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2015年6月

遺伝子検査の結果(後)

(つづき) さてさて、わたしのカラダの動脈硬化が強いのは知っていましたが、これは高血圧体質だからだとばかり思っていました。父の家系はことごとくに高血圧だから高血圧の遺伝因子が強いのだと思っていたのに、なんと高血圧因子は少ないのだそうな。善玉ホルモンであるアディポネクチンが少ないわけでもないのに、悪玉ホルモンが多いからいかんのだそうです。太りやすい体質で、それが何かと悪さの元凶になるようだということは理解できました。

結局、わたしが動脈硬化になるのは、生活態度と云うよりももともとの体質だったのだろうということと、だからこそ他人より注意が必要なのだということが理解できましたが、高血圧だけは解せず・・・何よりも、体内老化因子が強いというのが一番ショックでした(笑)

わたしに推奨されるライフスタイルは、ダイエット、有酸素運動、手洗い・うがい・マスク、首・肩マッサージと近視体操。注意すべきライフスタイルは、カフェイン、体重増加、塩分、欠食、7Mets以上の運動、なのだそうです。まあ、概ね理解はできるのですが、避けるべき運動量の「7Mets以上」てどの程度なのだろう?

これをうちでも検査するようになるそうなのですが、さて、わたしはこんな結果の説明ができるのでしょうか。

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遺伝子検査の結果(前)

1ヶ月ほど前にデモで採血された生活習慣病に関わる遺伝子検査の結果が届きました。サインポスト社のものです。細かい遺伝子の記載は省略しますが、

肥満:   レベル3(日本人平均)
体内老化: レベル5(強い)~強烈に体内老化が進みやすい体質
動脈硬化: レベル5(強い)~炎症蛋白とホモシステインが増え心筋梗塞になりやすい
コレステロール: レベル2(やや弱い)~脂質バランスは壊しにくいが善玉が下がりやすい
高血圧: レベル2(やや弱い)~遺伝的に高血圧になりにくいが塩分感受性がある
高血糖: レベル3(日本人平均)~脂肪細胞が肥大しやすい
血栓:   レベル1(弱い)
アレルギー: レベル2(日本人平均)~気管支炎を起こしやすい
歯周病: レベル2(日本人平均)~歯を支える機能が弱い体質である
骨粗しょう症: レベル1(弱い)
関節症: レベル2(弱い)~軟骨細胞の働きが弱い
近視:  レベル5(強い)~近視になりやすいからアントシアニンを飲みなさい
喫煙:  レベル3(日本人平均)~タバコの影響の受けやすさは平均レベル
アルコール: 依存注意タイプ~アルコールの分解力とアセトアルデヒドの分解力がとても強いので酔いにくく、アルコール依存になりやすいタイプ

だそうな。 (つづく)

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肥満に関する2つの話題

肥満が子どもに伝わる理由のヒント
米国糖尿病協会(ADA)年次集会で発表された米コロラド大学医学部助教授のKristen Boyle氏らの研究によると、肥満のお母さんは子宮内で余分な脂肪の蓄積やインスリン抵抗性につながる代謝の変化がプログラムされる可能性があることがわかったとのこと。乳児の臍帯幹細胞を抽出して脂肪細胞と筋細胞に培養したところ、太ったお母さんの子の細胞では脂肪量が30%多かったというものです。そういえば、先日ご紹介した『エピジェネティックス』の”環境因子による遺伝子発現制御機構”の説明の中にもそのことは書かれていました。どうも、外様(とざま)の習慣が、生まれもった”由緒正しい家系”をも強引に凌駕する時代がきているようであります。

家庭の経済状況が青年期の肥満に影響
「Journal of Epidemiology」電子版に5月23日掲載された日本医科大学衛生学・公衆衛生学助教の可知悠子氏らの研究論文もまた、以前欧米で発表された内容の日本版として興味深いものでした。低収入家庭の子どもは肥満になりやすいという結論は欧米でも日本でも同じだった(おそらくファストフードや廉価の油菓子などばかりを食うから)のですが、日本では学童期の子どもには認められなかったということ。つまりこれが「学校給食の効果」なのだと考察されていました。さてそんな学校給食・・・アレルギーや食の自由の主張の中で壊れ行こうとしていますが、これからどうなることやら。

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リズム

運転していると、タイミングとして毎回赤信号に引っかかりそうになる日があります。ところが、危険だからこんなことしては本当はいけないのでしょうが、黄色信号のギリギリのところを何度かかいくぐっていくと、数回すり抜けた後からは、普通に青信号で抜けられるタイミングに変わっていきます。振り子の共鳴リズムが変わってしまうように、ものの見事に周期が変わってしまうことはよくあることです(急いで無理しても結局一緒だよ、と云いはするものの、本当は違うんだよねと思うこともあります)。

