« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »

2015年11月

考え方メモ

「は? それ、昨日◯◯さんにきちんと伝えたんですよ!『はい、やっておきます』て云ってたのに、まだしてないんですか?」・・・誰かが携帯電話に向かって大きな声で叫んでいました。

云ったことができない。云っていたのに忘れて放ったらかしている。
  →事の善し悪しは大のオトナなんだから、云われなくてもわかるだろう。なぜできない?サボっているからだ。仕事は遊びではないぞ!
  →ふざけるな!バカにしているのか?

できない人もいるらしい。
しなければ、とは思っているけれどできない人がいるらしい。
  →能力がないんだもん、しょうがないか。でもそれは実は甘え。同じ給料もらうのなら、皆よりも数倍頑張ればいい。メモするとか優先順を決めるとか、工夫すればできるはずなのに怠っているのだ。

それは個性。
劣るとか優れるとかそういうものではない。仕事自体はきちんとできるのだ。
  →こまめに注意してやればできるし、順序を考えて仕事を与えれば問題なくできるはずだ。能力をうまく活かしてやれるかどうかは、上に立つものの能力次第だ。

こなす量が少ないと、多くこなせる人が不平を云う。手をかけてあげる量が多いと、ほったらかされた人が不平を云う。『これで、同じ給料。テキパキと早く仕事をして時間内に済ませたら時間外手当も付かないのに、要領が悪くて時間内に済ませられない方がかえって時間外手当をもらえたりして』という不平等感も生じる。

むずかしい。

| | コメント (0)

草取りの残り

先日、久しぶりに実家の墓参りに行ったら、少し草が伸びていました。その前日には自宅の庭の草取りもしました。夏と違って"茫茫"という感じではないのでちょっと油断していたら、それなりにみっともなく伸びていました。だから、こっそり目につく草を抜いてみました。大きい草を抜くだけで一気にきれいになります。よしよし良いことをした、と内心ほくそ笑みましたが、一息ついてもう一度今作業した地面を見ると、さっきは全然目に入らなかった小さな草がいっぱい残っているのに気づきました。なんだ、まだこんなにたくさん残っていたのか、と思うと途端に気分が萎えてしまいました。

何事もそう。たくさんの事柄の中から一番気になっていた悩みや一番重荷だった仕事を済ませてやっと一段落、良かった良かったと安堵したのに、改めて冷静に考えたら今まで大きなことのために目立たなかっただけで実はまだたくさんの小さくもない問題点が山積みだったことが見えてきて、返って凹むことはよくあること。

そこにずっと前から存在するのに見えないもの、あるいは気づい てもらえないもの。それはそれが取るに足らないものだということではなく、思考の順番付けを無意識のうちに行うことによって作業のモチベーションを落とさせないようにさせる人間の備え持った能力なのかもしれません。目の前に映るもの全部を今からまとめてしなきゃいけないと最初からわかっていたら、おそらく大部分の人間は心が折れてやる気を失くすでしょうから。

| | コメント (0)

死にゆくとき

「 わたしは、インディのときもベルのときも、その最期の時に横に居たから、最後の姿が忘れられないの」と、セイラの散歩をしている途中に妻が唐突に語り始めました。

不思議なものね。その直前までこの世のものともわからない虚ろな表情でハーハー云ってたのに、突然起き上がってカーって目を見開いて唸るの。まるで、元気だったときと同じ顔で(抜けそうになっていた魂がガツンと元に戻ったみたいに)わたしを見るの。で、次の瞬間、まさに次の瞬間に、ガクンとその場に倒れた時には、そのカラダはまったく抜け殻なの。よくドラマとか時代劇で、最後に何か云いかけてガクっと死んでいくでしょ。あれ、ほんとだね。少なくとも、何も治療を施さないときの自然の逝き方は人間も動物もみな同じなんだと思うよ。

「何も治療しないで自然に逝くとき」ということばに深い意味があるな、とわたしは思いました。お互いに医療従事者だからこそわかる感覚です。病院のベッドで何本もの点滴瓶をつながれて延命処置を施された挙句の最期には、そんな姿は存在しない。消えゆくように去っていきます。もちろん、安楽死を選んだペットの最期にもこの風景はないのでしょう。まさしく行こか戻ろかしている魂が最期にもう一回カラダに戻って、カラダを使って現世に別れを告げる儀式。そこで大きく助走をつけて一気に飛び出した魂は、す〜っと天空に引き抜かれていくのでしょう。

| | コメント (0)

育て方を間違えた?

「最近の若いおかあさんの中にね、子どもの育て方(子どもとの接し方)を間違えてるひとが増えたのよね」・・・近くの小児科クリニックで働く妻がため息をつきながらそんなことを云いました。

予防接種の待合室。泣きながらゴネる三歳児に「ねえ、○○ちゃん、どうする?お注射受けようか」と聞く母親。「イヤ!」当然の答え。「イヤだって、じゃあどうするの?」「帰る!」「帰るって・・・ほら、みんなが待っているから、お注射受けようか」「いっやーーー!」結局は看護師さんたちに羽交締めされて無理矢理注射。完璧に切れた彼はひとしきり大暴れ。オロオロするおかあさん。「おかあさん、とりあえず入り口から出てってください」というけど相変わらずオロオロオロオロ。

「だいたいが、三歳児に注射受けるかどうか聞くのが間違ってんのよ。イヤっていうに決まってるじゃない。『どうする?』って聞くから『イヤだ』って答えたのに、結局羽交締めで辱めにあって、『どうせ云ったようにならないのなら、最初から聞くなよ』て思うの当たり前だよ。イヤでもしなきゃいけないことがあるってことをちゃんと教えてやらないと、分別もつかない時期から「叱らない」とか「自発性がどうの」とか云って、結局こうなるんだよ。あの子そのうち大きくなったら絶対にグレるよ。もうすでにおかあさんを信用してないし、下に見てるからね」「切れて手がつけられなくなったら放ったらかせば済むこと。おかあさんが『勝手にしなさい。おかあさんは帰るから』って云って出て行ったらそれで良いんだよ。子どもにとって一番怖いのは無視なんだから。でも、今のお母さん、それができないんだよね」

