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2015年10月

妄想の時間

先日受診された妙齢の女性は、忙しい自営業に加えて、1年前に突発性難聴に罹って以来、動悸や耳鳴りや肩こりやに悩まされる日々で、とても憂鬱そうな顔をされていました。彼女に必要なのはクスリではなくて休養の時間だということが容易に想像できます。でも、どうやったらいいのか?

わたしは、毎日一時間の散歩の時間を作ることを提案しました。自営業なのだから、どんなに仕事が繁盛して忙しくてもその時間を捻出することくらいできます。もちろん、朝日を浴びながら外を歩くとセロトニンというホルモンが分泌されてとてもココロが癒される、ということはむかしから云われているのでご存知の方もおりましょう。

ただ、今回わたしが散歩を提案したのは、運動療法のためではなく、単純に、ぼーっとする時間を作るためです。だから別に早歩きやスロージョギングである必要はありません。公園などをチンタラ歩きながら季節の変化を愛でる中で、 仕事を忘れて妄想の時間を作ってほしいと思うのです。もともと彼女の仕事は毎日かなりの活動量ですから、仕事だけで 身体活動量は十分に確保できています。でも、得たいのは活動量ではなくて妄想量なのですから、たとえ忙しくても、あえて何とか時間を一時間捻出して一人で散歩に出てほしい。だれにも邪魔されずに楽しい妄想に耽ってほしい。わたしのそんな提案に、彼女は小さくうなずきながら初めて笑ってくれました。


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大人なんだから

「あの先生は時間内に自分の仕事をしないのに仕事量が多いとグチばかり云う」
「あの先生は毎月理由をつけて夕方の会議を休む。今月も休むそうだ」

「ちょっといいですか」と云いながらわたしのところにそんなことを云いにくる理由は、「先生からちょっと注意してくださいよ!」と云いたいのでしょう。「自分たちは昼休みも返上して頑張っているのに不公平じゃないか! 」「みんなが参加すべき会議をサボるなんて許せない!」とかで。でも、そんな役、わたしはイヤですよ。役職的にはわたしの仕事でしょうけど、面倒くさい。みんな大の大人なんですから、ほっといていいじゃないですか? 会議に出たがらないヒトを無理矢理出席させたって邪魔なだけ。会議で決まったことに文句云わないならそれでいい。仕事をさばけないのは、まあ甘えではあるかもしれないけれど、相手は経験豊富な大人の医者です。「働かなくてサボれるからラッキー」とか思っている輩なら、うちなんか辞めてもっと楽して金もらえるところに行くでしょう。自分なりに頑張っているんだと思います。それに文句あるなら、わたしが代わりに仕事を手伝ってあげますよ。超いい加減ですけど(笑)

他人のこと見てると頭にくることがたくさんあるかもしれないけれど、自分も大の大人なんだから、という気持ちで俯瞰したら、意外にやり過ごせます。きっと、そんなことでまとまりのない集団にはなりません。みなさん、大人ですから。

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無意味なのか?

先日、受診者さんに、『自分なりに試行錯誤してがんばってみてはどうですか?』と云ったら、『がんばっても効果がないなら意味がない!』とスッパリ切り捨てられてしまいました。

うちの妻も一緒に小一時間散歩しながら同じようなことを云います。『こんなにがんばっているのに何の成果も出ないのは何で?意味ないじゃん!』と、めちゃくちゃ不満げな顔。

自分が自分で考えて自分を変えるために自分で始めたこと、意味がないはずないじゃないですか。『自分が想定していたほどの効果はなかったけど、オレめずらしくがんばったよなあ。がんばっているオレって、なんかカッコ良くない? 』て自褒めする自分が好き。『じゃあ、次はこんなのやってみようかな』と次の策略を練る、懲りない自分も好き。やっぱり自分は理系じゃないんだなあと思います。体育会系でもないんだなと思います。『物事、勝たなきゃ意味がない、明確な成果が出なけりゃ何もしなかったのと同じだ』みたいな感覚が、少なくとも最近の自分には生まれてきません。

努力には必ず成果が伴います。思っていた内容ではないかもしれないけれど、いいじゃないですか。むかしから、こっそり自分なりにがんばって、うまくいってもいかなくても、あまり他人に云わないでひとりでほくそ笑むのが好きだったわたしは、根暗ですけど、意外に前向きに生きていくことができています。

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恐るべしスーグラ

『スーグラ』というクスリをご存知ですか? 『ヌーブラ』でも『バイアグラ』でもありません。『スーグラ』というのは、最近出てきた糖尿病治療薬です。わたしがこれを知ったのは数ヶ月前のこと。昨年にはとんでもない大きな身体でコントロール不良の糖尿病だった会員さんが別人に変貌して帰ってきました。このヒトが飲み始めてたのがこれ。

難しい理屈は解説書を読んで理解してください。今までのクスリは血管内のブドウ糖吸収を抑えたり細胞内へのブドウ糖吸収を促進させたりして直接血糖を下げる作用でしたが、このクスリは一旦腎臓で濾過して尿中に出てきたブドウ糖を血管内に再吸収させることなくそのままオシッコと一緒に排泄させてしまうというものです。『余分な糖分をオシッコで出してしまう』だけだから低血糖になったり太ったりすることもない。

理屈はなんとなくわかるのだけれども、そんな今までの常識とはまったく違う機序でホントにうまくいくのか?という疑問は、わたしの受け持ち会員さんの変貌ぶりで払拭されました。特段の厳しい生活療法をするでもないのにほぼ完璧な血糖値、スリムなカラダ、さらに脂質や肝機能や血圧まで正常化・・・むしろちょっとキミが悪いくらいです。尿糖(4+)なんて数字、初めて見ました。糖をオシッコから出すクスリなのだから当たり前なのですが。

まあ、”神への冒涜”というか、自然に備わった人体機能を真っ向からいじってしまったら、これまで表に出ていなかった腎臓の隠れた機能が損なわれて思いもかけない弊害が生まれてくるのかもしれません。あるいは数年のうちに体内機序が変わって一気にリバウンドさせてしまうのかしれませんが、とりあえず今まで血の滲むような努力をしてきたのにまったく効果のなかった患者さんには朗報なんじゃないかな、と思った次第。今後の動向を見守ってみようと思いました。

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最近思うんです

70歳を超えた一人暮らしの男性の診察をしながら、ふと思い出したんです。母が亡くなって数年後に「黄昏時になると、無性に寂しいがのう」と云っていたわたしの父のこと

何の根拠もないけれど、自分もきっとそうなるのではないかなと思うのです。妻も愛犬も居なくなって、ひとりで朝を迎えて、早朝からひとりで散歩しながら色々なことを想うのです。夕日ではなく、朝日なのに、きっと涙が出てくるのでしょう。

「さびしいなあ」とか独り言を云うのかな。云ってもしょうがないから云わないのかな。今でも独りで散歩していると時々そんなことを思うことがある。諸行無常だなあ。

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脳ドックは意味があるのか?