運転の時は危険ですから黄色信号で停まりながら心静かに待つのが良いと思いますが、このリズム変更の真理は人生においては意外に重要なことのように思います。もうどうせダメだから、と諦める習慣になった人間には何も起きませんが、何度も何度も頑張ってみることを繰り返していると妙に上手くいき始めることがある、ということ。悪い仲間にはまり込むと下へ下へと引きずり降ろされますが、勇気を持って避けていくことを続けると彼らと疎遠になるのと同時に上へ引き上げてくれる仲間が周りに増えるのも事実。『なせばなる』『念ずれば通ず』とは必ずしも思いませんが、諦めるよりは諦めないでへばりついて生きる方が良いことが起きる確率は上がるという気はしています。

なんかもともとの例えが変なので、妙に説得力がないですが、先日山道を運転しながらふと思い立った次第。

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予防と治療は違う

「運動するなら、いつどんな方法が一番良いのか」
「健康のためには何を食べるのが良いのか」

勘弁してくれ、と云いたくなるほどにみなさん同じことを聞きます。「そんなに運動したくないなら、無理してするな!」「食いたいんなら、食いたいものだけ食っとけ!」と意地悪に叫びたくなる衝動をグッと堪える毎日です。

たぶんマスコミの責任だと思うのですが、健康ブームのあおりで何もかも味噌糞一緒になっています。治療としての運動や食事と、健康維持のための予防目的のそれとは、全く別ものだと考えるべきです。例えば、メタボの治療や糖尿病の治療のための運動は、当然一定速度以上のウォーキングやジョギングや定期的な筋トレが必要です。食後何十分以内の運動が有効だとか、どういう運動が一番有効だとか、あるいはやりすぎは危険だとかいう確立されたものがあります。でもこれは、あくまでも『治療』としての運動です。健康運動までもが同じトーンで語られた結果として、運動は責め苦となり、『ストイックな生き方こそが健康の近道』などということになる。健康でいるために、したくもないのに毎日辛い顔して続けているヒトの姿のどこが健康でしょうか。

健康維持のための運動の基本は、楽しめることと習慣としていつまでも続けられること。そこには目標もなければ終着点もありません。運動も食事も、みなさんが思っているよりもっとずっと楽しいものなのですよ。「よし、明日から頑張るぞ!」なんて一大決心して始めるものではないのです。

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転ばぬ先の杖

職場で配給されているピッチには赤い首掛け用のヒモのストラップが付けられていますが、わたしは外しています。落とすと故障の原因になるから、「必ず首から下げてください」と云われているのに、です。

だって、自分の携帯やスマホをあわせても、今までにまともに落としたり無くしたりしたことがないのだもの。「今までなくても、今日落とすかもしれないではないか?危険性があるから前もって策を講じるのが『危機管理』というものである。大したことではないのだから下げなさい」と云いたげな某事務方と某幹部たち。

『転ばぬ先の杖』だという。でも、一度も転んだこともない若者に、「統計的にはそろそろ転ぶ人が増えてくる年齢になったから、転んだりしないように今のうちから杖を持って歩きなさい」とか、云うか?

わたしゃ、だれに叱られても、絶対に赤いヒモなんかぶらさげないからな!

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しゃっくり

心室性期外収縮は代表的な不整脈です。突然死に直結することもありますが、概ね誰もが大なり小なり経験するポピュラーな不整脈。この心室性期外収縮の二段脈、三段脈というのは、二拍に一回、または三拍に一回の期外収縮が繰り返される状態です。一回割り込んできた期外収縮の波がただただ消えることなく周期的にまわっているだけのものですから、数の割に危険性は高くありません。

大部分の場合は本人も慣れていますし、症状もあまり感じてないと思われ、私たちも「まあ、しゃっくりが出ているようなもんだから」などと表現するわけですが・・・よく考えてみたら、しゃっくりは横隔膜のけいれん。胃の調子が悪いときに起きる現象なわけで、期外収縮も心臓の(あるいはカラダ全体の)調子の悪さを示していることになります。少なくとも交感神経の不調があるのだと考えて、たとえ単なるしゃっくりでも油断せず、きちんと整えてあげる必要はありましょう。

進行胃ガンで亡くなったわたしの母は、退職後いつもしゃっくりをしていました。

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受け売り

『老いは必ずやってくる。でも、今が人生で一番若い。だから若いうちにやりたいことをやる』・・・先日、NHKの番組で、70歳代の古希野球じいさんがそう語っているのを聞いて、ついメモしてしまいました。

すごく良い言葉だと思う。まるでこの古希じいさんオリジナルの言葉のように見えるけれど、でも、きっとこれを最初に発したのはこの古希 じいさんではないと思う。誰かの言葉を聞いて、「これ、いいな」と思ったから、自分のモットーにしようと決めて、その後自分の言葉にしたんだと思う。

それでも良い。別に、どこかの石碑に自分の言葉として刻まなければ、全然問題はない。座右の銘なんて、そんなものだ。世間のあちこちで見かける『詠み人知らず』というのは、こんなものなのでしょう。

