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2015年9月

二日酔い対策

どうして、今ごろこんなに二日酔いの話題がわたしの目に触れるのかしら。宴会シーズンでもないでしょうに。

二日酔い改善には「カレースープ」が効果的な理由

はい。二日酔いの翌朝にはカレースープが良いそうです。スパイスが消化器臓器の代謝を整え、スープの水分補給が脱水の改善、スープ内の野菜が内臓機能の活性化を促す、とか。まあ、考えてみてもカレーが良さ気なことは何となく想像できます。「二日酔いで胃がムカムカしてるのに朝からそんなもん食えるか!」と思っているヒトは少なくないかもしれませんが、わたし自身の二日酔いを想像してみても、意外に行けると思います。朝カレーはダイエットにも良いと云いますしね。

「二日酔いにロキソニンが効く」は本当か

日経メディカルの『記者の眼』(2015.9.16)にこんな記事がありました。酔っぱらった医者がポケットからロキソニンを取り出して、バファリンでもボルタレンでもなくロキソンニンが良いらしいと云ったというお話。そして、そんな「都市伝説」の真偽を臨床試験して確認しようとしているらしいのです。えへへ。これが公募されたら被験者として手を挙げてみようかしら。だって、誰にはばかることなく、堂々と二日酔いするまで飲めるんですよ。医学の発展のためにはいたしかたあるまい(笑) この場合、ロキソプロフェンとロキソニンの比較試験も一緒にしてくれないかしら。ちなみに、二日酔いとロキソニンで検索すると大量にヒットします。賛否両論があって、意外にポピュラーな話題なんですね。
二日酔いの頭痛を治す頭痛薬はロキソニンが一番な理由
二日酔いの頭痛にロキソニンは要注意!薬って危険!

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あなたはADHDだから

「休みの日ぐらいゆっくり起きたら良いのに」「休みの日だから早く起きて色々したいんだよ」という我が家の夫婦の生き方の違いは如何ともしがたく、先日思いついた日頃の身体活動の提案も簡単に否定されました。「わたしは十分動いていると思うよ。まあ、基本あなたはADHD(注意欠陥・多動性障害)だからね。あなたの感覚からすれば、世の中のほとんどが動いていないように見えるだろうからね」と。

「いやいや、あなたが週2、3回掃除をしてくれるなら、ぼくは何もしなくてすむよ」と反論したら、「いいえ、あなたは、することがなくなったら我慢できなくなってすぐに何か他の仕事を探し出すはず」「ADHDは、基本、オンとオフしかないからね。静かだと思ったら寝ていて、起きたと思ったら突然動き出してなんやかやとせわしない。また突然寝る、その繰り返しだもんね」と云い返されました。

彼女のことばは容赦ないが、まあ当たってなくもない。注意欠陥や片付け下手というのが当たらないと思うのだけれど、多動性はたしかにあるから、やっぱりわたしはADHDなのかしら。

 

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ブタクサ

ブタクサは花粉症の原因としてスギ、ヒノキに次ぐ患者数だそうで、アレルギーの検査をすると必ず出てくる名前ですが、さてさて、皆さん、道を歩いていて、「あ、ブタクサだ」と気づくことってありますか? というか、それ以前に、ブタクサってどんな植物か知っていますか?

先日、家の近くの江津湖畔の遊歩道を散歩していたときに妻が突然くしゃみをし始めて、「これはブタクサかもしれない」と云うので、「どれがブタクサ?」と聞いてみたときに「多分これかな」と小さな植物を指差しましたが・・・その場でスマホを取り出して検索し始めた(こういうところが植物博士の所以だろう)彼女、Wikipediaに掲載された写真を見て「全然違った!」と大笑い。

「これがブタクサかぁ。昔からよく見かけるありふれた雑草だけど、子どものころはこのクサの上で転げ回って遊んでたなあ・・・あれが悪かったのかな?」

そのままワンの散歩そっちのけで薄暗い中でブタクサ探しを始めました。湖畔や道路の脇や放ったらかしの空き地やあるいは田んぼのあぜ道にまで行ってみたけれど、結局見つけられませんでした。よく考えたら、最近はどこも道路整備や宅地造成が進んでいて田園風景のあぜ道ですらきちんと雑草管理されていて、ブタクサが風に乗って飛来する機会はかなり減っていると思われます。「これだけ探して見つからないのもショックだけれど、我が家の庭にあったらもっとショックだよね」・・・と探索を諦めた妻が笑いました。幸い、我が家の庭にもブタクサはありませんでした。

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「前糖尿病」状態

短期間の超高カロリー食摂取で「前糖尿病」状態に

米テンプル大学(フィラデルフィア)のGuenther Boden 氏らの研究によると、正常体重または過体重の健康な男性6人に、ピザやハンバーガーからなる典型的な米国の食事を1日6,000kcal、1週間続けて摂取してもらった上に、入院して運動を禁止し、詳細なモニターを行ったところ、1週間で体重が平均3.5kg増加し、短期間でインスリン抵抗性状態が誘発されたそうです。

過剰な食品を摂取することで細胞毒性をもつ活性酸素が過剰に産生され、それによって引き起こされる酸化ストレスが引き金になると考えられ、実際被験者の検体から酸化ストレスに関与するタンパクの上昇が確認されたと書かれています。それと、Boden氏曰く、「酸化ストレスがグルコース輸送担体蛋白質であるGLUT4の不活性化を誘発し、この変化がインスリンに応答してGLUT4が糖を取り込む能力に影響を及ぼし、インスリン抵抗性につながっているのではないか」・・・ここでも何度か書いたことのある「GLUT4」です。インスリンの機能が落ちていても運動などで血中グルコースを細胞内に運ぶ担体になれるGLUT4です。これって、短期間過剰摂取によるというよりも運動を徹底して禁止させた影響ではないのでしょうかね?