毎年、オプションで脳ドックを受ける方が割といます。大した所見があるわけでもないのに、「動脈硬化が心配で」とか「認知症が気になるので」とかいう理由からです。「脳ドックは何年ごとに受けたらいいのでしょうか?」という質問も良く受けますが、「もう受けなくていいんじゃないですか?」と云いたい気持ちをぐっと抑えて、「次に受けたときの所見やあるいは日ごろの生活習慣病の経過次第なので一概には云えませんが、せいぜい5年後でいいんじゃないですか? もちろん何か症状があるときはドックではなくて外来を受診してくださいよ」とお答えします。

「気になる症状があるときはドックではなくて外来受診」は大原則ですから、「●●が心配なので脳ドックを受けた」というのは論外だとして、何も症状のない方が脳ドックを受ける目的は何なのでしょう?若い方は先天性の奇形や血管異常(脳動脈瘤とかもやもや病とか)の有無を確かめること、高齢者では無症候の脳梗塞や出血、そして動脈硬化性の脳動脈瘤や脳萎縮の程度とかを見たいのが目的でしょう。脳腫瘍も見つかるかもしれません。だから、一度は受けてみて損はないし、むしろ無症状の方は是非受けてみてほしいと思います。でも、結局そこまででしょう。翌年もその翌年も検査してみて小さな梗塞が新しくみつかったとして、何をします?症状はないわけですし、原因になりそうな生活習慣病の管理を厳密にするとか血液サラサラの薬を予防的に服用するとか・・・直接、脳に対する治療を必要とする何かが無症状の中に新しく生まれてくる確率はとても低いと思います。しかも今の所見がこれから1年後の無病息災を表すわけでもないから、安心ネタにもなりはしない・・・わたしは、脳ドックの定期受診はお金が勿体ないと思います。ドックで働く医者がこんなこと云ったらいけないのかもしれませんけれど・・・。

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鳴く

あれマツムシが 鳴いている
ちんちろちんちろ ちんちろりん
あれスズムシも 鳴き出した
りんりんりんりん りいんりん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ

秋になって、我が家の周辺も虫の声が良く聞こえるようになりました。先日、テレビで鳴く虫のはなしをしていたのをボーっと眺めながら、ふとした疑問が浮かびました。

「どうして『虫が鳴く』というのだろうか?」

『鳴く』と云ったら普通”声”を出すわけですよね?でも、虫の音色は声ではなくて羽を擦る”音”ですよね。英語でも”Insects chirp. ”と云うわけだから、やはり外国でも虫の発する音は鳥や動物の声と同じ表現方法。何か合点がいかない。たしかに声帯を震わせるか羽を震わせるかの違いだから、声帯が背中についていると考えたら、鳥や動物たちと同じではある。目的も、求愛や警告や自分の位置表明なわけだから同じ、ではある。

でもやっぱり羽を擦った”音”を”声”と表現するのを標準として扱うのは、納得できないのであります。しかもあいつら、わたしが近づくと急に黙りこくりやがる。黙るんだったら、最初からしゃべるなー! あ、いや、「しゃべる」じゃない。

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基準の違い(後)

(つづき)

先日も他の受診者さんからクレームを云われました。「境界型のレベルの健診結果に昨年『治療中』の判定が出ていたが、かかりつけ医がそれを見て、『病気でもないのにどうして”治療中”なんだろう』と云った」というのです。自分は食事や運動には気を付けているがまだ糖尿病ではないと思うのにどうして『治療中』になるのか?と。実は、昨年この判定に変更させたのはわたしです。もともとは『要再検』~異常値なので日常生活に留意して数か月後にあらためて採血検査をうけてください、というものでした。でも、この方は常日ごろから生活の注意をきちんとしているし、高血圧症でかかりつけ医もいる。きちんと治療(生活療法)することで糖尿病型の領域に上がらないでいる・・・これは、「まだぎりぎりで糖尿病にはなっていない異常」という判定よりも「きちんとした良い治療ができている糖尿病」と判定した方が健全だし前向きだと思ったのです。

でもご本人からすると、『病気』でもないのに『病気』扱いされるのは心外だ!職場に知られると「あいつは糖尿病だ!」と誤解されるからそれは困るのだと云う。ここに予防医療と治療現場の意識のズレだけでなく一般社会の皆さんとの感覚のズレも見て取れます。「糖尿病は”なまけもの”の病気」という誤解を取り除かない限り、こういう方々の不安は取り除けないのだろうと感じています。彼らにしてみたら「『病気でないものは正常』の評価法を健診でも採用してほしい」と思っているのでしょうけれど、「病気になるのを待つ」やり方では予防医学は成立しません。予防は”重荷”ではなく”楽しみ”の概念だということをしっかりと啓蒙していかなければなりません。

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基準の違い(前)

「貴センターでの人間ドックでHbA1cが6.0%で糖代謝異常と評価されたために近くの内科に行って再検査してもらったところやはり6.0%だったけれど正常範囲内だと云われました。これはどう考えたら良いのですか?」

ある人間ドック受診者さんからこんな質問を受けました。ごもっともなご指摘です。HbA1cというのは、血管内にいつまでもある余剰の血糖が血管内のタンパクに結合する習性を利用してヘモグロビンと結合したグリコヘモグロビンの量を測定することで適正に血糖量が維持されているか評価する値ですが、日本糖尿病学会から出されている判定基準によると6.5%以上が『糖尿病型』、6.0~6.4%が『境界型』、5.6~5.9%を『正常高値』と定義されています。だから日本人間ドック学会は6.0%以上に”異常”の印を付けます。ところが、糖尿病の治療をするにあたって、「HbA1cが6.2%以下に維持するのがエクセレント(優)」と評価されることを踏まえて、クリニックなどの基準値は「6.2%未満が正常値である」となっているところも多いようです。

