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草取りの残り

先日、久しぶりに実家の墓参りに行ったら、少し草が伸びていました。その前日には自宅の庭の草取りもしました。夏と違って"茫茫"という感じではないのでちょっと油断していたら、それなりにみっともなく伸びていました。だから、こっそり目につく草を抜いてみました。大きい草を抜くだけで一気にきれいになります。よしよし良いことをした、と内心ほくそ笑みましたが、一息ついてもう一度今作業した地面を見ると、さっきは全然目に入らなかった小さな草がいっぱい残っているのに気づきました。なんだ、まだこんなにたくさん残っていたのか、と思うと途端に気分が萎えてしまいました。

何事もそう。たくさんの事柄の中から一番気になっていた悩みや一番重荷だった仕事を済ませてやっと一段落、良かった良かったと安堵したのに、改めて冷静に考えたら今まで大きなことのために目立たなかっただけで実はまだたくさんの小さくもない問題点が山積みだったことが見えてきて、返って凹むことはよくあること。

そこにずっと前から存在するのに見えないもの、あるいは気づい てもらえないもの。それはそれが取るに足らないものだということではなく、思考の順番付けを無意識のうちに行うことによって作業のモチベーションを落とさせないようにさせる人間の備え持った能力なのかもしれません。目の前に映るもの全部を今からまとめてしなきゃいけないと最初からわかっていたら、おそらく大部分の人間は心が折れてやる気を失くすでしょうから。

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