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2015年3月

間違った負い目

三人兄弟の末っ子。父親譲りの大きなカラダと糖代謝異常。自分なりに生活を注意しているがなかなか改善しないのが悩み。そんな彼の二人の兄も似たような体格でしたが、あるときストイックな生活習慣に目覚めて以降キッチリした自己管理のもとでスリムなカラダと完璧なる検査値を維持しています。だから、兄たちからも周りからも「やればできるはずなのに怠け者なだけだ」という目で見られてしまい、彼はいつも負い目を感じています。自分は努力しているつもりだけれど、兄たちのような成果が出ないのは努力が足りないのだ、と。

でも、それは間違いだと思います。ストイックな人生を送っても良くならない人はならない。ストイックな生き方がストレスになる人はかえって悪化することもある。兄弟だから体質が同じだとは限らない・・・簡単な話、父親似と母親似だけでも正反対の可能性があります。「自分にできたことは兄弟にも出来て当たり前」という発想自体がまた間違い・・・自分はその生活が好きなだけ、うまいことハマっただけ、ということはよくあることです。

兄弟でもそうなのだから、他人ならなおのことです。「このやり方で痩せなかった人なんかいないから、効果がないならやり方が間違っているか怠けているかだ」とか、「この方法なら誰でも簡単に痩せられるというから書いてある通りにやったのに痩せやしない!やっぱりダイエット本なんて嘘つきばかりだ!」とかよく聞きますけど、他人は他人、自分は自分。自分にあった処方箋は自分の試行錯誤の末に自分で処方するしかありません。そして他人には通用しないと思って門外不出の自分だけの極意書として仕舞っておいてほしいものです。

少なくともわたしはいつもそうしています。

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老眼鏡

コンタクトレンズを7年ぶりに新調しました。何となく右目が合ってないような気もしますが、まあこんなもんじゃろということで、今日の免許更新のときに合格すればそれでいいかなと思える今日この頃。今さら、「ちょっとしっくりこない」とかいうことで悩む気がないわけです。もともと手元の小さな書類の文字には老眼鏡を買う、という前提で調整しましたから、遠くも近くもほどほどにしか見えません。

だから、生まれて初めて老眼鏡とやらを眼鏡市場で買いました。いつも使うわけじゃないから+1の出来合いのやつを勧められました。もうちょっとカッコいいフレームをとも思いましたが、こんなことに金は使っておれないしすぐに度が進むと聞いたので、それにしました。翌日、早速職場に持って行って使ってみました。スマホの文字も拡大せずに読めるし、本を読むのもオッケー、見えなかった頃には「見えないからムリ」と云って読むことすらしなかった文字もよく見えます。でも、調子に乗ってずっとかけていたら、昼休み頃には目が異常に疲れて堪えられなくなりました。人生何事も、アバウトなところで放棄することって大切だなと、こんなことで悟ってしまった次第です。

ちなみに、遠くももっと良く見えるように遠く用メガネも欲しかったけれど、高くつくのでやめました。遠くはこれからもアバウトに生きていきます。

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相変わらず。

先日、老衰のような形で亡くなった叔父の通夜に行った時に、もう80歳を有に越えた伯母がまん丸い身体で目ざとく私を見つけて寄ってきました。「あんたに会ったら聞こうと思いよったんよ。こないだん住民健診でな、心臓が腫れちょんけん精密検査を受けないけんち通知が来たけんな、日赤に行ったんやわ。そこん先生がな、『まあそん歳で心臓に針刺すような検査はせんでもよかろう』ちそげん云い方するんやわあ。私ん心臓はそげえ悪いんかなあ。今でん畑仕事しとるけど、どうもねえんで!」と。うちの親戚の集まりにわたしが行ったら必ず行われるにわか健康相談会の始まりです。

「まあ、どうもねえでん大丈夫かどうかはわからんのやけどな、血圧も薬じいいくらいに維持されちょるし、そん歳じそげえ元気なら心臓は問題なかったんじゃねえんかえ?」とか、ついつい大分弁に埋もれて答えていたら、1年前に脳梗塞を起こしてリハビリ中のいとこが寄ってきて手をあげました。「おー!おまえ、耳が聞こえんごとなったち云いよったけど、ようなったんか?」彼の話し方はわたしの父のそれに一番似ています。「おかげで、すっかり治りました。」「そうか、治ったんか、そら良かった。耳が聞こえんごとなったちいうけん、心配したんぞ!」「そら、すんませんでした。耳は治ったけど、頚椎症がひどくなって腕がしびれよんけど」「なにや、そらまたいかんじゃねえか!オレもリハビリはしよるけどシビレが全然取れんでから、もう諦めたわ」

地区の老人会の集まりかと思ったら、わたしの姉といとこたちで、「みんな、いつそんなに歳とったの?」とショックだったのですが、かく云うわたしもまた、病気自慢の渦の中。いまだに缶ビールを缶のままで飲み干すことはできません。相変わらず、アタマを後ろに倒すと肩がイヤと云いますから。寝方が悪いと朝は腕の痛みで目覚めます。でも、もうすっかり慣れました・・・もしや、この達観が、"老化"かしら?

 

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うんこしよるのに

職場の節電習慣はわりとしっかりしています。使わない電灯は極力消すのが我が職場のエチケットです。それはいいことですが、ここのところ三回続けて、入っているのに消されるという憂き目に遭いました。ダイエットを始めてから、昼間に便意を催すことが多くなりまして、よく昼休みに大便に行くのです、わたし。すると誰か入ってきた気配。入っていることを知らせるべく咳払いしたり水を流したりするわけですが、その彼はそれに気づいているのかいないのか、出て行くときにご丁寧にトイレの電気を全部消して出て行きます。よく教育された御仁です。この彼はおそらく洗面所で髪を整えるために入ってきたと察せられますが、個室も小便器も二つずつしかない小さなトイレなのですから、入ってきたときに電気が点いていたら誰か入っているはずだと気を配るのが社会人の常識ってもんじゃありませんかいな。声でも発したら誰だかわかるから注意もできようものですが・・・。オシャレなことはいいけど、まちっと周りに注意を払ってほしいものだ!とかひとりでグチってみても、暗闇の個室にひとり取り残される身はちとうら寂しい。

かと思えば、電気が点いているから誰かいるのかと思いきや、個室のドアにも誰もいない、という状況も最近になってちょくちょく経験します。この付けっ放しの電気も洗面所のところだけですから、鏡を見に来て身だしなみを整えて、そのまま出て行く御仁、これまたひとりの男のような気がします。あら、まさかこれ、どっちも同じヤツだということはないですよね?