結局は「日々の食事と運動が大事」ということになるのでしょうか。あるいは、「抗酸化療法やGLUT4を標的とした新しい治療の開発」によってふしだらな生活していても健康でいられるようになることを求めるのか(それこそ、「健康」の定義は何?と云いたくなりますけど)。

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がん検診

有名女優さん、男優さんが立て続けにがんとの壮絶な戦いを経て、舞台降板の数週間後に逝ってしまいました。張り詰めていたものがふっと消えた瞬間、一気に奈落に落ちていく。もはやそこで踏みとどまって這い上がる力は戻ってはこない。奇しくも舞台人二人の生き様は、舞台人として最後の勇姿をファンに見せて挨拶させるだけのために寿命を延ばしてもらっていた気がします。人間ドックで早くに発見できていただけに残念な気もします。

女優が逝った日、乳がん手術を受けたタレントさん。無事に成功したのだけれど、毎年検診を受けていたのに大きな手術を余儀なくされたことに話題が移っていこうとしているのが気になります。

がんは症状が出てから検査したのでは遅い。とにかく日頃から定期的に検診を受けておくべきだ。それもせずに手遅れになるのは自業自得だ、という空気の時期を経て(職場の、最低限しかしない健診で受けた気になるなよ、という脅しも含めて)、特に乳がん検診や婦人科検診は病気を経験した有名人に出てきてもらって啓蒙啓発してもなかなか受診率が上がらない中、「受けてても進行がんになるんだったら意味ないじゃん」とか「マンモグラフィーの被曝ががんを誘発してるんだ」とかいう意見がピックアップされてSNSに乗っかってしまうと、受診率が再び頭打ちし始めるのではないかと懸念します。マンモグラフィーと乳腺エコー、触診の併用をしていても見つからないもの、検査の後に一気に進行するもの、あるいはわたしの知人のように早期発見できていたのに治療が効かないタイプのもの、某外国女優さんの決断で有名になった遺伝性の極めて強いものなどは確かにあります。そればかりがセンセーショナルに報道されるがために誤解されそうですが、その他の多くは地道な定期的検診受診のおかげで早期発見できており、術後に普通に社会で生活されています。そこのところを報道、マスコミは曖昧な表現をせずにしっかりと強調してほしいものだと思います。

某テレビ局が最先端検査機器PEMの紹介をサラッとしましたが、あれは乳腺専用PET(ポジトロンCT)検査機器です。あれは、特殊で高価な機械で限られた施設でしかできないものであることもきちんと報道してほしかったです。

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明るい電灯

仕事場の更衣室で白衣に着替えていました。ブラインド越しで薄暗くはありましたが窓から洩れる日光で着替えるのに支障はなかったので電灯を点けなかったのですが、後から入ってきた若いドクターが着替えているわたしをジロッと睨みつけたあと、「なんで電灯を点けないんだよ?」と舌打ちをしながら電灯のスイッチを全て点けて回りました。そんなに怒らなくても良いんじゃないの?普通に着替えるくらいできますよ。せめて点けるのは自分のロッカー周りだけで十分なんじゃないの?とか思いながら、さっさとロッカーを出てきたのですが、実はこういうこと、これで3回目です。

夜の暗闇の中というのではないし、若い連中の方がわたしより眼は良く見えるだろうにと思いながら、あの舌打ちはきっと、子どものころから灯りを煌々と点けている環境で育ってきた証なのだろうな、と自分で勝手に合点させました。点けられる電灯は点けるべきである。暗闇でコソコソするのは犯罪者か貧乏人である、とかいう教育を受けてきたわけではないのでしょうが・・・あ、もしや、暗いと「お化けが出てきそうで怖い」というオコチャマなのかなとか考えていたら、なんか可笑しくなってきました。

エレベーターがあるのになんで階段使うんだよ?とか、クーラーがあるのになんで点けずに上着脱がなきゃいけないんだよ?とか、おじさんにはちょっと理解できないことが多くなってきた今日この頃。これがジェネレーションギャップというやつなのかしら。

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カタルシス効果

昨日紹介した<過度な「お一人様志向」が招くメンタル危機>で強調されたことは、ココロの不調を訴える人の多くの問題点は日頃からリアルな対人接触が少なく、職場や学校から帰ったらその日の些細な出来事やその時に思った小さな変化を誰かにリアルタイムで話す場がない、ということです。

この小さな悩みや怒りをその日のうちに誰かに話すだけですっきりした気持ちになることを『カタルシス効果』(心の浄化作用)というのだそうです。そのメカニズムは本文を読んでもらうとして、このカタルシス効果を得るためにSNSは有効だけれど、「SNSがリアルを超えることは決してありません」というくだり、重く受け止めております。わたしの場合は、たとえスマホゲームをしながら完全に聞き流されているとはいえ、毎日妻に些細なことを話している分カタルシスになれているのでしょうか(散歩の間中、「そんなことをボクに云ってもしょうがないでしょう」と思うようなことを云い続けている妻は、絶対カタルシスできているなと確信)。

自殺者の7割は男性で、それは男性の方がなかなか本心を話せないことが一因だと書かれていました。男性はこのカタルシス効果を得るような行動が少ないからだ、と。たしかにわたしも、妻のグチは聞くだけ聞くけど自分から同じようなグチを語ることはない。友人にも同僚にもない。SNSでもほとんどない。ただ、男性の方がカタルシス効果が得られない本質的な理由はそれではないように思います。「女性はね、会話に結論なんて要らないの。解決しようがしまいが話してしまえば満足するのよ」・・・「そんなグチは相手に直接云わないと意味ないでしょ!」「話してるのに聞き流すなよ」と文句を云ったときの妻の反論。これが蓋し正論なのではあるまいか。他人に話すだけでココロはリセットされるなんてこと、多くの男性には合点がいきますまい。

