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2016年1月

他者思考と自分思考

臨床心理士 玉川真里さんの著書『もう、「あの人」のことで悩むのはやめる』(サンマーク出版)を読みました。最近、目に入る面白そうなハウツー本をAmazonで買い漁るのですが、いまひとつ読み進める気になれないのは、先が想像できたりもう知っている内容であることに読み始めるとすぐに気づくから、あるいはその自信ありげな断定文が鼻に付くからなのですが、まあ久しぶりに読み進めてみようかなと思う文面だったわけです。早く読んで他のスタッフに回してあげようかな、みたいな。

『他者思考』〜「悩みというのは、『特定の他者』からの評価や基準があるから生じるもの」「深い悩みになればなるほど、そこには頭を悩ます『特定の他者』がいる」「『他者の基準に縛られた自分』を『消す』ことは、だれにでもできます」〜これが『自分思考』。『他者思考』から『自分思考』への転換に、『あきらめ体験』のすすめ。

ここに受け売りの内容をサマライズして書く気は毛頭ございません。なぜなら、読み始めて2時間後には読み終わったので、そのまま知人に貸してしまったからです。おもしろかったです。最後に書かれた『自己肯定感を高める7つの習慣』を確認したら、「オレはできているものばかりだったなあ」なんて、ほくそ笑んでみたりして。

「オレはきっとその考え方は違うと思うぞ」「え、それどうしたらいいの?」など、良い方でも悪い方でもいいので興味が湧いた方は、ぜひ買って読んでみてください。

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ワード

ブログの文章を考えているとき、ふっと単語に詰まることがあります。サラサラっと湧き出るように頭に浮かぶ文章をさらさらっとしたためているとき、ここにキチッとはまるべき単語が浮かばない。ジグソーパズルの最後のワンピースがはまらないときのようなもどかしさ。これじゃないなと思いながらとりあえず代用品をはめ込んでその場を終わる。違うときにあらためて考えたら簡単に浮かぶことは良くあることだから。

翌日、iPadを開けて昨日書きかけた文章を読み返す。いい感じにできあがろうとしている文章。「やっぱりオレは文章が上手いな」・・・できるだけ自分で自分をおだて上げてみる。で、昨日と同じところで引っかかる。『やっぱ違う。これじゃない・・・ほら、こういうときに普通に使うカッコいい単語があるじゃない。ほら、あれ!』とひとりでもがく。もがくのだが、タイムリミットのある文章なので、焦れば焦るほど出てこない。「普通に使うあれだよ、あれ! いつも自分で使っていたじゃない?」・・・結局出てこなくて、不本意な単語を使った不本意な文章のままアップすることになる。

最近、急激にこのパターンが増えてきました。悔しいけれど現実ではある。むかしはアップした後に読み返していて思いつくこともあったけれど、今は絶対出てきません。もしかして、そんな単語、前から使ったことなんかなかったんじゃあるまいな。

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量と満足

『量が多くないと満足できない』というこの戯言(たわごと)をなんとかできないものでしょうか。いつの間にか蔓延ってしまってほとんど日本人の常識であるかのようなセリフですが、戯言も戯言。何も食わなくても何も困らないタフなカラダの持ち主ほど「食わんと生きていけない」とかほざく。

石ころを口の中に投げ込むようにして胃袋をパンパンにするのが『満腹』で、そこに達する前に止めるのは『我慢』で、だから食べられる量が多ければ多いほど満足感を増すのは当たり前だろ!というのは、単なる錯覚。コトバの使い方も間違っている。某宗教に洗脳されてしまって、外からのまっとうな人間の忠告など聞く耳持たないヒトたちと同じ。

なんでこうなったのだろう?と考えてみる。戦後までの飢餓の歴史によって『食べられること』が幸せ、たくさん食べられるヒトが成功、食べられないと恥、と考えられた時代。その後、バブルの飽食時代を経てダイエットの概念が始まる。我慢することが美徳であり、食事制限は苦しむことであると誰もが信じてしまったのが、最大の失態。

大好きなものだけをしっかりとしみじみと食い倒す喜びは、ムダに多くちゃ味わえないんだぜ。

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プロブレムリスト

わたしたちの施設では、常連の受診者の方(会員)に対して前もって医師と保健師などが揃って健診データの分析をして、情報共有(保健相談時に云い方が食い違わないように)することになっています。コンピュータ上のデータ入力画面にプロブレムとして羅列するように作られているのですが、保健師さんが前もって書き込んでいるプロブレムリストを眺めながら、何かちょっと気に入りません。

