけで簡単にできたのですから。あの状態を一生続けるかもしれない、と多くの人間が思い、覚悟したはずなのですから。

先日、うちの職場のリーダーたちの会議で「エコ運動として以前はエレベーターを使わない運動があったはずですが今は皆がエレベーターを使うようになっています。これは復活させなくても良いのですか?」とひとりが提言しましたが、誰ひとりとして話を膨らませようとしませんでした。それどころか、「エレベータ不使用よりも無駄な電気を消すことの方が大事」という他のひとりの意見で話が〆になりました。3年半前は、「どっちが大事」ではなくて、「どっちも大事」だったはずで、とにかくできることからやりましょう!と、滑稽なほどにがんばったのですが・・・何か、あの会議のときの空気感が残念でなりませんでした。

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疫学は確率論

試験勉強はなかなか思うように進みませんが、地道にがんばっております。

そんな勉強をしていて悩ましいのは疫学。基本的にわたしは数字を覚えるのが苦手、というかむかしからその意義を感じないので、ほとんど覚える気がありません。病気になる確率が何万に1人だとか、病気が見つかる確率が何パーセントだとか、あるいは高血圧の人が何千万人いるとか・・・どうでもよくないですか?病気を確率論で語って意味があるのでしょうか。その数値が高い病気を持っているなら生活の見直しをしたり早期治療をすべきというのは分からないでもないけれど、低ければ節制はしないでいいというものでもなさそうに思います。そもそも、その数字が「高い」のか「低い」のか、それは何を持っていうのか、そういうところから理解していません。

その病気が珍しいものでもポピュラーなものでも、その病気にかかっている人には100パーセントの存在だからどうでもいい確率論だし、その病気になると起こりうる合併症があるとしても、実際に起きない人には0パーセントで、起きた人には100パーセントなわけです。疫学的な確率論は、結局は医療者の学問的な興味でしかなく、患者さんにとってはどうでもいいことなのではありますまいか。

そんなことを考えていると、一応問題集にはたくさんの線が引かれてはいますが、きっと一項目も覚えられないことでしょう。そんな問題があまり出ないことを祈るばかりです。

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