理不尽でもしなければならないことがあるということを、中途半端に履き違えた勘違いの教育論の元で家庭で教えることは不可能。最後の砦の学校も、モンスターの監視のもとではできようはずもなく・・・おそろしや、おそろしや。

| | コメント (0)

「格下相手に」

「格下相手に不甲斐ない試合」「格下相手に不覚」

最近、スポーツニュースや新聞記事で簡単に使われるようになったこのセリフがとても気になっています。メディアが当たり前に使うから、ファンやサポだけでなく、スポーツをほとんど知らない女性や子どもたちまでもが違和感を感じていない様子。

でも、これってものすごく失礼なコトバですよね。「格上相手に大健闘!」というのは賞賛のコトバだから全然問題ないですけれど、「格下相手に」は相手を単純にバカにして卑下したコトバ。勝った方も負けた方もココロが傷つく、およそ、スポーツマンシップとか武士道精神とかを重んじる日本人のスポーツ環境では存在すらしなかったはずのコトバではないでしょうか。きっとどこかのスポーツ解説者がヨーロッパやアメリカの本場の厳しさをそう表し、日本が世界水準に達するためにはそんな甘いことではいけない!という叱咤激励の云い方が広まったのではないかと推測しますが・・・一流のスポーツ選手なら、相手をリスペクトするのは当然だから、絶対口にしていないはずのこのコトバを一般市民が平気で使う姿がとても寂しく感じられます。

| | コメント (0)

やりたいことは?

夫婦ともに少しずつ老いてきました。若い頃にはやりたかったことがたくさんありました。子どもが生まれて育ちゆくことも想定して家を建てましたから、これはたしかに大きな誤算でした。その後いろいろなことがありながら、何とか今に至りましたが、少しずつ夢を現実にできないままに歳をとってきました。

先日、独りで散歩をしながら、ふと「残された人生の中で、何かひとつだけ叶えられることがあるなら、何をしてみたい?」と妻に聞いたら何と答えるだろうかな、と思いました。ステンドグラスを作り始めた頃はステンドグラス工房を作ることを夢見ていたし、庭中にバラを育てていた頃はバラ園を開きたいと思っていた彼女は、才能があるだけに移り気で、夢はあるけど金がないのですぐ諦めて、また次の興味に移っていってました。最近は韓国語教室に通っているくらい・・・将来の不安を口にすることが多くなった彼女ですが、今の夢は何なのだろう。叶えられる夢だったら、何とか叶えさせてあげたいものだな、と思いながら、「なんてこったい。こんな総括をするような歳でもないのに、どうしたのだろう」と独りで苦笑い。

わたしは・・・いつの間にか自分の『やってみたい夢』は、なくなりました。若いころは、『般若心経を理解すること』とか『四国のお遍路周りをすること』が夢で、生きている間に必ず実現させてみたいと思っていたのだけれど、最近、どうでもよくなってきました。やりたいという気持ちが失せてきたというよりも、なんか面倒くさくなってきたのでしょう。

| | コメント (0)

オムウォーク?

またまた知らない単語が配信メールの中で躍る。何でもかんでも横文字にするんじゃねえよ! 『オムウォーク』って何よ?

生活習慣改善のための保健指導とITツールの効果的な活用について

オムロンの事業所の保健師さんが書いた記事です。あ、そうかそうか。オムロンの健康イベントの名称だから『オムウォーク』か。「毎年11月~1月の3か月間行う『オムウォーク』というイベントで、部署ごとにチームを作り、活動量を競います」とのこと。健康を扱う会社ですし、データを記録するシステムもしっかりしている会社ですから、まあ当たり前と云えば当たり前ですが、社員全体が自分自身の健康に対する活動に積極的であるというのは見習うべき気運だと思いました。

健康を扱う仕事をしながら、「忙しんだからそんなことやってられるか」という空気があるのが病院(特に救急病院)ですが、それでも今どきの若いスタッフは想像以上に健康活動には積極的で、自ら意識的に自己管理をしていたり習慣的に運動をしたりするヒトが増えてきました。うちの病院でも、わたしたちの若かったころの毎日仕事漬けでヘトヘトになっていた感じとはちょっと違う若者たちの姿がとても頼もしく、一方、わたしたち世代の幹部クラスもこぞって運動オタク(笑)・・・気運というのはこうやって上の方からと下の方からと一緒になって出来上がるものです。是非ともオムロンに負けないくらいの健康オタク病院として世間で話題になれるよう、ますます磨きをかけていってもらいたいと思います。

| | コメント (0)

ダイナペニア肥満

「ダイナペニア肥満」が2型糖尿病リスク上昇と関連―中年期の日本人男性で検討

~「加齢に伴う筋力の低下は2型糖尿病リスク上昇と関連し、この相関は正常体重者に比べて過体重・肥満者で強いことがわかった」「肥満の方は、糖尿病予防のために痩せるだけではなく、筋力を高める運動やスポーツに取り組むことも勧められる」~

さ~て。また、わたしの知らない単語があたかも旧知の用語のような顔をして出てきましたよ。『ダイナペニア』ちゃ、何? 『サルコペニア』と何が違うわけ?

『ダイナ』は”ダイナミック”の”ダイナ”でしょうから「力」「筋力」、『サルコ』は「筋肉」。つまり、『サルコペニア』は「(加齢に伴う)筋肉減少」で、『ダイナペ二ア』は「(加齢に伴う)筋力減少」ということで、筋肉がいっぱい付いていても筋力があるとは限らないから、サルコペニアとダイナペ二アは違う概念、ということみたい。リハや運動学の世界では常識のようです。勉強になりました。ちなみに、この話題を検索すると、なかなか面白い記事がたくさんでてきます。

リハビリテーション栄養・サルコペニア(筋減弱症)

第541回 高齢化に伴う脚力の低下は持久性運動では防げない

| | コメント (0)

変える勇気

毎年この時期は、うちの職場の実績集作りを職場全体で行う時期で、膨大なデータバンクの中から決まった年の実績データを抽出して解析しているスタッフの姿がたくさん見られます。いつもご苦労さんだなあと思いながらも、最終チェック役のわたしは チェックを甘くすることはありません。以前ここでグチったように、実績の集計は数字が一箇所間違っただけでその本1冊すべてが信用できない捏造データ集になるわけです。だから辻褄の合わない数値が一つでもあったら集計のすべてをやり直さないといけません。