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長期休暇中のメンタル障害

長期休暇中「誰とも話さない」は、危険すぎる

シルバーウィーク、みなさまいかがお過ごしでしょうか。先日ヤフーニュースの配信を通して東洋経済オンラインのこの記事が流れてきました。「長期の休暇に入ると、心の不調を訴える人が増えます」だそうです。「通常モードではない生活リズムの変化がストレスを生むのに加え、「人との違い」や「自分の居場所」をことさら意識しやすくなるためです」というくだりが何となく理解できるわたしではあります。

少々記事の主題からはなれます(そっちは明日に)。もちろん、「行くところがない」「寂しい」で他人をうらやましく思ったりしないので「自分は生きている価値がない」「このまま生きていてもいいことはない」と思い詰めることはありません。なにしろ休み中は独りで家でぼーっとすることもなく、あちこちしていますから。ただ、その楽しい休みが明けて職場に行ったときに、強烈な違和感が襲ってくるのです。職場のみなさんと自分は全然違うところにいたから、自分の楽しんだ世界は自分のものでしかなく、それを共有できる仲間というか週末の楽しさを一緒に引き摺れるヒトがいないから、突然孤独感に苛(さいな)まれるわけです。

わたしが休み明けの朝をきらうのは、世間の”サザエさん症候群”的なうつ症状ではなく、この自分勝手な”独りぼっち感”のためです。最近はfacebookにいつもアップしているおかげで、自分の週末の振る舞いを知ってくれているリアル知人が職場にも数人居るようになりました。SNSはバーチャルの虚像だとか云われますが、わたしには意外に重要な存在です。

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検査は売り物?(後)

(つづき)

自分のカラダの不調を確認するために、行うべき検査を自分で選ぶのは自分の勝手だろう、検査の危険性は承知の上で「してくれ」と云っているのだから素直にすればいいではないか、と思うかもしれませんが、人間の細胞はもともと異物に接触することを前提に作られてはいません。針であれファイバーであれ放射線であれ、検査をするたびに想定されていない無意味なキズを細胞の一つ一つにつけて回っていることになります。年1回の健診ですら細胞は本当に大丈夫なのかしらと思うのですが、さらにそれ以上の頻度で臓器に無意味なキズを与え続けるのは、健康の観点から考えると明らかに本末転倒な行為だと云わざるを得ません。

それだけ世の医者が信用されていないわけで、我が身は自らの力で守るしかないのだと思わせてしまう時代になったのは医療者の責任ではありますが、それでもそんなことを棚に上げてでも何度も主張したい。何の検査を受けるべきかは受診して入念な問診や診察をしてくれた医者に委ねてほしい。そして、カラダの不調があるときは人間ドックではなく外来受診を第一選択してほしいです。

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検査は売り物?(前)

毎日人間ドックに従事していると、「最近めまいがするので、脳のMRI検査を受けようと思って脳ドックを受診しました」とか、「大腸ファイバーを受けるには何科を受診したらいいんですか?」とかいうことばを受診者さんから普通に聞きます。でも、これは明らかにおかしい。まるで、「ダイコンを買うには何屋さんに行ったらいいのですか?」という質問と同じノリです。

めまいがするから脳外科や耳鼻咽喉科を受診するとか、お腹が妙に張ったり下痢したりするから消化器内科を受診するとかいうのは当然ですが、受診先でどんな検査を選択するのがベストかは当事者ではなくて担当医が考えることです。医療行為はどんな簡単なものでも必ず危険性を伴っていますから、できる限り必要のない検査は行うべきではない・・・良心的な医者ほど検査は最低限にしようとするのが常識だと思いますが、どうも一般の方の考え方はそうではないらしい。あの検査をしてもらうためにわざわざ病院を受診したのに担当した医者は検査をしてくれなかったから不満だ、と云う。そして、希望の検査をしてもらうためにさらに他の病院を受診する。 

                                                                 (つづく)

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身体活動

「こんなに毎日一時間以上も歩いているのに、どうしてやせないの?」と、世の人間ドック受診者のオバちゃんの定番のグチと同じことを口にするのは、わたしと一緒に毎日ワンの散歩をしているわたしの妻。「そりゃあんた、単に食い過ぎているか、あるいは毎日の夜ふかし生活のせいよ」と即答すると必ず不満顏になります。

どうせボクのいうことなんか聞く耳持たない(友人のYさんは早寝早起きだけどやせていないし、食べる量も自分は彼女より少ない、とか云って)妻とのそんな会話を思い出しながら、日課の週末の自宅の掃除をせっせとやっていたときに、ピンときました。彼女の日頃の身体活動は明らかに少ないわ。週に数時間の仕事のときとワンの散歩のとき以外は、座ってスマホをいじっています。毎日とは云わないけれど、週に二、三回掃除をするだけでもやせるんじゃないかしらね。「あなたはADHDだから、単なる動きすぎ。わたしはそれなりに動いているわよ。第一、Yさんも掃除好きで頻回に部屋の掃除とかしてるけど太っているじゃない!」と反論するので本人には云ってませんし、どうでもいいことではありますけれど、どんなにやせるために夕食を納豆だけにして涙ぐましい努力をしたとしても、今の生活では怒涛の女性ホルモンの変化には勝てないだろうと思います。『妙齢』というのはそういうことですもんね。

『人間には運動欲という欲はない』〜動かなくていいなら絶対に動かない〜だから、『運動』ではなくて日々の『身体活動』の量はバカになりません。家事が多い主婦ほどいちいち散歩の時間なんか作らなくても十分エネルギーを使っているのだと思いますが、毎日のことだからこそできるだけ楽にこなせる方法を考案するわけでしょうか。

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人事異動

職場では、秋の人事異動が行われます。年度始めの派手な大量異動と違い、こっそりと粛々と行われます。そしてこの時期の異動の対象者は必要に迫られた異動なのでとても重要です。