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それは本末転倒なのか

遠い昔、若いのに偏食だらけの女性スタッフがおりました。結婚を機に退職しましたが、彼女は今どうしているだろう?と、何故だかふと思い出しました。

そんなんじゃマズいぞ!
将来大変なことになるぞ!
子供ができたらお母さんの栄養の偏りがそのまま影響するぞ!

当時、何度もそんな説教をする私を、いつも「はいはい」と笑いながら彼女は涼しい顔で聞き流していました。彼女をそんな偏食にさせたのは親御さんのせいだし、自分が食べられないものを子どもに食べさせる可能性は極めて低く、そのまま次へ次へとつながることを考えると末恐ろしくなる、とまで思っていましたが、「私もそう思いますが、とにかく今の私にはムリです!」と言い切った彼女。

当時は「全くもって言語道断だ!」と思っていた私でしたが、今、少しその考えが変わってきています。そう遠くもない将来、そんな彼女でも飲むだけで十分補充できる美味しいサプリは世に氾濫することでしょう。どんなに偏食家でも、必要なものは錠剤飲めば大丈夫・・・これを「そんなもの、本末転倒だ!まず食生活改善すべきだ!」と叫んだところで、意味はあるのだろうか?と思うのです。それは、節制せずにバカ食いバカ呑みしているブタ野郎とは根本が違いますし、食物アレルギーのヒトのサプリメントの有効性というのともちょっと違います。「そんなことを許すと子どものときから好きなものしか食べなくなるし、それを許す親ばかりになる!」と懸念するヒトもおりましょうが、でもそれも違うような気がします。子どものころから何でもかんでも食べていたわたしには基本的に好き嫌いの概念が理解できませんが、初めからキライなものって本当は存在しないのではないかしら。食べなきゃ大きくなれないよ、好き嫌いせずに食べなさい!と強いられるから、大してキライでもなかったのにどんどんキライになってしまったとかいうことかもしれない。それなら、逆に最初から無理強いされないことでキライにならないですむかもしれない。などと、そんなことさえ思う今日このごろです。

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受診は仕事である。(2)

(つづき)
彼の糖尿病の悪化は彼の生活態度が悪いからだ。せっかく頑張っていたのにやめてしまったからリバウンドしたのだ。ストレス食いがいかに悪いことか理解してもらって、ストレス解消できる代替法を考えさせるべきだ。

保健師さん方が色めき立ってそう云いそうですが、それも違うと思います。彼のデータは昨年一旦改善しましたが今年再び悪化しました。肝機能も内臓脂肪も中性脂肪も腎機能も全部がVの字型の変化です。でも血糖値だけは違います。直線的に増加しています。つまりこれは、もう一度キチンと努力し直したら改善するのではないかという考えでは解決しないはずです。おそらく機能が低下しながらも大量に分泌されていたインスリンというホルモンが一気に枯渇し始めたのではないかと懸念しています。だから血糖値が突然跳ね飛んだのです。こうなると、最初にすべきは生活の見直しではなく、インスリンコントロールです。だからまず病院受診なのです。食べたくもないものを「食べなきゃ」と思い、食べたいものを「ガマンしなきゃ」と思うだけでも血糖は上昇します。こういう方々は、たとえ薬剤の手助けを借りてでもまず早々にきちんと血糖コントロールするのが一番健全ではありますまいか。血糖コントロールさえうまくいけば変に修行僧みたいな人生を送らなくてもいいし、食べるもののガマンを強いられている感覚が減れば、自ずと食べる量は減っていくものです。

健全な人生を歩もうと思うなら、特にまだ当分ストレスフルな人生を歩まざるを得ないのなら、悪いことは云いません。とりあえず、可及的速やかにインスリンコントロールをしてもらってください。

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受診は仕事である。(1)

徐々に糖尿病が悪化して、昨年専門医宛の紹介状を渡した受診者さんがいます。地場の大きな会社の二代目社長さんです。その彼が今年、さらに一気に糖尿病を悪化させてやってきました。昨年ちょっと頑張っていた野菜から食べる食べ方もやめてしまったし、ストレス解消が食べることだから、どうしてもガマンできなくなった、と自嘲気味に保健師さんに語っていたそうですが、その結果説明のときにわたしが云ったのは一言だけです。

「努力なんかしなくていいから、病院に行ってください」

彼はまだ昨年もらった紹介状を持ったままでした。「仕事が忙しくて行けなかった」という言い訳は、受診したくないからの逃げ口上の可能性もありますが、むしろまじめな性格の彼のことだから、従業員や幹部職員に云い出せないのかもしれないと思いました。自分が頑張ればいいだけの個人の自己管理の問題だから、社長という立場もあって、個人の事情で公務の時間を受診に費やすわけにはいかない、と。空いた時間に行かねばとは思うけれど時間ができないのだ、と。

彼は間違っていると思います。もはやこれは彼の個人の問題ではありません。忙しい仕事中に心筋梗塞で倒れられたら会社全体が困惑するだけでなく、顧客も、関連企業もみんなが迷惑するのです。仕事の合間に時間を見つける? 甘く考えられては困ります。「病院受診するから、その時間は会議を入れないでくれ」というスケジューリングすることは、もはや管理者としての彼の義務だと思います。   (つづく)

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脂質制限論争

最近、脂質制限をする必要がない、あるはしない方がいい、あるは脂肪はむしろとった方がいい、という勧告が国際的にはたくさん出回り始めている事をご存知だろうか? それは脂質制限しても動脈硬化に伴う死亡や全死亡をまったく予防できなかった報告や、高脂質食による介入でかえって心血管疾患が予防できたスタディ、あるいは飽和脂肪酸をω6リノール酸に置き換えたらかえって心血管疾患が増えたスタディなどが立て続けに報告されたことがきっかけのようです。それは日本でも同じだと、先日読んだ北里研究所病院の山田悟先生の解説にも書かれていました。