ちなみに、わたしの座右の銘は、『人間は煩悩の生き物である』・・・これはだれの言葉だったっけか(笑) ・・・たぶんわたしのオリジナルだから、 どなたさんか、これを欲しい人は勝手に持って行ってもいいですよ。

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眠れない

「熟睡できずに1時間ごとに目が覚める。明け方近くになって急に深い睡眠になる」「そろそろ眠くなったと思ってベッドに入ったら、マンガで見るみたいなギンギンに冴える目になる」

苦労しなくても瞬時に爆睡していた妻が最近悩んでいます。「更年期障害ってやつ?」「どうしたらいいの?」って聞かれます。

あのね。わたし、ずっと云ってるじゃないですか。わたしは睡眠障害のこと、詳しいのよ。あなたのようにベッドに入ってからスマホやタブレット眺めてゲームしていると目が冴えるの。不眠対策の基本は朝にあって、朝きちんと起きて日光を浴びることから始まるのだから、早く寝るとか眠くなってから床に就くとか云う前に、朝起きしないと不眠は治らないよ。そんなこと前から云ってあげてきているのに、ずっと無視してるじゃないですか。だから、もう云わないわ。

ひとりでそんなことウジウジつぶやいていましたら、彼女はさっさと加味逍遥散を飲み始めました。「これ飲み始めて、久しぶりに一回も目覚めなかったよ」だってさ。そら良ございました。

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不食

某俳優さんが30日間の不食を行ったことが話題になって、先日わざわざ記者会見をさせられていました。「ナニ考えてるんだろう?」「バカじゃないの! 大丈夫なの?」と妻はテレビを見ながら大騒ぎしてましたが、わたし的には大した問題じゃなように思えます。修行のような『断食』とも、ダイエットの行き過ぎの『拒食』とも違って、食べないでみたら別に問題なかったから続けてみたという『不食』は、まあいうならば自然の成り行きに素直に従ってみただけのこと。彼は結局30日をリミットにして止めましたけど、食べたければ食べる、食べたくなければ食べないというスタンスにするなら、当分問題なかったのではないかとも思っています。

それは、それが動物として一番自然な行為だからです。動くなら食べなければならない、健康体でありたいならば日頃からバランスの良い食べ方をすべきである、水しか摂らなければ病気になるという概念は、どれも後から付けた理屈であり、家庭や学校やあるいは社会やテレビからいつの間にか洗脳されてしまった入れ知恵でしかありません。動物たちは親から決して食い溜めのススメや栄養学は学びません。きっと、妙な教育に踊らされず、自分の感覚に素直に従えれば、カラダは自分の求める姿に自然に近づいていくでしょう。”教育”によって、その感性がどんどん退化させられているだけのように思います。

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霊感のこと

霊感のあるわたしの妻のはなしは、ここでも何度か書いてきました。

霊の良し悪し
天空の視線

そんな彼女のエピソードで、ひとつ思い出したことがあります。わたしの母のこと。

昭和の終わりにわたしたちは父親の反対を押し切って結婚しました。その6年後には、大分の実家に父をひとり残して熊本の地に家を建ててしまいました。新築の家が建って、しばらくの間、彼女は一階の和室の辺りにずっと気配を感じていました。「あそこに、何かが居る。たぶん、あれはお義母さんだと思うよ」・・・わたしの母はわたしが大学生のときに亡くなっていましたから、彼女と面識がありません。「父親を捨てて結婚してしまった息子のことが心配だったんだと思う」と。その気配が消えたのは、初めて二人で墓参りをしたあとでした。「やっと、わたしのことを認めてくれたのだと思うことにしたよ」と静かに笑ったときの彼女の安堵した顔が忘れられません。

こういうことは、本当のことがわかりません。彼女の思い込みでしかないかもしれない。自分の計り知れない負い目が何もないところに気配を産み出し、墓参りを済ませるということで自分のココロの区切りがついた可能性。ただ、わたしはそうではないと思っています。なぜなら、新築の家で初めて飼った子犬が、ときどきその和室の入り口の暗闇を眺めて唸っていたのに、墓参りの後からピタッとやらなくなったからです。

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一体、何に気を遣っている?

アメリカで2018年からトランス脂肪酸の使用が全面禁止になるというニュース。いつでも利権にまみれて黒を平気で白だと云い切る国だと思っていましたが、時々こんな大英断をやらかす。現場の大変さを無視してでも切るときはスッパリ切る国。凄いなと感心します。わたしがトランス脂肪酸の害について教えてもらったのはもう10年以上前になります。その後、日本で話題になるまでにかなりの時間がかかりましたが、企業はそれでもこっそり改良を加えていたことを知っています。