基本的に、異動で『もらいたい人材』は『手放したくない人材』です。突然の異動命令で、これからやろうと思っていたことを頓挫せざるを得ない不満にさらされているスタッフも少なくないでしょう。「どうして、今、私なの?」と。「君のこれからのキャリアのために」と云われたとしても「私は結局この組織には必要ないということか?」と悩む。でも、この時期に白羽の矢が立つ人は、選ばれしヒト。持っていかれる部署は、「どうして、今、彼を持っていく?」と途方にくれ、来てくれた部署は、諸手を挙げて喜ぶ。年度途中で仕事を変わらせられることはストレスかもしれませんが、『頼まれごとは試されごと』と思って自信を持ってがんばってください。

誰かが替われば入れ替わりにもう一人誰かが替わらなければなりません。それは必ずしも嘱望されたもの同士の交代だとは限りません。『いらない人材』は『もらいたくない人材』・・・こんなことばは使いたくはないけれど、世の中にはそんな立場のヒトも居るかもしれません。自分に白羽の矢が立ったとき、自分はどっちなのだろう? そんなことをどうしても考えてしまいます。

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瓶ビールと缶ビール

「○○さんは晩酌に毎晩ビール大瓶一本飲むらしいんですよね。これを500ccに減らせないかと提案してみようと思うんですけど、どう思います?」

先日、うちの人間ドック受診者の事前カンファレンスで担当保健師さんがそんなことを云いました。「500ccの瓶とかあるの?」と聞いたら、「缶ならあります」と。

飲まない人にはわからないかもしれませんが、瓶ビールと缶ビールはまったく別物ですよ。味が違うんです。どうせどれも同じエチルアルコールでしょ、なんて云わないでください。以前はわたしも同じだと思っていましたが、 瓶ビールの味の旨さが最近わかるようになってきました。瓶のリサイクルなどが面倒くさいから缶を買いますけど、ホントは瓶ビールを毎晩飲んでいたいと密かに思っているのです。

栄養指導とか保健指導とかではこういう単なる計算だけがまかり通ります。お酒はアルコール量換算で単に『ビールならどれくらい』 という指導だけで、瓶缶の違いや生かどうかとか地ビールだとか、そういうこと気にもしません。せいぜいビールと発泡酒は味が違うらしいことくらいでしょうか。ちょうど、ジェネリックがオリジナルの薬と必ずしも同じ性能ではないのに、すべて同じものとして評価されるのに似ています。もっとも、あまりこんな話題に深入りしすぎると、「こいつ、呑んべだな」とバレてしまうので、ほどほどにしときましょ。

ちなみに、くだんの受診者男性。ここ3年で一番良い健診結果でした。休肝日なしとはいえ晩酌の瓶ビール一本くらい大目にみてくださいよ。

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味がない

「わたしは冷奴にしょうゆはかけないし、生野菜は何もかけないで食べるのが好きです」と云うと必ず、「それじゃ味がないでしょう?」とか「そこまで努力して健康管理する必要なんかあるんですか?」とか云われて、「しっかりそれ本来の味があるし、せっかく美味しい味を持っているのに要らんものかけて味を消すなんてもったいない」と反論するのが常でした。わたしの『何もかけない派』ぶりはわたしの周りでは今や常識として浸透していますから、最近はそんな会話は減りましたが、それでも、「何もかけなくても美味しいかもしれないけれど、これをかけるとさらに美味しくなるの。まあ、騙されたと思ってかけてみてください」とか云われることは時々あります。

「うん美味しいね」と答えて食べはしますが、本心は「そんなでもないな」。かけられたものを食べないことはないけれど、自分から進んでかけるようになるかと云えば、そんな気持ちにさせられた経験はいまだにありません。理屈なんてどうでも良いことだと思うのですが、もともと何も加えないのに満足している人間にとって、何かが加わって美味しくなることはまずないと思います。

そもそも、自然界に生育した野菜などで、何かを加えると美味しくなるという前提で生まれてきた食材なんて存在するのだろうか? 神様は、「ありのままが一番良いのだよ」と最高の完成品を作ったのではないかしら。生まれてきたときから化粧させられること前提の赤ちゃんとか居るかしら? と考えると、素材のままを一番美味しいと感じることができる味覚を持ち続けているわたしは幸せものだなと思います。「これを加えたらもっとはるかに美味しく輝かせることができるのに、それを知らないなんてかわいそうに!」などとほざくグルメ自慢には勝手に云わせたままの放置プレイで哀れんであげましょう(笑)・・・最後がちょっと過激になってしまってゴメンなさい。

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トイレが臭くない

そういえば、最近のトイレは、公共の物であっても臭くないですね。いや、小便器周辺のアンモニア臭は致し方ないのですが、大便の方。

むかしは、学校のトイレでウンコしてたら必ず臭いがトイレ中に充満してしまって臭かった。福岡の予備校生のときに昼休みに急に催してトイレに入ったのですが、用を足していたら「くせえのお。だれかがくせいクソしよるごたんのう!」と大声で叫ぶ輩がおって、なかなか出られなくなった苦い思い出があります。小学校で大便するとイジメにあうから行きたくてもじっとがまんする子どもたちが増えて、そのまま強烈な便秘症になるのが社会問題にもなりました(子どものころのわたしは快食快便がモットウでしたが、高校以降は時々学校でお腹を壊すことがありました)。

それが、最近ホントに臭わない。空調の技術や性能が素晴らしいということですか。職場や研究会会場のトイレなどの小さな空間(小便器2個と大便器1個だけのような)で個室が使われていても、めったに大便臭が臭うことがありません。大人になって、外で大便をすることをはばからなくなったわたしとしては、とてもありがたいことです。

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日記帳(後)

(つづき)

自分だけの日記帳を若いころ書いたことがあります。誰に読ませるわけでもない日記帳でしたが、『オレってすごいよな』『オレは天才かもしれない』と書いたことはありません。『あいつのせいで負けた』『あいつさえ居なければ毎日がバラ色なのに』みたいなグチを書いたこともありません。毎日の日記を書いている最中にはそんなことばが大量にアタマの中を渦巻いて通り過ぎたとしても、それを文字にすることはない。あるいは、若さにまかせて物凄くエロいことやグロいことを想像したとしても、自分だけの秘密の日記帳だとしても、まるで男子トイレの壁に書かれた落書きのようなことを書くことはありませんでした。もちろん、健全な男子であったから、アタマの中がそんなことで一杯だった時期は当然あったわけですが。