アメリカでも正式に「コレステロールは過剰摂取が懸念される栄養素ではない」とコメントされましたから、脂肪を控えたところで何も良くならないというのは正解なのではないかと思います。ただ、何かみなさん勘違いしそうな気がしますが、血中コレステロールの値のことの論争ではありません。血中コレステロール、特にLDL(悪玉)コレステロールを減らすために脂肪の多い食材を取らないようにしたり、質のいい脂肪に変えたりしても、ほとんど効果がないぞ!と云っているわけです。それはわたしとしては昔から感じていたことです。LDLコレステロールはたしかに運動では下がらず食事性なのだけれど、よほど乱れた人生を送ってきてない限り脂肪を減らしても値は簡単には改善しませんし、たとえ体重が10キロ減ってもLDLは変わらないという人はたくさんいます。脂肪摂取を減らしてもカロリーが多ければそれで合成されるのがコレステロールですし、持っている体質という点では糖代謝異常よりも頑固かもしれません。やっぱり、あれが良いとかこれが悪いとか、食べ物の栄養素を個別で語っても意味がなく、全体を減らすしかないということなんだな、ということで納得した次第です。

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医者は技術者ではない〜一浪を決めた若き君へ

高校を卒業したばかりのある若者が、今年、国立大学医学部を受験しましたが残念ながら不合格でした。ある理由で、どうしても医療関係に携わりたいという強い想いがある彼は関東の某臨床検査技師の学校も受験し合格しました。そこで、このまま臨床検査技師の道を歩むかあと1年浪人して再度医学部受験を挑戦するかを悩んだ挙句、彼が選んだのは後者でした。

その決断を皆の前で発表した時の彼を見ながら、彼が悩んでいたのが「進学に失敗して一年浪人する」という屈辱感だったと聞いて、ちょっとだけガッカリしました。わたしも一浪したけれど、そのことに何ら挫折感も恥ずかしさも感じなかったし、わたしなんか彼ほど医療に対する思い入れが強かった訳でもないけれど、医学部目指して浪人していたあのときが人生で一番充実していて見るもの全てが新鮮な夢のような一年でした。あの時に自分に芽生えた自信は、勉強だけでなく「オレはやればできる」という確固たる自信としてその後の人生の大きな支えになりました。

医療の世界に生きたいという想いは同じでも、臨床検査技師さんと医者とでは違います。最大の違いは「医者は技術者ではない」ということかな、と思います。医者は技術者ではありません。だから”曖昧”が通用します。そこのところを技師さん方はなかなか理解してくれませんが、医者は人間を人間として対峙するのが仕事です。医者として生きていく上で一番大事なことは、豊富な知識でも卓越した技術でもなく、しっかりした人生観であり経験値です。だから、一年の浪人なんて得でこそあれ何の損もない人生経験です。佳き医者になるために、これからの一年を経験できることは絶対ラッキーだったと思える日が来ると信じます。だから、間違っても試験勉強だけに没頭するような日々にならないように、と願います。

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老化のシミ

最近テレビの健康番組を見ていると、「脳の深部白質病変があると動脈硬化が進行していることを示していて、これは認知症になる一歩手前の恐ろしい状態なんです」とか、「眼底検査のときにドルーゼンがあると動脈硬化が進んでいたり黄斑変性症の前触れだったりしますから要注意です」とか、まるで鬼の首を取ったかのようなテンションのナレーションや司会者の声を聞く機会がありまして、その都度「えっ?そりゃ云い過ぎやろで!」と声を上げてしまいます。

『深部白質病変』というのは脳MRI検査で脳の中に白い斑点が散在する所見です。脳の細い血管の動脈壁が硬くなるとそこからタンパク質が脳内に滲み出てきてそういう画像を作るのだと、教わりました。高血圧などの影響が考えられるので血圧の管理をきちんとしましょう、とアドバイスする所見。それだけのことです。脳ドック学会の講習を受けた時も大した扱いはしていませんでしたし、ある程度の年齢になればだれでもそれなりにできるもの、いわば「老化のシミみたいなもの」と理解していました。眼底の『ドルーゼン』も日本語訳は”老人斑”です。毛細血管の動脈硬化のカスだと云われればその通りですけど、これも「老化現象」と捉えていますから、読影時にもあえて指摘しないことの方が多い所見です。

これらが40歳くらいの若いひとに見られるなら注意を促しますが、それなりの年齢になればあって当たり前、ないヒトの方がすばらしいのであって、これをもって生活習慣の不摂生が祟ったのだと異常に強調されるのはとても心外です。もともと、こういう検査を人間ドックで受けようとするヒトは健康意識の高い方です。そんなヒトたちに「今にも大病を患うぞ」と云わんばかりの扇動の仕方をするのは、いかがなものでしょうか。

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遺産(レガシー)効果

I型糖尿病と診断された時に、初期の段階で可能な限り厳格な血糖管理を行うと、従来の血糖管理を受けた患者さんよりもその後の合併症が有意に少なくなることを遺残効果またはレガシー効果と云い、もはや糖尿病管理をする上では常識です。その後の血糖管理が全く同じに行われても、最初に厳格管理されたかそうでないかで、何年もあとの腎障害や心血管イベントの発症率に有意な差が生まれるのだそうです。このたびさらに死亡率の差を比較したデータがJAMA(2015;313)に報告されたそうですが、何と27年経った後ですら、死亡率に有意な差を認めました。これは大変な結果です。初期の治療を誤ったら、その後どんなに反省して頑張ってももはや一生その差は埋められないぞと引導を渡されたようなものです・・・残酷ですねえ。実はこのレガシー効果はII型糖尿病でも云えることがすでに報告されています。

さて、一方、イギリスの後ろ向きコホート研究によると、高血圧患者さんにも似たような結果が出たことが報告されました(BMJ 2015;350)。降圧療法を強力に行うようになったときの血圧が130~150mmHgだったら心血管イベントや全死亡リスクは上昇しないけれど、150mmHgを超えていたらリスクが上昇したというのです。上昇してから治療を開始するまでの期間が1.4ヶ月でも2.7ヶ月でも同じだった、つまりたとえ軽症でも躊躇せずに早期からきちんと降圧剤治療を開始すべきである、あとで後悔してももう遅いぞ!という厳しい結果だと読み解きました。クスリは飲むべきか否かが永遠のテーマである高血圧の世界でも、患者さんも医者も両方を悩ませる結果の報告です。わたし的には、手段はともかく、とにかく血圧は早々に下げておくに越したことはない!と思います。わたし自身、もしそうしていたらあの冠動脈の石灰化は起こらなかっただろうなあ、と。