今回も、結局何度も書き直していただきましたが、今回直面したのは数値の間違いだけではありませんでした。文章の文法が曖昧で意味がよくわからないものがあるとか、この表の集計の仕方では実際の意味と食い違ってしまうとか、そんな内容。すると、担当者の若いスタッフが苦笑いしながら云うんです。「いえいえ、この文章(あるいは表の集計)は去年までのとまったく同じなので、問題ないはずです」と。いままでずっとこれで来たのだから、少なくとも去年はこのやり方で合格をもらったのだから、今までと同じ方針なのだから、そこを突かれても困る、と云うわけです。去年その合格を出したのはわたし。「お前が良いっていったやり方に従ったのに、なんで今年は貧乏くじ引かされるの?」と、口には出さないが顔には明らかに不満げな表情が見て取れます。

だって、しょうがないじゃない。今年初めてそれがおかしいということに気づいたのだから。今まで上手くいったから何も考えずに今までのやり方を踏襲しておけば安泰かというとそうではない。それは、社会のいろいろを見れば容易に理解できます。今までやってきたことがなんかおかしいと思うから、あるいは今までのよりもこっちの方がわかりやすいのではないかと思ったから、今年はこういう風に変えてみたんですけど、どうでしょう?と提案してくれる(暗に去年までのわたしの評価に苦言を呈する)くらいの意気込みで作業をしてくれたらうれしいんだけどなあ。相手がわたしだから無理というなら、担当を変わってあげてもいいけどなあ。他の先生なら、わざわざ電卓を取り出して表の中の数値を検算して間違いを指摘するようなイケズなことはしないと思うし。

 

| | コメント (0)

あははは

HealthDayジャパンからの医療情報を読んでいたら、つい笑ってしまいました。

肥満蔓延の原因はジャンクフードではなく「食べすぎ」

「アメリカで蔓延した肥満の直接の原因はファストフードや菓子、炭酸飲料などばかり食べるからではなく、それらをたくさん食べすぎているからだ」という報告。当たり前だわ、そんなこと。でも、ファストフードや菓子や炭酸飲料は、一旦口にしたらなくなるまで食い続けるように悪魔のスパイスがまぶされているのですよ。そんな悪魔からの贈り物を少量で止められるようなやつに肥満者なんかいるもんか。だから、報告そのものが無意味じゃないかしらねえ。

肥満者で炭水化物摂取量と糖尿病リスクが関連――日本人男性で検討

「肥満男性が炭水化物を食いすぎると糖尿病になりやすいが、肥満ではない男性が食べても糖尿病にはならない」という金沢医科大学公衆衛生学教室からの報告。肥満者にはもともとインスリン抵抗性があるから、炭水化物が食後高血糖・高インスリン血症をもたらしやすいということ。ダイエットのために炭水化物制限すると簡単にやせられるのも、もともと太っているからなのではありますまいか。

腸内細菌叢(腸内フローラ)が健全であるためには炭水化物が必須で、最近はダイエットやメタボ予防の目的でタンパク質優先の欧米型食事をする日本人が増えたために、アレルギーやがんや生活習慣病が増えているというデータも出される時代になりました。炭水化物をスケープゴートのようにひとり悪者にする時代は、そろそろ終焉ではないでしょうか。

| | コメント (0)

睡眠時間と糖尿病

睡眠時間の増加が女性の糖尿病リスク上昇に関連

参りました。「睡眠が1晩あたり2時間以上増えている女性では2型糖尿病の発症リスクが上昇する可能性がある」という報告が配信されてきました。睡眠と生活習慣病の関連は周知の事実で、「睡眠時間が短すぎるのも長すぎるのも2型糖尿病になりやすい」というのは知っています。あるいは「睡眠のパターンが長くなりすぎるのは陰にうつや睡眠時無呼吸が隠れている可能性が高い」というのも、理解できます。

でも単に睡眠時間が延びた(朝起きれなくなった)というのではなく、「もともと慢性的に睡眠時間が短かった女性が、睡眠不足を解消するために2時間長く眠るようにしたら糖尿病リスクが21%上昇した」というのはどう解釈したらいいのでしょう。「長年、短時間睡眠だった人が急に睡眠時間を延長しても、健康問題の解決には必ずしも至らない」といわれても・・・。実は、昨年ダイエットトライアルに成功したわたしの今年の冬のテーマは『良い睡眠』・・・23時過ぎまでには床に就いて、睡眠時間を4~5時間から6~7時間に延ばすこと・・・にトライしてみようと企んでいたところなのですが、これが無意味どころか返って悪いと云われてしまうと・・・なあ。ついこないだ、睡眠時間を延ばしたら血糖値が正常化した、というテレビ番組を見たばかりなのに・・・。参ったな。

「あなたは男性だから関係ないでしょ」って?いえいえ、この研究結果が女性限定なのは、単に調査したのが6万人の女性看護師だったというだけのことで、男性もたぶん似たようなものでしょう。

| | コメント (0)

報復

凄惨なテロ事件が後を絶たず、「あいつらのやり方は絶対に許せない」とばかりに復讐に燃える国家や群衆や宗教家たち。

報復として空爆をさらに強化させると宣言した某国の国家党首の姿がテレビニュースで映っていましたが、もともとそんな力で押さえつけようとする悪魔に対して対抗すべくテロ行為を繰り返している連中に力で弾圧しようとしても意味があるはずはない。数と力によって壊滅的に潰してしまえば降伏するのかといえば、ノーだろう。そもそもそのやり方が許せないのだから、脅しに屈するくらいなら簡単に自爆を選ぶだろう。

それでも、そうせざるをえない、と各国の党首は云う。あんな酷いことをされて『無視する』などということがどうしてできようか。ましてや、あんな虫けらにも劣る輩に握手を求めて和平を持ちかけるなどあり得ない。そんなことを理解するような良識など持つ輩ではないわ!と息巻く。でも、だから報復を正当化できると云 い放つ彼らの顔もすでに皆、阿修羅である。悲しみは即座に怒りに変わり、そのはけ口を探している彼らもまたすでに良識などもち合わせてはいない。報復の空爆強化が人間の行為ではないことなど承知の上で、阿修羅と化している。

悲しい状況。脅しておけば影でこっそり交渉の場を作って面子を保とうとする近隣の某国首長の方が、はるかに人間的で良識的に見えて可愛くなる。月末にも来年初めにも東京出張するわたしは、当面、東京が無事であることを祈る小市民。

| | コメント (0)

血圧管理の喧々囂々?