自分の秘密の日記帳であれ、だれが読むかわからないブログであれ、何かを書こうとアクションするときに、結果として文字に残った形がどうこうではなく、刹那刹那にアタマの中を大量の映像や文字が駆け抜けていく中で、自分のココロの中を自分自身にきちんとわからせられる一番良い表現を探している、そのプロセス自体が重要なのではあるまいか。なんてなことを思う今日この頃です。

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日記帳(前)

もうすぐ丸8年になるわたしの日記帳(ブログ)2冊(ネット上だから2編かしら)。こっちのniftyブログは日記というよりも読み物として書いてある(もともと投稿原稿のストック)けれど、もう一方のヤツ(楽天ブログ)は明かにただの日記帳です。

タレントでも政治家でもない一般市民が、見ず知らずの不特定多数の人間に日記帳を見せることに対していろいろ云われてきました。日記帳は自分の行動記録であるとともにココロの記録でもあるから、ヒトに見せること前提で書いた日記には本当の気持ちが書かれないから意味がないと。まあ、それはそうなのでしょうが、自分の思うことをヒトに読んでもらうこと前提でしかも公のネットに乗ってどう広がるかもわからないこと前提で文章にするのは、とても頭を使います。わたしはブログをアップすることのメリットはこれに尽きる気がします。毎回アップのたびに何百万人も読むブログもあれば、書いてもほとんど誰も読んでくれないブログもありますが、後者であっても自分の手元にあるノートにこっそりボールペンで走り書きするのとはわけが違います。だれが読んでも今の自分を理解してほしいという想いでキーを叩くわけだから、意識するしないにかかわらず、自ずとそこに並べることばのひとつひとつをしっかり選ぶ作業が必要になります。 (つづく)

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がんばっている自分に酔うこと

先日書いた『自己満足のすすめ』と同じように、最近結果説明時に推奨しているのが、自分の『がんばっている感』を実感すること。

元来、『健康のためにがんばる』という考え方がキライなわたしなので、がんばらなくても続けられる楽しい習慣になれそうなものを探すように話してきましたが、そうれはそう容易いことではありません。むしろ、自分で決めたことを毎日しっかりがんばることの方がやり易いのかもしれません。「早めの夕食のあとに何か食べたい手持ち無沙汰感を乗り越える」とか「毎日朝起きして30分間散歩をする」とか、そういう自分の決め事を続けられている自分を褒めてやること、ってとても大事だと思います。わたしなんか、最近はちょこちょこ自己評価しては自分の中でこっそり「オレってエライな。ようがんばっとる!」と自褒めするようにしていますが、がんばっている自分の姿に酔いしれるのって、楽しいですよ。

ぜひ、お試しあれ!

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筋肉疲労

「わたしは寝たきりになりたくないから筋トレを欠かさないようにしています」

ご高齢のみなさんの中には、そう云って定期的にスポーツジムに通っている方々が少なくありません。アンチエイジングの基本は筋肉から。大変素晴らしいことです。

ただ、意外な落とし穴があることを忘れてはなりません。やり過ぎは返って逆効果であるということです。筋トレの基本は『過負荷の理論』ですから、軽めの運動の継続が有効な有酸素運動と違って、ちょっとだけ無理をさせることが必要。過負荷によって壊れた筋繊維が修復するときに筋肉が太くなるわけだから。でも、やり過ぎると筋肉の回復ができず傷んだままの筋肉繊維は発達するどころか壊れていく一方になります。筋肉が壊れれば他の機能もそれに合わせてレベルダウンするのもアンチエイジングの原則。こうなっては元も子もありません。

使わなければ退化するが使いすぎると壊れていく。ここの加減はとても微妙です。年齢が上がれば上がるほど個人差が大きくて微妙に難しく、テレビでやっていた指示通りにしたら良いというものでもありません。みんながみんなプロの指導者さんの指導は受けられないでしょうが、筋肉やカラダ全体の疲れが何日もたまっていくときはきっとやりすぎですから自粛する勇気をお持ちください。

『がんばればがんばるほど筋肉は鍛えられる』という思い込みはナンセンスです。

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『病気』て何?(後)

(つづき)  
ただ、この機会にふと考えさせられたことがあります。

「どうもないんだから病気じゃないよ」ということば。

怒涛の循環器救急の世界から予防医療の世界に移って今まで、このセリフが患者さんから出るたびに、「何云ってるんだか?」とため息をついてきたのですが、最近ちょっとわかる気がするのです。「高血圧が続くと病気になるよ」ではなくて「高血圧症自体が病気」なのだから『高血圧』ではなくて『高血圧症』なのだ、『症』がつくのは病気なのだ・・・そう云い切って一刀両断してきたけれど、やっぱり『高血圧症』は『高血圧が長く続く状態』であって、『病気』ではないのではないか。それを放置して脳卒中や動脈瘤破裂や心筋梗塞やあるいは心不全を引き起こしてしまったら、そのときはその病気を引き起こした原因の病気が高血圧症だと云ってもいいかもしれないけれど、それを引き起こしてもいないものは『病気』ではない。けだし正論だよね、と思う今日この頃。「何云ってるんですか!起きてしまてからでは遅いでしょ!」というのはもちろんわかる。でも、起きないかもしれない。確率論の空論である間は悪者かどうかわからない。あくまでも、死ぬときに提出する人生のスコアカードで病気だったか病気ではなかったかのジャッジを受けるもの。高血圧症とか脂質異常症とかいう無理やり『症』の字をくっつけた病態は、そういう世界のものなのかもしれない。

