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『治療する』

これまでに何度も書いてきましたが、『治療する』という単語に対する世間の意識のズレがちっとも埋まってくれません。『治療する』というのは「医療機関でお医者様に何か施してもらうことだ(ありがたや、ありがたや!)という認識を払拭できないのは、たぶん日本に西洋医学が入り始めたころに原型ができあがったような気がします。『治療を受ける』ならば、たしかに医療機関に行くということであり、さすがに生活療法のアドバイスも薬剤の処方もなければこの云い方はしないでしょう(わたしは、「くすりは要らないけれど通院して定期的にフォローしてもらいましょう」も含めて『治療を受ける』だと考えて、そう説明していますが、相手側(医者)がどう思っているか:保険請求もできないものを治療とは呼ばないと思っているお医者様なら如何ともしがたく)。でも、日本人の大部分の場合は、『治療する』=『治療を受ける』なのであって、自分が自分でがんばることを『治療している』などとは考えないようです。そして、『治療してない』のだから、それ自体が「まだ病気ではない」と云い張る材料になるわけです。あるいは、病院に行ったけれど何も処方されなかったから「病気ではない」という大きな烙印を押してもらったのだと胸を張るわけです。こうなると、かなり面倒くさい。

病気の診断名なんて、ついてもつかなくても大した問題ではないのですが(当事者には一大事らしい)、そもそも”療養して治す”ことが『治療』なわけですから、その作業の手助けに医者や薬剤師がいてもいなくても『治療する』に変わりないのです。もっと、おおらかな気持ちで、『治療する』を受け入れてもらえないものかしら。

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