目が不自由であるということ。
妻は、遠く用と近く用のメガネを別々に持っています。ゴルフをするとき、遠く用メガネをしないとボールに当たりません。でも、遠く用メガネだとスコアカードが書けません。「あなた、私のスコアもつけといて!」 と、社長さんみたいなことをほざきます。一方、わたしのコンタクトレンズはアバウトです。遠くも近くもほどほどに見えるように作っていますから、遠くも近くもほどほどにしか見えません。それが、歳とともに徐々に一層近くが見えなくなってきています。薄暗いところで小さなものを読むなんてことは、どんなに頑張ってもまったく不可能です。
こういうことは、若いころには、ホントにまったく理解できない『年寄りの戯言』だと思っていましたし、「見えにくい」と云ってもそれなりに頑張ればなんとかなるだろうと考えていました。だから、頑張ってもどうにもならないものはあるのだ、それは誰もが経験するものだけれど経験した人にしかわからないぞということ、しっかりと思い知らされております。
目が不自由だということは、そのまま日々の生活に絡む憂鬱さです。でも、これによって"あきらめる"ということを学習します。それは敗北ではなく順応です。"受け入れる"という選択はつまりこういうこと、生きていく上ではよくあることです。でもね、遠近両用メガネ、コンタクト+メガネ、遠近両用コンタクトなど、何かによって世の中が嘘のように明るく輝くのではないかという期待は正直あるのです。無いものねだり、でしょうか。来週、コンタクトレンズを新調しに、眼科を受診する予定です。
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コメント
私の母は掃除をしてないことを責められると突然、老眼・白内障になり「ホコリ・ゴミ」が見えなくなります(笑)。
年寄りは羨ましいと思ってましたら、なんと夜に書や硬筆の稽古をすると字が見えにくい年齢に自分もなっていました(汗)。
まあ、晩年のドガもほとんど字が見えなくて、素早く描けるスケッチに切り替えてましたから。
ときに面接は受かりましたよ~。明日から研修です。また一年もしないうちに「辞め時」が来ないことを祈っててください。
働きだすと、たらふく飲めないんで、今日のうちに「酒場という聖地」へ。毎日酒場放浪記(福島バージョン)何杯目?
投稿: コン | 2015年3月 1日 (日) 12時15分
コンさん
そうなんですよ。大事な書類に字を書こうとしてもこの世のものと思えない浮遊感があって、後で裸眼で見直したらすごく雑だったりします。小学校の頃、母親が下書きの字をなぞってるのに全然合ってないのを見て、なんていい加減な人間だ?とバカにしていたのを今になって後悔しております。じゃ、しっかりハシゴしてください。初日から遅刻しませんように。
投稿: ジャイ | 2015年3月 1日 (日) 15時06分