企業の後ろ盾で当選している政治家が多い日本では、こんな大英断ができないことはわかっていました。「安全性が確認できないから禁止する」アメリカと「危険性が確認できないから禁止しない」日本との立ち位置の違いは、きっと何事にも云えるスタンスだと思います。微量だからたくさん食べなければ大丈夫、というのは、きっと許可を出す役人の余命がそう長くないから云えるのでしょう。「せめて、成分表示だけでも義務づけてほしい」という意見は多分ノーです。そんなことしたら消費者が買わなくなるから。もっとも、企業は当然自主規制して、自ら「うちの商品はトランス脂肪酸を含みません」と主張し始めるのは必至ですけどね。

ただ、今回の報道で一番気になったのは、いつも辛辣な皮肉や批判ばかりを口にするニュースキャスターたちが、こぞって「あまりナーバスになりすぎてもいけませんね」とか、「食べ過ぎないように気を付けましょう」とか、極力目立たないコメントで逃げようとしていたこと・・・一体何に気を遣っているのでしょう? スポンサーリング的なあるいは政治的な大きな圧力でもあるのかしら? テレビでは誰もタバコ批判をしないというのときっちり重なった現象で、異常に怖くなりました。

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続ける目的

昨年末から4ヶ月で10キロ減量してみたわたしも、最近少々腹が緩くなったことを自覚します。特にこの2週間くらいの梅雨の日々は、散歩の回数を減らす上にビールの本数を増やしますね(笑)

スライドにしたこの直線的な減量グラフを先日の講演でも使いました。それは「どんなもんだい」と自慢したかったからではありません。続けることの意義についてを話したかったのです。モチベーションさえしっかりあればこの結果を出すことなど簡単なことです。ただ、その成果を今後いつまでも続けるためには何かが必要なのです。良い結果を得たら継続できる!というのは間違いです。もともと大したことをしていないのだから、減量中の生活をそのまま続けることは何も苦しいことではありません。でも、この成果を維持させるために毎日体重を測定したり、日記帳に〇×を付けることの意義を見出せないのです。

「毎日体重を測定するだけで、日課にしてしまえばそれだけで今の状態をキープできるのよ」とか「減量できただけで血圧のコントロールが良好になったじゃないですか」とか云われました。でも、そんな程度では、この習慣をずっと続けたいという気持ちにはなりません。何かを続けることは、思いの外大きなエネルギーが要るモノなのです。

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確信犯

息せき切って走ってきて、そのままエレベーターを待つ若きお嬢さんへ。

遅刻してきて遅れそうで、慌てて走ってきたのなら、そのまま階段を駆け上がった方が絶対早いんじゃないのかな。

階段よりエレベーターの方が断然早いと思い込んでいるのかしら?いや、違うな。エレベーターの方が楽だと信じているから、待っているんだな。

というより、階段がきつい(と思う)からエレベーターを待っているんだよね。

ふ~ん。

若者よ、まあ、今日も一日、がんばってくれたまえ。わたしは、いつものように階段を登るわ。

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基準値騒動

昨年は、『基準値とはなんぞや』で日本中が揺れました。その後、高血圧基準の解釈でひと騒動ありました。今年も、コレステロール摂取基準の上限撤廃方針に対して動脈硬化学会から異例の声明が発表されました。どの騒動も、大慌てした学会が一両日中にバタバタと注意勧告や声明を出して、それを受けてマスコミが騒がなくなった途端にパタと騒ぎは収束していきました。おそらく、関係者諸氏はホッと胸を撫で下ろしたことでしょう。

でも、おそらく、国民の多くは、慌てて出された学会の弁明よりも最初にセンセーショナルに出されたマスコミの報道だけしかアタマに残っていないはずです。それは、テレビや新聞で学会声明をきちんと報道して修正したかどうかには関わりなく、です。学会の修正声明に対してマスコミが批判やアンチの主張を展開したりしたら国民の皆さんも少しは印象に残るのでしょうが、なにしろ、学会声明が出ると同時に、勘違いして早とちりしたマスコミはまるで潮が引くかのようにささーっと話題の存在を消してしまって、何事もなかったかのようなフリをするのですから・・・結局のところ、間違ったまま覚えている皆さんのニセ知識を地道に修正してあげなければならないのは、いつもわたしたちなのです。

学会幹部の皆さんには、もう少し最初からそこのところを熟慮した上でコトバを発していただきたい、と切に願っております。

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水銀血圧計

うちの病院ではJCI初受審のころにたしか水銀血圧計は撤廃させたのではなかったか?「割れたら大変なことになる、そんな危険な物質を使うなんて危機管理の観点から考えてありえない」と云われて。

もともと血圧は「水銀柱を何ミリ押し上げるか」、というのが基本。だから単位は「mmHg」なわけで、最近は電子血圧計にとってかわろうとしているのだから、この機会に単位を変えたらいいのにと思うのですが、いかがでしょうか(多分、気圧の単位=ヘクトパスカルと同様に、最初は変でもすぐ慣れると思う)。

先日、日本高血圧学会が水銀血圧計についての見解を発表しました。2020年以降に水銀の輸出入などが原則禁止されること、2013年に「水銀に関する水俣条約」が採択され、日本を含む世界各国で同条約の発効に向けた準備が進められていることなどから、今後の対応準備について書かれているそうです。まあ、昨年発表されたガイドライン(JSH2014)では血圧測定に関する記載で「標準的には水銀血圧を用いた聴診法」を推奨しているとなっていたわけだから、血圧測定はまだまだこれが基本なのでしょうかね。

[水銀血圧計の使用と水銀血圧計に代わる血圧計について]

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それ、初めて知った?

