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2015年2月

健康ブームへひとこと

特定保健指導をされるみなさんへ

「みなさんもっとやりたいことがあるでしょ?それをするためには健康でないとできないでしょ?その健康を得るために今頑張りましょう!」て指導してないでしょうか? 最近、素直に健康を考えて生活を見直す老若男女が増えてきています。むかしほど、云うことを聞かない厄介な輩は目立ちません(敵も然るもの、うまいこと話を合わせたり、かわしたり、受けなかったりの巧妙な手口も出てきていますけれども)。

でも、いや、だからこそ、こんなナンセンスな云い回しは好きになれません。一度限りの人生です。健康を得るために毎日を犠牲にして無理する生活の何が健康ですか? 今、自分のしている毎日のわらわらが、そのまま自分のしたいこと、楽しいことでなければ、意味がない。健康目標を達成した後の人生なんて少ししか残っていませんよ。指導されるみなさんはみんなお若いから実感ないでしょうけれどね。実際には仕事やら生活やらに追われて健康どころじゃない、楽しいことどころじゃない、という方々ばかり。だからこそ、少しでも自分のために努力するのだったら、将来への投資ではなくて今現在に活きることを探してほしい。やってて楽しい健康情報を伝えていつまでも実践してもらうきっかけ作りに邁進してください。

よろしくお願いします。

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文法の先生

私の母は小中学校の国語教師でした。私の父は小中学校の算数(数学)の教師でした。母の血液型はO型、父はA型。何か、イメージ的にこれってすごく合っているなと思いますよね。決められたことをきちんとこなすと答えが出る数学はA型に合っているし、感性で読み解く国語はO型に合っているのではないか、と。

ところが、実は母の専門は国文法です。文法は、意外にも数学よりも法則性が厳しく、例外を許さないのです。できあがった文章の言葉の一つ一つは全てが単語に分解され、全てにきちんと名前(品詞)が決まっています。言葉の中に曖昧な品詞の並びは絶対に許されず、まるで万物が全て一つ一つの細胞に分けられて、間違った組み合わせが許されないのに似ています。数学も同じだと思うかもしれませんが、数学は、答えがひとつでも途中の考え方はたくさんあって、どれも正解です。だから、数学の考え方の方がアバウトで融通が効きます。意外にもO型の母の方が一途な仕事についていたことになります。

そんな一見アバウトそうに見えて一切曖昧を許さないモノを生業としてきた母にきちんと鍛えられましたから、今の自称”国語博士”の自分があります。とか云いながら、つい最近、テレビの受験CMに出てくる変格活用がキチンと云えなくなっていた自分に愕然とした次第。

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何かが違う感

最近のテレビなんかを見ていると、バラエティー番組のアナウンサーとかトーク番組のゲストの芸能人とかが、健康番組でもないのに、まるで時候の挨拶みたいに、やれコレステロールを下げる食事をするのは大変だとか、血糖をあげない食べ方にいつも注意しているとか、あるいは血圧を上げない生活の仕方にはこんなことがあるとか、簡単に口にしています。

これって、いわば"洗脳"です。我々予防医療活動の純然たる成果だと胸を張っていえるのかもしれません。でも、何かがおかしい。何かが違う感じがしてならないのです。いや、やっていることはすばらしいのです。若いころはハチャメチャな武勇伝だらけだったあなたが、よくぞ目覚めてくださった!と拍手を送るべきなのでしょうが・・・でも、ほんの5〜10年前にはもっと普通に抗(あらが)ってたじゃないですか、「バカやろう!そんなこと気にして生きていけるか?」とか息巻きながら意地張っていたじゃないですか? それがそんなに簡単に洗脳されちゃって。

もしかしたら、「オレこんなに頑張っているんだよ」とアピールすることが普通になっていることが現代の問題なのかもしれません。むかしの生活を考えたら、大したことはやってません。いちいち主張なんかする必要すらなかったことです。その経験のない今の小・中学生が主張しているならまだしも、それを普通だと分かってやっていた経験のあるわれわれの世代が、自分は健康のためにこんなに意識して頑張っているぞ!とアピールしているから、違和感を感じるのかもしれません。

でも、「こんにちは、近頃調子はどうですか?」「まあ、ぼちぼちでんなあ。散歩をし始めて体重も減ったし、コレステロールもかなり良くなってきましたよ」なんて会話、やっぱり、変だ!と思います。

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回転加速度損傷と脳震盪

『医師会スポーツ医会総会・平成26年度健康スポーツ医学再研修会』のもう一題は徳島大学の永廣信治先生による「スポーツと頭部外傷」。

先生ご本人が柔道の世界では熊本の怪童だったそうで(全然存じ上げずにすみません)、柔道でアタマを打つことによる弊害、アタマを打たない受け身指導のしかたと受傷後の競技復帰のタイミングなどについて話していただきました。

柔道の様に頭を回転させて起こす頭部外傷は「回転加速度損傷」と云って、頭を振ることで骨や硬膜と脳の間にズレが生じて、架橋静脈が引っ張られて切れることで急性硬膜下血腫ができるのだそうです。乳児のゆすぶられ症候群や高齢者の転倒も同様の機序で、「頭を強く打ったから起きる」というのは誤解だそうです。だから、たとえヘルメットやヘッドギアをかぶって柔道をしてもこのタイプの損傷は予防できないということ。ここで問題になるのが「脳震盪」・・・脳震盪のような軽度外傷は一瞬意識消失しても回復したら「良かったね」で済ますけれど、その中には硬膜下出血も隠れているし、スポーツは日々の厳しい練習を繰り返すので、脳震盪の繰り返しを甘く見てはいけないことを強調されました。