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スタチンと糖尿病

スタチンによる糖尿病リスク,従来報告を上回る46%の上昇

かつて”夢のクスリ”と称されて、動脈硬化予防のためにとりあえず使っておくのに越したことはなく、コレステロールは下げられるだけ下げたいから積極的に服用することが推奨されてきた高コレステロール血症治療薬のスタチン系薬剤が、最近かなり逆風にさらされています。スタチンを飲むと糖尿病になりやすいというのです。糖尿病、というか食後高血糖を起こすときに動脈の内膜を通して変性コレステロールが血管壁内に入ることでプラークが生じるきっかけになるわけだから、血糖コントロールと脂質コントロールは切っても切れない関係にあるのですから、こういう結果は治療する立場の人間にはとても困りますよね。それに対する反論ももちろんたくさん出されてきていて、健診受診者さん方も「どうするのがいいのでしょう?」とか「本当はどうなんですか?」とか気軽に聞いてきますけど、「知ったこっちゃありませんよ。主治医に聞いてくださいよ」というのが本心です(笑)

今回の報告は、フィンランド・University of Eastern FinlandのHenna Cederberg氏らが地域住民コホート研究METSIMの結果を解析して、スタチン療法を受けていた人では受けていなかった人に比べて2型糖尿病を発症するリスクが46%上昇することが分かったとDiabetologia(2015年3月4日オンライン版)で報告したものです。どうも、スタチンはインスリンの感受性を落としたりインシュリン分泌を低下させたりする作用があるようだ、と指摘されています。そう云いながらも、最終的に「だからスタチンを使うべきではない」と結論づけずにうやむやにするところにちょっと政治的な臭いはしますが、たしかに臨床現場を混乱させてもあまりメリットはなく、そういうことを踏まえた上でそれでも使った方がベネフィットがあると判断する場合に今まで通りの処方をしましょうということになるのでしょうか。

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リーダー論

知人のフェイスブックへのシェア記事を読みました。

変化するリーダーの資質:あの日、Twitterのくじらが出なかったもう1つの理由

この話自体は、4年前の大震災時にtwitterがなぜダウンしなかったか、というおはなし。Twitterの一エンジニアが自らの判断だけで日本向けサーバーを3倍に増設したこと、常々、そのエンジニアの上司が、『会社やボスの命令で体を動かすのではなく、会社や社会のためにどうすればいいかということを判断して体を動かしなさい。あなたがこの会社に勤めている限り、自分自身の判断で行動しなさい』と云っていたことを説明していました。

「彼のボスは、ボスである自分の判断を待つことなく、組織を作る1人1人に自ら判断するよう呼び掛けていた。他の通信手段がバタバタと落ちていったとき、Twitterだけが生き残っていたことには、こうしたボスの資質が大きく影響していた。彼のような“リーダー”は、自分の判断が全てとは思っていない。たとえ自分とは異なる判断であったとしても、それを否定するのではなく『あなたも正しい、でも私はこう判断する』というような考え方をする。これからは、こういった考え方を持ったリーダーが求められる」というコメントも書かれていました。

うちの組織も、今、若きリーダーたちの自主性を活かそうとする組織作りに取り組んでいます。あえて委員会の委員長に役職のない人間が登用されたり、常にリーダーたちの意志を室長が吸収するシステムが出来上がろうとしています。この試みはもう10年以上前、わたしがこの組織に移った頃からありました。でも、そこには大きな壁がありました。どんな意見も上の方でことごとくにはねのけられてきました(少なくとも傍から見てわたしにはそう見えました)。「まだそんな甘い考えではダメだ!」という理由で。それでは、この試みは全く機能しません。何を考えてもムダだから。今、やっとそこを乗り越えようとしているところ・・・若きリーダーたちにも年寄りの上司たちにも是非読んでいただきたい記事でした。

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『GO WILD 野生の体を取り戻せ!』

最近、facebookを通して記事を読むことが多くなった精神科医の樺沢紫苑先生のメルマガに紹介された本です。先生のメルマガにある紹介文をそのままコピペすると

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糖尿病、高血圧、高脂血症などの生活習慣病、
さらに癌などは、原始人には全くなかった病気。

近年の私たちの生活習慣に問題があり、
原始人の生活習慣にこそ健康の秘訣が隠されている、というものです。

「原始人の生活習慣」にフォーカスしているものの、
最新の医学研究を網羅しながら、
「食」「運動」「睡眠」「同族意識(つながり)」など
なにが本当に「健康」によいのかを探っていく内容で
ミステリーのようなおもしろさがあります。

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とありました。メルマガでは特に糖質制限に触れ、本書はローカーボを勧めているとか、問題になる糖質は砂糖(コーラのような砂糖水)と精製された炭水化物(白米など)であって要するに食後高血糖がイカンのだとか、そんな解説がありました。彼をして「今年読んだ本の中ではベストワンの一冊」 とあったのでつい例によってamazonで注文してしまったけれど、何か、嫌な予感がします。またしてもわたしにとっては常識のことばかり書かれていたりしないだろうか? 食以外の部分に期待して買ってみましたので、何か新しい感動があったらここでご紹介いたします。乞うご期待。

 

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恋人(タニタAM-150)との別れの時

この三ヶ月あまり、ずっとわたしに優しく寄り添い、お風呂の時以外は片時も離れなかったわたしの相棒(もはや、相棒と言うよりは恋人)がとうとう今週わたしの元から去っていきます。担当保健師さんが奪い去りにくる、という通知メールが届きました。妻よりもはるかにわたしの行動の何もかもを包み隠さず知っていて、愛犬セイラよりもはるかに長い時間を共に過ごしました。Wellness Programのエントリーのおかげで君に出会い、毎日毎晩そっと君を見つめながら、「あと4000歩足りないから今日の散歩は動物園まで足を伸ばすか?」とか、「こんだけ歩いてるのになんでカウントしないんだ?」とか「オレ頑張ってるよね〜」とかいう独り言を、いつも静かに笑顔で聞いていてくれてありがとね。10キロ減量はさすがにできすぎだけど、これは何もかもが君のおかげだね。

