ナビの俯瞰図
わたしの愛車に初めてナビが付いたときの感動については以前ここに書きましたが、毎日同じ道を通勤しながら同じナビの画面に毎回出てくる池や小学校や神社が、何故だかいまだに時々気になります。それは運転中には絶対に見えません。木立や民家などに隠れているからです。その気配すら感じることはないのに、そこには昔から変わることなく存在する日常がある。そこにそれがあることによってその街は成り立っているし、自分には関係ないようで実は関係しているかもしれないと思うと、何か不思議な気持ちになります。
日常生活で気付かなかったもの・・・日常生活の中にも、誰かの行動のどこかに、自分は気づかないけれどずっとやってくれている何かがあるに違いありません。そしてその行為によってわたしはわたしの日常を日常として続けることができている。池や学校はナビの地図やドローンによる航空写真などでその存在を教えてもらえるけれど、日常の誰かの人知れぬ行動は直接見て確認することはできません。
だからこそ、常に社会の一人一人の存在に感謝の気持ちを持って生きていきたいと思うようになった今日この頃でございます。合掌。
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