そこには、問題点ばかりが書かれているのです。悪いところばかり探してケチをつけている感じ。いや、プロブレムリストなのだから問題点を書くのが当たり前でしょ?と云うのは分かります。実際、病院のカルテに書くプロブレムリストには問題点とその解決に向けてのプランが事細かに書かれています。それに準じて健診や人間ドックのプロブレムリストができたのでしょう。

病院には調子が悪かったり病気になったりしたヒトがそれを検査したり治したりするために来るのだからそれでいいでしょうけれど、健診や人間ドックは自分が健康であることを確認してこれからどんな生活をするのがいいかアドバイスを受ける場なのだから、病院と同じ考え方ではいかんやろ!と思うのです。問題点ばかり無理やり見つけ出して修正を促す、異常がないと「することがない」とボヤくのでは、完全に『負の管理』です。『前向きの予防』には全然そぐわない動きだと思います。「良くて当たり前、悪いことは粛々と修正すべし」という、まるで日本帝国の武士道みたいな空気感ではなく、がんばって良くなったことはプロブレムリストの一番前に並べて皆で讃える姿勢こそが、予防医療のあるべき姿なのではありますまいか。

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まめ太郎に翻弄される。

未曾有の大寒波に襲われた週末。予定していたゴルフも少林拳も断念してしまったけれど、代わりにお散歩三昧で、朝晩二回もフルコースを歩いて回りました。いつもの休みなら、何か食べるものはないかと物色し回るのだけれど、今回はお腹も空かないので大したモノも食べず。夜は野菜蒸しのみ。超健全な週末を経て、昨日は正直期待していました。腕時計はマジでくるくる回るし、鏡に映るお腹は明らかに薄いし、「先週末より1キロも体重が減っていたらどうしよう」とかほくそ笑みながら、ワクワクして体組成計に載ったのに・・・全然減ってないどころか、週末より増えてるし。

ガーン! なんじゃこら!とかショックを受けながら、周りに誰もいないのに「まあ想定の範囲内ではあるな」とか独り言。そして『動揺してませんよ』顔。今回は体重変化には右往左往しないことを宣言したんだから、この程度のこと気にしてもしょうがないぞと自分に云って聞かせる。なのに・・・どうして目の前の体組成計に媚びを売るのだ? その子分である『まめ太郎(今回のわたしの担当になったライフコーダーにわたしがつけた名前)』にまんまと翻弄されるのおかしかろう。どうってことないさと思いながら一方で「なんでなんで? そうか、いつもは焼酎なのについ日本酒を飲んだからかな」「いやいや、明日になれば一気に減るさ」とか言い訳してしまう。

まめ太郎を持っているとなぜかがんばってしまう自分。かわいい(笑)

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セカンドミール効果

スローカロリーの考え方がいつの間にか常識として確立してしまったので、せっかくスローカロリー研究会に入ったけれど個人的には情報が新鮮でなくなって、最近あまりホームページを見なかったわたし。何となく魔が差して久しぶりに見てみました。

ラーメンもカレーも…同じものを食べても太りにくい食べ方!食べる量を減らせる!

「スローカロリーとは、血糖値が急激に上がらず、ゆっくりエネルギーになる食べ方のことをいいます」・・・はいはい、存じております。同じものを食べるとしても血糖値を急上昇させない食べ方をすればいいだけのことだから、そんなことを考えなくても無意識にできる習慣になることを祈ります。わたしもだいぶできるようになりました。良いこと書いてあるので、『スローカロリー』をご存じない方はどうぞお読みください。

ここにある「セカンドミール効果」というのは初めて聞きました。メモメモ(笑)・・・GI値提唱のジェンキンス博士が発表した概念らしい。最初にとる食事(ファーストミール)が、次にとった食事(セカンドミール)の後の血糖値にも影響をおよぼすことを、「セカンドミール効果」というらしい。朝一の食事の摂り方次第で満腹感が継続できるのだという。これの目的で朝めしを選ぶのは本末転倒だと思うけど、考えなくても習慣になってしまえば云うことはありますまい。もっとも、わたしは朝めし自体を食いませんけど。

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アトピーへの心得

アトピー性皮膚炎は食事で改善できるか?

ヘルシーパス社から配信されてきた今回の記事を見ながら、そういえば最近健診受診者の若い方に全身アトピーの皮膚で荒れている人を多く見るようになったなあと感じます。『アトピー』・・・原因不明の免疫反応で皮膚の構造が乱れてしまって痒かったり痛かったりして全身に広がっていきます。免疫反応の暴走なので、日常生活にあふれる化学物質の影響やオゾン層の破壊による紫外線などの有害光線の影響を指摘されますが、なかなか治癒させることができずに悩まされます。今は空気の乾燥が引き金になって悪化する季節です。

