満腹幻想
自分のキャパ以上の大量の食材を胃袋の中に投げ込む作業が、「満腹」の必須条件だと皆が思い込むようになったのはいつのころからなのでしょう。たしかに、茶碗に山盛りのごはんをガサガサガサっと食ってしまって、「おまえ、もう食い終わったんか?すごいのう!」というのは、元気な男の子の証でしたし、大量の兄弟姉妹が居る中では悠長に味なんか味わっていては生存競争に負けてしまいました。でも、そんな昭和初期を彷彿とさせる光景は、モノが少なかったがための産物であって、現代社会でそんな人生を送るのは、ワーキングプアや一部の貧困層の子どもたちを除けば決してマジョリティではありません。
むかし、わたしの父は食べきれないほどの料理をファミリーレストランで注文して「ほら、食え。食べきらんかったら残していいんじゃけん、食いたいだけ、食え!」と云ったことがあります。祖母にもったいない精神を植え付けられていたわたしはそんな父の姿に反感を持ったものです(2008.4.7『もったいないおばけ』)が、おそらく小市民で”デモシカ教師”だった父にとって、それが若いころからの憧れだったのだと思います。貧困の歴史の中で、食べきれないほどの料理を前に「もう食えん!」と大きな腹を擦りながら云うことこそが成功者の証明・・・戦後の平和な社会の中で、その憧れのために頑張ってきたのがわたしたちの親の世代・・・このあたりが『満腹幻想』の始まりなのかもしれません。そのときの子ども世代が成人するころにいわゆる”バブル景気”の飽食が幅をきかせたのでしょうけれど、あのときの”グルメ”合戦は、お祭り騒ぎしながらも「ちょっと違うな」と思っていた庶民の方が多かったように思います。
大量食=満腹思考は、タバコと同じ、つまり麻薬と同じ快楽幻想の中毒・・・だから、逃れるのはきわめて難しいのかもしれませんが、この食品値上げラッシュの今が洗脳から抜け出すチャンスなんだけどなあと溜め息をつきながら思う今日このごろ・・・やっぱりただの偏屈爺にしか見えますまいなあ。
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