『病気の定義』は何だろう? 天下のWikipediaによると、「人間や動物の心や体に不調または不都合が生じた状態のこと」とあります。当たり前のようで、だから何よ?とも思う。「不調」はわかるけど「不都合」って何だろう。どうもないなら「不都合」ではないのではないか。

ただ、確率論ではあるけれど、この男性のようなパターンは何かが起きる危険性は普通よりはるかに高いわけで、少しでも気になるならばそれなりの対処をしてほしい。それを『治療』というのだろうけれど、自分のためだけでなく家庭や社会の安泰のために。それが、『万事を尽くして天命を待つ』というやつなのだと思います。後悔しても人生、されど取り越し苦労であっても後悔しないで終われる人生の方がいいんじゃないかな。どっちの選択が後悔につながるかは最後までわからないけれど。

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『病気』て何?(前)

「どうもないんだよ。問題はそこなんだよね」

収縮期血圧が180とか190とか、拡張期も100とか110とかが何年も続き、心電図の肥大所見が年々強くなっていくのに、外来受診指示を無視し続ける単身赴任のおじさん。先日、業を煮やした保健師さんがわたしに説得してほしいと彼を連れてきました。

彼は診察室に入るなり、恐縮した素振りで椅子にちょこんと座ってわたしの話を聞いていましたが、「この手の病気は突然死や脳卒中などを引き起こす危険性があるものの前触れ的な症状が全くないから、自覚症状を目安にしても間に合わないんですよ」と説明したときに、冒頭の返事が返ってきました。「おっ?」と思いました。

「話をしたら『そうですね〜』と云って、あと一押しすれば受診してくれそうなんです 」と云って保健師さんが連れてきたのですが、最初にちょっと話してわたしにはわかりました。この人は神妙な顔をして頷いていますが単なる聞き流し戦略です。逆らうことなく「はいはい、ごもっとも」という態度をとってその場を過ごせれば一年間安泰ですから、ときが過ぎるのを待つタイプ。露骨に不機嫌そうな顔をしたり途中から激昂したり、あるいは持論を主張し始める方の方がよっぽど変わる可能性を持っていますが、この従順そうな聞き流しタイプは絶対に病院には行かないな、と思っていたのです。

でも、一言発したということは本人もそれなりに気にしているんだなと感じました。「動悸とか息切れとかしびれとか出ないまま突然ドン!とくる確率が高くなっていますし、心電図に影響が出るようになったということは各臓器がへばり始めているといことだから、そろそろ重い腰を上げてくれませんか?」と締めくくって再度保健指導に送り出しました。今年もそのまま放ったらかすかもしれませんが、ココロの隅のどこかに引っかかってくれたらラッキーかな。  (つづく)

 

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しめすへんところもへん

両親がつけてくれたわたしの名前には、『祐(ゆう)』という漢字が使われています。この漢字、まともに書いてもらえる確率は極めて低いです。最近はワープロやパソコンでの漢字変換なのだから間違えようがないだろ、と思うのですが、ワープロやパソコンの漢字変換だからこそ間違えるようです。全然違うじゃないかと思うのですが、他人にはどれも同じようなものらしい。一番多いのは『裕』。先日も学会の研修会受講を申し込んだら、送られてきた受講証に『裕』の字が書かれていました。まあ慣れっこではありますが、今回は単位取得などに関わるので、訂正をお願いしました。旧字体と新字体を間違っているだけで別人と判断されるご時世、ここで妥協すると他人が受講したことになるかもしれません。

FAXで送ったわたしの文字が分かりにくかったのか? たしかに『右』が『谷』を少し崩した字に見えないこともない。でもね、『しめすへん』は『神』なのです。『しめすへん』+『谷』という字は存在しないのです。『ころも(衣)へん』+『右』という字も存在しないのです。ワープロやパソコンなら絶対に選択肢に並ばないのです。日本人なのだから、『しめすへん』と『ころもへん』の違いくらいわかってほしい。名前に込められた漢字には意味がある。『祐』は『(天や神が人を)たすける』という意味です。『裕』は『ゆたか、心が広い』という意味。『ネへん』と『ネへんにチョン』とかじゃないのですけれど・・・他人にはどうでもいいことですか。

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目指すのは薬の開発か?

肥満に伴う中性脂肪上昇のメカニズムを解明

Nature Communicationsという科学雑誌に報告されたという東北大学宇野健司氏らのグループの発見があちこちでアップされています。

メタボになると血中中性脂肪値が上昇するメカニズム~肥満になると中性脂肪だけでなく肝臓にアミノ酸が増加する。ここがことの始まりなのだそうです。肝臓にアミノ酸が多くなると細胞内でシグナル伝達経路が活性化され、”栄養過多”という情報が自律神経を通して脳に伝達される。すると脳が血中中性脂肪分解酵素(リポ蛋白リパーゼ)の産生を減らす指令を出す。これによって、中性脂肪の分解が抑制されて中性脂肪が上昇する、というものです(脳を介した血中の中性脂肪分解抑制システム)。

中性脂肪が上昇するのは夜の食いすぎか飲み過ぎかで、「使え」と云ってカラダ中に回らせているのに使わないまま寝てしまうから余ってしまうんだと思っていました(笑) やせたらすぐに減るし。ただ、この研究者の〆のコメントに「この経路を制御することで、食事療法をしなくても中性脂肪が上がらず動脈硬化にならないような治療法の開発につなげたい」というのが書かれていてがっかりしました。「結局、そこかい?」という感じ。食事療法や運動療法しなければメタボ自体が解決しないのに、中性脂肪だけ抑えて何か意味があると信じているのだろうか?

