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どっちが良かったか

その女性は、前期高齢者になったばかりの農家の主婦でした。熊本県南部の地方都市から毎年この時期に人間ドックを受診してくれます。旦那さんは4年前に突然死しました。出血性ショックの診断でしたが、どこからの出血かは不明のままでした。

「わたしが毎年ここの人間ドックに通っているから、『あなたも一緒に行きましょうよ』と誘ったのだけれど、『おれは地元の病院の健診を受けているからいい』と云ってどうしても聞かなかったんです。引っ張ってでも連れて来ていたら、病気を何か見つけ出せていたんじゃないか、そうしたらあんな死に方しなかったんじゃないかと思うと、とても悔しい気持ちになるんです」・・・彼女はうっすら涙を浮かばせながら、そう云いました。

でも、どうでしょう。彼は、仕事から帰ってきて自宅の前で突然の出血で亡くなりました。闘病で苦しむことなく、一瞬にして居なくなりました。残された者のことは別にして、本人はほとんど”ピンピンコロリ”状態・・・わたしの父の死のときにも書きましたが、これは理想的な亡くなり方です。「いろいろ検査し過ぎて、半端に大きな病気を見つけだしたがために、それの治療で返って苦しみ続ける人生を送ることも有り得るんです。後悔は必ず付いて回りますが、結局どちらが良かったかは本当はわからなかったのかもしれませんよ」・・・わたしは彼女にそう話しました。先日、初めての大腸検査で進行がんが見つかり、ただちに手術をしたけれども、思いの外範囲が広くて人工肛門になり、感染症を繰り返し、脳への転移まで見つかって、結局そのまま入院を続けることを余儀なくされている男性のことを、ふっと思い出しました。

人間の運命と云うものは、何が良くて何が悪いのかなど、人生を終えるときになってみないとわかりません。少なくとも、周りの人間はだけは、後悔などしないで前向きに生きていかないと、やってられません。

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