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2015年12月

睡眠にまつわる7つの法則

先日、ぼんやりfacebookをみていたら、フリーライターのすずまりさん(別に、なんの知り合いでもありません)の記事『仕事の成果を上げるのは「眠りの質」だ。睡眠にまつわる7つの法則』というのを見つけて、読んでみました。

わたしたちみたいに睡眠について知識のある人間には目新しい内容ではありませんが、最近の睡眠に対する考え方をうまくコンパクトにまとめてありましたので紹介します。睡眠に悩んでいる方もそうでない方もご一読あれ。

1.クリエイエティブな人はよく寝ている~「ノンレム睡眠には、短期記憶の入力をブロックしたり不要な記憶を消したりすることで精神性ストレスを消去する役割がある。レム睡眠期には、記憶の整理や必要な記憶の固定、記憶を引き出すための索引作りが行われている」というのは蓋し正論。このリズムが維持できればアタマの中がすっきり整理できます。前に書いたことがありますが、運動の練習や勉強がうまくいかなくても一晩寝たら翌日はウソのように上手くできるようになる、というのも同じ理屈です。まあ、わたしのゴルフはどんだけ寝ても一向に上手くなりませんが。

2.夜更かしして仕事するより、いったん寝てから仕事する~理屈の通りなのです。ですが・・・寝過ごしちゃって、自己嫌悪の中、何もできないまま出陣した経験なんて数多なんですよねえ。

6.眠る前にいいことを考えよう~ここに書かれた7つの法則の中でこれが一番気に入ってます。寝付けないと今日あったイヤなことや明日会う人と言い争う想像ばかりしてしまうわたし・・・良いことを考えようとしていくうちに、何も思い出せずにそのまま眠ってしまったり・・・まあ、それでもいいのか。

「睡眠は”一日の終わり”ではなく、”一日のはじまり”」・・・良いことばです。

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karakaraさんへ

Karakaraさん、コメントありがとうございました。ご苦労されていますね。

たぶん、大丈夫だと思いますよ(他人にあまり無責任なことは書けませんけど)。

生活が乱れているわけでもないのにコレステロール値だけ高値で、クスリを飲んだら”筋肉破壊”を起こして止めざるを得ないという人は少なくありません。わたしが担当した患者さんにもいかんともしがたくて悶々とされていた人が数人います。女性の方が多い様な気がします。もちろん新しい薬も古くからの薬もたくさんあって違う機序の薬はたくさんあるから、いろいろ試してみたら副作用のない薬に出会う可能性はあるのでしょうけれど・・・それが家族性高コレステロール血症などの遺伝性疾患でない限り、たぶん無理矢理下げなくても何も問題はないと感じています。

確率論の話=これがいわゆるEBMですが=の中で、「薬が合わないのは神様に見捨てられたから」ではなく、「そんな毒物を体内に入れなくても私のカラダは心配ない」とカラダが回答してくれているのではないかという、医療従事者らしからぬ想いを最近強く感じるようになってきました。

悩んだ挙句に諦めて薬を飲んだら副作用が強くて飲めなかったというのは、薬を飲まないことへの最強の大義名分です。だってどうしようもないのですから。開き直って大丈夫ですよ。もし今後、不幸にして心筋梗塞になったり脳梗塞になったりすることがあったとしても、それは脂質異常のせいではありません。運命、運命。そんなことにあまり心を悩ませずに、前向きな楽しい人生を全うしましょう。

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何度でも初心にかえるべし

ブログが9年目に突入。

やめるか続けるか悩みながら、次の年へ・・・まるでスマホか保険の契約更新みたいですが、別にいつだってやめられるのさ!と思いながら、早8年。

で、ときどき書くけど、文章が長い。むかしはそれでも書き終えた後に行数確認して自分のこっそり決めた長さ以上になったら推敲して意地でも短くしてました(まるで、制限文字数の決まっている抄録を書くように)が、最近とってもいい加減。「ま、いいか」とか思ってしまう。長くても短くても、別にわたしの勝手でしょ、と。

でもやっぱり、イヤだ。時々以前の文章を読み返しながらつくづく思う。むかしの文章は熟(こな)されているよ。我ながら惚れ惚れする。今みたいに雑じゃない。ボキャがね、豊富だね。

なんてな自褒めはいいとして、続けている限りはもう一度初心にかえろう。何度でもかえろう。内容や文章力の衰えはやむを得ないとして、長さは守ろう。せめて、守る努力はしよう!

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フィッシュオイルの効用

ヘルシーパス社から定期的に情報が提供されてきますが、2015.12.25号はフィッシュオイル(魚油)の有効性に関する最新情報が書かれていました。ちょっと面白かったのでご紹介します。

日本人は基本的によほど避けて通らない限りは魚を食べると思うのですが、最近の若い方々は魚キライなお父さんお母さんの影響で、意図しない限りまったく口にしないヒトも多いのかもしれません。フィッシュオイル(魚油)というコトバは知らなくても、動脈硬化予防や”アタマが良くなる”という効果、あるいはサプリのCMなどでEPAやDHAというコトバは知っているでしょう。医薬品であるエパデール(椎間板ヘルニアの症状改善のためにわたしもたまに服用しますが)は、本来は脂質異常症の治療薬で、LDLコレステロールと中性脂肪を減少させてHDLコレステロールを増加させる効果があります。それに加えてここで紹介されていたのは、体脂肪の燃焼効果(褐色脂肪の増加を促す作用)、抗炎症作用(腸内細菌叢に作用して炎症を抑える)、アレルギー抑制作用(腸管上皮にEPAの代謝産物が増加して腸管アレルギーを抑える)、および抗ストレス作用(特に女性のPTSD患者に有効でDHAが海馬の神経新生を促して海馬から恐怖記憶を消失させるという機序)などです。

こんな素晴らしい効果が魚には備わっているのだから、もっと日頃から魚を食べましょうよ!と云いたいところですが、これで魚嫌いになった子どもたちが魚を食べるようになるとは思えないし、魚嫌いな大人はせいぜいサプリに走るのでしょうか。逆に、サプリメーカーや薬品会社はこんな効用を強調する材料にするかもしれません。