降圧目標が変わる! AHA2015でSPRINT試験発表~SBP 120mmHg未満目標群でイベント25%,総死亡27%の減少

今年のAHA学会でアメリカから報告された研究で、「50歳以上の高リスク高血圧患者9,000例超において,収縮期血圧(SBP)120mmHg未満を目指した厳格降圧群では140mmHg未満を目指した標準降圧群に比べて,心血管イベント25%,総死亡27%の有意なリスク減少が明らかになった」という記事がMedical Tribuneに早速掲載されていました。日本がずっと主張してきた目標値は低すぎるからもっと緩やかで良いのではないかという風潮だった欧米諸国に与えるインパクトは絶大なものがあるでしょう。

もっとも、先日、採血検査の基準値を引き上げる動きを紹介したばかりで、この血圧騒動も結局はまだまだもめることと思います。「降圧薬の追加に懐疑的であった患者に対して,今回のデータは,(服用の)動機付けをもたらした」というコメントが書かれていましたが、これがはたして「くすりを飲み始めると止められなくなるから飲まない」といっている患者さんの説得材料に本当になるのかどうか。いや、その前にそんな都市伝説を研修医のころに指導医に教わってから今でも盲目的に信じている医者たちが、まずこの結果の意味を理解して意識改革する機になるのかどうか。そして、真実が何であれ、理屈でああだこうだと医療界がもめている、その間中板挟みになる患者さんたちがかわいそう。

ウソでも本当でもどっちでもいい。いろいろな病気の患者でもあるわたしが最近痛感するのは、間違っていても社会のすべてが「それが常識!」と考えられた中でクスリを処方されるのと、学問的な賛否両論の中でする側もされる側も半信半疑の気持ちでクスリを処方されるのと、どっちがいいかといえば迷わずわたしは前者を選ぶだろうということです。『確信』は真偽に関わらずココロを落ち着かせることができます。

| | コメント (0)

白米のメタ解析

「白米の多食」で心血管疾患リスクは上昇しない

今年の米国心臓協会学術集会(AHA)の速報として日経メディカルが紹介した記事です。「米国の食事ガイドライン2015では、健康のために白米を玄米に置き換えることが推奨されているが、白米の摂取と冠動脈疾患との関係についてメタ解析を行ったところ、白米を多食しても冠動脈疾患リスクを上昇させないことなどが明らかになった」というメイヨークリニックからの報告でした。もちろん、白米を毎日食べるヒトは冠動脈疾患リスクは上げないとしても、メタボリック症候群のリスクは37%高くなるわけで、おそらくⅡ型糖尿病のリスクも上昇させるのでしょうから、これまで提唱されているように、食後高血糖を来しやすい白米はその食べ方こそが重要なのだということは強調されるべきだと思います。

ただこれが米国の研究であるというところにひっかかるわたし。米国人が、日本人のように単純に炊飯器で炊いただけの、彼らにとっては「無味無臭」の白米を、単独でそのまま口にしているとは到底思えません。もちろん、世界中の文献から集めたメタ解析なのですから、欧米人の食習慣だけを取り出しているわけではないこと、もともと白米の研究だからそれを主食とするアジアからの報告も含まれているのだろうことも推測できますが、それであればむしろ、食べ方の文化が全く違うものを一緒に解析してしまったために有意差を希釈させた、ということはないのでしょうか。

白米はとてもすばらしい食材であり、アジア人の誇るべき食材のひとつです。「玄米から栄養素のほとんどを捨ててしまったカスだ」とは云われますが、少なくともエネルギー源としてあるいは水分源として比類なき食材です。だからこそ、もう少し食べ方で分けた上での分析をしていただけたら説得力が増したのではないかな、と思いました。

| | コメント (0)

旅の食事

相変わらず、独り旅をするときの食事はリッチではありません。

朝食はほとんど取らないか、せいぜい前夜にコンビニで買っておいたおにぎりを食べるかレベル。一時期、せっかくパック旅行で贅沢な朝食券が付いているから朝の時間をゆったりとくつろぐのも良いかな、と思ったこともありました。でも、結局朝のバイキングを食べるために指定されたレストランに降りていくとたくさんの人が並んで雑然としていて、朝から気が急いてドキドキしますから、よほど昼間の行程に余裕がない限り同行者がなければ出て行きません。

学会旅行なら昼はランチョンセミナー、遊びの旅行ならほどほどのところでコンビニ弁当。この習慣もあまり変わりません。友人に教えてもらったラーメン屋さんや定食屋さんに行ってみることもあるのですがお薦めのお店は基本的に人気店ですから、よほど時間がズレない限り待ち人だらけ。『待ってまで食わんでも良いわ』・・・わたしのココロはすぐにイジケます。

それでも、最近、夜の食事が変わってきました。わざわざ食事の有名どころを検索して調べておくことはしませんし、たまに駅ビル内のレストランに入る場合もありますが、一人ならば基本的にホテルの部屋食い。「なんや、何も変わってないやないか!」と云うお方もござりましょうが、いえいえ、まったく違います。以前はホテル近くのコンビニ弁当ばかりでしたが、最近は近くのデパ地下に参りまして、出来立ての選り取り見取りのお弁当や量り売りの惣菜などを買い回って帰りますの(笑) グルメの方やご当地料理がお目当の旅行好きの方には『言語道断』『五十歩百歩』なのかもしれませんが、わたしにとってはとてつもない変化でございます。

| | コメント (2)

