争う心はなくなるものですね
若い頃から般若心経を学びたいと思いながらもなかなか実感を得られない。それはそうだ。写経を勧められて、それは大事だと思いながらもなんのかんのと云い訳しながら一度も写経なんてしたことがない。理屈ではわかるが実感が得られないから悟れない、と感じていました。
ヒトと争うこと、ヒトと比べること、それは虚しいことであり、それこそが『色即是空、空即是色』。若い頃からそんな考え方を求めてきた人間でしたから、その理屈は分かってはいたのですが、でも人生を考えるときに「それは詭弁。それは負け犬」・・・若きわたしは素直にそう思っていました。ときを同じくして(これを神様の思し召しというにはまだ若干時期尚早でしたが)、「そんなことあんたらの誤解でしょうが!」と云いたくなるような職場の幹部の誤解がきっかけで、おかげさまでわたしは完璧に出世の道から外されました。その時は落ち込み、「オレは結局負け犬だ」と思い、おかげで毎晩眠れない日々が続いてうつ状態にも陥りました。
でも、不思議なものです。今、今の自分は当時の思いがどんどん消え失せています。負け犬ではありません。自分のありたい姿に向かって、あるべき方向に導かれてる実感があります。きっとわたしは後世に何も残せはしませんでしょうけれど、でもわたしは、わたしの人生を自分の在りたいように生きていけるに違いないという気がしてきています。
おかげさまです。
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