そんなアトピー性皮膚炎を食事で改善させる方法についてレクチャーされています。食物アレルギーの原因食品を除くと改善するとか、トランス脂肪酸を摂取しないとか、あるいはビフィズス菌・魚油・セラミド摂取で改善を促すとか、そういう成果が書かれていますので悩まれている方は参考にされてください。

ただ、アトピーだけでなくアレルギー性の疾患で悩まれている方やそれの治療をしようとする方が陥りやすいのは、何とかその方法だけで解決させようと粘りすぎることだと思います。「クスリはカラダに毒だから使いたくない。そんなものを使わなくても自然の力やサプリの力で治せるから」とどんどん酷くなっても頑なにそのやり方に囚われてしまう方々・・・うまくいかないときは医療の手助けも併用した方が効果が強くて結果として苦しむ時間が短くて済むことはそう少なくはないと云う気がします。もう少し広い視野で構えてみてはいかがでしょうか。

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早寝効果?

昨年12月から取り組んでいる生活習慣病改善プログラムの行動目標の今回の目玉は『早く床につく』です。運動や食事の取り組みは大したことではありませんが、宵っ張り生活をしてきたわたしにとって『2時間早く床につく』というのはそれなりに大変です。夜中0時から風呂を沸かし始めて、床につくのは1時2時。朝6時に起床して7時に出勤・・・結婚してからずっとそんな生活だったので特に苦になっていませんでした。でも最近は生活習慣病がすべて”睡眠”で語られる時代です。『短時間睡眠でも大丈夫』は間違いだということがわかり、「睡眠をきちんと整備するだけで多くの生活習慣病は改善する」とまで断言されたら、試さないわけにはいかないでしょう。

でも、2時間早く就寝するためには、ちんたらテレビを見たりネットをだらだら泳いでいる時間はありません。仕事なんか持って帰ってもまとまって取り組む時間はありません。勇気を持ってすべて断捨離。夕方の散歩と夕食を済ませたら残された時間は限られるから自ずと晩酌の酒量も減って、うたた寝なんかするのももったいない。

昼間に突然襲ってくる睡魔がウソのようになくなりましたがそれ以外に大した変化も自覚できず、まあこんなもんかなと総括しかけていました。ところが、始めて2ヶ月めになって、夜中のションベン回数が一回に減ってきたことに気づきました。これだけ寒くなってきたのに。最初はたまたまだと思ってましたが、どうも違うみたい。これこそ早寝効果なのかもしれません。

「ムリです。わたしは仕事が遅くまであるから」「我が家はみんなの帰りがバラバラで夕ご飯が遅いから」「仕事のストレスを発散させるために毎晩飲むんだから、それは譲れない」・・・みなさんの言い訳はもう聞き飽きました。『まず就寝ありき』と割り切れば何だってできます。やっただけの価値はあります。ぜひ、いつもよりなんとか1時間早く寝る努力を! どんな生活療法の取り組みよりも、わたしはこれをお勧めします。

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問診票

先日、ある保健師さんが相談に来ました。新しいメニューを始めるにあたって問診内容の刷新をしたいとのことで。それを確認しながら改めて思ったことは、その問診で何を知りたいのか、そのデータを具体的にどう活用したいのか、それが曖昧だと無駄な労力の浪費になりかねないということ。保健師さんたちには明らかに温度差があり、スキルの差も歴然です。相手が話すことを何も考えずに記録したり聞き流したりする人がいる限り、問診としての意味をなさないのです。

むかし、循環器内科で働いていたころの入院カルテの初診時問診欄は数ページに及んでいました。症状の1つ1つについてこと細かく聴き出さないと出来上がらないものでした。こんなことまでホントに聞かなきゃならないの?とグチりたくなるほど面倒くさい内容でした。あれはあれで効率が悪く、入院患者だからできたことだとは思いますが、わたしたちはあれを経験したおかげで、狭心症や心筋梗塞について聞き取るべき最低限のポイントを体得することができました。あれを経験した医師や看護師は、他の施設の何もチェック項目が書かれていないカルテを前にしても、完璧なる問診が取れるようになっているはずです。

今回作ろうとしている問診票で、みなさんが最低限何を洗い出し、何について同じ基準の聞き出しをしようと思っているのか、できるだけ具体的に話し合って欲しいと思いました。普通、こういうことの開発をするときに担当になる人はその分野に明るくてよく理解している人です。そういう人は、とかくみんなが自分と同じレベルのことを考えていて当然だと錯覚しています。よくわからなかったら、とりあえず聞き流す人って世の中にはたくさんいます。自分の常識の大部分は他人には通用しないと心得て行動していただきたいと思います。