これから寂しくなるねえ。ボクは君なしでもちゃんと毎日10000歩を確保できるだろうか?君の元締めの体組成計の上にはもう二度と載らないよ。君なしでは載る権利を与えてもらえないのさ。「新しい万歩計を買ったらいいんじゃないの?」とか云うひともいるし一度はそれも考えたけどね、僕はそんな浮気性じゃないんだ。まあしばらくは君のことを思い出しながら、いつも君のアドバイスに従って歩いていたことを思い出して、頑張ってみるよ。

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睡眠の常識(2)

一方で、保健指導リソースガイドで配信されたニュース『睡眠不足が3日続くと糖尿病や肥満に悪影響が 脳のメカニズムにも異変』~睡眠障害が脳のメカニズムに影響を与え、血糖コントロールの改善には睡眠の質を高めることが必須である、という情報もまた、今や常識です。ちゃんと研修しました。わたし。

この記事によると、睡眠不足が4日続くと遊離脂肪酸が深夜と早朝に上昇するそうです。つまり脂肪細胞の中の中性脂肪が大量に分解されて血中に放出されて長時間維持されたことになり、インスリン感受性が低下して糖尿病や肥満の元になると云いたいようです。また、その他の研究では一晩だけ睡眠不足になっただけで脳は「脂肪をもっと摂りたい」という欲求にまみれ始めるというのもありました。徹夜したあとは正常睡眠のあとと同じカロリーを摂っても、明らかに脂肪摂取量が多くなって炭水化物の摂取量が少なくなるのだそうです。脳が疲れたら炭水化物(糖分)を要求するのかと思ったらそうじゃないんですね。

睡眠の理屈は、まあ結局食事の理屈と同じで、あまり理屈をこね回すことなく、自分のカラダの中からの欲求に従うことが一番だということになり、今の世の中はその自分のカラダの中からの欲求が本物か偽物かの区別がつきにくいのが一番の問題なのだろうなと思う次第です。素直に、自分の感覚に従えるような自分の感性を磨きたいものだと思います。

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睡眠の常識(1)

ここ数年、わたしもしっかりと新しい睡眠の常識をすり込むことに成功していますから、「8時間寝ないと身体に悪い」とか「眠れなくても布団に入って身体を休める方が身体に良い」とかいうことが全て間違いであることを聞いても、今更、という感じです。

先日送られてきた日経メディカルの『攻めの不眠診療〜睡眠習慣を変える3ステップ』の中の『睡眠への「誤認」を解く』を読みながら、そう思いました。

歳を取るほどに睡眠の質が落ちてリズムも壊れて長時間眠れないのは当たり前。眠れないときにカラダだけでも休ませるために布団に入ると一層眠れず、布団は「眠れない場所」としてココロに刻まれる。夜の7~10時は「睡眠禁止帯」で本来眠ろうと思っても眠れない時間帯なのにムリして床に就こうとすることがナンセンス。などなど、まあ、何度聞いても、考え方は変われば変わるものだなあと感心するやら恐ろしくなるやら。まだ循環器内科医をしていたころ、夜なかなか眠れないという患者さんに「アタマが休まらなくてもカラダを休めるだけでだいぶ違いますから、焦らずにせめて布団に入って横になっておくだけでもした方が良いんじゃないですか」とまことしやかに話していたことを思い出します。「あのヤブ医者、昔そんなウソをわたしに云うたバイ」とか思ってるんじゃないだろうか?とか思ったりします(年齢的にもう他界されているとは思いますが)。

それにしても、「眠くなってから床に就け」「睡眠は長ければいいってもんじゃない」ということを正解にするとき、眠くならないからといって夜中まで暗闇の中でゲームやネットに興じ、短時間睡眠で生活し、体内リズムを崩壊させながら歳を取っていく現代社会の若者の皆さんの行く末を思うと、恐ろしくなります。

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魅力的?

先日の保健指導リソースガイドに出てたんですけどね、

アルコールを飲むと魅力的に見える

て。ワインを飲んで顔写真を撮ったとき、一番魅力的に見えたのが「ワインを一杯飲んだとき」で、もっとも魅力的じゃないのが「ワインを2杯飲んだとき」だと。

こんな研究でも論文になるのがスゴイですね。で、どうなの? だから、何なの?

さて、この報告から何を学びましょうか。酒は、「かんぱーい!」てときが一番魅力的だから、ここで口説きなさい。2杯め以上飲んだときは、もう口説くのはあきらめなさいってか?

それとも、「だから飲み過ぎるな」ってことか?

ん~まあ、どうでもいいのだけれど。

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さて、困った。

サウナで心疾患死亡リスクが低下

HealthDay2015.3.9掲載のこの記事。フィンランドの報告でJAMA Internal Medicineオンライン版に2月23日掲載されたものだそうです。日本ではなくフィンランド人の報告だとはいえ、サウナで過ごす時間が多ければ多いほど心疾患の死亡リスクが下がる、と断言されています。早速フェイスブックにもYahooニュースで出ていたから多くの人の目に留まることでしょう。詳細をそのままコピペすると、

・心臓突然死のリスクは、週2~3回サウナを利用すると22%低下し、週4~7回利用すると63%低下する。
・致死的な心疾患のリスクは、週2~3回サウナを利用すると23%、週4~7回利用すると48%低下する。
・心疾患または脳卒中による死亡リスクは、週2~3回サウナを利用すると27%、週4~7回利用すると50%低下する。
・週1回のみサウナに行く男性に比べて、週2~3回の男性の死亡リスクは24%低く、週4~7回の男性では40%低かった。
・サウナで過ごす時間が11分未満の男性に比べて、11~19分の男性の心臓突然死のリスクは7%低く、19分以上の男性では52%低かった。

です。「サウナ大好き!」「サウナ命!」の男性は老いも若きもたくさんいます。そんなヒトに限って糖尿病や高血圧や動脈プラークだらけのカラダだったりして、「悪いことは云いません。サウナだけは止めた方がいいです。サウナに入っている最中は血液がドロドロになっていていつでも血栓ができます。冷水に入ったり暖めたりの繰り返しは血管の歪みを助長させるからプラークのある方には危ないんですよ」と言い続けてきたわたしなのです。日本のサウナ習慣との違いなどはわかりませんが大差はありますまい。これを知ったサウナフリーク連中は「ほれみたことか!」とまた色めき立つに決まっています。健康体のヒトの一次予防ならともかく、リスクファクターの多い方や高齢者にはやっぱり勧めるべきでないものだと思うのですが、どうなのでしょうか。

