それは本末転倒なのか
遠い昔、若いのに偏食だらけの女性スタッフがおりました。結婚を機に退職しましたが、彼女は今どうしているだろう?と、何故だかふと思い出しました。
そんなんじゃマズいぞ!
将来大変なことになるぞ!
子供ができたらお母さんの栄養の偏りがそのまま影響するぞ!
当時、何度もそんな説教をする私を、いつも「はいはい」と笑いながら彼女は涼しい顔で聞き流していました。彼女をそんな偏食にさせたのは親御さんのせいだし、自分が食べられないものを子どもに食べさせる可能性は極めて低く、そのまま次へ次へとつながることを考えると末恐ろしくなる、とまで思っていましたが、「私もそう思いますが、とにかく今の私にはムリです!」と言い切った彼女。
当時は「全くもって言語道断だ!」と思っていた私でしたが、今、少しその考えが変わってきています。そう遠くもない将来、そんな彼女でも飲むだけで十分補充できる美味しいサプリは世に氾濫することでしょう。どんなに偏食家でも、必要なものは錠剤飲めば大丈夫・・・これを「そんなもの、本末転倒だ!まず食生活改善すべきだ!」と叫んだところで、意味はあるのだろうか?と思うのです。それは、節制せずにバカ食いバカ呑みしているブタ野郎とは根本が違いますし、食物アレルギーのヒトのサプリメントの有効性というのともちょっと違います。「そんなことを許すと子どものときから好きなものしか食べなくなるし、それを許す親ばかりになる!」と懸念するヒトもおりましょうが、でもそれも違うような気がします。子どものころから何でもかんでも食べていたわたしには基本的に好き嫌いの概念が理解できませんが、初めからキライなものって本当は存在しないのではないかしら。食べなきゃ大きくなれないよ、好き嫌いせずに食べなさい!と強いられるから、大してキライでもなかったのにどんどんキライになってしまったとかいうことかもしれない。それなら、逆に最初から無理強いされないことでキライにならないですむかもしれない。などと、そんなことさえ思う今日このごろです。
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コメント
私は子供のころ偏食家でした。ところが某陸上自衛隊に入隊しまして。「飲み水がない、食い物がない、コンビニなど見当たらない、金で問題の解決が出来ない」状況に何度も遭遇しました。
すると泥水でも甘露の味、缶詰は高級グルメ(笑)。いつの間にやら好き嫌いはなくなっておりました。
戦時中を必死に生き延びた方々とは比べるべくもありませんが、「飽食日本で少しは徳をつんだかいな」と自画自賛しております。
投稿: コン | 2015年3月27日 (金) 09時07分
コンさん
まあそうは言っても、コンさんみたいな経験をしたとしても必要に迫られない限りそのまま好き好んでいつまでも続けはしませんよ(笑)
彼女はそれでも食わんでしょうなあ。
投稿: ジャイ | 2015年3月27日 (金) 23時43分
いえいえ、食う食わないはご本人の自由で(笑)。看護学校で女の我儘につき合わされて、「そこまで面倒みきれんわ」と妙な悟りを開きました。
余談ですが最近朗読教室にはまっております。きっかけは本屋で「花もて語れ」(小学館)って漫画を見掛けたことなんですが(知ってる人は少ないですが、おそらく歴史に残る傑作です)。
戦争小説・漫画を朗読すると現代の人は「悲惨さ」を感情に込めますが、それは後世の人間が感じること。戦争体験者が朗読すると死に物狂いで生き延びた「必死さ」がこもります。
それが「他人事」と「我が事」の違いらしいです。
私の知り合いも「軍隊」に憧れてる人間が多数おりますが(笑)。当事者の私は「寝たい、水が飲みたい、腹減った」しか思いつきませんでした。それが現実です。
投稿: コン | 2015年3月28日 (土) 00時18分
コンさん
御意。(笑)
投稿: ジャイ | 2015年3月28日 (土) 06時39分