つまり、5.9%以下は正常で6.5%以上は異常で、その間が境界型なわけですが、この”境界型”の取り扱いが何を基準にするかで食い違ってくるのです。糖尿病かどうかを判断する臨床現場は「病気でないものは正常」というスタンスですが、これはわれわれ予防医療の常識である「正常でないものは異常」の考え方と微妙にズレています。   (つづく)

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手持ちぶさた

仕事から帰ってから、基本的に何もしないことにしたので、愛犬の散歩をした後に卓上のパソコンを立ち上げて一通りメールやネットをチェックしたら、夕食前くらいまでにはパソコンもオフにするようになりました。以前は寝るまで点けていたのですが、正直なところ、老眼のせいで文字を読むのがちと辛くなってきているからです。

で、することもないのでテレビなど見ながら酒を飲むのですが、何しろ手持ちぶたさなのです。わたしの人生、子どもの頃から常に『ながら族』の生活だったから、何もしないでテレビに見入るという動作ができないのです。酒を飲んでいる間はまだいいですが、それも終わってカウチに腰掛けてテレビを見ていると、ダメ。そのまま意識がなくなりそうになるから、結局手元にスマホかiPadを持ってきてよく読めないのにそのままいじってしまいます。

わたしが手元に何も持たずに画面に見入れるのはサッカー観戦くらいです。いつもスマホのゲームをいじりながらわたしの話すのを聞き流す妻の姿にイラっとしていましたが、これは云うならば一種の現代病なのかもしれません。

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ベージュ脂肪細胞

今回のヘルシーパスレターの配信テーマは『脂肪細胞の種類・特徴・働き

このテーマを見た瞬間に、わたしはアタマの中で勝手に「内臓脂肪」と「皮下脂肪」に仕分け、メタボと非メタボですタイな、と知ったふりをしていたら、全然違うことが書かれていました。

「白色脂肪細胞」「褐色脂肪細胞」「ベージュ脂肪細胞」の3つ。細胞内にエネルギーが溜まってメタボがどうだこうだ、アディポネクチンやレプチンがどうだこうだ、という普通の細胞が白色脂肪細胞。それに対して褐色脂肪細胞は脂肪酸を熱に換えてしまうので、これが多ければ太りにくい・・・ここまではわたしも存じております。

ここに「ベージュ脂肪細胞」という細胞の存在が書かれていてとても興味深く読みました。これは、”白色脂肪細胞が褐色脂肪細胞化した脂肪細胞で「褐色脂肪類似細胞」や「ブライト細胞」とも呼ばれ、白色脂肪細胞の中に混在します”とのこと。この細胞をどうやったら増やせるのか・・・寒冷刺激や運動や食べ物や・・・ちと、この機会に勉強してみようかなと思います。

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理想のカラダ?

数社の遺伝子検査を受け、詳しい人間ドックを受け、体力測定や体組成計検査を受け、そのデータを元に、優秀なスペシャリストたちが割り出した理想の食事メニューと運動や生活の管理指導を受け、場合によっては足りないところをサプリや薬剤で補ったとしたら、ヒトは本当に理想のカラダを手に入れられるのだろうか。

手に入れられたとして、そのまま同じことを続けていたらまた少しずつ理想からズレ始めていくのではあるまいか? それをまた微調節して理想のカラダに修正して・・・そんな振り子運動を繰り返していくうちに最後は一点に落ち着いていくものだろうか?

何か、そんなことを繰り返して気づいたら全然違う着地点になっていて、理想どころかぐちゃぐちゃにいじり倒されただけのカラダになってしまうのではないかしら?

とか考えていくと、『理想のカラダ』って何?という疑問に戻ってしまいました。

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リズム

朝、わたしの車の前を走る白いハイブリッド車が、ずっとわたしの前から離れない(こういう場合は、わたしが離れられない、と書くのが正解なのかもしれませんが)。この車がどうもわたしのリズムと微妙にずれていまして、気持ちがわるいわけです。特別、速度が遅いとか、急ブレーキをかけるとか、無意味にブレーキを踏むとか、速度にムラがあるとかそういうのではないのだけれど、なんか合わない。きっとわたしの心拍リズムと彼女(女性ドライバーさんのようでした)の心拍リズムがずれていて、いつまでたっても共鳴できないのだと思います。

それだけのことなのに徐々に不快感を感じ始めて、ちょっとウインカーが遅れるだけでイライラし、信号に対するブレーキの踏み方の一つ一つに文句を云いたくなる。理不尽なはなしです。「特に理由はないけど、あいつはなんか虫が好かない」というのは、きっとこんな感覚なのだろうなと思います。

こういう車に限って、最後の最後まで行動を共にする。職場の直前の信号機まで一緒で、相手は左へ、わたしは右へ。あの人、きっとうちの職場の職員さんだな。

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ヒトがいないと大変になる?

毎年のことですが、夏の繁忙期を経た後の秋の学会シーズンに入る今ごろは、ドクターのまとまった休みが多くなります。わたしたちの部署では、もともと人数が少ない上に各々が各々にスペシャリストなので仕事を代行できる医者が限られていて、この時期はとても大変になります。人が居ない、大変だ大変だ!と皆が焦っています。「午前中に読影しなければならない仕事がいつもより多くあてがわれているので昼休みの半分が仕事で潰れてしまった。こんな毎日はつらい!」とある医師が本音を吐いていました。そうでしょう、そうでしょう。わたしも小便に行く暇すら与えてもらえないほどの分単位のスケジュールを余儀なくされる毎日ですから。

でもそんな中、わたしのココロは意外にのんびりしています。個人的には仕事量は5〜7割増しくらいですが、わたしも休むときは休むのですからお互い様です。働くときには身を粉にして働きます。こんなときはいつもケ・セラ・セラ。きついけど、まあきっと何とかなるのです。いつもそうだから。