硬膜下血腫を起こしたことのある選手は「コンタクトスポーツへの復帰を禁止すべき」ということ、よく分かるし、復帰許可を出して死亡したら許可した医者にも責任問題が生じるということも理解するけれど、相手はそのスポーツに人生をかけようとしている子どもたち・・・きっと将来を嘱望されている怪童たち・・・「死んでもいいから続けさせてほしい」と本人も両親も云うんですよね。きびしい選択・・・だからこそ、そんな外傷を受傷しないように受け身をきちんと身に付けさせることの重要性を指導者がしっかり理解して実行すべきだ、ということを肝に銘じて帰りました。まあ、わたしが指導者になることは一生ありませんけれど・・・。

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筋トレの重要性

年一回の『医師会スポーツ医会総会・平成26年度健康スポーツ医学再研修会』に行ってきました。日本医師会認定健康スポーツ医学再研修の3単位をもらうためだけに土曜の午後を費やすのですが、はなしはそれなりに面白くて勉強になります。

循環器内科の泉家康宏先生の「骨格筋由来ホルモンという観点から見た運動療法の有用性」の動物実験結果の説明は、正直云って略号が多すぎてようわからん(学会発表か大学講義受けてるみたい)かったけど、

●サルコペニア予防のために筋トレが有効でさらに筋トレによってAkt1という物質を活性化させると血液内に血管新生因子が増加して、損なわれた心機能の回復に有用である

●腎不全患者さんが運動しなくなって筋量が減少すると予後が悪化する。骨格筋を増やすと腎保護作用が発現することにもAkt1が関与している

●寝たきり患者さんに全身加速ベッドで受動運動させるだけで、血管内皮機能が改善されて末梢動脈疾患の下肢血流が良くなる。さらにこの受動運動は心筋虚血を改善させる

という結論だけはわかりました。要するに、心疾患患者さん、腎不全患者さん、末梢血流障害の患者さんには有酸素運動だけではなくてレジスタントトレーニング(筋トレ)が有効である、ということですね。

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辞めどきって、どうなんだろう

最近、突然モチベーションが落ちてしまう事があります。突然のオフ状態。仕事だけでなく、日常生活のいろいろや大好きだった遊びの域まで。以前なら、「これじゃいかん!」と自分を鼓舞したものですが、今はそんな感じでもありません。

定年までもうあと2年あまりです。自分の意思とは無関係に辞めさせられるのはしょうがないとして、その後嘱託医などを続けるにしてもどこかで声をかけてもらえるにしても、あるいは他の再就職の道を考えるにしても、自営業ではないのだからいつかは辞めなければなりますまい。
「それから先、どうするの?」と最近になって時々妻が云います。
「そんな先のことはまだ分からないよ」とか答えていたわたしですが、もうそんな先でもなくなりました。

もちろん生活があるから、宝くじか何かで大金が舞い込んで来ない限り働かないわけにはいかないのでしょうけれど、人生の終焉に向けて何をする? そんなことを考え始めなければならないときが近づいてきているのでしょうか。 とか、そんなことを考えようとすると、プツンと音を立ててスイッチが切れるのです。こりゃ、うつですばい。

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サルコペニア肥満

日本心臓病学会の教育セミナーに初めて参加しました。エキスパート向けのやつではなくて、コメディカルや研修医さん向けの基礎的なやつ。前もってダウンロードさせられたテキストを見るととても基礎的な内容が並んでいましたので、いくら、『臨床現場を離れて久しいから一からやり直し!』と一念発起したとはいえ、ちと基礎的すぎたかな?と受講申込したのを後悔しそうになりましたが、あにはからんや、大変勉強になりました。新しい治療法や治療自体の考え方が日々変わっていますが、虚血に対する考え方は私の現役時代とあまり変わっていなかったことにちょっと安堵しました。

合計7人の講師の先生のレクチャーを受けましたが、わたしが最も目を光らせたのは岡山大学の伊藤浩先生の『PCI後のトータルマネージメント』・・・結局、予防医療の神髄でした。

●待機的なPCIは生命予後を改善しない
●プラーク量が増せば、壁内には必ずカルシウムが存在する
●動脈硬化しなければ石灰化しない。冠動脈石灰化がなければ冠動脈疾患は否定できる
●石灰化スコアが高ければ2〜5年以内に心血管系事故が起きる
●プラークの不安定性は高感度(high-sensitive)CRPを測定すれば一目瞭然である
●hs-CRP自体が動脈硬化を促進する。0.5mg/dL未満なら急変はない
●hs-CRPを増やすのはタバコと肥満であり、減らすのはダイエットと運動と禁煙である
●2型糖尿病の基盤にあるのは脂質異常である。LDLではなくHDLと中性脂肪である
●メタボと2型糖尿病に必発の脂質異常は、レムナントとsmall dense LDLの増加。どちらも高中性脂肪血症が誘因であり、それを解決させるのはカロリー制限と運動
●『サルコペニア肥満(筋肉が落ちて代謝が落ちるから太っていく)』が、PCI後の心リハで最大の敵であり、最大のリスクファクターである。40歳代の5%、70歳代の30%がサルコペニア肥満である

どうでしょう。また夏の特保研修会の講演ネタができました。ただ、この講義を聴きながら、内心ドキドキしてたのは実はわたし自身なんです。だってもう何年も前から私の冠動脈には明らかな石灰化があるのですから。せめてサルコペニア肥満にだけはならないようにしなければ。

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もう痩せないほうがいい

「もう痩せないほうがいいよ。心配だから」と、先日義母に会ったら云われました。「そうですか? この程度のやせ方はつい6、7年前にもしたでしょう? 特別なことをして無理しているわけじゃないから心配いりませんよ」と笑って答えたのですが、すかさず横で聞いていた妻から、「たぶん、前と印象が違うんだと思うよ」と指摘されました。つまり、前回は『やせた』感じで、今回が『しぼんだ』感じ。あるいは前回が健康的なスッキリした痩せ方で今回が病的な痩せ方?