肉よりも魚、白身魚より青身魚が好きなわたしにしてくれた両親に感謝感謝です。

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治療すべきか

先日、わたしが産業医をしている企業の従業員の女性と電話でお話をしました。健診結果をもとに内科受診を促すのが目的で、遠方の支所で働かれているので電話面談をしたわけです。アラフォーのその女性のLDL(悪玉)コレステロール値が200を超えていたからなのですが、一昨年も190弱で受診干渉をした記憶があります。この女性、それなりに一念発起してその一年後には160まで下げただけではなく、HDL(善玉)コレステロール値も50台から60台まで上げることができましたのに、今年はHDLは70弱と横ばいなのにLDLだけが跳ね上がったようです。「何か心当たりはありますか?」とお聞きしたら、「今年は仕事が忙しくて帰りが遅くなったのと仕事中にお菓子をたくさん食べましたね」との冷静な分析の返事が返っていました。

正直云ってこの方のコレステロールは問題なのか?という疑問が払拭できません。更年期はまだまだ先、脂質以外はすべてが正常で肥満もやせも喫煙もない、HDLも決して低くないとなると、「少なくとも内服治療は要らないだろう」と思うわけです。でも、産業保健師さんは「先生、だってやっぱりLDLが200を超えるのは問題でしょ?できるだけ早く下げないと危険ではないですか?」と首をかしげます。来年度から適用される『共用基準範囲』と比べてもはるかに高いのです。でも、「他にまったく危険因子がない上に、HDLも高いままキープできているからねえ。しかも単なる体質かと思ったら去年の結果からすると”やればできる”んだもんねえ」・・・わたし的には病院にかかること自体が必要なのかどうか?と疑問なのです。ただ、やはりできたらLDLは去年並みには下がっておいてほしいとは思います。おそらく夜の食生活と昼の間食を去年のものに戻してしまえばいいだけだと思うのですが、去年の生活はそんなに重荷だったのかしら。

企業健診を受けざるを得ない妙齢の女性の方々、この手のことで悩んでいるヒトは多いことでしょう。食生活が乱れまくっている方でなければ内服は要らないと思いますが少なくとも健診ではひっかけます。必ず外来受診の指示も出ます。こんなときの駆け込み寺を担保するためにも、ぜひ”かかりつけ医”をお持ちください。

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気づかないフリ

わたしのエントリーしている生活習慣病改善プログラムは粛々と進んでおりますが、2回だけ、一晩で体重が1キロ増えたことがありました。1回目はゴルフ仲間との忘年会の翌日、2回目は家で友人たちとクリスマスパーティをした翌日。そしてその体重が増えた日は朝から異常なくらいの頻尿で10分もしないうちに行きたくなり、仕事にならないくらい小便をしました。その結果、その翌日にはいとも簡単に1キロ減って元に戻りました。

要するに、『酒飲んで1リットルむくんだカラダが1リットル利尿されて一気に出て行った』ということか・・・なるほどなるほど、たとえ宴会やパーティで羽目を外しても日ごろきちんとしてればカラダは簡単に戻すのだから大丈夫!ということだね。と、書いてみたけれど、実はそうではない。単純な真実である・・・酒飲んだらすぐにむくんで翌日にオシッコでまとめて吐き出す、というのはつまり『酒がカラダに合わなくなった』ということではないのかしら。いかん、いかん。それは真実かもしれないけれど、決して気づいてはいけない真理。とにかく気づかないフリをしよう。だって、まだ忘年会と新年会が1回ずつ残っているのだ・・・と独り言(笑)

ちなみに、こんな記事を見つけ出しました。『朗報!実は「男の脂肪」は簡単に落ちる』・・・『なぜ一流の男の腹は出ていないのか?』(小林一行)という本のレビュー記事です。「食べ過ぎた翌日に1食抜いて『1日で帳尻する』行為は、飢餓から身を守る本能にスイッチが入って体が余計な脂肪を蓄え、かえって食欲も増大させる危険性がある」というのはダイエットの常識です。皮下脂肪の多い女性と違って男性は内臓脂肪が多いので有酸素運動よりも負荷の軽い筋トレを毎日続けることが有効だ、という著者の意見、意外ではありましたが、奇しくも今回それを実行しているわたしは実感として理解できる気がしています。でっぷりお腹で悩んでいる男性諸氏は一読して実行してみてはいかがでしょうか。

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とりあえず休みます。

今日は投稿を休みます。

わたしのネタ帳であるiPadのメモには、思いついた時に書きなぐったネタがまだ4つほど並んでいますが、どうしても文章にきちんと起こしたい衝動に駆られません。昨夜遅くに、ちょっともがいてみましたが、機が熟してないと感じましたの。

明日はどうするかわかりませんが、とりあえず今日のところはお休み。

あと3日でこのブログも丸8年になります。

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熱意の継承

『仕事に対する自分の熱意が如何に強くても、その熱意は後進に伝えて引き継いでいかせなければ意味がない。そうすることは、組織の上に立ち、いずれ辞めていく者の使命である。』

先日辞められた方の挨拶でもその言葉が出ていましたし、以前某幹部からも切々と説教されたことがあります。でも、申し訳ないですが、未だにわたしにはそんな気が湧いてきません。それほど上に立っていないということもありますが、自分の熱意は自分の思い入れ(思い込み)なのだから、人知れず自分の思いの段階で終わってもなんの悔いもない。自分の想いを若い連中に熱く語るのは気恥ずかしいし、自分が去った後に自分のやり方を継承してもらいたいとはちっとも思いません。まあ彼らに自分の生き方を見せて、いいなと思ったら真似てもっと大きく育ててくれればいいし、つまらんと思ったり興味が湧かなければ無視されても構わない。わたしはわたしなりにわたしの人生の中で満足して終われればそれで十分だ、と思うております。

そういう点では、わたしに部下がいなくて本当に良かった、と思います。

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ナビの俯瞰図

わたしの愛車に初めてナビが付いたときの感動については以前ここに書きましたが、毎日同じ道を通勤しながら同じナビの画面に毎回出てくる池や小学校や神社が、何故だかいまだに時々気になります。それは運転中には絶対に見えません。木立や民家などに隠れているからです。その気配すら感じることはないのに、そこには昔から変わることなく存在する日常がある。そこにそれがあることによってその街は成り立っているし、自分には関係ないようで実は関係しているかもしれないと思うと、何か不思議な気持ちになります。

