待ちぼうけ
毎朝7時過ぎに出勤のために家を出ます。家を出て最初の小さな三叉路の角に、いつも小学生の女の子が立っています。ちょっとだけ避けながらわたしの運転する車を眺める目がいつもどこか寂しげ。先日、事情で出るのが10分ほど遅れたとき、いつもの場所に立つ彼女の目線の先に、もうひとりの女の子が小走りにやってきているのが見えました。「そうか、いつもこの子を待っていたのか」と合点がいきました。待ち合わせ時間は7時なのかな。そして彼女の友だちはいつも10分遅れてくるのかな。そんなことを想像しながら仕事に向かったわけですが・・・彼女たちはお互いにいつもどんな思いで待ち合わせし、登校しているのだろう。あれだけ待たされてもいつも待っているから、きっと仲良しなんだろうなと思うのですが、毎朝待っている子の心境と毎朝待たせている子の心境は、どんななんだろうと思ったりします。それは、「死に行く姿を観察したくて」子どものころからの仲良しに毒物を飲ませたり、あるいは刺し殺したりする殺伐とした事件のニュースとどこか重ね合わせてしまう自分があるからです。
わたしはどちらかというといつも「待つ」側の人間でした。相手がいつも遅れるのだからといって、自分も遅れちゃえ!と思ったことはありません。それをしたら、「自分がダメになる」と思う子だったら。かといって「どうせ遅れるんだから、待ち合わせ時間を10分遅くしようか」と提案することもできない子でした。「どうして遅れるんだろう」「いつもいつもなんだから10分早く起きたら良いのに」とかを考えることはあったけれど、大好きな友だちだから、だから許せたのかもしれませんし、毎朝見かける女の子の立場はよくわかります。
どうだろう。彼女たちの関係は10年後、どうなっているのだろう。あんな凄惨な事件を起こす伏線になっていたりすることはないとは思うけれど。
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