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読影結果(2)

(つづき)

画像の読影はできるだけ主観を入れずに粛々と事実だけを書くべきだ・・・むかしここでわたしはそう書きました。そう書きましたが、それでもそこには自分の治療に対するポリシーを付け足すべきだとも思っています。わたしだったらその小さな所見はあえて読まないでおきたい・・・そういうポリシーで読んでいるからこそ、最終読影者がわたしの所見を書き換えたとしてもあまり気にはなりません。最後の判定を下すのは彼であり、わたしはあくまでも第一審の地方裁判所の裁判官のようなものでしかありませんから。

むかしわたしがこの検査に従事し始めたときのボスは必ずわたしに声をかけて、何故そう読んだのかの意図を確認し、その上で変更したいときはわざわざ未熟者のわたしに承認を求めてくれました。だから、とても勉強になりました。それがあるから、今の自分があるのかもしれません。でも今、わたしは最終読影者との意見の相違があっても自分から「なぜですか?」と議論を持ちかけることはしません。それが、彼のメッセージなのであって、所見としての事実に対する読み間違いではないことがわかっているからです。

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