基準値騒動セカンドステージ

先日、うちの病院の検査室担当者と話し合いがありました。来年度から病院の基準値を変更する予定だそうで、その詳細を説明してくれました。医療機関でバラバラだった基準値を統一させようという動きは以前からあり、それが国内の多くの学会と日本医師会が合意して作った『共用基準範囲』というもの。おそらく近い将来に日本中の医療機関の基準値がこれに替わっていくだろう、とのことでした。

さて、この値は、昨年の春に日本人間ドック学会が勇み足でマスコミにリークさせてしまった、あの値の類です。健診現場の基準と一番かけ離れているのは脂質でしょうか。男性の総コレステロールは142-248、中性脂肪40-234、LDLコレステロール65-163。あるいは男性の尿酸値3.7-7.8。以前から何度も書いてきたように、臨床現場の基準値と予防医療現場の基準値が同じ値であること自体がおかしいのであって、予防医療は基準値以上は「正常ではない値」、臨床現場は基準値以上は「治療(薬剤治療)すべき最終宣告」・・・見ているモノが違う。

何の矛盾もないこの変更ではありますが、たぶん、世間は昨年と同じように混乱するでしょう。何よりも受診者さんが被害を被(こうむ)ります。無知なマスコミの煽りはやむを得ないとしても、不勉強な臨床現場の医者たちがネックです。健診や人間ドックで、「正常ではないから生活療法を含む治療をお願いします」という趣旨の診療情報提供書を発行したとしても、「こんなの正常値なのだから治療なんかいらない」と突っぱねかねないわけで、これが一番の懸念材料です。このギャップを埋めるために啓蒙活動をしなければなりません。そのためには、少なくともわたしたち予防医療の世界で働く者たちがこの基準値の意味の違いをしっかりを理解する必要がある、と痛感させられた次第です。

| | コメント (0)

そうじの順番

「そうじをするなら、家の中からか家の外からか?」・・・雨上がり。玄関前に乱れ舞った落ち葉を黙々と掃きながら、たまにこんなつまらないことを想いつくわけです。

「外がきれいでないと、荒れた家のように思われるから、まずは庭から」「自分んちのことばかりやる前に周りの枯れ葉を掃きなさいよ、と隣り近所に思われたくないから」とかいう理由で、まずは外からでしょう!と思うヒトと、「自分の生活の場をキレイにしなくて、何がソトか?」と思うヒトとが居るだろうな。最終的にはどっちもするだろうけれど、忙しい生活の中でどっちかしかできないならどっちをするだろうか?とか考えたときに、そのヒトの考え方がはっきり分かるよな、と。

で、自分はどうかなと思ったとき、やっぱり自分は『家の中から』だろうな、と心中で即答。となりのオバちゃんに何と云われようと、見栄なんか張る気はない。家の中が汚かったら、自分が落ちぶれていく気がするからな、と自分を確認。よしよし。とか云いながら、無理してでもその後に庭の草刈りと周りの落ち葉掻きすることは絶対怠らない性格。たとえ、翌日に仕事を早引してでもやるだろうな(天気が悪かったら泣くかもしれない)。やっぱり、基本的には見栄っ張りなんだろうかな。

そんなことをひとりで考えてほくそ笑んでいたら、知らない間にあたりはすっかり暗くなっておりました。

「ちょっと玄関を掃いてくるね」と云ったら、「はわく」でしょ!と妻に理不尽なダメ出しされました。「熊本人に『はく』って云ったら、吐くになるでしょ」って、妙に機嫌が悪かった。そうか、自分がサボっているように思われたと思ったか。彼女は、どっちもしないけど、するなら「外から」派かな。

| | コメント (2)

荒む自分

ココロがすさんでいる。

はあ、今から会議? 今からボクと面談の約束だっただろが! 何を簡単にブッキングしてるんだよ! 何のために今まで待ってたんだよ!

ねえ、カンファしないの? は?ボクが休みだと思った? さっきから目の前を何度も通ってたやないか。無視したのは、見えてなかったっていうわけ? ざけんなよ!

何を無理矢理割り込んでやがるんだ? しかも無理矢理割り込みながら、なんでそんなにトロトロ運転してやがるんだ? 嫌がらせか? はよ、運転せんか!

イライラしながら帰りついたら妻はいない。なんで?帰ってから散歩に行くはずじゃなかったっけ?

「帰るのまだ遅くなりますか?」とLINEしたら「今から出ます」と来た。
「どこを?」と書いたら、「あ、でもガソリン入れてから帰る」と。
「だから、どこにいる?」と書いたら、「先に行ってていいよ」って。答になっとらん。バカにしとるんか!

散歩の途中で暗くなった。 「停めてるくせにライト点けてんじゃねえよ!眩しいじゃねえか!」「ライト上げて運転してんじゃねえよ、懐中電灯当ててやろうか!」

「セイラ、そっちじゃなくてこっちでしょうが。なんでそんなにいつもと違うところに行こうとする?」「こんなとこでウンチするんじゃねえよ、暗くて見えんだろうが!」

すごいイライラしている。ココロが意味もなく荒んでいる。イヤだ。こんな自分は、イヤだ。あーー、イヤだ!

| | コメント (0)

運動負荷は要りますか?

組織のトップから「『人間ドックの運動負荷検査は無意味だから要らない』と循環器専門の先生が云っていたんだけど、先生はどう思う?」と聞かれて、「虚血性心疾患をスクリーニングするという意味ではあまり効力はないかもしれませんが、少なくとも生活習慣病の受診者にこれから運動をさせても良いかどうかの判断をする上では重要な検査だと思います」と答えたことは、たしかここにも書きました。あるいは、運動負荷で軽い異常があったので精査をしたら重症冠動脈病変が見つかって緊急手術になったというケースも紹介しました。

でも、本当は迷っています。無症状の冠動脈狭窄病変がある人になんらかの血行再建術を行うことが生存率や心事故の明確な予防につながったというデータは実は一つもないのです。症状もないのに、たまたま検査の異常があって冠動脈の精査をしたら狭かった。詰まったら危ないから広げた。病気になる前に未然に防げてよかった、よかった。と、治療した人も治療を受けた人もその家族もそう思うかもしれないけれど、もし、ドックを受けなかったら、ドックで運動負荷検査を受けなかったら、冠動脈の病変を知る機会がなかったら、その人は何事もなく人生を全うできたのかもしれない。半端に治療して、その後の感染症をきっかけに寝たきりになったり、腎不全になったりする人もいるかもしれない。