日常生活で気付かなかったもの・・・日常生活の中にも、誰かの行動のどこかに、自分は気づかないけれどずっとやってくれている何かがあるに違いありません。そしてその行為によってわたしはわたしの日常を日常として続けることができている。池や学校はナビの地図やドローンによる航空写真などでその存在を教えてもらえるけれど、日常の誰かの人知れぬ行動は直接見て確認することはできません。

だからこそ、常に社会の一人一人の存在に感謝の気持ちを持って生きていきたいと思うようになった今日この頃でございます。合掌。

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和洋折衷

先日の学会出張は二日間ともに朝に時間があったので、珍しくホテルのバイキングの朝食をいただきました。

バイキングに行くといつも思うのですが、日本人の和洋折衷の文化って、素晴らしいですね。必ず洋食的な料理と和食的な料理とが入り混じって置かれていて、どうぞ自分の好きなものを取っていってくださいな、というスタンス。ベーコンとスクランブルエッグの横に漬物と鯖の焼き物を並べ、コーンスープとみそ汁の両方を確保して、最後にご飯にするかパンにするか悩む。最終的にはどっちも持ってきたりして。

生活のいろいろを含めて、むかしは当たり前に好きなように和洋折衷で、それに何の疑問も感じなかったのに、妙にセレブ感を気取った連中が、本場がどうのマナーがどうのセンスがどうのと講釈を垂れ始めてから、わたしのような田舎モンは外で伸び伸びと食べることができなくなった時期があります。『何、その食べ方は?』とか指差して笑われたりもしました。でも、日本人の舌は繊細だからこそ、薀蓄やこだわりなど必要なく、あれこれ集めて好きに食べてもキチンと味を楽しめるわけだから、自分の好きなように食べさせてほしい。

何を書きたかったのかわからなくなったけれど、とにかくバイキングは、好きです。世のお姉さん方が、やれパリの有名なスイーツ店がオシャレだのアメリカの老舗ハンバーガー屋がかわいいだのほざいているが、わたしゃ田舎ホテルの朝食バイキングの方がはるかに好きです。

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立った髪の毛

最近、朝起きると決まって右の後ろ頭の毛が立っています。いわゆる『寝グセ』。軽くなったとはいえまだくすぶっている頚椎症のために痛みを感じずに安眠できるのが右下に向くことしかなく、そのために毎朝こうなっています。だから、朝風呂に入る旅先のときを除けば、毎朝クセ直しに時間を割くことになります。柔らかい髪質でしかも少なくなった今日この頃ですが、白髪系が混じるので素直ではありません。最悪、ヘアームースで固めることも。

ただ、ここ数日、それが面倒になってきています。パンクロッカー並に爆発しているわけでもなく、抑えても立つわけだし、「もういいんじゃない?」と思うわけです。今から可愛いお姉さんをナンパしに行くわけでもないし新しい職員さんが入ったわけでもないから見栄を張る必要もないし、ドック受診者さん方には少なくとも1年後までは会うこともないのですから。

そんな自分の姿を、診療の合間に小便に行ったときに洗面所の鏡で見て、愕然としました。それでなくても田舎坊の地味な顔が一層裏寂れて見える。じいちゃんだなあと思わずつぶやいてしまいました。年相応といえば年相応の姿だけれど、それはまさしく老化。アンチエイジングをやめたときから老化は加速度を増す、それはつまりこういうことなのだな、と痛感しました。

1年前から面白がってやっていた白髪染めも今月からやめています。面倒くさいからではなく、『なんか、飽きた』から。でもこれもきっとココロの老化なのだろうな。「どうでもいいわ」というココロを打ち捨てるところからやり直し。もっとしっかりオシャレっ気に磨きをかけなきゃ、ね。

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立っておけばいいらしい。

「通勤電車で吊革につかまっているだけで血糖値が下がる」ということでしょうか。という書き出しで配信されてきたMedical Tribuneのメルマガは、山田悟氏のドクターズアイ<立っているだけで血糖が低下!>の記事の紹介でした。

英国レスター大学から米国糖尿病学会誌に報告された研究の解説です。これは「じっとしていることを減らせば血糖管理は改善できるのではないか」という検証研究で、閉経後の2型糖尿病リスクのある女性を対象に、7.5時間の完全坐位群、30分ごとに5分間立位保持(合計60分立位)群、30分ごとに5分間軽いトレッドミル歩行(合計60分歩行)群で比較したものです。それによると、血糖が坐位+立位群で34%、坐位+歩行群で28%減少しており、インスリン量も各々20%、37%の減少を認めました。さらに2日目には全員が坐位をしたのにやはり後者2群で血糖改善効果が残っていたのだそうです。つまり、血糖改善効果はただ立っているだけで、それも30分ごとに5分ずつ立つだけで十分得られるということとともに、別に歩かなくても立っていれば効果は同等、わざわざしたくもない散歩や買い物や歩行通勤をしなくても、立ってテレビを見て、立って本を読めば十分だということを示しています。

かなり以前、アメリカの女性を対象とした研究でも、糖尿病の主婦に日常生活でソファに座らせないようにしただけで血糖値が著明に改善した、という報告を教えてもらった記憶があります。最近は立ち飲みカフェや立ち食いステーキハウスなどが人気ですから、待合室が少ない都会の電車の駅や新幹線駅などは国民の健康維持に一役買っていると自慢してもいいのかもしれません。 まあ、それでなくてもじっとしていないわたしのような多動児には得られることの少ない情報でしたし、できるだけ動きたくない糖尿病患者さんは「その5分ができないのよ」と云うだろうな、と思ったりしましたけれど。

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締まった感触

今年の生活習慣改善プログラムのトライアルをスタートしてもうすぐ1ヶ月になります。何もないとやる気が起きないわたしも、ライフコーダーの示す数値にものの見事に縛られて真面目にストイックに取り組んでいます。したいことがあっても23時になったら放り投げて床に就く日課は朝が爽やか。酒の量も極端に減ったのでうたた寝することもない。さらに今回は自宅でできる体幹トレーニングメニューも加えられて、ヒーヒー云いながらも真面目にこなす。忘年会の翌日に1キロ増えたと思ったらその翌日にはまた1キロ減って元に戻ったりする。おかげでタニタの体組成計の示す値はすでに開始から2キロ減なのですが、ただ・・・何かしっくりこない、というかピリッとしない。