ただ、わたしが若いころに勤務していた受付のお嬢さんのように、スレンダーでサラダばかり食ってダンス教室に通っているのに中性脂肪値だけが高くて悩んでいるヒトにはその薬ができると嬉しいだろうなとは思います。クスリができても、メタボのオヤジと大酒飲みには使用禁止にさせてほしいものです。

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悪酔い缶酎ハイ

缶酎ハイが好きで、コンビニやスーパーで見かけるとつい買ってしまうのですが、なんか妙に悪酔いしてしまいます。家飲みしてもすぐに酔って寝落ちするし、旅先のホテルで部屋飲みすると決まって二日酔いします(だったら飲まなきゃいいんじゃねえの?というご意見、ごもっともです、はい!)。度数8%とか9%とかを買ってしまうからいけないのかな、と考えたときに、「あれ?いつも飲む焼酎は25度だよ。あれの方がアルコール強いんじゃないの?」という疑問が湧いてきました。酒の疑問は、思い立ったら即解決!とばかりに管理栄養士のM先生に聞いてみました。

「アルコール濃度8%の缶酎ハイは、度数25度の焼酎ならどの程度薄めると同等になるのですか?」・・・忙しい仕事の合間に計算していただきました。

●アルコール量=お酒の量(ml)×アルコール度数(%)÷100×0.8
  アルコール度数25度焼酎一合(180ml)のアルコール量は36gだから、
  お酒の量を Xmlとすると、
               X(ml)×0.08×0.8=36g
               X(ml)=562.5
→度数25度の焼酎一合(180ml)で8%(8度)の焼酎を作るには562.5mlの溶液が必要

●質量パーセント濃度(%)=溶質の量(g)÷溶液(溶媒+溶質)の量(g)×100
                              8%=Yg÷562.5×100
                              Yg=45g=45ml
→約500cのペットボトルの水に度数25度の焼酎を45cc入れて作った水割りと一緒

そんな薄〜い焼酎なんか、飲めるか!と叫びながら、「じゃあなんであんなに悪酔いするわけ?」という新たな疑問。結局、缶酎ハイの焼酎の質が悪いということか。水割りやお湯割りに使う乙種焼酎ではなくて、甲種焼酎を使っているはずだけど、それの質が悪い・・・工業用エチルアルコールなんてことはないでしょうけど・・・。だから飲まなきゃいいんだよ、って? そう思いながら気づいたら冷蔵庫の中にちゃんとあるのよ。不思議ねえ。

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彼が笑った。

わたしが産業医をしている企業の社員さんの中に何人かメンタル障害で休職を余儀なくされている人がいます。先日、久しぶりに産業医面談をしたのはもう休職して2年近くになる男性です。それまでにも他の支店で何度か休職を繰り返している彼は『新型うつ』のレッテルを貼られて何かと適応できずにいましたが、新しい主治医との出会いで発達障害系のきちんとした診断を得、前向きに頑張っています。

その彼が、開口一番、「先生のお宅は、先日の台風の被害は出なかったですか?」と云いました。「おかげさまで大したこともなかったですよ」と答えると「それは良かった」と云って笑いました。

ありふれた会話だと思うかもしれませんが、わたしはとても感動しました。彼が産業医面談で他人(わたし)のこと、それもプライベートなことを自ら話題にしたことなど、これまで一度もなかったのです。笑い顔も見たことがなかった。いつも冴えないうつむきがちな表情で自分の近況を手帳の記録を見ながら鬱々と話すだけだった彼にとって、これは画期的なことだと思いました。

まだまだ職場復帰までは長い道のりになりそうですが、着実に良くなっている気がして嬉しくなりました。

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カエルの子はカエル

几帳面で大義名分が好きで、筋の通らないことがあると所かまわず怒り出すけど、冷静で合理主義な血液型A型の父と、おおらかでマジメ、争いごとが嫌いで丸く収まるためには労を惜しまない、ちょっと大雑把で間抜けなチョンボをするのも愛嬌なO型の母の間にわたしは生まれました。わたしの若い頃を知るヒトはわかると思いますが、むかしはその顔立ちも含めて典型的に父親似の性格でした。この瞬間湯沸かし器は父親譲りだが、わたしは正論しか云ってないと自信を持って生きてきました。でも、最近のわたしを知るヒトはそれを意外だと思うことでしょう。なんかどんどん母親似の性格に変わっていく自分がいます。もっときちんきちんとやっていたのに、妙にいい加減でなあなあに、できるだけ争いの起きないような言い回しに・・・「まあ、しょうがないわね」みたいな。歳を取って丸くなっただけと思っていたけれど、これはどっちも親の性格・・・ひとりで感心しました。

実は最近、家に仕事を持って帰らなくなりました。以前は抱えきれないほどの書類や資料を持って帰って、結局ほとんどそのまま翌朝職場に持っていくのが常で、必要に迫られて食後にテーブルに資料を並べても気づいたら眠ってしまったり・・・自己嫌悪の繰り返し。それをしなくなった今日この頃。仕事量やしなければならない仕事の種類にはあまり変わりがないのだけれど、どうせしないのだから、「家で仕事」の概念を捨てました。家ではネットを閲覧するかテレビを見るか、あるいは家人やワンたちと遊ぶか、とにかく仕事のことは考えない。

驚くべきことです。コレは、母型の行動パターンから父のやり方に見事に方向転換したことになります。なんか、そんなことを考えていたら可笑しくなりました。カエルの子はカエル。今は亡きどっちの親カエルもしっかりと子ガエルに生き方を伝授しておりました。

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さらに運動のすすめの話題

老化、運動、睡眠・・・この3つの単語がそろえば、鬼に金棒? ん~どうかしら。

一晩の睡眠不足が体の老化を促進 毎日のウォーキングで睡眠を改善

カリフォルニア大学ロサンゼル校の研究で、61~86歳の男女29人に一日だけ4時間の短時間睡眠をさせて末梢血単核細胞(PBMC)を調べたら、「一晩の睡眠不足によって、細胞の老化が促されることが判明した。細胞が分裂し新たな細胞を産生するまでを示す細胞サイクルが阻害され、細胞の損傷が増えることが明らかになった」とのこと。「人は誰もが老いますが、たった一晩の睡眠不足が細胞のダメージを引き起こし、老化スピードが加速するのに加え、病気にかかりやすくなることが生物学的に確かめられました」というのが著者のことばです。だから十分な睡眠は大事・・・これはいろいろな本で読んでいたのでよく理解できます。