「人手が減ると大変だ!」という思いはあまりありません。むかし、もっと医者が少なかったころを知っているからでしょう。その後人数が増えてかなり楽になりました。確かにあのころに比べたら受診者数も増えたのだけれど、でも正直あのときは心身ともにものすごく楽になったと実感したのを覚えています。そういえば前出の医師は人数が多くなってから働き始めた方だから、むかしを知りません。救急医療をやっていたころ早朝から夜中まで、さらに夜中から早朝まで働くのが当たり前だったころを経験してきたわたしとしては、「人手が減って大変」という感覚よりも「人手が多くなって楽になっている」という感謝の気持ちの方が強いので、簡単に乗り切ることができます。ありがたいことです。

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非日常を求める

仕事をしながら、ふっと卓上のカレンダーに目が行きます。「何か変わったことがないかな」と独り言。来月は学会出張が2回もある。久々に東京に行くなあ。久々に昔の職場の皆さんに会えるなあ。今月は、研修会に2回も行かなけりゃならないか。早めに帰って路面電車で行こうかな。何時にここを出れば間に合うかな。今週は産業医の仕事もあるから、この日は午後の業務はできないかな。

毎日同じことをするのに飽きてきているのか、こういう日常ではないことがあるのを若干心待ちにしている自分があります。ある意味、こういう些細な思いで日々の忙しさの疲れを紛らしているから、うつ状態にならずにすんでいるのかもしれません。何しろここのところいつもアタマが重くて冴えない日々なのです。男性更年期だから、と自分に云って聞かせています。

でも、いざその日が近づくとどんどん面倒臭さが増してきて、ウキウキどころか、エントリーしたことを後悔なんかしてしまうわけです。年寄りは何かと難儀です。

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仏の世界展

『漫画家による仏の世界展in湯前』に行ってきました。春から大都会を中心に開催されているこの原画展ですが、熊本では田舎の山の中の『湯前まんが美術館』という小さな施設(湯前町中央公民館と湯前町教育委員会が併設、というかほとんどそっちがメイン)で開催されていました。だから訪れる人もあまり多くない様子で、週末でしたがゆっくりと有名漫画家さんのほとけの絵を堪能できました。

有名漫画家さんたちが『仏』と聞いて思い浮かぶものをその感性で描いたほとけ様ですが、多かったのは弁財天や観音様といった女神さま。そして、子どもたち。とくに子どもたちや赤子の無邪気に笑う顔がとても良く描かれていて、その表情の豊かさに見とれてしまい、思わず自分の顔もにんまりとして満たされた気持ちになりました。

『無邪気』・・・『邪気』のない状態。『邪気』とは、1. 人に害を与えようとする心。悪意。2.病気を起こす悪い気。悪気 (あっき) 。3.物の怪 (け) 。じゃけ。・・・結局、いつも楽しげに笑う稚児、「今泣いたカラスがもう笑た! 」・・・大人になってもいつも何でも笑い飛ばしていられることが邪気払いの最良の方法なんだと感じた次第です。

ちなみに、子どもたちのことを『餓鬼(がき)』と呼びますが、餓鬼は本来 「生前の罪のむくいとして餓鬼道におちた亡者」のことであって、「いつも飢えて何でも欲しがる食べたがる」子どもたちの姿から『がき大将』とか『クソガキ』とかいうことばはありますが、やはり子どもの特権は、いつでも無邪気に笑っていられることなのだと思います。その笑顔が、成長とともに徐々に消え失せながら大人になる・・・なんて酷い(むごい)ことでしょう。それが、さらに年取ってきたときに再び何にでも笑えるようになる。そうか、それは『無邪気』ではなく、『悟り』なのだと心得たり。

わたしはまだまだなあ、とつぶやきながら仏の絵の各々にそっと合掌。

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ニコニコ

診療していて感じるのですが、最近は以前より温和な人が多くなった気がします。診察や健診結果説明で診察室にお呼びしたときの顔つきが厳つくないどころか、知り合いでもないのにニコニコして「お世話になります〜」と云いながら近づいて来られます。数年前までは呼んでも仏頂面でちょっとしたことに食ってかかりそうな輩がおられて妙な緊張感の結果説明になることがよくあったのですが最近めっきり減りました。

もしかしたら淘汰されたのかもしれません。ここが気に入ってここに受診するのを楽しみにされている方だけが残ったのかもしれません(受けたくもないのに会社の指示だから、という法定健診の類が減りました)が、もしかしたら世知辛いとはいえ社会が少しずつ安定してきている表れなのかもしれません。

ニコニコして低姿勢で、「お世話になります」「ありがとうございます」と必要もなくへり下ると相手に甘く見られて見下されるかもしれないから理由もなくそんな態度はすべきでない、と正直若いころには思っていました。でも、この歳になって、こんなニコニコおじさんばかりに毎日出会っていると、逆だなと思うようになりました。いつでもどんな人にでもやさしい顔で接していられるというのは、余裕の表れです。かっこいいです。

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大量の飲酒?

定期的に配信してもらっているヘルシーパス(株)からの今回のレターが届きました。題名は<大量の飲酒と糖質の必要性>で、「お酒は糖質だからお酒を飲むときは糖質を控えている」という人がいるが、お酒は糖質ではなく脂質だ、というお話でした。

エタノール(お酒)は体内分解されてエネルギーになるか脂肪酸やコレステロールを作る材料になるかなのですが、これを”大量に”摂取すると、糖新生(糖を作り出す)作用、β酸化(脂肪酸を分解する)作用、エネルギー産生作用が侵されてしまうわけですから、常識的に考えて、糖質を取らずに大酒食らったら、低血糖になり、体脂肪を増やしたり脂肪肝になったり、血中脂質を増やしたりします。

つまり「糖質を取らずに大酒を飲むと体内に脂肪が溜まるので、大酒を飲むときにはむしろ脂質を控えて糖質を取るのがいい」のだそうですが・・・まあ、酒飲みのわたしが云うのもなんですが、”大酒”飲まなきゃ良いわけですよ。忘年会・新年会シーズンを前に、酒を控えることよりも控えないときのための注意事項って、どうよ? 第一、ここに並べられた理屈はアル中オヤジのそれであって、宴会の席で気分よく大酒食らってしまったら、糖質だろうと脂質だろうと何でも食うでしょ。糖質を控えるようなことを考える人は大酒なんか飲まないでしょ。と思うのはわたしだけでしょうか?