それが昨日の朝、突然変わりました。腕時計がグルグル回る。すでに緩くはなっていたけれど明らかに次元が違う回り方。さらに白衣に着替えたら、白衣のズボンがゆるゆるでずれ落ちそうになっていまして、『締まったカラダ』とはまさにこれだよね、と自己満足。こりゃもしかしたらゾーンに入って一気に1キロ以上減ってたりして?とか期待しながら体重計に乗ったら・・・全然変わってませんでした。ガックリでした(笑)

数値だけ先に動いたけれど実態がなかったバブルなカラダにやっと筋肉が付いて数値に見合うホンモノになったんだな、とか勝手に満足することにしましたが、ホントはどうだか分かりません。でも、やせたとか太ったとかは大した問題ではなく、突然何かがカクッと変わった瞬間を実感できたのが嬉しかったわたしでした。

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イヤだ。

イヤだ、イヤだ。
ときどき、ウツの分厚い雲が突然のしかかってくる。

ものすごく、さみしい!
強烈な孤独感。

他人をうらやむことはなくなった。それはウソではない。
ただただ、さみしい。
でも、この感覚は他人にはどうせわからないさ、と思う。
だから、他人に云ってもしょうがないや、と思う。

ここに書いたところで、せいぜい激励されるだけだろう。

『わ〜〜!と叫んでごらん。思う存分叫んだらスッキリするぞ!』だって?
そんなことでスッキリできるとしたら、それは、『若さ』の証さ。
自分がそんなことしても、何も変わらないことくらい、わかっている。

だから、じっと嵐の過ぎ去るのを待っているのさ。

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享年

今年はいつも以上に喪中のお知らせが多い気がします。そういう年回りなのでしょうか。年賀状リストチェックのために確認していたら、そんなご父母、義父母のご年齢はどれも90歳前後。「みなさんご高齢だな。天寿を全うされたのかしら」などと無責任に思うけれど、長い闘病や寝たきりだった方もいるのかもしれません。それでもやはりご長寿。

一方、ご両親ともを60歳前の若さで亡くした友人は、自分がもうすぐその年齢に近づいていることを気にしています。他人の事情を思う中で、我が家は?とふと思う。母は胃がんで亡くなりました。満55歳でした。父は人知れず独りで亡くなりました。満77歳でした。こうしてみると、うちの両親も決して長生きではありません。 父方の祖父は脳卒中で若くして突然死、母方の祖母は心筋梗塞、祖父は若くして亡くなったので死因は忘れた。少なくとも、天寿を全うしたという感じではない家系のよう。

別に長生きしたいとは思いませんが、うちの家系を鑑みて、そろそろ人生の総括の準備くらいはし始めておいた方がいいのかもしれないな、とかふと思った次第です。

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これ以上の睡眠は必要性を感じない

「いつも夜中の2時に寝て5時前には起きて仕事に行く。マラソンもするし気持ちも爽快で、毎日充実している。少なくともこれ以上の睡眠は必要性を感じない」・・・先日の40歳代男性受診者の問診記録にこう書かれていました。

今や、『短い睡眠時間でも深い質のいい睡眠をとれれば問題はない』という理論は間違いであることが証明され、程度に個人差があるとはいえ、睡眠はその質に関わりなく短かすぎても長すぎてもカラダに悪いことは常識です。でも、人生に自信を持っている人間にとってはそんな理屈など何の意味もありますまい。わたしにも若いころにそんな時期がありましたが、当時の自分もそうだった気がします。同じように、若い男性で「毎晩ワインを一本空けるけれどどうということはない。オレにとってはワインなんて水代わりだ」と豪語する受診者もおりました。そんな彼らに「それは錯覚です。今生活の見直しをしないと絶対に遠くない将来に病気になりますよ」とアドバイスしたところで、聞きはしないでしょう。

彼らが特別な体質なのではありません。彼らのアタマは自信に満ち溢れて自らの口を使ってそう云わせてはいますが、彼らのカラダの各臓器は毎日無理をさせられていることなど十分承知しているはずです。だから、彼らもいつの日か「これじゃいけないな」と感じる瞬間が来ます。その時にならないと生活は変わらないと思うのですが、その時には意地を張らずに自分の感覚に素直に従ってもらいたい。ただただ、そう思います。

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わたしゃ胃は心配しとらん

「ドックの結果のご説明をしますね」といつものように始めました。「まず、胃カメラの写真をお見せしましょう」と云ったら、そのオジさんは間髪入れずにこう答えました。「わたしゃ胃は心配しとらん。去年、十二指腸のがん治療を受けて、その後に 何回も胃カメラとかCTとかしてもろたけん。『問題なし』と◯◯先生が云ってくれたもんな」

「いやいや、心配してください!」いけずなわたしの天邪鬼魂に火が付きます。それなりにしっかりとした萎縮性胃炎をベースにあちこちで表層性胃炎やびらん性胃炎の所見があります。外来の治療医に云わせればこんなものは取るに足らないものかもしれませんが、胃はかなり健気に頑張っているのですから、もっといたわってあげてほしい。大きな病気、特に悪性腫瘍を経験した方々に共通して云えることは、自分が治療を受けた病気は生死に関わる大変なもので、生活習慣病や良性の炎症とは格が違うのだと思っているのではないか、ということ。医者たちも本人もそれが治った後に心を占めるのは、また他にがんができないかとか再発しないかとかいうことばかりで、糖尿病や高血圧は二の次、萎縮性胃炎やびらん性胃炎に至っては、今そんなことを気にしている場合ではないのだ、と。

大変な時期を乗り切ったのは、自分のココロだけではなくカラダの各臓器も同じこと。胃はいつも強烈な治療の矢面に立って耐えてきた臓器です。優秀な戦士にいたわりのココロをもってあげてほしいと思うております。

