痛み(中)
(つづき)
難治性の病気を抱えるヒトが一番辛いのは、その苦しみが周りからはまったく分からないことではないかと思います。わたしも、今年になって、突発性難聴や頸椎症を患いましたが、「わたしは病気です」と云って回らない限り、だれもわたしが病人であることなど知りません。傍から見る限り、当の本人がそんなに苦しんでいるなんて想像すらできないであろう普通の中年オヤジなのです。さすがに、きつそうなしかめ面をしていると、「どうしたんですか?」と聞いてくれます(もっとも、聞いてもらっても軽くはなりませんが)し、「大丈夫ですか?」と気の毒そうに心配顔をしてくれます。でも、きっと同情はされても大して心配はされていないだろうことが想像できます。他人が心配してもどうしようもないことは、聞く側も聞かれる側も分かっていますし、第一、そのきつさがどんなものかを実感できていないのですから、所詮他人事です。
おそらく、痛みや気分の悪さも然ることながら、「どうして自分だけがこんなにきつい思いをしなければならないのか」という不公平感や孤立感が、自らの症状を一層辛いものにさせて、どんどん治りにくいものになっていくのではないかと感じています。 (つづく)
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