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運転中の独り言

前を行く車のドライバーはどうも乱暴である。突然の割り込みをしたかと思ったら妙にチンタラ運転したり。こういうドライバーは絶対信号無視をする。ほら、案の定、変わり際の全赤で交差点に入っていった。そんな無理をしてもどうせ次の信号で引っかかるから、ほら、結局追いついちゃったよ。笑っちゃうよね。バックミラーで追いついてきたオレを確認したかなあ。バツが悪いだろうなあ。どんなに急いだって大した違いはないと思うよ。

とか思った翌朝、ふと気付いたら遅刻しそう。慌てて出てきたが、まあこんな日に限ってよく信号に引っかかる。勘弁してよ!と、思ったら前方信号が黄色。がんばったら行ける! 急いでアクセルを踏み込む。後続車を振り切って自分だけ前に出た。でも、結局次の信号で引っかかっちゃって、しばらくしたらさっきの後続車がやってきてまたわたしのうしろに付いた。ふん!だ。別にいいもん。別に何の後悔もしてないよ。バツが悪いだろうって?  んなことあるもんか。これはたまたまなんだから、うまいタイミングだったらあそこで無理したかしないかで遠い先まで行けた可能性はあるんだから。報われなくても努力は大切なんだよ。

一人で運転していると、いつもこんなことばかりつぶやいて一人ツッコミしています。

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自分の中での言い訳合戦

ピロリ菌の除菌を勧められたが、いろいろ役職を引き受けて避けられない宴席が多いので一週間も禁酒するのは不可能だから治療を断念した、とある会社社長さんが話しているのを聞きながら、「そんなもん、言い訳にもならないわ」と笑ってしまいました。人間、毎日毎日、どこか自分自身に言い訳をしながら生きています。

今回わたしがやせた最大の理由は、朝食を取らないことを徹底させたことです。朝食べないと、朝の9時か10時ごろには必ず腹が空いてきます。でもそのまま放ったらかして1〜2時間経つと、「こいつは待っても無駄だ」と自分自身の何かが自分のカラダの意思を自己判断して、舌打ちしながら脂肪細胞や肝臓に貯めておいた大事な在庫を出します。それを何度も繰り返すうちに、「こいつは意思が固い」と諦めて最初から早々に在庫を使うようになります。

一方、「腹減ったぞ!」「早く補充せんと大変なことになるぞ!」と騒げばすぐに餌を探してきてくれる、あるいはとりあえず抵抗するふりはするけれど最終的には必ず何か食べるに決まってると自分自身に見切られたら、自分は絶対に在庫には手を出しません。騒いでおけば必ずなんとかするのだから静観です。

自分の身体の中での駆け引きだから、お互いに相手を知り尽くしているわけで、負けた方はそれなりの言い訳を自分自身にしますわね。「こういうときのために貯めておいたのだから使って問題ないさ。やせたしいうことなし!」「低血糖になると命に関わるから危ないでしょうが!」などと。でも、結局は自分の中の問題。だれも非難しないし、だれも褒めてはくれないわけで、自己解決させて自己満足することになります。勝っても負けても自分自身に返ってくるだけのはなし。どっちを『自分に勝った』と云うのでしょうかしらね。

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『やせる』と『締まる』

『やせる』と『しぼむ』は違う、ということをここに書いたことがありますが、最近、自分の身体の中から違った感覚が発せられていることに気づきました。リバウンドしてから書くと白々しくなるから早めに書いておきますが、ここ一、二週間、体重はほとんど変わらないけれど、何か『締まった』感覚があります。この3ヶ月間、ほぼ直線的に体重と体脂肪率が減りましたが、減り続けている時期にはなかった感覚です。どう云ったらいいのでしょう。蓄積していたエネルギーが箱(細胞、または臓器)から消えていく間、箱だけはしばらく元の形のまま静観の構えだったけれど、次のステップとしてその箱自体が潰され始めた感じとでもいいましょうか?

がんばって見る見るやせていってるときにはだれも何も云ってくれないのに、その後半年とか一年とか経て少しリバウンドし始めた辺りになって、「あれ?最近、やせた?」とか聞かれることがあるのは、こういうことなのかな、と思った次第。

たぶん、このままもうしばらくがんばれば箱が潰れてしまって、そう簡単には元に戻らない細胞構成に変わるのかもしれません。なら、まちっとだけがんばりますか。

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酸性食と腎不全

肉の多い酸性食が腎疾患患者にリスクをもたらす

HealthDay Newsの2015.3.2の記事によると、慢性腎疾患を抱える患者が日常的に肉の多い高酸性の食事を食べていると腎不全リスクが増すという研究報告が、カリフォルニア大学サンフランシスコ校から発表された(腎疾患患者約1500人を14年間調査したところ、高酸性の食事を摂取していた群は腎不全リスクが低酸性食を摂取していた群の3倍になったというもの)のだそうです。腎機能障害があれば代謝性アシドーシスになりやすいから野菜を食わずに肉ばかり食う食生活が腎機能を悪化させるであろうことは、医療従事者であれば腎臓専門医でなくても想像できるはなしで、特段目新しい内容もないように感じるのですが・・・。

「慢性腎臓病患者が腎不全の進行を抑えるために高酸性の食事の摂取にもっと注意を払う必要がある」とか「果物や野菜に富む健康的な食事を取り入れることで、透析治療を避けることができる」とか専門家たちが結論付けているようですが、きっと問題はそんなことではなく、慢性腎臓病患者さんは総じて野菜が嫌いでお肉が好きなのだということでしょう。高血圧患者さんが塩分が好きで、糖尿病患者さんがカロリーリッチな食べ物に目がないのと同じように、そうすれば良いということやそうすべきだということは重々承知なのだけれど、できないのだという現実。どんな専門医や専門ナースであっても実感できない当事者だけの悩みにどうアドバイスしてあげられるのか? 他の動脈硬化疾患の予防にもつながる大事なこと。「しないと悪くなる、すれば良くなる」という臨床データをいくら並べられても、行動変容にはつながりません。人生、好きなことして過ごしたいんですもの。ぜひ、ここで皆が動き出せる画期的なアドバイスを提示してほしいものです。

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何を先にやる?