ここのところ同じような内容のアップが続くのは、やはりわたしの中に迷いがあるからでしょう。先日学会で、旧知の循環器科ドクターにそのことを問うたら、「ディレンマだね」と云われました。でも、「それでもやはり、人間ドックでの運動負荷検査は行うべきだと思います」と云ってくれました。その検査をきちんとやって、出てきた結果をただ機械的に振り分けるのではなく、検査結果の心電図所見とドックデータと問診から、気にしなくても大丈夫か、専門医に行くべきかの判断ができるのが循環器内科医の経験値であり、その判断には自信を持ってもいいのではないですか、とも。

心強いアドバイスではありますが、一方で大変な重荷。

| | コメント (0)

読んでもらえる文章

飛行機の機内誌について、昨日に続いて書いてみます。

リズムがあってぐいぐい読んで行けるエッセイがある一方で、最初は興味を持って読み始めるけれど、妙に冗長で、途中から読みやめてしまう文章もあります。もともと本格的な小説やエッセイは一番伝えたいことは最後の最後に集まっています。『起承転結』は文章の正道ですから、高々数ページの文章を最後まで読まないと文章の良し悪しはわからないのでしょう。でも、疲れてしまうのです。

読まれようが読まれまいが自分が書きたいから長く書ているんだという、たとえばfacebookなどの投稿やわたしのようなブログは自己満足なのだから別に最後まで読んでもらえなくても良いけれど、こういう雑誌の文章は決められた長さと内容で依頼を受けたから書いているわけでしょう。本屋で自らの意思で買った本ではなく、もともと興味がある人だけ読んでもらえれば良いような暇つぶし本のエッセイではありますし、これで自分の名前を売ってやろうと目論む人もそう多くはありますまい。それでも、書く以上は自分の興味を不特定多数の老若男女に読んでもらおうと、それなりにがんばって筆を取るのです。最初から徒労に終わるかもしれないと思いながら書くものではありません。以前はわたしも定期的に依頼を受けて短いエッセイを投稿していましたから、その感覚はよくわかります。そうなると、わたしが途中で読むのを放棄してパラパラっとページをめくっている姿を見たら、この上なく落胆するだろうな、とか思ってみたり。

何を書きたかったのかわからなくなってきました。わたしのような疲れた老眼オヤジでも食いついていけるような文章は何に気をつけたら書けるのだろうか、と思いながら機内誌を閉じた次第です。

| | コメント (0)

モノ知りへの羨望

学会出張のために久しぶりに飛行機に乗りました。新幹線にもありますが、飛行機内の機内雑誌の方が内容も量も充実していると思います。老眼が顕著になって目が疲れるので日ごろは小さな字を読まないのですが、今回は心身に余裕があったから読み耽ってみました。

いつも思うのですが、こういうところにコンスタントにエッセイを書かれる方ってすごいなあと思います。表現力も然ることながら、内容が深い。食べ物のこと、旅のこと、競馬のこと、リヤカーのこと、などなど。プロだとはいえ、このことについてだけは絶対に他人には負けない!という内容で、「わたしの大好きなことをみんなもっと知って!」という想いがぐいぐい伝わってきます。だから、簡単に最後まで読んでしまいます。

読みながらいつも思うのです。自分はどうか? 『書く』ということにはそれなりに自信があるのですが、わたしにはこれだけは負けないと思えるほど造詣の深いものが何もない。仕事の内容はもちろん(むかしはせめてティーテルアルバイトだった専門領域くらいはレクチャーできる自信がありましたが)、趣味の部分でも生活の部分でも深く語れるものが何もないなあ、とため息まじりに思ってしまいます。仕事でアカデミックな知識が溢れている同僚方には何も憧れませんし、興味のないことや浅い知識を今更深く追求してみたいとは思わないのですが、でもやっぱりこの余裕の深さ(知識も経験も)はカッコいいなあと無い物ねだり。

| | コメント (0)

エコの紙

わたしの住む地区で分別ゴミ収集に細かい規定ができてもう10年くらい経つのではないかと思います。プラスチックと一般ゴミ、ペットボトルはラベルとキャップを外して、そして紙ゴミは名刺大より大きいものは一般ゴミに一緒に入れずに「紙ゴミ」の日に新聞紙や雑誌と一緒に出すように。まあ、こういうことは習慣ですから、分別が本当にエコになるのか?という議論は別のところでしてもらうとして、ゴミ出し主夫としては粛々と日々分別しております。

ところで、名刺大よりも大きな紙で個人情報の入っているものはどうするか?例えばカード払いの明細書や住所氏名の印字されたDMハガキなど・・・これはシュレッダーにかけなければならない。もちろん自宅では面倒くさいから丸めて普通ゴミの中に埋もれさせることも少なくありません(自分の大したことない情報だから新聞紙や雑誌に紛れさせてもいいのだけれど、これはいまだに廃品回収業のオヤジたちが持ち逃げするから、気味が悪いわけで)が、大量の個人情報を扱う職場ではそういうわけにいきません。 近くにシュレッダーがあるときはいいですけど、すぐには捨てられない状況のときにどうするか。10年前 にIT企業で働く友人が、「そんなの、名刺の大きさより小さく破ったらゴミ箱に捨ててもいいんですよ」と云っていたのを思い出しました。当時は、「そんな姑息な方法やってたらゴミ減量にも個人情報管理上もまずいでしょ」とか云って諭したわたしに「何も問題ないでしょ?規定通りの分別方法に従っただけなのだから」と彼は真顔で反論していました。

そんなわたしも、いつの間にか彼の方法で処理しています。名刺大より小さく破くのって大した労力ではありませんし。でもこれ、本当にエコにつながっているのかな。

| | コメント (0)

主治医選び

「受診して治療しなければならないとは思っているのだけれど、仕事が忙しくてなかなか受診ができない」と言い訳される受診者に、保健師さんも医者も優しく提言します。「大きな病院や専門医である必要はありません。週末に開いているクリニックや夜遅くまで開けている診療所はたくさんありますから、できるだけ早くにかかりつけ医(ホームドクター)を作りましょう!」と。