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量よりも質

人間の最大の欲求である『食欲』に対して、幾多の葛藤と誘惑に襲われる庶民を古来から理論と脅しで制御してきました。個人的に、食べるのは好きだけれど食べることにこだわりのないわたしは、あまり栄養学の理論は好きではありません。人間に限らず生物は自分の欲するままに食っていれば健康であるはずのものだったのに、無意味な屁理屈が上から目線でカラダをいじくり始めたころから、体内に持っていた『制御のカラクリ』を壊してしまったのだと思います。食べ始めたら止められなくなる物質を食べものに隠し込んだり、腹一杯になったら食べたくなくなるホルモン制御を壊していつまでも欲望を絶やさせなくしたり・・・産業革命という人類滅亡への悪魔の介入があったから、無理矢理に修復させるための学問が生まれたのだと思います。

ずっと目の敵にされてきた脂質も糖質も、最近は「なくてはならないもの」という論調に代わってきました。基本的に、他の動物にあって人間にないのは、”節度”。これがいいと云われたら極端にそっちに走るし、それが間違いだと云われたら突然止める。困ったものです。「あれがいい、これが悪い」のマスコミ報道にあまり右往左往せず、かといって無意味に天の邪鬼にならず、自然体の生き方ができるようになれると良いですがね。

ということで、本題を忘れそうになりました。脂質についての記事が配信されましたのでご紹介します。何も新しいことは書かれていません。ただただ、「質の良い脂肪と悪い脂肪があって、前者の脂肪はとても大事だ」というはなしです。

低脂肪食は健康的ではない 重要なのは「脂質の質」

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独り深酒の勧め

日経ビジネスオンラインからこんな記事が送られてきました。

再録乗り移り人生相談『テレビを見ながら独酌をしているとバカになる

日経メディカルからの医療情報だと思い込んで読み進めていたので、なかなかすばらしいことを云っている医者だなと感心していたら、元週間プレイボーイの編集長さん島地勝彦氏の人生相談でした。

『独身一人暮らしの独り酒で、記憶がなくなるまで飲んでしまうことが度々あって、酔うとあちこちに電話しまくってたりして翌日ものすごい自己嫌悪に苛まれるのだが、どうしたらいいか』という相談。

「相談者の飲み方は開高健の退廃的なウォッカの飲み方でもなく人生の何かに押し潰されそうになって飲む飲み方ではないのだから自己嫌悪なんか感じなくても良い。酔うとあちこちの女友達に電話をかけまくる知人が居るが(あ、わたしにも居る、と思った)彼はその後出世したのだ」と云い、「全然、気にすることなんかない。自己嫌悪に陥る必要もない。翌日、自己嫌悪するというのは、自分がもっとしっかりした立派な人間だと思っているからだろう。要するに、錯覚、買いかぶりだよ。しょせん俺はこんなもんだと思って気楽に構えていればいい」という島地氏のこの件(くだり)が好きです。「自分の弱い部分を直視するためにも、独酌を続けなさい」と続き「自分なりの酒の飲み方をもっと研究してみたらいいと思う。自分の酒道を開拓するんだ。道を楽しむと書く「道楽」ではまだまだ甘い。道を極める「極道」にまで進んでほしい。そうすれば、何かが見えてくる。酒の道を極めるのはいいぞ。女は裏切るが、酒とシガーと本は裏切らないからね」・・・調子に乗り始めていく感じがよく分かる。ただし、「深夜の低俗なテレビ番組を見てヘラヘラ笑いながら酒を飲んでいるとバカになる。脳みそがスカスカになってしまう」と締めておりました(笑)

「家に帰ってもテレビなどつけず、毎日、1人孤独に飲んで本を読みなさい。そうすれば5年後、相談者は間違いなく魅力的な男になっている。1人の時間を心から愉しめる人間は、2人の時間も愉しめる」・・・私も島地氏のファンになりそうです。

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過剰診療?(後)

あなたの医療 ほんとはやりすぎ〜過ぎたるは猶及ばざるが如し

過剰診断、過剰診療とは何なのか? 昨年うちの病院のMRI装置が新しい物になって、さらに見たくもないものが見えるようになってしまったことにこっそり落胆したことを思い出しながら読み進めました。

乳がん検診で無症状の早期がんを見つけて無事に手術が成功した35歳の女性と、検診を受けたことのない70歳女性が全身倦怠で病院受診して骨、肝転移の進行乳がんが見つかって一ヶ月後に亡くなってしまったのと、どちらが幸せなのか?という問いかけに、「何云ってんだ?」と呆れながら読み進める。人生の最後まで孫たちと楽しい日々を過ごして病気と闘うことなく逝くのと、術後にずっと再発の恐怖に苛まれながら何十年も通院させられるのと、どっちが幸せか?というオチ。そう来たか!と思いましたが、この結果論はやはり結果論だと思う。本人はともかく家族や恋人は無症状で見つかったことに感謝し気づかなかったことに後悔するでしょう。あえて問題があるとすれば、そんな検査を簡単に受ける環境が整備された時代になってしまったこと。選択肢がなければ、検査される側もする側も運命を自然のままに享受できたはず。

次に紹介されたのは60歳代の女性。家で横になってテレビを見ていたら左側胸部が痛いという。外来の診察で大した問題はなく、肋間神経痛だろうと診断される。それでも2ヶ月も痛みが取れないので胸部CT検査をしてみたら、肺がんが見つかって、結局この人の胸の痛みは肺がんの骨転移だったことが分かった。この場合、CT検査は最初からすべきだったのかというディスカッション。この議論自体はいいとして、こういう経験をした医者は、以降、似たような患者さんに出会ったら必ずCT検査をオーダーするだろう。これが『経験値』というものです。下手をすると、胸痛 なら全例にオーダーするかもしれません。こうなると、それは明らかにやりすぎだと思います。

賛否は別にして、とても面白い本でした。機会があれば是非読んでみてください。

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過剰診療?(前)

CHOOSING WISELY in JPAN  〜LESS IS MORE

「それ、違うな」って思わず口にしました。

「総合診療系学会のワークショップでエビデンスのない予防医療をやめようとずっと訴えてきました」というある臨床医のことばを読みながら、そう思いました。

なんかね、論点がわたしの感覚と完璧にずれているのです。『人間ドックは病気を作り出している』という感覚は一般市民の誤解だと思っていたら、医者たちがそう思っているのですね。結局は 『予防は早期発見』だという数時代前の感覚をいまだに引きずっているわけでしょう。たしかに、CKD該当者に対して健診の医者が「あなたは人工透析になるから早く専門医を受診しろ」とか云うらしい。そんなことを云われてショックを受けたという受診者に何人も会いました。それを聞いていると健診に携わる医者自体にもまだまだ素人が多いと思う。予防医学は、病気の早期発見などではないのです。そこが医者の中で啓蒙できない限り、前には進めないと痛感しました。

本当はドックや健診はすべきではないけれどしないと病院の収益が低下するからやむを得ないとか、異常を引っ掛けて自分の病院の外来に引っ張って来るとか、そんなビジネス健診をやっている施設が今でもそんなに多いのですか?

ここに書かれているように、その領域の専門医は可能性のある病気を除外するための検査はすべてすべきだと必ず云います。循環器内科医だったわたしも、健診の世界に入った時は心電図の細かい所見にひとつひとつ危険性を感じて精査指示ばかり出していました。それは命に関わる病気で救急外来に担ぎ込まれてきた患者さんばかり見てきたからです。でも、健常者の心電図ばかり見るようになると、その多くは何も起きないに違いないという確信を持つようになります。もちろん、確率論ではないから、一人でも見落としたら意味がないということはわかっています。でも、この程度で自分だったら外来受診するか?と自問自答した時、自分だったら受診しないと思う所見に 『要精査』指示を出すことができなくなります。

これが健診専門医 の判定です。健診や人間ドックに従事するなんてどんな医者でもできる、各臓器のスペシャリストの方がはるかに次元が高いのだ、と思い込んでいる医者が多いからこんな問題が出てくる。診療の片手間で健診業務をやっている連中に何がわかるか?こんな問題は、健診のスペシャリスト=健診専門医にしか解決できません。 健診専門医こそ、もしかすると最強の臨床医かもしれないと思い始めているわたしです。

 

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食事に関するエビデンス

人間の最大の欲求である食欲に対してモーションをかけなければならない食事療法と食事指導。これに無頓着では必ずカラダを壊す時代になって、指導する側もされる側も大変です。だからエビデンスが必要なのでしょうか。理屈がどうであれ、実際に効果がないことはしたくないし、するだけ無駄なことはしない、という現代人の皆さまに、ケアネット様が厳選したエビデンス5題を紹介してくれましたので転記します。

「朝食多め・夕食軽く」が糖尿病患者に有益
イスラエル・テルアビブ大学でインクレチンとインスリンの増加によって食後高血糖を抑えるかどうかを無作為クロスオーバー試験で検討した結果、総エネルギーが同じなら朝食で高エネルギーを摂取する方が、夕食で取るよりも1日の総食後高血糖が有意に低下することが認められたそうです。

血液透析患者は「肉・魚・野菜」のバランスが大事
九州大学の久山町研究対象者を用いたコホート研究です。肉・魚・野菜のバランスが悪い食事(肉・魚に比べて野菜の摂取量がかなり多い)を取っている血液透析患者は予後が悪いらしいです。

地中海食と認知機能の関連をRCTで検討
スペインの研究で、オリーブオイルやナッツを加えた地中海食が認知機能の改善に関連していたことを証明したそうです。

魚をよく食べるほど、うつ病予防に
日本医科大学多摩永山病院の吉川 栄省氏らが、魚の摂取がうつ病に対するレジリエンスと関連している可能性があることを明らかにしたそうです。レジリエンスというのは「逆境に直面してストレスに対処する能力」だそうで、これを高めることがうつ病の予防に重要なのだとか。魚を食うと、ココロが強くなる、ということかしら。

健康的な食事はCOPDリスクも減らす
フランス・国立保健医学研究所のRaphaelle Varraso氏らが、米国人男女対象の前向きコホート研究を行い、全粒穀物、多価不飽和脂肪酸(PUFA)、ナッツ、長鎖オメガ3脂肪酸の摂取量が高く、赤身/加工肉、精製粉、甘味料入飲料の摂取量が低い食事を反映した健康食を取る方がCOPDになりにくいのだそうな。

くどいようですが、真新しい内容なんて何もないです。さもありなん、という結果です。エビデンスですから。

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究極の幸せ

先日、友人がFacebookで紹介してくれた『日本理化学工業はなぜ知的障害者を雇うのか〜幸せを提供できるのは福祉施設ではなく企業』の記事を読みました。社員の7割が知的障害者であるこのチョークの製造メーカーの社長のことばが深い。

内容自体は直接読んでもらうとして、わたしが感銘を受けたのは、社長が「うちの工場では知的障害者が一生懸命に仕事に取り組んでいます。施設に入って面倒を見てもらえば、今よりずっと楽に暮らせるのに、なぜ彼女たちは毎日工場へ働きに来るのでしょうか」と質問したときの住職の答えでした。

「人間の究極の幸せは4つあります。1つ目は、人に愛されること。2つ目は、人に褒められること。3つ目は、人の役に立つこと。4つ目は、人に必要とされること。だから障害者の方たちは、施設で大事に保護されるより、企業で働きたいと考えるのです」

さらにそれを裏付ける脳神経外科教授のことば。

「人間は“共感脳”を持っている」「人間は一人では生きられない動物であり、群れの中で周囲に支えられて、初めて生きられる。そして支えてもらうためには、自分も周囲の役に立つことが必要になる。つまり人間は、『人の役に立つこと=自分の幸せ』と感じる脳を持っている」

ヒトがこの世で生きていく意義はここにあり、あるいはこれを実感できなくなったときにヒトは生きていく価値がなくなったと感じて、最悪の場合、うつ病になったり自殺したりすることになるのでしょう。『人生、何もしないで好きなことだけしていられたら最高に幸せだろう』と云ってはみるものの、きっとそんなことはないだろうことを、誰もが知っている、そんな気がします。働きたいのに仕事がない、仕事しているのに待遇が悪い、従業員が真面目に働かない、目を盗んですぐサボる・・・お互いの不平不満があるときは、きっとこの究極の人間の幸せを感じる上で、(相手ではなく)自分に何かが足りないからだと気づくしかないと思います。

 

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医療ネタ

「先生、最近の医療の話で何かいいのはないかな?」

クリニックの訪問看護に携わっている旧知の友人が、突然そんなことを云いました。なんでも、定期的に発行している患者さん向けの機関紙のメイン記事を任されたのだそうです。「先生の得意な予防の世界の最近のトピックスとかで、何か一般市民が食いつきそうなやつないですか?」