ずっとむかしに書いた記事に対するコメントをいただくことがときどきあります。おそらく、何か気になる単語を検索したときにわたしの記事がヒットしたりするのでしょう。

それにわざわざコメントを書いていただくことはかなりの労力ですので、本当にありがたいことだと思いますが、久々に自分の書いた記事を読み、ついでにその前後の記事を読み返したりなんかすると、「へえ、むかしこんなこと考えていたんだ」とか、「いいこと書いてあるなあ」とか、我ながら感心したりします。そんな中で、簡単な医療のプチ情報を書いてあるのを読むたびに、「へえ、そうなんだ? 初めて知った!」と我を忘れて独り言をいうのが常です。

そのときに配信された内容を、穴埋めのために付け刄的にちょこちょこっと書いたのでしょうけれど、これがなかなか面白いことを書いてあって、いいところを突いているのです。7年半の長い歴史。たまには振り返って、自分の記事を読み漁ってみるのもいいかな、と自画自賛した次第(笑)

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運動会

ここのところの梅雨の雨模様の中、運動会が雨天延期や中止を余儀なくされる学校も少なくないようですが、その都度仕事を休むの休まないのと世の働くお母さん方のあたふたする姿を見ていると大変だなと思います。最近は高校だけでなく中学校も平日開催のところが多くなっているのですね。それが、日曜に休めない家庭の子どもが不公平だからという発想かと思ったら、教師の休日出勤の問題なのだと聞いて、世も変わったもんだと思いました。雨天順延になるかもしれないからそのときは当然仕事もそれに合わせて休みます、という発想はさすがに昔にはなかった概念。練習を頑張ったわが子の晴れ姿ではあっても、平日は仕事があるのだから「観に行ってあげられないのはやむを得ないこと」というのが大人の世界の常識だ、と親も子どももじいちゃんばあちゃんも先生も、むかしはみんな諦めていましたから。

うちは共働きの学校教師で、わが子の催し事のために自分の仕事を休むなんてことはまずありませんでした(当時はどこでもそうだったと思います)。小学校の授業参観はいつも同居するおばあちゃんが来ました。わたしたちは、そうすることで、人生何でも予定通りにはいかないことや、大人の仕事はそれだけ厳しくそのおかげで生活できていることを勝手に学びました。何がいいとか悪いとかいう問題ではありませんし、有給休暇は取る側に権利があるのだから、勝手に取ったらいいと思いますが、「子どもたちがかわいそうだから、と云いながら子離れできないお母さん方の狂想曲のように思える」と云ったら、「子どももいないわたしたちがそんなこと簡単に云ったら、今のお母さん方からこっぴどく叱られますよ」と妻に諭されました。みんながする以上、自分だけしないわけにはいかないんです、って。

わたしたちの常識が今通用しないように、今の子どもたちが大人になったころの常識はこれまた全く変わるのでしょうね。常識とは多数派の行動だから。

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家のにおい

たそがれ時に我が家の近くの住宅街でワンの散歩をしていると、各々の家から各々の家の特有のにおいがしてきます。明るいうちに散歩するときにはまったく匂わないのに、夕暮れ時になると匂ってきます。その家その家でまったく違うにおいです。お風呂の石けんのにおいだったり入浴剤のにおいだったり、あるいは夕飯のおかずのにおいだったり。

さらに、昼間にはひっそりとしていた家家に灯りがともり、子どもたちの笑い声が聞こえてきたりします。他人の家のことなのに、ちょっと温かい気持ちになります。自分はこんな人たちの生活する街に住んでいるんだなと思うと、少し安心することができるからでしょう。

そんな想いを知ってか知らずか、我が家のワンはときどきわたしを見上げて、クンクンと鼻を動かしますが、また楽しげにふんふんふんと小走りを始めます。

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コメントの返信

ブログであれfacebookであれ、コメントをいただいたものにはできるだけ返信するように心がけています。それは、もちろん社会人の礼儀だということもありますし、ブログの場合は見ず知らずの方がわざわざ意見を書いてくれることが多く、その事へのお礼も込めて書いてるのですが、この作業は脳トレとしての効果もあります。

書いてある内容を理解して、その返事として、簡潔で的を得た内容を書くように心がけますし、相手を傷つけないようなことばやいい回しを選ぶ作業はとてもアタマを使います。それが夜にトコに着く直前だったり朝の忙(せわ)しない時間帯だったりすると、ことば選びも瞬時にやらなければなりません。どこかの政治家さん方のようなことば選びをしないように気を遣うから、いつも脳を賦活させておかねばならないのですよ。

とか云いながら、facebookでは時々諸般の事情で「いいね」しかしないことがあります。ごめんなさい。どうかご容赦ください(笑)

 

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サイバー心気症?

