究極の幸せ
先日、友人がFacebookで紹介してくれた『日本理化学工業はなぜ知的障害者を雇うのか〜幸せを提供できるのは福祉施設ではなく企業』の記事を読みました。社員の7割が知的障害者であるこのチョークの製造メーカーの社長のことばが深い。
内容自体は直接読んでもらうとして、わたしが感銘を受けたのは、社長が「うちの工場では知的障害者が一生懸命に仕事に取り組んでいます。施設に入って面倒を見てもらえば、今よりずっと楽に暮らせるのに、なぜ彼女たちは毎日工場へ働きに来るのでしょうか」と質問したときの住職の答えでした。
「人間の究極の幸せは4つあります。1つ目は、人に愛されること。2つ目は、人に褒められること。3つ目は、人の役に立つこと。4つ目は、人に必要とされること。だから障害者の方たちは、施設で大事に保護されるより、企業で働きたいと考えるのです」
さらにそれを裏付ける脳神経外科教授のことば。
「人間は“共感脳”を持っている」「人間は一人では生きられない動物であり、群れの中で周囲に支えられて、初めて生きられる。そして支えてもらうためには、自分も周囲の役に立つことが必要になる。つまり人間は、『人の役に立つこと=自分の幸せ』と感じる脳を持っている」
ヒトがこの世で生きていく意義はここにあり、あるいはこれを実感できなくなったときにヒトは生きていく価値がなくなったと感じて、最悪の場合、うつ病になったり自殺したりすることになるのでしょう。『人生、何もしないで好きなことだけしていられたら最高に幸せだろう』と云ってはみるものの、きっとそんなことはないだろうことを、誰もが知っている、そんな気がします。働きたいのに仕事がない、仕事しているのに待遇が悪い、従業員が真面目に働かない、目を盗んですぐサボる・・・お互いの不平不満があるときは、きっとこの究極の人間の幸せを感じる上で、(相手ではなく)自分に何かが足りないからだと気づくしかないと思います。
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