そんなもの、急に云われたって浮かばないわ。第一、面倒くさいから連休までにちゃっちゃと仕上げてすっきりした気分で遊びたいのよね感がヒシヒシと伝わってきとる。「んなもん、自分で考えろ」と云ってやりました。急に頼まれた仕事じゃなし、日ごろからそういう目で医療ネタに注意していたら、題材はいくらでも転がってますよ。

たしかに、急に振られてさっと詳しい内容まで解説できるヒトっていますよね。医者の中にも、事細かいデータが「何年の何という雑誌に出てました」とか云ってのけるヒトがいますが、「すげえなあこのヒト」って尊敬します。もっとも、冷静に考えてみたらこれはプロ野球好きが日本の全球団の成績を解説したり、鉄道マニアが日本の鉄道のありとあらゆることを知っているのと同じだから、わたしにだってこんな医者に負けないくらいの知識と記憶力はありますよ、医療ネタでなくてもいいのであれば(笑)

はなしが逸れましたが、もしも彼女がこれからも定期的に原稿書きをしなければならないのであれば、是非、日ごろから記事を書くことに興味を持って、そして何よりも文章を書くことを好きになってもらいたいと思います。わたしも偉そうなことは云えませんが、自分の伝えたいことを文章にうまく表現するためには、ことあるごとに思いついたことを書く習慣を持つこと。スポーツの練習やピアノの練習と同じですね。

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保健師さんは、どうしてそんなに干渉したがるの?

わたしがズボラになってしまったのだろうか。人間ドックで、「いい感じで人生送っているなあ」と思われる御仁にまで、ひとつでも何か注文をつけるところがないかという目つきを見せるのが保健師さん。検査データに何の異常もないのに、「今はいいけど、将来はツケが回ってくる可能性があるのだから、今のうちに休肝日を作る努力をしましょう」って言っちゃうでしょ。「朝ごはんを食べないと身体が冷えるし血糖も上がりやすくなるんだから、ちゃんと食べるべきです」「腹八分目を守りましょう」「1日に2000歩でもいいから歩く量を増やしましょう」・・・何か云わないと仕事をしてないことになるのかしら。保健指導も人間ドックの料金に含まれるから、何か指導しないとぼったくりと同じだ、とか?

じゃあ、恋人とのセックスに溺れるのは人間として堕落していることになるとか、仕事そっちのけで孫と遊んでばかりいるのはいかがなものかとか、そんなことはなぜ云いませんの?そこまで云うのはお節介だから? わたしは似たようなものだと思うけどなあ。一生懸命に、真面目に保健指導に取り組んでいるからこそなのでしょうけれど、保健師さん方ももう少し『人間くささ』を評価してあげてもいいんじゃないかしら。

わたしは『良い生活習慣』『悪い生活習慣』という表現を保健指導現場で使い始めたのがまずかったのではないかと思っています。天気予報が、『悪い天気』と云わずに『ぐずついた天気』という表現を選んでいるのは、雨降りが恵みの雨だと思う人もいるからです。同じように、人生の良し悪しを病気になるならないで判断するのも何ですが、『悪い生活習慣』が必ずしも万人の健康に悪いとは限らないわけで、良いリズムの人生とそれに付随したまずまずのドッグ成績が出ている方には、できたらウキウキな気持ちでお帰り戴きたいな、と思うのでございます。

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「遺伝子検査」(外伝)

せっかく濃厚な講演を受けたので、本筋とは若干ちがったところで、わたしが食いついてしまった話題を書き写しておきます。

●人類遺伝学の立場から、アルコールの強さは人種で差があることは有名で、筑波大学の原田先生の研究によると「ALDH2遺伝子のA型(N型)変異は酒豪タイプである」という。そしてその分布の地図が面白い。

・世界地図を見ると、飲めないタイプ(ND型・DD型)があるのは日本人、中国人、朝鮮人、タイ人のみである。つまり、酒が弱いのはこの極東アジアの限られた人種だけである。
・日本地図を見ると、中国・近畿・北陸・東海に飲めないタイプG型(D型)が多く、東北/北海道と九州/四国には酒豪タイプA型(N型)が多い。

ということは、もともと日本人は酒が強かった(熊襲やアイヌのような日本古来の人種は本来酒に強かった)わけで、大陸から渡ってきた人種と交じり合うことで弥生時代に酒に弱い人間が生まれ始めたのではないか、って・・・面白いでしょ。

●ゲノムの解析から病気や体質には多くの遺伝子と環境因子が複雑に絡み合っていることが分かってきましたが、その各々の因子(SNP)の影響はさほど大きなものではない。個々の発症リスクは1.1~1.3倍増加させるという程度である。つまり、たとえば「がんに成り易い因子」を持っているかどうかということよりも、タバコを吸うか吸わないかの方がはるかに意味がある(喫煙は各種がん発症を3~7倍増加させるから)ということです。喫煙者の皆さん、おわかりか?

●得られた遺伝情報を普通の健診結果や外来カルテと同等の管理方法で良いのかどうか?という医師に対するアンケートによると、遺伝情報はより厳格にすべきだという意見が52%ありましたが、「病気のリスク遺伝子を持っているかどうかなんて、タバコ歴があるかどうかと同じ次元の情報なのだから、喫煙歴と同じ扱いで十分ではないか」という意見もあったという。そりゃあそうだ!と拍手を送りたかった。

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遺伝子検査

人間ドック健診認定医・専門医研修会に神戸まで行ってきました。東京ミッドタウンクリニックの田口淳一先生の講義『遺伝子検査の現状と課題』について聴き入ってきました。ゲノム解析が一般化し、マスコミが騒ぎ、金になると判断した企業が商品を廉価で次々と世に出し始めた今、検査をする側もされる側も、しっかりとした心構えをもっておかないといけません。知らなくてもいいことを知ってしまうことが、知らないままよりもはるかにミゼラブルな人生になる可能性を秘めているからです。そういう意味で、先生の講義はとても勉強になりました。先生が、講義を1時間する中で一貫して強調していたことは、「遺伝子検査は検査のみ行うのは意味がないばかりか弊害が大きい。人間ドックの検査結果と一緒に行い、きちんとした医師の説明を受けられる環境でなければ行うべきでない」ということでした。がん遺伝子やアルツハイマーだけでなく、多くの治らない病気の遺伝子検査は世に数え切れないほどあるのです。