むかし、循環器内科医だったころ、同僚の先生が、「外来受診のために仕事を休むことすらできないような性格だから心筋梗塞になるんだ!」とよく云っていたのを思い出します。

でもね〜。わたしはどうかと考えてみると、今のように自分の働く病院でクスリを出してもらうよりも近くのクリニックに土曜日とかに行った方が何かと相談できて良いだろうと思うわけですし、たくさんある大腸ポリープも有給休暇1日とって近くのクリニックで切除してもらったら気が楽だろう思うのですが、いまだに受診してません。だって、休みの日はゆっくり休みたいのだもの。土曜日は遊びに行きたいのだもの。せっかく仕事から解放された週末や有給休暇の日なのに、そんな大事な休みを外来受診で潰すなんて、もったいないのだもの。

ということで、理想論は説明しはしますが、わたしの話は今ひとつ説得力のない話になってしまいます。

| | コメント (0)

ひとりがいい

まあ、むかしから自ら連んで何かをすることはあまりしませんでした。「今からみんなで○○に行くけど、一緒に行く?」と誘われれば拒絶することなく付いて行くけれど、自分から誘うタイプではありません。

「昼飯を食いに行く」のに連むのはどちらかというと苦手です。ヒトのペースに合わせて飯を食うことも面倒ですが、その後何をするでもないのに昼休みの時間をヒトに合わせるのが好きじゃない。店に入って飯食って店を出るまで勝手にずっとマンガなど読みふけっている友人に誘われたことがあって、一緒に食う意味ないじゃない!と云ったら、一人で食べるの寂しいから、とか云われたこともあります(今ならスマホでしょうか)が、かといって昼休みの間中だれかの悪口やグチやあるいは学問的な議論など喋られるのに話を合わせるのも難儀。自ずと昼メシは手弁当で、ひとりのテーブルを選んで、早々に済ませるようになったことは、以前ここにも書きました。

さらに、わたしがエレベーターではなくて階段を使うようになったのも、単なる運動や習慣だけでなく実は他人に気を遣うのが面倒だからという理由があります。扉が開いたら我先にとなだれ込む光景。そして一番最初から待っていたのに結局乗れなかったりする自分。中の人と目があったら乗るまで開くボタンを押して待っていてくれる。狭い箱の中で何を話すでもない赤の他人との気まずい時間。扉が開いてたくさん乗っているのを見てため息をつかれる瞬間。ひとりで乗っていてエレベーターが止まろうとすると、扉の向こうでどんな奴が待っているのかと考える自分。どれを取っても考えただけで憂うつになります。ひとりで階段登ったり降りたりしている方がはるかに楽です。

変わり者ですみません。こうやって、どんどん厭世的な人生を歩んで一人孤立する自分を想像しただけでゾッとしますね。でも、やっぱり、メシはひとりでゆっくり楽しみたいのです。

| | コメント (2)

肥満パラドックスの論議

CareNetで配信されてきた<喫煙と体重歴の調整で「肥満パラドックス」は消失する?>という話題。何となく内容は想像できましたが、つい読んでしまいました。

糖尿病や心疾患などの慢性疾患患者は肥満の人の方が標準体重の人より長生きだ、というのがいわゆる『肥満パラドックス』なわけですが、肥満に影響を及ぼす『体重歴』と『喫煙歴』という2つの因子を調整すれば、やはり太っている人の方が危険だという結論になる、という報告が「Obesity」9月30日オンライン版に掲載された、とのことです。

「重病の人は死期が近づくと体重が減る傾向にある」というのと「喫煙者が肥満であるケースは少なく、肥満者の喫煙率は高くない」というのを考慮すべきである、と云っているようです。タバコの件はむかしから云われていることで、体重と生存率の関連がU(V)字曲線になる(体重は多すぎても少なすぎても死亡率が高い)理由は喫煙者のやせのせいだと解説されてきました。

一方、体重は結局「今がやせていても以前太っていた人」(わたしみたいなタイプ)がリスクを上げているとまで云われると、若い頃から標準を維持している人でないとダメという結論になりそうで、ちと不満足。たしかに今の私には動脈硬化の危険因子である冠動脈石灰化がバリバリではありますから、あまり大きな口はたたけませんが。それでも、「たとえ大きなダイエットをしてもその後にリバウンドを繰り返してしまうと最終的にやせていても太っていても心疾患の危険性が高くなる」というデータがむかし発表されましたが、わたしが理解できるのはここまでですね。

| | コメント (0)

加工肉(続)

昨日、ここに書いたばかりの『加工肉』の発がん性の話題、休日明けの職場の大量メールを開けていたら、Medical Tribuneから続報(というか解説)が出ていました。

加工肉は「ヒトへの発がん性がある(グループ1)」で、大腸がんと関連を示す十分なエビデンスに加えて胃がんとの正の相関が確認されたという。赤肉(未加工の哺乳類の筋肉からなる肉)は「ヒトへの発がん性がおそらくある(グループ2A)」で、大腸がんの正の相関だけでなく膵がんや前立腺がんとの正の相関も確認されている、と書かれていて一層ココロをしょげかえらせます。さらに、「加工肉」とは燻製や塩漬けにされた製品としてのハムやソーセージだけではなく、一般家庭でのフライパンやグリルを用いた通常の高温調理でも発がん性物質が大量に産生されると書かれてしまうと、もはやお手上げの感。

で、日本人の場合はどうなのか。本文をそのままコピペすると、「10月29日,国立がん研究センターはIARCの発表を受け,2011年の多目的コホート(JPHC)研究における「赤肉・加工肉摂取量と大腸がん罹患リスク」を再掲。肉類全体の摂取量が多い(約100g/日以上)男性と赤肉の摂取量が多い(約80g/日以上)女性で結腸がんリスクの上昇が認められたなどの結果を紹介している。その上で「大腸がんの発生に関して,日本人の平均的な摂取の範囲であれば赤肉や加工肉がリスクに与える影響は無いか,あっても小さいと言える」との見解を示している」と、少し安堵させる内容を示してはいます。