ネットで数分、5年以内の死亡リスクが分かる

最近は、『●●年齢』とか『あと何年生きられる』とか、あるいは『○年後の死亡率は何%だ』とか、そういう具体的な数字の提示がはやっていて、受診者受けも良いというので、健診現場や健康産業現場では良く使われます。デジタル数値はそれの真偽にかかわりなくどんなときでも必ず値を表示して、数字が一人歩きする危険性ははらんでいるとはいえ、やはり行動変容には重要なツールのようです。

このたび、5年以内に自分が死亡するリスクがどの程度かが推定できる計算ツールをスウェーデン・Uppsala UniversityのErik Ingelsson氏らが開発したそうで、MTProに紹介されていた(もともと英国人のデータなので40~70歳の英国人が使用すると想定されています)ので、早速わたしもやってみました。

わたしは(英国人ではありませんが)、Ubble age(自分の死亡リスクが何歳の平均リスクに相当するか)が50歳、5年以内の死亡確率2%でした。わたしにもわかる簡単な英語の質問でしたので、一度やってみてください。

「(計算ツールを)自分の健康に対する意識向上につなげられるか、あるいは“サイバー心気症(cyberchondria)”の原因になるだけかは議論の余地があるところだ」と指摘されてはいるけれど、5年という近場の想定だからこそ、それが想像以上に悪くても、ちょっと落ち込んだ後にがんばるカテにはなるのではないかと思います。やる気スイッチをどうやったら押せるか?ということで云えば、これはちょっと面白いツールかもしれません。あくまでも英国紳士用なのが、残念ですが。

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生き様を眺めていたい

保健師さんって、結果判定からものを考えるでしょ?・・・カンファレンスするようになって気づいたけれど、それでいいのかな。

「この人、急にこの値が良くなっているけど、何かしてるのかな?それとも忙しくなった?正常値だけど去年より急に下がっているのは、何かホルモンの病気じゃないのかな?そんな体調変化は言ってなかった?」・・・結果表を見ながら問診をとった保健師さんにそんな質問をしても、期待する答えが返ってくることは稀です。たぶん、着目点そのものがわたしと違うんだなと思っています。まず指導ありき、まず精密検査ありき、まずそれを確認しておきたい。こうあるのは、云うなら「職業病」なのだと思いますけど、そんなことどうでもいいじゃない?この人の人生考えたら、もっと一緒に検討しておきたいこと、他にあるよね、と思う。

時間的にも余裕がないのにそんな嫁いじめのような質問をして申し訳ありませんが、わたしは健診結果の数値にはあまり興味がなく、この一年にこの人にどんな人生が加わったのかを想像するのが何よりも好きです。わたしは、生き様というか、異常値じゃなくて、もっと人間全体を見守る医療者でありたいのです。

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本当の異常はどこにある?

主婦のAさんは、たまたま行った町の健診で「空腹時血糖値100」の高血糖を指摘されました。そのため毎日食事を控えめにして散歩もするように心がけて、時々近くのクリニックで採血してもらうのですが、いつも103とか106とかの値でなかなか改善しませんでした。そこで今回、番組が薦める方法を一週間試してもらったところ、なんと!血糖値が98と初めて正常値を示したではありませんか! Aさんも涙ぐみながら喜んでいます。

という類の番組を最近になって何度か目にしました。これ、どうでしょう?「それ、全部同じじゃん!100も106も正常値だし、98なんて100と何も変わらないじゃん! 正常値の人が頑張ったけど正常値のままで、特殊な方法を試したらなんと正常値になりました」ていう内容を30分もかけてまことしやかに云ってる。こういう番組は必ず監修する医者がいるはずなのに、どうしてこれを許すのだろう?

「空腹時血糖値100〜109」は「正常高値」に分類されます。いわゆるメタボの定義の予備軍と云われるのは「110〜125」の人で、これはたしかに異常値です。でも正常高値は異常値ではありません。この中の2割から4割に糖尿病になりやすい人が隠れているので、食後高血糖にならないように日頃の生活に注意して糖尿病を予防しましょう、という意味でひっかけています。だからそれが98になっても同じことです。正常高値の空腹時血糖を正常値にするためにわざわざ健診で引っ掛けているのではありません。現場が必死に予防啓蒙しようと頑張っているのに、マスコミがこんな間違った解釈をまことしやかに発信しているのでは意味がないではないか!と、怒り心頭な似非医師オヤジでした。

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ベトナム

ベトナムは米ばかり食っているのになぜ太らないか?という番組が数日前にテレビでやっていました。「日頃からいつも動いているからなんじゃない?」と軽くいなして話題を変えていましたが、これは意外に重要なことだと思います。