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準備された手紙

わたしのクルマの担当の営業の方が急遽退職されました。ある日、仕事から帰ってきたら郵便受けに一通の手紙が入っていました。「本日お伺いしましたがご不在でしたので・・・また改めてお伺いします」と、ワープロ文字の手紙でしたが、彼は二度と来ませんでした。新しく担当になった方もその後違う用事でうちに来られて、不在だったので手紙を置いて帰りました。ワープロ文字でした。

平日の昼間に来ても誰もいないことは想定した上でやってくる。だから前もって手紙を何通もワープロで打って準備してくるのでしょうが、それはつまり居ない時を最初から選んでいるということではないかと感じます。少なくとも、うちの職場の営業の方々は必ずアポの電話を入れてから出向きますから、それを考えると彼らの行動は初めから「できたら会いたくない、けれど自分はちゃんと来たぞという既成事実は作りたい」ということなのかなと勘ぐってしまいました。

まあ受け止め方は個人差なのでしょうけれど、どうなのでしょう。ちょっと来てみたけれど会えなかったのでというなら、手書きの走り書きを残すのが常識だろう、と思うわたしの方が非常識なのでしょうか。汚い手書きは失礼、万が一の時のために前もってワープロ文字の手紙を準備しておくべきだ、というのが社会常識なのでしょうか。何か、形だけの礼儀という感じがして、わたしには居心地が悪いです。

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エロ仙人

先日ここに紹介した順天堂大学の堀江重郎先生のテストステロン(男性ホルモン)のお話を整理しながら、妙に合点し、妙に落胆。

わたしの究極の目標であった『悟りをひらく』というのは、つまり『テストステロンが枯渇してしまった状態になる』ということなんだな、と。世に溢れた煩悩にまみれることもなく、理不尽な仕打ちに報復することもなく、性欲と本能に悩まされることもない状態、というのはつまり全ての意欲が湧かなくなっていく状態なわけで、『悟りを開けばこの世を卒業する』というのはつまり枯れて消えていくという意味では正解なのだろうな、と分かってしまいました。たしかに、エロ丸出しの仙人なんて居ないし、野望でギラギラしている聖人もおりますまい。

これはおそらく、先人たちの知恵なのだと思います。男性としての野望や正義感や性欲や征服欲やが徐々になくなって枯れていく自分。惨めに寂しく落ち込んでしまうような宿命に対して、『悟り』というコトバを充ててプライドを保とうとしたのではないかと。そうなると、最近何事にも腹を立てなくなってきたわたしは『悟りをひらいてきた』のではなく、単に『歳を取った』だけなのでしょうか。と、妙に納得してしまうわたしは、本当に老い先短いのかな(笑)

たくましく元気に生きたければ、できる限りの煩悩にまみれて、のたうち回るべし! ということですね。

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おかしな日本語

他人の書いた文章の校正は頼まれても極力しないようにしています。必ず、おかしな日本語を見つけ出すからです。

うちの施設が監修している、ある企業の健康雑誌紙面のチェックが毎月回ってくるのですが、そういう理由で、ほとんどの場合は誤字だけしか見ないことにしています。でも、そこにある文章、絶対おかしいんです。その主語にその助詞を付けたら、絶対に最後はこれしかないだろ!と思われる述語がそこにない。その述語で受けるなら始まりの助詞が違うでしょうよ!とか。自分のサインをする時点で自分が認めたことになるので、さすがに今回は我慢できなくてつい赤ペンを入れてしまいました。でもきっとこれを見た担当者はボヤくのでしょうね。「だってこれ、検索したインターネットの文章をそのままコピペしただけなのに」と。そこに参考資料として添付されているネットの記事に同じ云い回しがありましたから。

でもね、その参考文献があろうとなかろうと、その日本語は間違っているのですよ。参考文献が、小中学校の教科書だとか有名学会誌に掲載された論文だと云うなら別ですけど(ある意味、そっちの方がはるかに大変な事件ですが)、参考文献ごと、間違っているのですよ。日本語をわかっていない奴がフィーリングで書いただけの文なのですよ。「訂正してもしなくてもどっちも大して変わりないだろ」て、その違いが理解できないなら、紙面担当者になるべきではないと思うんですよね。

と、すぐにこんな感じで熱くなってしまうから、校正に手を出したくないのです。

 

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歩数と記憶力

ウォーキングの歩数が多いと記憶力が向上 運動が認知能力の低下を防ぐ

運動すると認知機能の低下を予防できる、ということはもはや多くの人が知る常識になってきました。配信されてきたボストン大学医学部の研究チームの報告は、18~31歳の若者29人と、55~82歳の中年・高齢者31人を対象として腕時計型の活動量計計測と認知能力テストの結果を比較したものです。その結果、中年・高齢では、1日の歩数が多いほど記憶力のパフォーマンスが高かったそうです。

「運動の強度や頻度、時間、運動の種類や組合せで脳にもたらす影響は変わるので認知能力を向上させるためにどの運動がもっとも効果的なのかが分かれば個別化した最適な運動プログラムを提供できるでしょう」という主旨のコメントが載っていましたが・・・。このコメントを読みながら、結局は『存在しない”運動欲”を最低限奮い立たせて、呆けないように頑張りましょう』という考え方を目標にしているのだな、と思ったら寂しくなりました。『人間、動かなくて済むなら絶対に動かない』という本質をいじる方法はないものでしょうか。

で、あれです。今、毎日の活動量を競っている自分だからこそ気になるのかもしれませんが、先日ここで書いたテストステロンのお話・・・「運動しすぎるとテストステロンが減る。マラソンなどで著しく低下する。月に200kmを超えると危険。一日1万歩でも月に100kmになる」というわけで・・・運動すればするほどいいとは云えないってことをこの間教わったばかりなのですけど、そこのところはどう収めましょうか。

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運動不足はアルコール依存になる?