ここには書ききれない内容ですが、先生がご紹介された東京大学医科学研究所の武藤香織先生の「遺伝子検査サービスを購入しようか迷っている人のためのチェックリスト10か条」というのを書き写しておきます。

1.診断ではありません~あくまでも将来に関する「確率の情報」です
2.会社によって答えはバラバラです~遺伝子情報はかわらないけれど確率の計算式は企業でちがいますから会社が変われば出てくる答えはちがいます
3.研究が進めば、確率は変わります
4.予想外の気持ちになるかもしれません~精神的なショックを受けたり誤解してしまう可能性があります
5.知らないでいる権利の存在を知りましょう。知った後は戻れません
6.自分で知ろうと決めたなら、医師に頼るのはやめましょう
7.血縁者と共有している情報を大切に扱いましょう~結果を安易にSNSに晒すのは絶対にやめましょう
8.強制検査・無断検査はダメ、プレゼントにも不向きです
9.あなたのDNAやゲノムのデータの行方に関心を持ちましょう
10.子どもには、大人になって自分で選べる権利を残しましょう

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余裕綽綽

先日、テレビの歌番組で『好きな言葉は何ですか』と聞いているのを見ていたら、歌手のJUJUさんが、「わたしが好きなのは、『豪放磊落(ごうほうらいらく)』と『余裕綽綽(よゆうしゃくしゃく)』ということばです」と云ってました。

それを聞いて、「これ、いいなあ」とすぐに感銘したわたし。『豪放磊落』もいいことばですが、わたしが感じ入ったのは『余裕綽綽』の方。なんか、いいでしょ? これからの自分の人生に大事なのは、ガツガツイライラせず、不安に追いかけられることもなく、最期の日まで悠然と生きること、そんな気がするのです。いいなあ、これ。

わたしの座右の銘は『人間は煩悩の生き物である』というやつだったのですが、今日からこれにします。『余裕綽綽』・・・うん、いい。

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面倒くさい

いろいろなお付き合いがあります。 職場関連の勉強会や懇話会の類だけでなく、SNS仲間からの興味深い研究会のお誘い、大学時代の同窓会の案内、習い事のグループによる宴会の誘い、地元の演劇公演の案内、地区の催し事の誘いなどなど。

基本、コミュニケーション下手な私たち夫婦は、こういう誘われごとにあまり積極的に参加できません。参加しても隅の方で尻込みして時が過ぎるのを待つのが普通です。こういう機会を契機に新しい人間関係が生まれ、特にわたしなどはこういうのをきっかけに新しい知識を得たり、新しい活動に参加することで人生がまったく別物になる可能性があるだろうこと、よくわかっています。「このままじゃダメだ。もっと自分を変えなきゃ、将来一人ぼっちになってしまうし、何も残せない人生で終わってしまう」・・・今の仕事に移った頃以降、わたしは周期的にこういう危機感に苛(さいな)まれ、その都度、自分を鼓舞して意図的にフットワークを軽くさせて思い立ったように専門外の研究会に参加してみたり、懇親会に潜り込んでみたりしました。でも結局自ら質問したり話しかけたりして人間関係を築いていくことができないので、たとえ知人や上司に個別で紹介されて名刺交換したとしても、キーパーソンであるその方とその後親密な関係になることもないし、他の場で出会っても自分から声をかけることができずに、そのままになってしまうわけです。勿体ないなと思いながらも、そうやって人生は粛々と進んできました。

最近は、『自己を鼓舞しなければ』と思うこと自体がなくなってきています。何か面倒くさいのです。Facebookなどで自分と同世代の方々が精力的に飛び回っている報告を見るにつけ、「エライなあ」と感服しますが、結局そこ止まり。彼らが時折誘ってくれる魅力的な会合にも先約があることを言い訳にお断りすることが多くなりました。きっと、どうでもいい先約など反故にして、万難を排して出向いていくべきなのでしょうけれど。

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『はかる』

先日、会議の資料を読んでいました。日ごろは会議の資料は極力サラッとしか読まないように心がけているのですが、今回は会議の司会担当だったので止むを得ず隅々まで読んでしまいました。案の定、どうしても容認できない文字の間違いを見つけ出してしまいました。

ある委員会の規約の条項の中に、『・・・経営会議に図って承認を得る』なる文章が。「この『はかる』という漢字は、『図』ではなくて『諮』ではないの?」と担当者に伝えました。『図る』では「企てる、工夫して努力する、うまく処理する、取り計らう、試みる」などの意味になってしまい、「相談する、他人の意見を聞く」という『諮問』の意味なら『諮る』であるべき。この文章の下りは明らかに後者です。この部分はおそらく他のすべての規約にもあり、コピペによっておそらくすべて同じ漢字が使われているでしょう。こんな大きな組織の正式文書がこんな初歩的な間違いを公然とやらかしていて良いものか?

と、息巻いていたら、スタッフの一人がスマホを持って寄って来ました。「これで検索したら『図る』て書いてますよ。というかこの漢字しか出てきませんし」と口を尖らせて 。それがどうかしたのかい? それしか出ないというのは、そのスマホの辞書機能が劣悪なだけでしょ。『諮』という漢字が常用漢字ではなくて一般に使われないから『図』で代用してもよい、という決め事がどこかになされているとしたら、国語辞典か広辞苑レベルで確認してもらわないと。最近は、すぐにパソコン検索をします。国語辞典や広辞苑の抜粋が簡単に出てきますし、一般的なワープロ系の辞書であれば漢字候補がいくつも並んで各々の意味と使い方が詳細に書かれていますから、アナログの紙辞書を繰らないのはけしからん!とは云いません。ただ、打ち込んだ文節に対して自動変換した文字を盲目的に信じ込んでいては元も子もない。特にスマホの辞書は稚拙だと感じています。「何でこの程度の漢字が出てこないの?」と思うことは日常茶飯事。「あれはどんな字だったっけ」と思ってスマホを使う時は、ワープロの辞書ではなく、インターネットの検索機能で探した上で、複数のページが同じことを書いてあることを確認して使用することをお勧めします。そうでないと、とんだ赤っ恥をかく羽目になるやもしれません。

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