「「米=炭水化物=太る」の考え方を根本から改めるいい材料の様に思います。もちろん、米=炭水化物はその場で消費すれば優先的に使われるのだから、動けば消える、というのはその通りなのでしょうけれど、そんな問題だけでもないように感じます。たぶん、コメ料理だけ食っていれば太らない、はずです。

低炭水化物ダイエットを全然否定しませんが、他に何も食わずに米だけ食っていたら、絶対太らないと信じています。これほど100%エネルギーにしか変換されない物質はないのですから、これだけ食って、ウロウロしていたら、蓄えようがないように思います。ま、そんなことしてたらビタミン、ミネラルの何かが不足するから、きっとそこいらの草か壁を食いたくなるのでしょうけれど(笑)

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おかめさんへ

おかめさんへ

楽しい老後、素晴らしい限りです。コメントありがとうございました。

産業医などしていますと、若い世代がうつ病で休職を余儀なくされます。彼らに一致することは、忙しい仕事をこなす中で、わりと余裕があるのにギリギリで頑張っている感じを実感していることなのです。余裕があるのに余裕がない・・・その切羽詰った感が、自分には自覚がないままに「これは何かちがう。自分ではない」という違和感に変化しながら、「こんなはずじゃない」と思い始める。これが、メンタル障害のとっかかりなように感じています。

「自分はもっとできる。こんな程度なんて簡単にこなせるはずだ」と思っているし、実際にちゃんと処理できるのだけれど、それを何度も繰り返すうちに徐々に疲れてくる。「わたしはまだ慣れていないだけ。こんなことはみんながやってきたし、経験を重ねていけば慣れるはず。これを重荷に感じるのは未熟だから」と自分に云ってきかせる新人たち。ちがうちがう。こんなわたしのようなロートロのベテランでも陥る罠なのだ。「ココロの余裕」は「カラダの余裕」とは全然別物だ。そう、伝えたかったのです。

おかげさまで、わたしは組織を統括する立場になく、組織を機能させる責任者ではないので、「できなきゃできないで、わたしのせいではないし」と割り切れる、呑気な人生です。ありがたいことです。

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しなければならないこと

わたし、毎日のルーチンワークが決められています。健診結果の説明をする合間に、心電図の判読したり眼底写真やレントゲンの読影したり、あるいは診察したり。これを全てお昼までに済ませなければなりません。

これが、自分の想定していた数よりちょっと多いと、妙に焦ります。予定されていたドクターが急きょ休んだとか、予定していた受診者が遅く来館されたとか、原因はさまざまです。「え、そんなの無理じゃね?」と云ってみたりなんかするけれど、ちゃんと対応できることはわかっています。予定していた11時半までには間に合わないかもしれないけれど、12時までにはたぶん間に合う。なにしろ、今までに同様のシツエーションは何度もあったけれど間に合わなかったことは一度もないのだから。

それはわかっている。けれど、どうしてもココロに余裕がなくなって焦るのです。できるとわかっているのに焦る。それは、その仕事が「自分ひとりでしなければならないこと」だからだと思います。できなかったら誰かが手伝ってくれるものではなく(実際には手伝ってもらったりしませんけど)、逃げることのできない「自分の仕事」だから・・・ただそれだけのことで、一気に世界が狭くなる・・・もしや、世の『うつ病』というのは、こういう「意味のない切羽詰った感」から始まるのかもしれない、とふと思った次第。

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運動負荷心電図検査

人間ドックの2日間ドック(宿泊ドック)では多くの施設で運動負荷心電図試験を行っています。心電図を胸に貼り付けて運動負荷を行い、運動に伴う心電図変化を確認するものです。二段の階段を一定回数上り下りして前後で心電図測定するもの(マスター負荷)から自転車(エルゴメーター)やルームランナー(トレッドミル)での負荷までいろいろです。何をみたいのかといえば、運動することが安全かどうかを確認することと自分の心肺能力(運動耐容能)を確認することです。

ところが、弁膜症や狭心症・心筋梗塞などを患って日頃治療を受けているひとほどこの検査を受けたがります。もう治療中なのだし、ここで運動によって狭心症発作や不整脈が起きないかどうかを確認するわけではないのだから、と説得しても、受けたがります。金を払っているのだし、受ける権利があると主張したがります。その度に、わたしに相談の電話がかかりますが、「意味はないけど、特別な運動制限の指示を受けていないんだったらやってもいいんじゃないの」と答えることにしています。

外来では、目いっぱい負荷をかけます。日常生活では許可されないレベルまでやってみても何も起きない(心電図変化も症状も)ことを確認するためには、日常生活よりはるかに高いレベルの負荷をかけてみる必要があります。だから、外来では目いっぱいの負荷をかけます。でも、健診や人間ドックではそんなことはさせません。ドック中に何かが起きては困るからです。だからかける負荷の量が中途半端なのです。何も治療中ではないヒトにはそのレベルでも意味はありますが、心臓病を治療しているヒトには中途半端すぎます。心臓の治療をしているからこそ検査を受けてみたいのかもしれませんが、わたしたちに云わせれば、治療を受けているからこそその検査は外来で受けてほしい。そう思っています。