運動不足の人はアルコール依存のリスクが2倍に上昇 運動指導に期待

保健指導リソースガイドから配信されてきた記事によると、運動不足の人はアルコール依存になる割合がおよそ2倍に上昇するという調査結果が米国公衆衛生学会学術集会(11月、シカゴ)で発表されたのだそうです。”運動をする習慣がまったくない人は、運動をしている人に比べ、アルコール依存になる割合が84~88%増加する”というものです。

いや、別に、わたしがアル中だと云うわけではないのですけれど、毎日1万歩以上歩いている人間の酒量が少ないかといわれるとそうとは限らないよなと思うわけで、おそらくこの『アルコール依存』は完全なる病的レベルのはなしなのでしょうか。でも、「手持ちぶさただから酒でも飲もうかな」と、たまの休日に昼からビールなど出してくると妻がとても白い目で睨むわけで、動かずゴロゴロしていたら、結局は酒を飲むかお菓子を食うか堕落の方向にいくだろうことは察しがつきます(笑) かといって、少なくともアル中のヒトが自ら運動しようとするとは思えず、アル中になったヒトを引っ張り回して歩かせたらアル中から脱することができるのか?と云ったら疑問です。

あくまでも予防のためのデータでしょうが・・・さて、どう使いますかね、このデータ。「アル中になりたくなかったら運動しなさい」って云って、アル中でもないヒトに効果ありますかね? 「お酒をずっと飲みたかったら、毎日運動しなさい!」は、効果があるかもしれないけれど、そこまで酒好きでもないヒトには意味ないですよね。

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逆境に勝つということ

最近、facebookなどでよく配信されてくる記事の中に、何重苦も背負いながら逆境に打ち勝って生きてきたヒトの話が出てきます。そのヒトがなぜ逆境に打ち勝つことができたのかという教訓というか人生のハウツーというか見習うべきコツというか、そんなことが書かれています。

このヒトはすごいな!このヒトに比べたら自分の日ごろのグチなんか取るに足らないものだな!自分も日頃から見習わなければならないな!とか殊勝に思うのですが、実はその多くは誰も日頃から出来はしません。それは、多くのヒトが単に凡人だからというのではなく、そんな選び抜かれた悲運に遭遇したりする経験がないからだと思います。常日頃の軽い苦難から準備して対処する習慣を付けておれば、不運にして未曾有の苦難に見舞われても乗り越えることができるはずだと思いがちですが、きっとそれは全然違うものなのだと思います。

人間、経験したことのない想像を絶する苦難に遭遇したとき、きっと生きていくための特殊な能力がミシミシと生まれてくるのだと思うのです。悟空がスーパーサイヤ人に変身するようなもの。だから、苦難や逆境を乗り超えるために常日頃からココロの準備をしていても、何の役にも立たないし、自分だっていざとなったらきっと乗り越えられるはずだから、とりあえず乗り越えたヒトのサクセスストーリーは他人事として拍手を送っておけば良いだけのことだと思っています。

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オートファジー

これまでに学会や医学雑誌で何度か目にしながら、どうしても理解できなかった『オートファジー』・・・第18回抗加齢歯科医学研究会で聞いた東京大学の水島昇先生のレクチャーがとてもわかりやすくて、やっとその実態がつかめた様な気がします。

『オートファジー』というのは『自食作用』。細胞の中に突然隔離膜という薄い膜ができ始めて丸く細胞質の一定領域を切り取ります。これがオートファゴソーム。この薄い膜にリソソームが滑り込んで融合すると、途端にリソソームに取り囲まれた領域の中身だけが壊れてアミノ酸に分解(オートリソソーム)され、その分解されたアミノ酸がリサイクルされてタンパクや糖やエネルギーを生み出します。オートファジーの役割は、細胞質を分解してできたアミノ酸などを使って飢餓危機を乗り切ることと、細胞内の浄化作用/品質管理の2つ。生物が生きていく上で絶対に必要な機能なのです。て書いてみたけど、理解できましたかしら? わたしが解説書を読んでもさっぱりわからなかったのだから、わたしのこの拙い説明文ではわからないかもしれませんね。

とにかくこの『オートファジー』は、細胞飢餓が起きたときに、速やかに潔く自らの細胞を分解して一時的にタンパク合成をすることで危機的状態を乗り切る作用なわけで、細胞を飢餓状態にさせると途端に(分単位で)オートファジーが始まります。オートファジーは、飢餓的状態のほか、出生時(生まれ出てへその緒が切られたら栄養源が一時的に遮断されるのですから、超危機的状態です)と受精時(受精卵が細胞分裂を始める最初のステップでオートファジーが必須)にも起きます。

そしてもう一つ常に行われているオートファジーの目的が細胞内浄化です。常に新陳代謝を繰り返す細胞内では随時ゴミが生まれています。そのゴミが浄化されずに溜まっていくと病気が発生します。オートファジーがうまくいかないと神経系に鉄が蓄積してしまう病気、あるいはパーキンソン病の一部の原因にもなっていることがわかってきています。

水島先生の講義中にメモしたことを書き並べて整理してみましたが、さて果たして合っているのか? 「大丈夫です。ここで説明したことは全部これに書いていますから。たった800円ですから」・・・講義の最後に紹介していただいた先生が書かれた本『細胞が自分を食べる  オートファジーの謎』(PHPサイエンスワールド新書)をさっそくAmazonで注文してしまいました。

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テストステロン(後)

(つづき)

●テストステロンが低くなると早死にする(げ!)・・・内臓脂肪を増やしメタボを誘発し、動脈硬化を進め、糖尿病、高血圧、脳心血管病になるだけでなく、がんやうつ病までもかかりやすくなる。
●口が乾きやすい人(ドライマウス)はテストステロンが低く、排尿障害も多い(あ、ここ1年くらい急に口が乾きやすく感じてきたのは、このせいか!)
●老化プログラムであるテロミアの短縮を引き起こす酸化ストレス[活性酸素]の増加にテストステロンの低下が関与=テストステロンはテロミア修復の酵素であるテロメレース活性を亢進させる。だから、『朝立ち(勃起)』しなくなると活性酸素が多いことになる(あ、なるほど)。EDは男性の健康のバロメーターであり、例えばバイアグラを少量飲み続けておくと酸化ストレスが減少することもわかっている(!)。

身に覚えのあることばかりが並べられてしっかり凹ませられた以上、ではどうしたらテストステロン=男の健康は取り戻せるのよ? バイアグラしかないの?ということになりますね、やっぱり。