どうしてもしなければならない面倒くさいことと大好きな自分のしたいこととが目の前にあったら、あなたはどっちから先にやりますか? 並んだ料理は何から先に食べますか?と云うのと同じかもしれませんが、わたしは間違いなくイヤなもの、キライなものから片付けます。夏休みはまず宿題から。旅から帰ってきたら腰掛ける前にまず旅行カバンの中の片付けから。好きなものを食う前にキライなものから。

賛否両論ありましょうが、わたしはそれが一番落ち着くから、子どものころからそうする習慣でした。ほとんど対極にあるわたしの姉や妻の生き方を非難する気はありません。夏休みの宿題、結局やり終わるころには夏休みも終盤だったりしますし、最終日の夜に泣きながら残りをやったりもしました。でも、最初にしなかったらしないで済んでないことをずっと思い続けるココロの重さがあるから、それに比べれば良いかなと考えます。先にキライなものを食べると好きなものを食べるときにイヤな臭いが口に残っていて結局全部が美味しくない!というのが姉の言い分でしたが、最後の最後にキライなものを食ったらそれの臭いだけがいつまでも残るじゃないか!と言い返していました(もっとも、彼女はそう云っておいて最後はキライなものを全部残すのが常でしたから、『卑怯者!』と思ったものですが、そういうズルは先に食ったら絶対できないですね)。

いや、ちょっと先日、妻とそんなやりとりがあったもので書いてみたのですが、どっちもどっち。結局自分が納得して落ち着く方法を実行すればいいこと。周りは自分に干渉せず、自分も他人に干渉せず、がよろしいかと存じます。

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一次予防って?

最近、何度も同じことばかり書いている気がします。巷で流行りの”健康習慣”って、いわばわたしたちの世界で云うところの”一次予防”なのですが、その考え方がなんかおかしい気がします。

「健康のために食事に注意する」というのは、もちろん分かります。でも、「心筋梗塞を予防するために何を食べるといい」とか、「がんにならないために何をするといい」とか、それは”一次予防”ではないんじゃない?という思いが強くなるばかりです。

健康であるということと病気にならないということは根本が違うと思います。それを考えると、一次予防って何?と考え込んでしまうのです。予防医学の世界では「病気にならない人生を送るために日々の管理をすること」を一次予防と呼びます。そのことに何の疑問も持たないでいましたが、そんな人生、ちっとも明るくないし、楽しくないですよね。二次予防や三次予防となんら変わらない、ただの言葉の遊びのような気がしてなりません。

予防とはなんら縁のない世界こそが”一次予防”である、というのがホントの定義である!ですよね。

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朝食

日本抗加齢医学会雑誌の『100歳まで生きるための本100選』のコーナーで、今回同志社大学の八木雅之先生が選んで解説していたのが、『時間栄養学が明らかにした「食べ方」の法則』(古谷彰子、柴田重信、ディスカヴァー21社)という本。

人間の時計遺伝子であるピリオド1(Per1)という物質が発見されて以降体内時計の研究が大きく進み、栄養学を体内時計の観点から論じたものを時間栄養学というらしいです。『体内時計』のお話は大好きなので、その記事に目が止まってしまったのですが、地球の自転周期と体内時計のズレを毎朝リセットさせる方法が光と食事。光は良いとして、栄養学のはなしですから自ずと話題は朝食になります。何しろ、「健康のために朝食は食うな!」という元東大の小山内博氏の持論を実行して健康的に生きているわたしには、耳が痛いことばかりなんです(笑)

米、小麦、トウモロコシなどの穀物デンプンはサツマイモやジャガイモなどのイモ系デンプンよりも体内時計をリセットさせる作用が大きい(食後血糖を上げやすい高GI食だからインスリンの分泌をより促すためらしい)。マグロやニシンの魚油は大豆よりも体内時計を動かす作用が大きく、即効性がある(魚油のω3脂肪酸が回腸の受容体を活性化させてインスリンの分泌を促す)。だから、結局理想の朝食がご飯、魚、味噌汁、納豆であると。それがダメならツナサンドと牛乳がいいぞ、と。食事量は朝食:夕食が3:1がいいぞ、と。う〜ん。「夜間に十分な絶食時間を設け、1日の食事バランスを考えた上で、朝と決めた時間帯にしっかり高GI食品や魚油を食べ、夕食の量を抑え目にして低GI食品を食べる計画を立てることが重要」って。どうですか、みなさんまったく逆の生き方してませんか?

 

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タッチ

今回のアンチエイジング医学(日本抗加齢医学会雑誌)の特集は『メンタルヘルスの基礎と臨床』。メンタルと関連するホルモン(セロトニンやオキシトシン、コルチゾル、ドパミンなど)や自律神経系の反応について書かれていましたが、中でわたしが興味を持ったのが『タッチの効果』と『仏道修行』(やっぱり、それ?(笑))。

『タッチによるストレス反応の抑制』と題して、触ることの効果を医学的なエビデンスやメカニズムを踏まえて東京都健康長寿医療センター研究所の堀田晴美先生が解説されました。直接触るとか優しく擦るとか手を握るとか、そんなことだけで不安を取り除いたり、認知症患者さんの感情失禁を落ち着かせたり、あるいは線維筋痛症などの難治性疼痛症状を改善させたりすることは経験的に知っています。ユマニチュードなどはまさしくそんな効果を系統的に行う方法です。これを、単なる精神的な問題だとか単なるプラセボ効果や気のせいだと鼻でせせら笑う輩に対して、皮膚刺激の知覚神経繊維の反応やらコルチゾル量の測定やらセロトニンなどの脳ホルモンの測定などを基にして行った実験結果が提示されたことは意義が大きいでしょう。

今、知人が線維筋痛症の痛みを取る機器を開発しています。これ、「気のせいとかじゃなくて本当に痛みを定量的に評価してもきちんと効果が実証されてるんだ」と息巻いていましたけど、もしや磁場やイオンの流れのどうこうではなくて、そっと触っていることが意義があったりしないのだろうか、とか思ってみたり。