ちなみに、「先日、某循環器内科の医師が、『健診のスクリーニングで運動負荷するのは意味がない』と云っていたのだけれど、どう思う?」と上司から聞かれました。最近の診療現場では運動負荷検査の要否が語られています。健診では、別に病気を見つけだすために運動負荷をしているのではなく、「日常生活で運動を指導しても大丈夫なのかを確認している」と、わたしは思っていますけど、違いますか。

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それ、ボクも云ったじゃない!

「へえ、睡眠時間が短いと『夜間高血糖』というのになるんだ!」
「へえ、寝すぎても悪いんだ!」
「わたし、寝る前にモノを食べるから悪いんかな?」

昨夜のテレビ番組をみながら、妻が独り感心して叫んでました。
「へーーーー、知らなかった!!」って。

おいおい。そんなこと、1年前に、わたしが、ここで、しつこく説明してやったやないかっ! それを、完璧に無視してゲームしよったやないかー! 糖尿病だけじゃなくて、血圧も肥満もメタボも、みーんな睡眠時間でV字カーブじゃわい!って教えたやないかーー!!て云ったけど、完全に無視されました。

むかし、「こないだテレビ観てたら石川遼ちゃんがバンカーの打ち方を解説してましたけど、あれをやってみたら、うまくいきましたー!」て妻がゴルフのレッスンコーチに云ったら、「それ、何年も前にワタシが教えたのと同じじゃないですか!」て叱られていたのを思い出しました。

こげんある。同じことなのに、どんな専門家でも、身近な人だと聞き流すけど、テレビや有名人だと「へえ」と来る。ま、良いわ。どっちにしろ、それで納得するのなら。

それにしても、最近のテレビ番組は、空腹時血糖100が「異常値」で、頑張って98になったら「正常値になった!」と騒ぐのが常になったけど、これ、何とかしなさい! どっちも正常値だし、どっちも大差ないんだから!

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はじめに

皆さん方にまずお伝えしたいことは、

「健診に何を求めるのか、予防医療に何を求めるのか?」という命題に、
自分なりの答を準備しながらこの仕事に従事してほしいということです。

ヒトは、病気になるために生まれてきたわけではないけれど、
病気にならないために生まれてきたわけでもないのです。

将来したいことをするために、
今したいことをがまんするのは、本末転倒なはなし。

どうやったら検査値を良くできるかのアドバイスは簡単ですが、
どうやったら楽しい人生を送れるのか?をアドバイスするのは、
とてもむずかしいことです。

『食べ過ぎず、運動して、きちんと起きて、きちんと寝れば良い』

そんなことはわかっている。
もともと人間は、そうするように作られている。
でも、もともと人間は、そんなことしたくないと思うようにも作られている。
この大きな矛盾の中に人生があるからむずかしいのです。

自分だったら、これにどう介入できるか?
自分の存在価値をそこに見いだせるのか?

そのことを自問自答しながら、仕事をしてほしいと思います。

(平成27年度特定健診・特定保健指導担当初任者研修会の講義をするにあたって)

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スタチンも生き残れるのか?

健康な高齢者への脂質低下療法で初発脳卒中リスクが3割低下

フランスの前向きコホート研究で、心血管イベントの既往歴がない高齢者において,スタチン系薬を用いた脂質低下療法により脳卒中リスクが約30%低下することが示されたという記事がMTProに載っていました。心血管疾患の予防にコレステロール低下薬が有効だというのが確認されているのは若い世代だけであって、75歳以上では動脈硬化性疾患が明確にあるのでなければコレステロールを無理に下げる治療はしなくてもいい、というのが最近の考え方なわけです。さらにスタチン系薬剤で糖代謝異常が助長されるなどと云うデータが出されてきて、一時『夢のクスリ』とまで云われていたスタチン系薬剤の風あたりが強い今日このごろ。

そんな折でのこの研究報告です(フランス国立衛生医学研究所(INSERM)のAnnick Alp氏ら、BMJ 2015; 350: h2335))。狭心症や心筋梗塞などの冠動脈疾患リスクを下げるわけではありませんが、脳卒中の初発リスクは低下させたのだそうです。詳しいデータを書き写してもしょうがないので書きませんが、問題は、だから高コレステロール血症だけを有する元気な後期高齢者の方に、脳卒中にならないようにクスリを処方するか?ということになりましょうか。確率論に起因するデータは、現実論としてはなかなか悩ましい。後期高齢者で高血圧も糖尿病もメタボも何ら縁がない方(縁がある方はもちろんコレステロール管理が必要なわけでここのはなしの輪には入れません)なのです。クスリを飲む必要がありましょうか?

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