生活習慣を改善させてメタボを脱したら回復する、って先生はいうけど・・・絶対それだけではないと思う。堀江先生が書き並べたテストステロンを高める方法を列挙。
・カロリー制限(肉を食べる人と徹底して野菜だけ食べる人を比べると、野菜だけの方がテストステロンが多いらしい)と有酸素運動で長寿遺伝子(サーチュイン)のスイッチが入るのは自明。テストステロンはこのサーチュイン活性を高める。
・硫黄の温泉(硫化水素にバイアグラ同じ作用がある)~子宝の湯、ですね。
・運動~ただし、運動はやりすぎるとテストステロンが減る。種類は何でもいいがマラソンなどで著しく低下する。月に200kmを超えると危険。一日1万歩でも月に100kmになるので、やりすぎには要注意!
・睡眠
・赤色~赤はテストステロンを分泌させるきっかけになる。サッカーのユニは赤が良い。誰だ、青を選んだヤツは(泣)
・亜鉛
・高たんぱく質ダイエットとニンニク(ニンニクだけ食べてもダメ)
・行動変容~ワクワクすること、仲間と楽しい競争すること、他者に「与える」行為(家族にバーベキューで肉を焼いてあげる、仕事で部下に仕事を与えてあげる、寄付をするなど)

もう、お腹いっぱい。

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テストステロン(前)

予防医学の概念の中にアンチエイジングががっつり市民権を得てきました。若さを保つためのキーワードとして数年前に『Successful Aging(健全なる加齢)』という単語を知りました。今回参加した第18回抗加齢歯科医学研究会の堀江重郎先生(順天堂大学泌尿器外科)のレクチャーを聞きながら、どうも次のキーワードは『テストステロン』なのではないかと感じました。

テストステロンは男性に多く、男性らしさを引き出すホルモンなので『男性ホルモン』と呼ばれていますが、女性でも作られます。実は、女性に男性ホルモンを投与すると社会貢献の行為をする人が有意に増えるのだそうです。講義のメモを写しますと、
●テストステロンの働き〜骨、筋肉、血液、性機能だけでなく、血管、脂質代謝、認知機能にも関与。テストステロンは神経突起を増やすのでこれが減ると認知症になりやすくなる。
●テストステロンは冒険(新しいことへのチャレンジ)、社会性(縄張り意識)、競争(順位や達成感)に関与するが、社会の中の自分を意識させるホルモンなので、これが高くなるとボランティアや寄付をしたり、公平・公正の気持ちが強くなってインチキやうそつきを嫌うようになる。
●薬指が長いとテストステロン優位/顔が長いとテストステロンが高値
●テストステロンが下がると、意欲が低下し、集中力に欠ける/チャレンジできない/人間関係が億劫になる/眠りが浅いなどの症状が現れ、認知機能低下/動脈硬化が進み体脂肪が増える/筋力が低下し、骨粗鬆症になる/排尿機能と男性機能の低下を来す。

さてさて、この辺りから身につまされる感じがして、徐々に話を聞くのが辛くなってき始めました。いわゆる『男性更年期』症状ですが、女性の更年期が閉経前後5年くらいに限定されるのに比べて、男性更年期はいつまで続くかわからない。つまり『更年(新しく生まれ変わる)期』ではないから『LOH(late onset hypogonadism)症候群』と呼ぶべきだと堀江先生はおっしゃっていました。日本人男性のテストステロンがどんどん低下し、女性のテストステロンがむしろ増加している昨今、もともと中高年男性のハツラツ度が女性より低いのに、さらにそれに拍車がかかっていく感じ・・・。

そして、さらに話は続きました。(つづく)

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日本人は寄付をしない?

もうひとつ、寄付をすることによる幸福感についての研究成果を教えていただいたのが鈴木智子氏です。この話、その本筋と少し違うのかもしれないけれど、日本人の特性がわかってちょっと面白かったです。

『アメリカ人は日常的に寄付をするが、日本人は大惨事の後に寄付をする』

欧米人は、寄付をすることで幸福感を得、その幸福感によってさらに寄付をしようとする。これを『ポジティブ・ループ』と云うそうですが、これに対して日本人は、寄付をすることによる幸福感はないわけではないが、幸福感を感じているヒトはあまり寄付はしない。寄付で得られる幸福感にしても、女性は寄付した直後に幸福感を感じるが、男性は後になって『寄付したことを思い出す』ことで幸福感を得るのだそうです。

この欧米人と日本人の違いは、必ずしもことの善し悪しではありません。日本人はケチだ!というのではなく、元々の文化の特質の違い。欧米人はポジティブであればあるほど善しと考えるのに対して、日本を始めとするアジア人はポジティブな感情とネガティブな感情のバランスを重んじるので、あまり出過ぎたことを善しとはしない、という。この辺の感じ、なんか分かる気がします。「オレは寄付をしてやったぞ」ということを大ぴらに口にするのは恥ずかしいし、なんかその行為が相手を蔑んで(自分が上から目線で)いるように思われるのではないかと懸念する。自分が幸せだと不幸せの人に申し訳ない気がするから、カゲでこっそり援助したり助け合ったりする・・・「良いことしているのに自慢して何が悪い?」という感覚が当たり前の文化のヒトには到底理解できない『奥ゆかしさ』の文化。もどかしいけど、ぼくは好きです。

Eudaimonicとhedonicについてメモも書き留めておきたかったけど、長くなるのでやめておきます。

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意欲低下の原因

日本ポジティブサイコロジー医学会学術集会の話題の中で、他に紹介しておきたいと思ってメモったのは、放医研の南本敬史先生の『意欲の神経機構』と、京都大学の鈴木智子氏の『寄付と幸福感』という演題です。

まず、南本先生のサルを使った脳科学研究の結果は、想定の範囲内のものではありましたが、頭の中をクリアにするのに役立ちました。

生き物の意欲低下の原因には『報酬依存性』と『報酬非依存性』がある。前者は意欲の誘因(報酬)と動因(満足度)によって決まるもの、つまり報酬量が多いと頑張るが、もう十分だと思えばやりたくなくなるというものです。それに対して後者はそんな理屈抜きにただヤル気がなくなる、つまり「うつ状態」のようなものです。

で、前者はドーパミンという神経伝達物質が報酬の情報処理をすることに関与しています。報酬依存性の意欲低下は「難しいし苦労するからしたくない」という状態なので、乗り越えるためには、自分にもっとご褒美を与えるとか、もっと簡単な仕事からやってみて「自分はやればできる」という達成感を得るとかいうやり方が有効だろう、と南本先生は提案されていました。

一方、後者はうつ病状態と同じで、これに関与するのがセロトニンという情動の情報処理を行う神経伝達物質です。何がどうというわけではないけれど、全体的にヤル気が出てこないというもので、この場合の対処法は・・・とにかく何もやらないこと。気分転換するとか日光浴してぼ~っとする、とか。

この違い、講演を聞いている限りはクリアカットで分かりやすいのですが、さてさて、実生活において、当事者に区別がつけられるものなのかしら?

