なぜ残すことが出来る?
「勇気を持って料理を2、3割残してみましょう」・・・栄養士さんも保健師さんもこのことばを好んで使うので、皆さんこれを腹八分目と称して、「我慢して残すことこそ美徳」と自分に必死に云って聞かせているように見えます。
でもそれ、ワタシの中では絶対に容認できません。外食とか弁当屋の弁当とかを残すというのならまだ理解できます。でも、家で奥さんや家人が精魂込めてわざわざ作った料理をどうして残しますか?というか、「残すために作る」という虚しい作業をすることが人生に何の意味を成しますか? 仕事から疲れて帰ってきて、お疲れさまと奥さんが愛をこめて作って食卓に並べてくれたのです。夜遅くにたらふく食べるのがメタボの悪の根源だから勇気を持って半分残しなさい、とか平気で云うヤツの神経がわかりません。きっと、家族のために愛を込めて料理を作ったことのないヤツか作られたことのないヤツが発した戯言=机上の空論に違いない!と思います。
だから、「勇気を持って奥さんの作った料理を残す」が美徳ではなく、「勇気を持って料理を作らない」が最高の愛情なのだ!とわたしはいつも主張しているのであります。それを話すと、みんな苦笑いしかしません。これこそが変人オヤジの戯言なのだそうです。はいはい、何とでも云ってください。絶対、わたしの方が正しいのですから。
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