死にゆくとき
「 わたしは、インディのときもベルのときも、その最期の時に横に居たから、最後の姿が忘れられないの」と、セイラの散歩をしている途中に妻が唐突に語り始めました。
不思議なものね。その直前までこの世のものともわからない虚ろな表情でハーハー云ってたのに、突然起き上がってカーって目を見開いて唸るの。まるで、元気だったときと同じ顔で(抜けそうになっていた魂がガツンと元に戻ったみたいに)わたしを見るの。で、次の瞬間、まさに次の瞬間に、ガクンとその場に倒れた時には、そのカラダはまったく抜け殻なの。よくドラマとか時代劇で、最後に何か云いかけてガクっと死んでいくでしょ。あれ、ほんとだね。少なくとも、何も治療を施さないときの自然の逝き方は人間も動物もみな同じなんだと思うよ。
「何も治療しないで自然に逝くとき」ということばに深い意味があるな、とわたしは思いました。お互いに医療従事者だからこそわかる感覚です。病院のベッドで何本もの点滴瓶をつながれて延命処置を施された挙句の最期には、そんな姿は存在しない。消えゆくように去っていきます。もちろん、安楽死を選んだペットの最期にもこの風景はないのでしょう。まさしく行こか戻ろかしている魂が最期にもう一回カラダに戻って、カラダを使って現世に別れを告げる儀式。そこで大きく助走をつけて一気に飛び出した魂は、す〜っと天空に引き抜かれていくのでしょう。
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