 

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『宴会効果』

先月末に行われた第4回日本ポジティブサイコロジー医学会学術集会に参加してきました。予防医療の究極はアンチエイジングであり、病気にならないことが人生の目標ではなく、人生をポジティブに生きる『ゴキゲン』である、という思い・・・そんな初めて参加した学会でたくさんの感動をいただきましたので、少しだけご紹介します。

国立がんセンターの津金昌一郎先生のお話(『心理社会的要因と健康長寿』)では、多目的コホート研究からいろいろな要因と病気の発症リスクの関係を解説されました。その中で、わたしがショックを受けて走り書きのメモに三重丸を付けてしまったのは、『宴会効果』。

●『タイプA行動パターン』・・・これは心筋梗塞になりやすいパターンとして有名です。怒りやすくてせっかちで攻撃的で大声でいつも何かをやっているタイプ~若いころのわたしは典型的なこのパターンでしたが、今回改めて自己採点してみたらタイプB(タイプAの反対のタイプ)に変わっていました。その変化に喜んでいたら、どうも日本人のタイプA行動パターンにはあまり心筋梗塞になりやすい傾向はないらしい。それどころか、むしろタイプBの方が心筋梗塞になりやすいという。 タイプAは周りを気にすることなくいつも友人や仲間と楽しんで生きているけれど、タイプBは独りでうちにこもって鬱々とストレスを溜めるヒトが多い、というのが日本人の特徴だというのです。
●『社会的な支え』・・・これは自殺や脳卒中、大腸がんリスクに関与しますが、これと飲酒との関連が面白い。飲酒自体は飲み過ぎると脳卒中リスクを上昇させるが、社会的な支えがある人は酒をたくさん飲んでもリスク上昇がないのですって。

つまり日本人は、たとえば一週間の酒量が同じだとしたら、独りで家で毎晩チビチビ飲むのが好きなヒトより週1、2回仲間とワイワイ楽しい酒を飲むヒトの方が生活習慣病リスクが低くなる、ということ。これが『宴会効果』なわけです。はい、わたしのパターンは明らかに前者です(泣)

ちなみに、こういう研究で行うアンケート調査において”アンケートに回答しないヒト”は、自殺リスクが有意に高いのだそうです。

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アラカン・サイザップ計画

1年前に引き続いて、今年も職場の健康管理室が提供する生活習慣病改善プログラムに参加させてもらっています。ちょうど腹辺りが緩くなってきたところだったから手をあげましたが、考えてみれば1年前にあれだけ完璧にやせて『人生最後のダイエット』を気取っていたのに、何ということもなくズルズル戻っていったわたしのカラダ、今回も一時的な気の迷いで終わるのではないか、という懸念がないわけではありません。   

特に今回は、前回のような貧相なやせ方をしないように『筋肉作り』をメインテーマにしているだけに、三ヶ月間ストイックに頑張ってその目論見が成功しようがしまいが、そのまま続けない限りリバウンドするのは必至。それじゃあダメ(やるだけ無駄)だろうと思ったのだけれど、でも、たとえ一時的であっても、しないよりはした方がよかろうよ、と思い直したわけでございます。「続けられそうにない(いつまでも続ける気がない)から最初からしない」というのは、ただの云い訳に過ぎませんから。

まあこれもまた、自分のカラダを使った人体実験だということで、3ヶ月後のわたしの身体つきよりも1年後のわたしがどうなっているか、そこのところに目を向けて、今回の実験を粛々と進めていこうと考えております。昨日、健康運動指導士さんから、体幹を鍛える5メニューを伝授してもらいました。がんばります。

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言い訳の連鎖

まだ50歳になったばかりのご住職。若いころとは違ってやはりお腹が出てきました。毎年、ドックに来るたびに膨らんできます。本人には生活改善の意識はしっかりあるのですが、なかなか実行できずにすぐに一年が過ぎてしまいます。ごくごく普通の妙齢男性の自然経過ですが、ただ、彼のネックは住職という仕事にあります。

檀家さんからのいただき物に精進料理はない(むしろ高カロリーのお菓子か甘い食べ物ばかり)し、ほんの少ししか持ってこないということもない。檀家さんからのいただき物なのだから捨てることもできないし、誰かにあげるのも失礼である。と、言い訳することができる中で、ではどうしたらいいのか? 『自分はドクターストップがかかっているようなひどい糖尿病だから持ってこないでくれ』と云えば檀家さんの一部はやめるかもしれないけれど、『だったら奥さんに』とか云ってどうせ持ってくるし、何よりも、本人が甘いものに目がないのだからそもそもそんなことを口にするはずがない。最終的には、(文字通り"釈迦に説法"ではありますが)日々の煩悩と戦って悟りを開くしかないのでありましょう。まさしく彼は今世でこの修行をするために生を受けて来たのかもしれません。でも、『我慢する人生』は必ずしも釈迦の本分ではないはずなのです。 どうしたものでしょうか? 合掌。

『毎日、夕方がヒマなのに何で運動しないのかしら? 』と保健師さんが冷たく呟いていました。『人間に運動欲は存在しないのだから、しなくていいことは絶対しないのだから、よほどのモチベーションがないと習慣は出来上がりますまい』とわたし。そんな会話を知ってか知らずか、本人が『最低10000歩以上は必要ですよね、やります!』と運動宣言して帰られましたので、来年は変わっているかもしれません。話を聞く限り、食べ物への言い訳は解決させる気はないようですが・・・乞うご期待。

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