あー、これが『歳』というものなのか? 他人には講演でも診察室でもいつも云っていることなのに、自分もそうなってしまったかと思うと、ちとショック。確かに、先日の出張中に泊まったホテルの洗面所の鏡に映るスリムな我が姿は老人病院に入院中のじいちゃんかあるいはどこかの山の中から降りてきた修行僧みたいでして、前回痩せたときの自慢の裸体の印象とは全然違っていることに気づいてしまったのですよね。

くそう! 負けてたまるか!と思うのですが、何しましょうね?

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負荷の目的

先週、京都で行われたニュータウンカンファレンスに出席してきました。日本メジフィジックス共催の心臓核医学の老舗研究会も今回で40回めになります。わたしが初めて参加したのは心臓核医学に従事する直前の平成元年でした。心筋シンチは自分のティーテルアルバイトのテーマなのに、今は週二回の読影くらいしか関わらなくなっています。それでも、この研究会は日進月歩の心臓核医学の動向を知るには一番的確な情報をもらえるのでできる限り参加しています。

今回のテーマの中で一番興味があったのはディベート。心筋血流シンチの負荷法として運動負荷と薬物負荷とどちらが良いかというものです。私たちが中心になって検査に従事していたころは負荷といえば運動負荷であって、運動の代用としてやむを得ない場合にのみ薬物負荷があったのですが、今や全体の6割の施設が薬物負荷をメインにしているそうです。運動負荷は負荷として不安定で十分量まで達することができない可能性があること。そして冠動脈の狭窄度ではなくて心筋内微小循環も含めた血管内皮機能や冠血流予備能が予後を決定する最大の因子であることが分かってきて、その程度によって治療方法を決定するのが良いというのが常識になっているのですが、それを評価するのに運動負荷よりも薬物負荷の方が優れているのです。

それを理解した上で、それでもやはりわたしには違和感があります。負荷心筋シンチ検査の目的は何なのか? 予後判定のため? あるいはインターベンション治療の適応の決定? ・・・どちらにしても、まず「治療ありき」、医療側の都合のような感じを受けるのです。わたしは、その人の日常生活(人生)における今現在の心肺機能の限界を確認することが検査目的の主体だと思っていますから、本当の虚血が生じるかどうかの確認をするのではなく、将来の可能性評価を優先することを良しとする風潮が、何か気に入りません。

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リハビリはやる気

知り合いの女性から相談を受けました。その方の旦那さんは人工透析を定期的に受けているのですが、彼が下肢の動脈閉塞症を患い、ステント治療などの高度医療を受けるべきかどうかとの悩み。70代半ばの彼はリスクファクターも大変多く、たしかに循環器内科医も苦慮する状況。結局はリハビリでの改善を期待できるという結論になったのですが、妻の目から見る限り、いつもキツそうで家では動こうとせずにイライラしているだけだから、手術した方がいいのではないかと感じる、というのです。

詳しい所見を知りませんので無責任なアドバイスはできませんが、話を聞いている限りわたしもきっとリハビリや内科的な治療を勧めるだろうなと思いました。なんか外科的な治療をするとその後にドロドロな経過になるような気がしてならないからです。せっかく大きな治療をしても、その後にADL(日常生活動作)の質が上がらなかったら治療の意味がないからです。

ただ、リハビリは『本人のやる気がすべて』と云っても過言ではありません。血流閉塞の側副血行を促すためのリハビリは痛みや痺れが出てきても止めずに歩き続けることが必要です。「ちょっと動くと痛いから動かない」という状態では、それは”放置”と同じこと。「もういいや」と自暴自棄になっては元も子もありません。「がんばれば動けるようになることを信じて、オレ、がんばる!」というのがリハビリなのですが・・・気になるのは、その気持ちを強烈に押し上げてくれる人がいないのでは?ということです。奥さんの叱咤激励がかえってイラつきを増幅させてしまうのは致し方のないこと。理学療法士さんの関与はもちろん力になるのでしょうが、医師たちはどうなのだろう? 主治医は地域の透析医でリハビリ知識がなく、循環器内科医は治療の要否を調べただけだからその後に関与していない。「リハビリがベター」の結論を出したのなら、せめて無理矢理に引っ張ってきてでもがんばらせるプログラムを実行させるところまで面倒みてやらないと、個人任せでは到底改善不可能な気がしてなりません。

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本当に単なる引き算なのか?

「かなり動いている様子なのに、どうして体重が増えてきたのだろうか?」 
「それはたくさん食べているからに決まっていますよ!」

人間ドック受診者の結果を見ながら保健師さんたちと指導のためのカンファレンスをしていると、こういう会話は茶飯事です。 基本的に体重はインとアウトの単純な引き算で、太る時は食べる量が増えたか運動量が減ったかのどちらかだと考えるべきであると教わりましたから、保健師さんも管理栄養士さんも運動指導士さんも、そして担当する医師も、特別な病気でもない限り、それは極めて単純なことだと思っています。「本人は食べてないと云うけれど、絶対食べる量が増えているんです!それしかありえません。一回、きちんと記録を取らせて現実をわからせましょう!」・・・彼女たちが躍起になって提案する常套策は察しがつきます。

でも、本当にそれでいいだろうか? 今、自分の身体で経験しているこの体重減少の継続は、そんな足し引きだけでは説明つかない気がするのです。「そう云いながら、結局は先生がんばっているんですよ」と云ってくれます。はい、がんばってます。間食がなくなりましたし朝食を摂らないことも徹底できています。意図的に前より1000〜2000歩多めに歩くようになりました。でも計算上、もうそろそろ止まるはずで、こんなにいつまでもマイナスバランスが続くようながんばり方はしていません。わたしのしていることは、簡単にいえば生活のメリハリをきちんとつけてみただけなのですから。

単なる足し引ではないもの・・・基礎代謝自体も減量効果の程度によってかなり変動してしまうらしいし、睡眠の良し悪しが代謝に明らかに影響を与えることもわかっています。でもそれ以上に、もっと定量したり予測したりできないホルモン系の変動があるのではないだろうか?と思うのです。『生活のメリハリ』とか『モチベーション』『やる気』などといった全くもって医学的・科学的ではない表現では鼻で笑われそうですが、自律神経系やホルモン系といった生命保持のために働く機能は、どこか精密機械の計算式では太刀打ちできない何かを発揮する気がしてなりません。どなたか、そこのところをご存知の方がおられましたら是非教えてください。

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伝えたいこととは違うリアクション

先日、妻の知人が逆流性食道炎の治療で悩んでいることが夫婦で話題になりました。75歳の男性です。パリエットを飲めば効くけど止めるとすぐに再発する。でも主治医からは「良くなったら止めても良いよ」と云われているからあまり常用しない方が良いのではないか、と悩んでいる、というのです。今の社会では、逆食に対する制酸剤は基本的にはずっと飲むのが普通だから、「少量でずっと飲んだ方が良いんじゃないの?」と云いましたが、このときに先日ここで書いた、「胃グスリ飲んだら胃が荒れるからいつもの3、4倍噛めば良い」と云っていた先輩先生のはなし(『噛めば良い』2015.2.4)をしました。自分もそうやってかなり良い感じだから、クスリを続けるのに抵抗があるのならそれを勧めてみたら?と話したのですが、妻は全く違うところに食いついてきました。「若い先生はすぐに新しいクスリに飛びつくけど、自然の摂理を無視したクスリが将来どんな弊害をもたらすかもまだ分かっていないのだから慎重に扱うべきだ」と云ったことに対して、「その先生、今もそんな風に思っているのかな?」と。もう他界されたと話したら、「じゃあ、その先生、その答が分からないまま死んだんかな?」と食い下がります。

クスリよりも噛むことや食事内容の方が大事だという考え方があることを伝えたかったのに、”時代遅れの偏屈オヤジ”的な云い方をされたのでちとカチンと来てしまいましたが、こういうすれ違いは会話の中ではよくあります。相手の興味の矛先が完全に話題の主旨からずれていって全然違う話題になるのはしょうがないとしても、完全に逆の印象にされてしまうのは心外。つい、「空気を読めよ!」と云いたくなるけれど、それは本当はこっちの伝え方も悪いのだということを認識しておかないといけないでしょう。わたしたちは話術で相手の人生を変えようとする大それた仕事をしている以上、そんな誤解をされるのは、どこか話題の出し方やタイミングが拙かったのではないかとも反省します。それは自分が逆だったら・・・と思うとすぐに察しが付きます。相手が自分のリアクションに「当然でしょ」的な期待をしている空気が感じられると、わざと逆のリアクションをしてやりたくなりますし、ちょっと鼻につく云い方にカチンと来たから本筋とは関係ないことを云ってやりたくなる・・・「だって、最初にわたしが伝えたかった話題を簡単に否定して、持論を持ち出し始めたのは、そっちじゃないの?」って・・・これ、天の邪鬼のわたしだけの感情でしょうか?

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精の付くモノ

大病を患ったとか大手術を受けたとか、あるいは胃切除をしたとかで10キロ近く体重が減ったヒトたちに対して、「本人も他人も、精の付くモノを摂らなければならないと思い込んで高カロリーのモノを摂ろうとしますが、これはナンセンスです。食欲が落ちた結果ではないのですから、いつもと同じように食っておけば、カラダが必要と判断したときだけ勝手に体重は増えてきます。カラダが今の状態がベストだと判断しているからやせているのですから、ムリに太ろうとするのだけは止めてください。『精の付くモノ』とは必要なビタミンやミネラルのことであって、カロリーのことではありません。これを増やせば、ムダに脂肪が付いて脂肪肝や糖尿病やメタボを助長するだけです」と、口癖のように云ってきました。

でも、いざ自分が同じ状況に直面すると、「もっと食った方が良いのかな?」と素直に悩んでしまうモノだな、と今回実感しました。特に1週間前の月曜日に週末から2日で1.5キロ近く減っていたときには、意図的に減量している身ではありますが、ちょっと不安になりました。単に食事の摂り方にメリハリをつけたのと活動量をちょっと増しただけのことで別に摂取量が減った結果でもありません。それでも減るのは何かがおかしい、もしかしたら他の代謝系の病気や悪性腫瘍などを併発しているのかもしれない、とか思わないでもないのですが、ここでいつもより食う量を増やすことに何の意味もありますまい・・・分かってはいるのです。いるのですけど、自分ができる方法は「不摂生に戻すこと」くらい?と思ってしまうあたり、まだまだ悟りが開けておりませんな。

(これを書きながら、ちょうど1年前にまったく同じことを書いていた自分に驚く。いつもならボツにするのだけれど、なんか面白いのでこのままアップしちゃえ(笑))

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新しいおもちゃ

かなり悩んだ挙げ句に、先日タブレット端末(iPad)を購入しました。WiFiモデルなので、WiFi環境下でしかネットや通信はできません。日頃は職場でも家庭でも無線LANの環境でパソコンが幅をきかせ、移動中はスマホがいつでも対応してくれる生活で、さてタブレットは要るのか?ゲームはしない。プレゼン用の書類書きを移動中にすることもほとんどない。かばんを持ち歩くタイプでもない(特に冬場は上着のポケットに何でも入る)。憧れではあるけれど、そんな自分にタブレットは無用の長物ではないか?と悩んでおりました。

老眼のわたしにとってスマホの字はたしかに小さく、学会場など(最近は抄録情報が全部webで見れる学会が多くなりました)で徐にノートパソコンやタブレット端末を操作している先生方の姿はとてもまぶしく映っておりました。でもそれだけだから、ないならないでなんら困らない・・・と独り優柔不断に悩んでいたら、太っ腹の妻が、ポンポーンとカード出して買ってしまいました(金の出所は同じですけど)。

ということでわたしのモノになったiPad。あちこちに持ち歩いて使っていますが、世間はタブレットには意外に寛大なのですね。スマホをいじると遊んでいるように見えるけれど、タブレットだと仕事に見えるのかしら。わたしがパソコンに向かう大部分の時間は何か書き物をしている時間ですから、今までネット環境にないところでは手書きのメモをしていたのが、直接打ち込めるようになったことは大きな収穫。ただし、新しいおもちゃを手にしてからというもの、本を読まなくなりました。スマホ以上にこれをいじっている時間が長くなって、一緒に持ちあるく文庫本に手を出すタイミングがなくなったのです。もともと時間つぶしのために持ち歩いていただけですから、代わりに電子ブックを読めばいい、というものでもありません。

まだまだちっとも有効活用できていないわたしの新しいおもちゃ。まちっとあちこち同行させて使い方を考えてみましょう。

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心筋梗塞

「ゴルフのパットのときに心筋梗塞は起こりやすい。その次は最初のティーアップのとき」・・・そういえば、循環器内科の医師になったときからそう教わってきたなあ、と先日の健康番組を見ながら思いました。過度の緊張が心臓発作を起こすのだ、と。むかしは昼食でビールを飲むのが普通でしたし、炎天下でもお茶も飲まずにラウンドし、ヘタをするとプレイの前夜は遅くまで宴会だったりするのが常だったことも、大いに誘因になっていたことでしょう。

ただ、最近自分がゴルフをするようになって、「そのデータってホントかいな?」って思います。パットのときに心筋梗塞を起こすような緊張の一打の瞬間って、そんなにたくさんありますか?ドヘタなわたしだからかもしれませんが、「この一打を決めないと100を切れない」ということはよくありますが、「この一打を決めたら優勝だ!」とかいう一世一代の瞬間なんて、一般人のオヤジにはそう多いシチュエーションではありません。だから、それはむかしの古いデータなのではないか? あるいは理由は違うところにあるのでは?と、疑わずにはおれないのであります。

ところで「心臓発作のときは躊躇せずに救急車を呼んで!」と、その番組で専門医が云ってましたけれど、自分がその状態に直面したらすぐに119番をコールできるかしら? 専門医が必ず云う「尋常ではない痛み。経験したことのない痛み。火箸で焼きを入れられたような痛み。あるいは尋常ではない冷や汗が出るとき」・・・あまりに抽象的です。どれも、受け持った患者さんのことばであって、当事者になったらたとえ専門医であってもきっと救急車コールの閾(しきい)はかなり高いと思います。少なくとも、わたしはそうです。良識ある大人ほど、119番は遠いナンバーのような気がします。

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節制と健康寿命

本当に不摂生は寿命を縮めるのか? 本当に節制したら健康寿命は伸びるのか?

先日、今どき流行のスーパードクターによる健康番組で、やれ高脂血症がいかん、タバコがいかんと予防の大切さをこれ見よがしに語っているのを見ながら、そんな予防医療の現場で働いているわたし自身が、この単純な疑問にきちんとした答を見出せません。番組は、超不摂生をしていた有名タレントや売れっ子アナウンサーが心筋梗塞や脳梗塞に罹って、その後反省して節制している様を伝えながら予防の重要性を啓蒙する形で、「自分はこの程度で終わって本当に良かった。今は改心して節制しているけれど、あのままの生活を続けていたらどうなったかわからなかった」と神妙に語っていましたが・・・。

「不摂生が病気の原因になる」というのは生活習慣病の基本ですから、そこはまあ譲るとして、それでは不摂生だったひとが節制したら、今後の健康寿命が本当に伸びるのでしょうか?医師たちは、番組の中で義務だからそう語ったのかそれとも本心でそう信じていたのか知りませんが、結局これは人生を全うしてみないとわかりません。いや、本当はやったときとやらないときとパラレルワールドで比較しない限り答は出ないはず・・・だから、「節制」は現世を滞りなく過ごすための自己満足の(後悔させない)手段にすぎないと思った方が無難なのかもしれないという感じがします。確率論というのはそうしたモノだと割り切るしかなく、ガマンして節制しても何度も再発するヒトは居ます。「節制はガマンではない」ということを実感してさえおればそれで良いと思いますし、「自分はそれで改心できたから病気に感謝する」ということも大事なことです。皆が、良き人生であってくれたらいいな、と思う次第です。

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貯金と財布

メタボや生活習慣病を論じるときに、よく脂肪のエネルギーを銀行貯金に喩(たと)えます。

内臓脂肪や脂肪肝はいわば『普通預金』で皮下脂肪が『定期預金』です。だから、皮下脂肪は簡単に減らせませんが内臓脂肪は頑張ればすぐに減ります。足りなくなったら、まず最初に簡単に使える普通預金から手を出すでしょう?と。

ただ、最近わたし、この云い方が間違っていることに気づきました。皆さん、その普通預金にすら手を出していませんよね。何しろ財布の中味がカラになるずっと前から常に補充されているから、とりあえず手元にある財布の中味で十分で、ヘタをすると財布にも余るから預金に回す堅実派まで出てきてしまう始末。在庫を切り崩すなんて発想に結びつくはずがない・・・不況や値上げなどどこ吹く風で身体の中だけはバブル景気絶頂のようです。

くどいようですが、「腹が減った~」と心底感じた上にさらに食わない状態にしてやらないと、定期預金どころか普通預金にすら手を出しません。ちょっと困った顔をすれば、ご主人様はすぐに何かを探し出してきちんとあてがってくれるのですから(笑)

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酒が強い?

「先生は、お酒が強いですね」と云われると、悪い気はしない。基本的に、褒めことばだと思います。でも、これは”大酒飲み”であることを認識されている(いつも人前で大酒を飲んでいる)から云われることばであって、常日頃から”適量の酒”を心がけているヒトには絶対云いませんから、本当は良いことではないことを肝に銘じておかないといけない、と最近思うようになりました。

基本、アルコール分解酵素であるアセトアルデヒドが多いヒトほど酔っ払い難く、酒の強さは体質が大きく関与します。「若いころに先輩に鍛えられたのでかなり強くなりました」と自慢するヒトがいますが、もともとアルコールに強くないヒトがムリにアルコール量を増やしてしまうと、食道がんになりやすくなるとか肝機能を傷めやすいとか云われています。

酒の席は楽しい場で、日頃のストレス発散にもなるから、そしておかげさまで父親譲りの体質だから、ガマンせずに勧められるだけ飲んでいますけれど、カラダが「ちときつい」と云い始める前に、ほどほどで自粛する訓練をした方が身のためだな、と思う今日この頃。「え、どうしたんですか? もうウーロン茶って?冗談は止めてくださいよ!」と、先日の新年会では、挨拶回りしてきた大トラの女性軍に一蹴されましたけれど、そこをぐっとこらえる訓練に励みましょう。でもなあ、「あ、先生はお酒を自粛されておられるんでしたね」とか云われて勧められなくなるのって、寂しくないですかねえ。

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丸くなった

人間ドックを毎年受けにこられる受診者の皆さんの中には、中小企業の社長さんや大きな会社の重役さんやあるいは政治家さんがおられます。こう云っては何ですが、こういう”成功者”の皆さま方は接遇や検査に対してとても厳しい方が多い印象がありますが、さらに”わがままで気まぐれ”だったりする方々もいて、スタッフはいつもピリピリしています。

その”わがまま/きまぐれ”リストがあったら筆頭に並べられるような方々が年末に続けざまに受診されたのですが、対応したスタッフが変な顔をしてわたしに云いに来ました。「○○さんが、今年は気持ち悪いくらい丸くなったんですよ~」「●●さんが、いい人になった!」と。どちらも、以前と同じように厳しいチェックが入るのですが、云い方が優しく若いスタッフを気遣うようなことばに変わったというのです。

「良かったね、それは」と答えながら、人間、悟りを開くとこの世から居なくなるからなあ、とつい思ってしまったわたし。ギスギスした日々を送るよりもココロに余裕をもつ毎日の方が豊かで充実した人生になりましょう。この1年の間に彼らの人生にどんなトリガーがあったのかはわかりません(もしかしたら以前と何ら変わりなく皆が誤解していただけかもしれませんし、あるいは仕事の重荷が外れたのかもしれません)が、まあできたら波風立たないまま終わった方がお互いココロ安らかだなとは思います。若かりしころのギスギス感がなくなってとっても優しくなったわたしが悟りを開いているかというとそうでもないのだから、彼らも彼らなりにまだまだ元気に煩悩だらけの日々を送ることでしょう。

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「どちらを選ぶか?」ですか??

「どちらを選ぶかなんですよね。わたしは酒を減らしたのが間違いだと思うんです」

その受診者の男性は、そう強く云い放ちました。γGTPが高値になったために禁酒を勧められ、酒を減らしたら口寂しくなって、今まで好きでもなかった甘いものがほしくなり始めた。そのために今回の健診では血糖値が異常高値になって「糖尿病」の診断を受けた。これは晩酌を止めたことが問題なのであって、わたしはやはり酒を飲んでいた方が良かったんじゃないか?という主張でした。

「そうか、そう来たか!」・・・わたしも思わず感嘆のため息を漏らしてしまいました。まあ、客観的に見たら誰でもすぐにわかる話ですが、意外に当事者は気づかないモノなのでしょうか(いや、気づきたくないから気づかないようにしているのか)。アタマが主張するのは「どちらかを選べ」なのかもしれないけれど、カラダは明らかに「どっちもイヤだ」と云っていますね。酒を飲めばγGTPが上がる、代わりに食べ始めた甘いものは血糖値を上げる。どっちも明確なカラダからの拒絶信号。

しょうがないですよ。MRIを見ると脳も萎縮し始めていますし、酒を控えながら甘いものも買ってこない・・・その口寂しさになれるためにチマチマ噛み倒した人生を送るのも意外に楽しいかもしれませんよ。

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糖尿病理学療法学会

今までないのがずっと不思議だったので、この記事をつい読み込んでしまいました。

理学療法士の参画で糖尿病運動療法の普及を―第1回学術集会開催

日本理学療法士学会の分科学会の位置づけとして、この新しい学会=<日本糖尿病理学療法学会>が発足しました。この記事を読むと、各々の領域のいろいろな職種のプロたちが恐る恐る手探りでお互いの領域に入りこもうと、文字通り”暗中模索”している感じがわかります。糖尿病にとっての重要な治療法である運動療法にエキスパートが居ないということをご存じの方は意外に少ないのではないでしょうか。糖尿病療養指導士の資格をお持ちの看護師や管理栄養士の方々の多くは「運動」というだけで尻込みします。専門医たちが糖尿病患者の運動療法の難しさ、特に心臓や重要臓器の合併症の深刻さを強調するので、運動処方は一層軽めになる傾向にあって、当の患者さんたちはいつもとても不本意そうな顔をして運動しています。わたしは、「もっと、安全で楽しい運動に現場であることができるはず」とまどろっこしい思いで見守ってきました。

先日、第一回目の学術集会があったそうで、行ってみたかったなあと素直に思いました。結局は診療報酬に加算されないがために普及しない現実。これは医療者側が声を上げると同時に患者さん側が強烈に働きかけないとなかなか前に進みません。心臓リハビリが市民権を得て単独で語れるようになった(それでもまだまだですが)のと同じように、是非しっかりと学問的なエビデンスを積み重ねながら、自信を持って糖尿病の運動療法の指導ができるエキスパートのPTさんが溢れてくれることを切に願っております。

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満腹幻想

自分のキャパ以上の大量の食材を胃袋の中に投げ込む作業が、「満腹」の必須条件だと皆が思い込むようになったのはいつのころからなのでしょう。たしかに、茶碗に山盛りのごはんをガサガサガサっと食ってしまって、「おまえ、もう食い終わったんか?すごいのう!」というのは、元気な男の子の証でしたし、大量の兄弟姉妹が居る中では悠長に味なんか味わっていては生存競争に負けてしまいました。でも、そんな昭和初期を彷彿とさせる光景は、モノが少なかったがための産物であって、現代社会でそんな人生を送るのは、ワーキングプアや一部の貧困層の子どもたちを除けば決してマジョリティではありません。

むかし、わたしの父は食べきれないほどの料理をファミリーレストランで注文して「ほら、食え。食べきらんかったら残していいんじゃけん、食いたいだけ、食え!」と云ったことがあります。祖母にもったいない精神を植え付けられていたわたしはそんな父の姿に反感を持ったものです(2008.4.7『もったいないおばけ』)が、おそらく小市民で”デモシカ教師”だった父にとって、それが若いころからの憧れだったのだと思います。貧困の歴史の中で、食べきれないほどの料理を前に「もう食えん!」と大きな腹を擦りながら云うことこそが成功者の証明・・・戦後の平和な社会の中で、その憧れのために頑張ってきたのがわたしたちの親の世代・・・このあたりが『満腹幻想』の始まりなのかもしれません。そのときの子ども世代が成人するころにいわゆる”バブル景気”の飽食が幅をきかせたのでしょうけれど、あのときの”グルメ”合戦は、お祭り騒ぎしながらも「ちょっと違うな」と思っていた庶民の方が多かったように思います。

大量食=満腹思考は、タバコと同じ、つまり麻薬と同じ快楽幻想の中毒・・・だから、逃れるのはきわめて難しいのかもしれませんが、この食品値上げラッシュの今が洗脳から抜け出すチャンスなんだけどなあと溜め息をつきながら思う今日このごろ・・・やっぱりただの偏屈爺にしか見えますまいなあ。

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腹一杯

「腹一杯だから、もういいわ」と云って、食卓に並ぶ料理を残すことがときどきあります。「あなたが食べものを残すなんて普通じゃないよ。なんか悪い病気じゃないの?」と妻は心配顔でのぞき込みます。この『腹一杯』の感覚・・・もちろん食べようと思えば食べられるけれど、「ここで止めてももう満足だな」と感じるタイミングがかなり早くなった気がします。

「腹一杯食べないと満足できないからガマンはしきらん!」と云い放つヤカラの、コトバ自体は理解できるし同感ですが、コトバの使い方が間違っているということをどうやったら伝えられるのだろう。これは、「大量に食べないと腹一杯にならないはずだ」と思い込んでいることがそもそも間違いなのですよね。「腹八分め」というコトバがこの状況で選ばれてしまったためにおかしなことになっているのかもしれません。「腹八分め」は「満腹」になる前に止めることを示しており、世間では「健康のために腹八分めを実行すべき」というのが王道になってしまったから、皆がこのコトバのすり替えに全く気づいていません。

ダイエットが成功して、しかもリバウンドなく維持できている方々が口をそろえて云うのは、「胃が小さくなった」というコトバ。この感覚は、食べる量を二、三週間減らしてみることを経験したら必ずわかります。胃が、「ああ、この程度で十分満足できるんだな」ということに気づくのだろうと思います。

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腹減った~!

「一体、いつまで待たせるんだ! オレは朝飯も食わんで待ってるんだぞ!」

最近はかなり減りましたが、それでもイライラした声で怒鳴り散らす受診者が時々おられます。若いスタッフの中にも「あー腹が減ってガマンができん!」とわめく輩・・・朝飯食わんくらいで死にはしないわ!と一括してやりたい衝動に駆られながら、そんな光景を眺めております。かく云うわたしも、むかしは、「朝飯を食わないのはカラダに悪い」と信じていましたから、検査が終わったら朝を食べられなかった分たっぷり昼食を摂ってほしいとか思っていましたが、朝飯を食わないことがさほどカラダに悪いことではなく(朝食を食わない方が健康的だぞ!と自分のポリシーを他人に強要する気はありませんが)、朝飯食わないのに昼飯をたらふく食うことが悪い(血糖反応に悪影響を与える)のだということを知ってからは、そんな光景をみてもあまり同情しません。むしろ、たまにはしっかり腹が減ることを経験した方がカラダに刺激が与えられていいんじゃないの?と思います。

腹が減った!と騒いでいるヒトたちを見ていると、きっと子どものころにガマンすることを教えなかった親が悪いのだと思います。「子にガマンさせるのは良くない。子は食うのが仕事」という祖父母の教育を継承しているのかもしれませんが、それは戦後の貧困への償いと欧米教育の洗脳を受けたことに関連する誤った認識が半分邪魔をしています。「食べたいときにひもじい思いをせずにいつでも食べることができる」が、貧困ではない生活であることの証なのだと勘違いしています。食事のガマンができない子は他のことでもこらえ性がなく、スニッカーズのCMみたいな大人がどんどん増えている昨今。もっとも、子どもに食事のガマンをさせない親は、自分もガマンできませんから、子に食べさせることを口実に自分も食らうわけでしょう。何とも寂しい限りです。

ま、いくらわたしが戯言をほざいたところで何の効果もありませんけれど。

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「噛めば良い」

「胃グスリなんか飲んだら胃が荒れる! クスリを飲むくらいならいつもの3倍か4倍か噛めばそれで解決する!」

遠いむかし、わたしが当直のアルバイトに行っていたある病院の院長がいつもそう云っていたのを思い出します。ちょうど胃潰瘍の治療薬としてガメットが世に出始めたころでした。消化器外科がご専門のその先生が、「ちょっと切れ味が良いからと云って飛びつくにはまだ歴史が浅すぎる。長い歴史のある人体の自然の流れを半ば無視した胃酸のコントロールを長期間続けさせたらどんな弊害が起きるのか、まだ何も分かっていないのに、若い医者たちはすぐにこんなクスリを使いたがるが・・・」の次にいつも発していたのが冒頭の台詞です。

最近は、診断能が上がったためなのか、実際に増えているのか知りませんが、萎縮性胃炎に伴うびらん性胃炎や逆流性食道炎のためにクスリを処方されている患者さんが老若男女を問わず多くなっていますし、今や胃酸分泌抑制のクスリは治療の基本になっています。その選択に疑念を抱く医者も患者も少ないと思います。でも、多くの患者さんは実は感じています。クスリを飲んでも症状は大して変わらないことを・・・ご多分に漏れずわたしも萎縮性胃炎と逆流性食道炎の患者なのですが、わたしは屯用の舌下錠以外のおクスリを飲みません。調子が悪いときはいつも以上に噛み倒しています。「固形物で飲み込まないように一回戻してでも噛み込む」覚悟で噛んでいたら、胃の調子はすぐに良くなることを実感でわかっているから・・・若かりしころのこの先輩先生のことばが真理を突いていると感じているからです(笑)

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夜勤と肺がん

シフト勤務は心臓病に注意、15年を超えると肺がんリスクも

シフト勤務、深夜勤務などの健康に与える弊害についてはこれまでも何度も書いてきましたし、日内リズムや睡眠時のホルモンバランスの乱れが生活習慣病をもたらすことはもはや周知の事実です。単なる睡眠時間だけでない理屈・・・何と云っても、ヒトは日の出とともに起きて日の入りとともに寝るように作られている生物であることを痛感させられます。

高血圧や糖尿病やメタボからの脳心血管疾患のリスクについては十分分かりますし、がん発生リスクが上がることも何となく分かる(ホルモン分泌や免疫能として)のですが、『肺がん』というところが今ひとつ納得できません。15年というのはなにしろ長いのですが、そうだとしても、他のがんではなく肺がんなのはなぜか?

研究は、アメリカン・ジャーナル・オブ・プリベンティブ・メディシン誌オンライン版で2015年1月6日に報告されたものです。米国の看護師健康調査を利用したところ、1988年から2010年の22年間の追跡期間中に対象者のうち約1万4000人が死亡しており、3000人が心血管疾患による死亡、5400人ががんによる死亡でした。交替制勤務を6年以上続けている女性の死亡率は一度も交代制勤務を経験していない人より11%高かったそうですし15年以上交替制勤務を続けた女性では肺がんの死亡率が25%高かった(他のがんは有意差なし)とだけ書かれています。他の解説を見てもその原因の考察がないまま・・・単にストレスが溜まって喫煙量が増えていたというのか、日内リズムが腺がんなどを誘発するというのか・・・有意差が肺がんだけで、その因果関係にほとんど触れていないのに「肺がんリスク」だけがクローズアップされた報告になっていて、何かちょっと消化不良です。

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呼応

朝の職場の廊下。

「おはよ~ございま~す」と声をかけたら、決まって「おはよ~ございま~す」と返ってきます。
「おはようございますっ!」と声をかけたら、相手からも「おはようございますっ!」と返ってきます。

空気が伝わるから、申し合わせていなくてもトーンが同じになる。はなしをするときは相手のリズムに合わせるようにしましょう・・・むかし教わったことのある会話のノウハウをふと思い出しました。

だから、階段を上りながら上から降りてくるスタッフに「おはよ~ございま~す」と何気に声をかけたときに、「おはよございますっ!」とキリッとした返事が返ってくると、ドキッとします。彼女はいつもきちんとしたヒトだから「さもありなん」なのですが、この不協和音の空気の中で、「怒っているのかな」「何か気の触ることしたかな」とか考えてしまって、気持ちの修正に若干時間がかかったりします。

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できない人はできない

「○○先生は、いつも始業時間ギリギリにやってくるので、実際の開始が5分くらい遅れてしまいます。これは契約違反なのですから、改善するように厳しく云ってください」

ここまで直線的な表現ではありませんが、職場スタッフから、医局管理者であるわたしにこういうお叱りのメッセージをいただくことがあります。もちろん、組織の決まり事なのですから、ちゃんと本人には伝えます。

でも、正直云って、きっと大して変わらないだろうと思います。「時間を守る」という、ただそれだけの作業。いつもより5分早く家を出れば解決する作業。できないはずはない、とお思いかもしれませんが、だからこそなかなか変われないような気がします。別に、仕事ができるかどうかとか、アタマ良いかどうかとか、子どものころのしつけができているかどうかとか、何かそう云うのとはちょっと違う次元のお話で、遅れることがいけないことだと分かっているし、守らなくても辞めさせられたりしない、面倒くさいんだよ、と思っているのとは違うことで・・・。もちろん、わたしには全然理解できませんけどね・・・永年生きてきた経験値から想像するはなし・・・たぶん、できない人はがんばってもできないと思う(がんばれないのかもしれないけれど)。

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