WHOに寄せられた質問のうち、「肉を食べるのを止めるべきか?」「鶏肉と魚だけ食べればいいの?」「ベジタリアンになるべき?」というのはまだ分かるが、じゃあ「生肉のほうが安全?」というレベルは、半ば皮肉満載のグチなのでしょうね。

これだけ騒いだ発がん性騒動、これまでの多くのリスクと同様、日々の生活の中ですぐに忘れ去られてしまうのでしょうけれど・・・。

| | コメント (0)

加工肉

WHOが『加工肉(ウインナー、ハム、ベーコンなど)を毎日50gずつ食べると、結腸がん発症リスクが18%高くなる』と発表したというニュースは、意外に世間で反響を呼んでいます。うちの義母は毎朝パンを食べるのに大好きなハムばかりを食うので妻がスーパーでハムを買って行ってあげるのを急に控え始めました。妻は、わたしのお昼の弁当に入れていたウインナーソーセージも完全に止めました。徹底しています。

加工肉の発がんリスクはタバコと同等なのだというから、どれだけすごいのかがわかります。「わたしはそんなにたくさんは食べよらんもん」と反論する義母ですが、50gなんて、ウインナーなら3本弱、ハムは4枚、ベーコン2.5枚、そりゃあもう、すぐです。

ただ、心配なのは、こんな情報のためにヒトが肉を食わなくなるのではないかということです。肉は理想的なタンパク源でありビタミンやミネラルを摂るのにも有用です。加工肉は手を取らないので摂りやすいでしょうが、普通の赤身肉でも摂りすぎるべきではないと云われたら、「じゃあ、まったく摂らないのが一番だ!」と短絡的になるのが現代人の傾向。あるいは、「面倒だから何も考えたくない!」とばかりに耳を塞いで食べまくるか。ほどほど=中庸って、日本人の持って生まれた美徳でしたが、マジメな国民性だからこそ、維持するのがとても難しい時代になりました。

ちなみにWHO(国際がん研究機関:IARC)のリスク分類によると、『発がん性あり』のグループ1には加工肉や喫煙やピロリ菌と肩を並べてアルコール飲料や飲酒によるアセトアルデヒドというのがありますが、これこそ「適量ならかえって身体に良い」ではなかったのでしょうか。なんか心外です(笑)

| | コメント (0)

経験値は財産

昨年の夏からずっと悩まされてきた頚椎症の症状のおかげで、春先には咲き誇ったキレイなサクラの花を見上げることもできなかったけれど、梅雨時期になってその悩ましい苦しみが嘘のようにふっと消えまして、夏には自宅から華やかな花火を見上げることができるようになりました。

良かったなあと思っていたのですが、先週から再びあの鬱陶しい神経の痛みが出始めました。単なる寝違えのような痛みから上腕の神経痛に進行して、夜に上を向いて寝られなくなりました。また一からやり直しか〜。そう思うと憂うつになってきましたが、ただ、一方で妙に余裕があるわたしもいます。ひどくなったところで、半年前の状態よりも強くなることはないだろう。自分の経験した程度であれば乗り越えられる自信がある。それは想像以下ではないかもしれないけれど想像以上でもないだろう。

これまでにもわたしが病気博士だということを何度もここで自慢してきましたが、最大の収穫はこの考え方ができるようになったことでしょうか。経験値はそのまま財産。何も悪いことしてないのにどうして自分だけ?なんて悩む時間がもったいない。大した病気じゃないからそう思うのかもしれないけれど、またしばらくこの痛みと付き合って晩秋の日々を過ごしていきましょう。

| | コメント (2)

争う心はなくなるものですね

若い頃から般若心経を学びたいと思いながらもなかなか実感を得られない。それはそうだ。写経を勧められて、それは大事だと思いながらもなんのかんのと云い訳しながら一度も写経なんてしたことがない。理屈ではわかるが実感が得られないから悟れない、と感じていました。

ヒトと争うこと、ヒトと比べること、それは虚しいことであり、それこそが『色即是空、空即是色』。若い頃からそんな考え方を求めてきた人間でしたから、その理屈は分かってはいたのですが、でも人生を考えるときに「それは詭弁。それは負け犬」・・・若きわたしは素直にそう思っていました。ときを同じくして(これを神様の思し召しというにはまだ若干時期尚早でしたが)、「そんなことあんたらの誤解でしょうが!」と云いたくなるような職場の幹部の誤解がきっかけで、おかげさまでわたしは完璧に出世の道から外されました。その時は落ち込み、「オレは結局負け犬だ」と思い、おかげで毎晩眠れない日々が続いてうつ状態にも陥りました。

でも、不思議なものです。今、今の自分は当時の思いがどんどん消え失せています。負け犬ではありません。自分のありたい姿に向かって、あるべき方向に導かれてる実感があります。きっとわたしは後世に何も残せはしませんでしょうけれど、でもわたしは、わたしの人生を自分の在りたいように生きていけるに違いないという気がしてきています。

おかげさまです。

| | コメント (0)

喫煙リスクの影響

<喫煙によるリスクは世代を超える?>

医療ニュースm3.comに配信されたHealthDay Newsの記事にこんなタイトルのニュースが出ていました。無断転用禁止の記事なので詳しいことは書けませんが、妊娠中に喫煙していた母親から生まれた女性が生んだ子どもは、たとえ自分(子どもの母親)が喫煙していなくても喘息リスクが有意に高くなる、つまり喫煙の影響が世代を超えて遺伝する可能性がある、という主旨の発表です。

似たような話はすでに10年くらい前の『経皮毒』のセミナーで聞いたことがあります。石鹸や毛染めやあるいはシャンプー・リンスなどの有害成分によってアトピーになったりする体質が、自分の子どもに発現しなくて生まれたばかりの孫に現れることがある、とかいう話ではなかったかと思います。

これらの話題は、以前ここで肥満遺伝子について受け売りで書いたエピジェネティックスの考え方の延長上にありそうです。生まれたときから宿命的に背負わされる体質が、先祖代々の由緒正しい体質だけでなく、自分を生んでくれた母親やその母親を生んだ祖母の生活態度にかかってくるとなると、それはまさしく親としての使命であることを、若い女性たちからもっともっと重く受け止めてほしいと思うばかりです。

| | コメント (0)

« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »