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マルチモダリティ(後)

(つづき)

マルチモダリティ、つまりたくさんの検査方法や治療方法がある中、何を選ぶのが良いのか、という論議はいつの時代にもあります。一つだけ抜きん出た方法はないから、知りたい病態の目的に応じて選ぶべき検査方法は変わり、本当に詳細な検討をするにはたくさんの検査が必要。でもそれは下手をすると医療過誤となり、患者さんの生身のカラダを無意味にキズつけることにもなりかねません。やらなければやらなかったで、何故しなかった?と問い詰められ、事故が起きようものなら訴訟モノです。

たくさんのモダリティが各々に質を向上させ、遜色ないラインナップになればなるほど、検査する側の悩みは耐えません。だから、ガイドライン(この病気にはこの検査をすべき、この検査で異常があったら次にこれをすべき、検査結果がこれだったらこういう治療戦略を選ぶべき、という指針)の整備が求められるわけですが、正直なところケースバイケースで、責任転嫁の免罪符になる懸念すらあります。さらに云うなら、各々の検査結果を読影して判定するのは生身の医者です。目の前にある画像を見ながら、導き出す答えは真反対かもしれません。これまた読影医の責任が重くなればなるほど、読影医は必要以上に細かく判読し(見落としがないことを主張して)責任を被らないように防衛線を張ることになりましょう。

悩ましい話です。昔のように選べる検査法も少なく、やっても明確なことは云えず、治療の選択肢も少なかった時代と比べても、患者さんの人生の予後はほとんど変わらないかむしろ悪化する場合もあるという事実は、医療関係者全員が真摯に受け止めなければなりません。自分を治療するならどんなモダリティやストラテジーを選ぶか? 自分の親ならどうするか?・・・これまでに何度か書いてきましたが、どんな普遍的なガイドラインよりも、結局最後はこの想定だったらエキスパートである自分はどう決めるのか、が究極の選択なのだと思います。

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