そして次に、「ウォーキングなどの運動をする習慣のある人は、十分な睡眠をとっている傾向があることが、約43万人の米国人を対象とした調査で明らかになった」(ペンシルベニア大学のマイケル グランドナー氏)という研究から、運動することが毎日の睡眠の質を高める最善の方法であるそうな。「交感神経が活発に働いている時間である夕方、特に夕食後に運動をすると、心拍数の増加と筋肉の血流量の増加により、体脂肪の燃焼率が活発になり効果的です。食後の血糖値の上昇も抑えられます」という著者のことばも、行動を起こすきっかけになってくれると良いですね。

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階段を上らせる方法

モチベーションを上げるためにはこういう報告は大事なのだろうことを最近感じるようになりました。「人間、しなくて良いことはしない」「した方が良いことでも、しなくて困らないならしない」・・・人間には運動欲は存在しないというセオリー通りですので、それでも動こうとする後押しが必要なのです。「健康のため」「生活習慣病予防のため」くらいの理由で上げられるほど、現代人の腰は軽くはないということでしょう。

階段をもっと使うために何をすれば良い? 運動量を増やす方法が判明

「階段を昇りましょう」
「階段の昇降で燃焼できるカロリーは通常のウォーキングの3倍です」
「階段の昇降でジョギングよりも多いカロリーを燃焼できます」
「1分間に燃焼できるカロリーは階段昇降の方がテニスよりも多い」
「1日に7分間、階段の昇降をするだけで、心臓病や脳卒中のリスクが低下します」

階段のライザー(階段の背中みたいなところ)にこんな表示をしたら、階段の使用率は職場施設で12.3%、公共施設で6.4%増加したそうです。たしかに駅の階段や都会のビルの階段上っているとよく見かけるようになりました。あれを見て上っていると目が回って階段を踏み外しそうになるから、最近はできるだけ見ないようにしていますけど・・・階段を選ぶ人しか読めないので、階段を選ぶ人は最初から選んでいるので、ホントに必要な人(エスカレーターばかり探す人)は読まないんじゃないの?と思っていましたが、それなりに効果はあるのですね。

「階段とエスカレーターやエレベーターの距離をなるべく離れたところに設置すると、階段の利用率が増える」という調査結果も面白い。「距離が100%離れている場合(どういう意味だろう?)、上りの客は71%、下りの客は21%それぞれ増加した」そうな。でも、学会などで出張しても意地で非常階段を探すわたしの目からすると、エレベーターやエスカレーターが隠れたところにあって、中央に階段が鎮座する環境でしか云えないことのような気がします。デパートに入って中央にでっかいエスカレーターがウエルカムしているのにわざわざそれを無視して奥にある階段を上る変人は、わたしくらいなものでしょう(笑)

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認知症ドックの落とし穴

軽度認知障害(MCI)を見つけ出して早期から管理することで認知症の進行を少しでも遅らせたい・・・そういう発想で、認知症ドックの類があちこちの施設で行われています。実際、脳ドック受診者の半数は自分が認知症になりかけていないかという懸念が受診動機であり、そのニーズに応える内容が既存の脳ドックには備わっていないので、うちの施設でも始めたいという事でワーキングチームができました。それが、今、大きな壁に立ち塞がれて暗礁に乗り上げています。

専門分野の医師からノーを突きつけられているからです。気軽に検査して気軽にMCIだと診断して気軽に専門医を紹介するのはいいけれど、その絶対治らない進行性の病気をその後ずっと診ていくのは自分たちなのだ!というわけです。いろいろな理由を又聞きに聴いている中で、一番納得できたのは、必要に迫られて悩み抜いた挙句に病院受診を決断した患者さん(あるいはその家族)と違って、人間ドック受診者の大部分は『自分は違う』と云ってもらいたくて検査を受けているということです。病院受診者とは覚悟が違うわけです。がんの遺伝子検査やがん検診そのものと同様、受診する目的は『否定』であり、『取り越し苦労だった』と云われて胸を撫で下ろすことです。だから、「あなたは認知症です」「あなたは将来認知症になります」と宣告されたときに狼狽えるのが必至。その後、必ず紹介された医療現場でトラブルのだそうです。本人よりも検査を受けたことすら知らされていなかった家族の方がパニクるのだと。

受診者は、そのドックを受けるにあたって相当の覚悟を持ち、不治の病の宣告を受けても狼狽えない心構えが必要なのだ、とある臨床医が教えてくれました。でも、世間では普通にそんなドックが行われ、むしろ時代を反映してブームにすらなっていますが、そういう施設では、アフターケアをどういう形で行っているのか、この話を聞きながら初めてそんな部分が気になり始めました。

 

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別にいいですけど

「あんまり気にしなくてもいいってことですよね?」

例によって、人間ドックの結果説明をひと通り済ませたところで、その厄明けしたばかりの軽いメタボ腹男性はそう自分から切り出しました。耐糖能異常も中性脂肪も脂肪肝もそして正常高値の血圧も全部備えていますが、自分からこういうコトバを切り出すヒトは、「もうそれ以上云うな!不愉快だ!」というココロの叫びなわけですから、わたしは最近深追いしないことにしています。

「まあ、例年と大差なく、年齢分だけの変化が出るべくして出てきたってだけですから、そうですね」と答えてあげます。たしかに今、治療しなければならない病気があるわけじゃなし、修行僧的人生を今から歩まないと先は短い、というほどでもないのですから。

ただ、それはそうなのだけれど、今意識しておいてやらないと、近い将来必ず苦労すると思う。「今から意図的に習慣づけておいた方が絶対に人生が楽だと思うけどな」と云いたい気持ちをグッとこらえて。

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