とにかく、愛情を込めてタッチしてあげること。恋人や最愛の我が子や愛おしいペットたちを撫ぜてあげる感覚で患者さんにタッチすることでたくさんの恩恵がお互いに訪れるなんて、素晴らしいことではありませんか。

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歩道

一日の歩数を稼ぐために、最近、独り歩きをすることがあります。せっかく一時間以上も歩くのだからできるだけ行った事のないところを歩いてみたくて、知らない路地をつい曲がってみたりなんかするものだから、思いのほか遠くまで歩いてしまいます。それはそれで面白いのですが、こないだの日曜日に雨上がりの道を歩いていたら途中から右の足首が痛くなりました。「歩きすぎたのかな」と一瞬思ったのですが、その後に商店街や狭い道の真ん中を歩き始めたらその痛みがすっかりなくなりました。

ここで、私の右足首が痛くなった原因が歩道の傾斜のせいだということに気づきました。歩道って、水はけをよくする目的なのでしょうが、道路側に少し傾いているのですね。ずっと同じ方向に微妙に傾いているのを歩き続けるから痛くなる。だから商店街の真ん中や平坦な道路を歩くと痛みが取れるのだと考えると合点がいきました。

ただ合点がいかないのは、『歩道』なのに歩道を歩く方が身体に悪いということ。無意味にガタガタしたり、自動車の通る路面は定期的に改修するのに歩道は広くするとき以外は部分補修ばかりだから本当に凸凹で歩きにくい。その上に、整備されている歩道でも斜めになっているということは、基本的に最初から歩道を長時間歩くなんて想定されていないってことですよね。・・・『歩道』なのに。

 

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チョコレート談義

高倉健さんが無類のチョコレート好きだった話は有名ですが、今やチョコレートが健康の敵だと思っている人はかなり少なくなっているのではないでしょうか?それでもたしかにダイエットの敵、糖尿病の敵、ニキビの敵とばかりに若いお嬢さん(若くないお姐さんも含めて)が食べたいのをジッと我慢する姿もいじらしい(笑)

日本抗加齢医学会の学会誌2015年2月号の誌上ディベートは『チョコレートの是非』でした。是の立場が板倉弘重先生。チョコレートには強い抗酸化作用があること、製品となったチョコレートには食物繊維とポリフェノールやミネラルが豊富に含まれていること、だからチョコレートを食っている人の方が肥満度(BMI)はむしろ低下していたりすること、つまりカカオ成分が多いチョコレートほど肥満抑制効果と抗炎症作用が強いことが期待されるそうです。さらにチョコレートには脂質組成を改善させる作用、血圧低下作用なども報告されていて、その他、血小板凝集抑制作用、NO産生増加と分解抑制、糖代謝改善、LDL酸化抑制、脳の認知機能の改善、発がん抑制作用・・・こうたて続けに並べられると、甘党ではないわたしですらニンマリしてしまいますね。

否の立場の米田正始先生から提言されているように、製造過程で加えられる多量の砂糖やミルク(乳糖)と大量の脂質・・・まあ、要するに食いすぎてはいかん、たくさん食えば食うほど良いというものではないということ・・・当たり前さーと思いながら、これが途中で止められない悪魔の食べ物として作られているところが、人間の弱さに付け込んでココロを惑わす存在なわけでしょうか。まさか、『まんじゅう怖い』『◯◯は嫁に食わすな』的な警告だったりして?

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ハウツー物ばかり買ってしまう?

「『あなたはハウツー本ばかり読むのね』と妻にいわれて気付いた。たしかにぼくは小説を読まずに、『◯◯に成功する本』とか『人生をいかに生きるか』みたいな本ばかり読んでいる」と、むかし、同僚の先生が云っていたのをふと思い出しました。最近、わたしも小説を読まない。本そのものもあまり読まなくなったのだけれど、大好きだったハードボイルド小説とか医療サスペンスとかも買わなくなったなと思います。老眼になって読むのがつらくなったというのはあるのですが、でも、ハウツー本は買ってしまう。Facebookなどで紹介されているとすぐにAmazonでプチっとクリックして、そして数日後には手元に届くわけです。

わたしが興味を持って買ってしまうハウツー物はどちらかというと変わり者の著者の一風変わった論理のものが多く、「今までの常識とは違った切り口」とか「目からウロコの奇抜な発想」とかいうキャッチコピーに惹かれて買ってしまいます。ところが、買うけれど最後まで読まないことがこれまた多くなってきています。だって、ちっとも奇抜じゃないし、目からウロコどころかそんなことわたしゃむかしから実践しているし、みたいなものばかりで、数ページ読むともう飽きてしまうんです。困ったものです。何もかもが陳腐に見えて、先が読める。今度こそは、と思って買っては読みかけで止まることを繰り返しているうちに、我が家には読みかけの本ばかりであふれています。

もしかして、わたしが一番変わり者なのかしら?(笑)

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目が不自由であるということ。

妻は、遠く用と近く用のメガネを別々に持っています。ゴルフをするとき、遠く用メガネをしないとボールに当たりません。でも、遠く用メガネだとスコアカードが書けません。「あなた、私のスコアもつけといて!」 と、社長さんみたいなことをほざきます。一方、わたしのコンタクトレンズはアバウトです。遠くも近くもほどほどに見えるように作っていますから、遠くも近くもほどほどにしか見えません。それが、歳とともに徐々に一層近くが見えなくなってきています。薄暗いところで小さなものを読むなんてことは、どんなに頑張ってもまったく不可能です。

こういうことは、若いころには、ホントにまったく理解できない『年寄りの戯言』だと思っていましたし、「見えにくい」と云ってもそれなりに頑張ればなんとかなるだろうと考えていました。だから、頑張ってもどうにもならないものはあるのだ、それは誰もが経験するものだけれど経験した人にしかわからないぞということ、しっかりと思い知らされております。

目が不自由だということは、そのまま日々の生活に絡む憂鬱さです。でも、これによって"あきらめる"ということを学習します。それは敗北ではなく順応です。"受け入れる"という選択はつまりこういうこと、生きていく上ではよくあることです。でもね、遠近両用メガネ、コンタクト+メガネ、遠近両用コンタクトなど、何かによって世の中が嘘のように明るく輝くのではないかという期待は正直あるのです。無いものねだり、でしょうか。来週、コンタクトレンズを新調しに、眼科を受診する予定です。

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