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慌てふためく

先日、突然一晩で体重が500g減って、あれあれ?と思ったら翌日にさらに500g減ってしまったことがありました。その2日目の昼くらいから生あくびが出たり歩いていると何となく胸騒ぎと寒気がしたり、どこかいつもと違う自分を自覚しました。特に食べる量を減らしたわけでもなければ食べないままに運動をしたわけでもありませんので、「大丈夫だと思う」と自分に云い聞かせて過ごしましたが、さすがに夜の散歩は大事をとって日頃の3分の2程度で帰りました。特に空腹感を感じたわけではありませんが、帰って夕食を取り始めたら生あくびも止まり胸騒ぎも寒気も消えましたから、まあいわゆるこれが『低血糖症状』というものなのかな、と合点した次第です。

おそらく本当の低血糖ではなく(実際、昼食をとった後から徐々に始まった症状ですから)急激に体重が減ったことに対する自分のカラダの防衛反応なのだろうなと感じています。原因がなんであれ、今重要なことは突然1キロも体重が減ったことであり、何とか早く元に戻したい。だから体調の不具合を起こして異常を知らしめしてやろうか、と。体重は結局減ったままで推移していますが、慣れてきたようでその後はあの時のような症状は出なくなりました。

糖尿病体質のみなさんが夕方に突然苛まれるワナワナ感や気分不良の苦しみ、あるいは何かが起きそうな不安な体調というのは、こういうものの延長なのだろうなと実体験して感じたところです。

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前向きの予防

わたしは、予防には『後ろ向きの予防』と『前向きの予防』があると考えています。『後ろ向きの予防』というのは、『病気にならないようにしよう』『老化しないようにがんばろう』というもの。それに対して『前向きの予防』は人生において病気の有無などにとらわれず健康的に年を取って満足のできる人生を全うすること、と定義しました。『前向きの予防』こそが予防医学の究極であり、時代は徐々にそちらに向かっている気がしています。人生に病気が存在することを前提に、それに勝つかどうかを人生の評価基準にしようとするのは本末転倒も甚だしいと思うようになったわたしです。病気が絡まなければ医療ではないと云われてしまえば元も子もないけれど、病気の存在は人生を考える上で必要不可欠なものではありません。

最近、人間ドック学会の山門實先生や渡辺清明先生が『先制医療』という単語をよく使われます。予防医学を普及啓発するために創り出した言葉だと想像します。病気の発症予防(つまり一次予防)をするのが『先制医療』で、発病した病気が重症化するのを予防する(二次予防)薬物医療と対比させているわけです。うちの施設のトップたちもこぞって「これからの予防医療は『先制医療だ』!」「これからは自分の体質を知って病気になる前から自分にあった生き方をするように働きかける時代だ!」と色めき立っていますが、先制医療というのも結局は『後ろ向きの予防』。10年遅れているわ!とこっそり突っ込むわたしがいます。

病気の治療を受けていても、そのおかげで楽しく生き甲斐のある充実した日々を送っているヒトたち。人生最後の日に、『みんな、ありがとう。楽しかった!』と総括できる人生を送れた時、『前向きの予防』は完成するのだと考えています。

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職業と病気

Care Netでまとめられた職業と病気の関連記事から。

食道がんリスクが高い職業

ウエーター、調理人、食品業従事者、船員、工事業者、ドライバーで食道がんが多いそうですが、それはなぜでしょう? 食事がらみ、喫煙がらみ、酒がらみという気がしないでもないですけど、ウエーターって何なんでしょう?看護師や深夜勤務者などにがん発生や生活習慣病が増加するとか、炭坑夫や放射線業務に携わる医師にがんが多いとかいうのは知っていましたが、食道がんに特化して職業の関連を検討したのはなぜでしょうね。「食道がんのリスクが低かったのは、技術者、医師、教師、宗教家、造園業者」・・・分かるようで分からないのが造園業者かな。何に注意したら良いのかを教えてあげないと単なる職業差別になってしまう気がしますが。

航空機乗務員のメラノーマリスクは約2倍

もうひとつ気になったのはこれ。メラノーマとは皮膚や粘膜にできたメラニン色素の瘤です。高いところで働くから宇宙線や紫外線の曝露が多いのだろうことは推測できますが、リスクが2倍にまで達するとなるとこれは職業病で切り捨てるには乱暴すぎる気もします。より高いところで長時間働く国際線パイロットやスチュワーデスさんの方が国内線勤務よりリスクが上がるのでしょうか。ということは、世界を股にかけてグローバルに飛び回っているビジネスマンや活動家の方々は、有害光線から身を守る手立てを自分で考えなければならない、と忠告すべきなのでしょうか?

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思い出す作業

出身中学のメーリングリストがfacebookに替わって以降、それまでほとんど会話の機会のなかった同級生たちのアップを眺めることが多くなりました。コメントの応酬が始まると、最後は決まって中学時代の思い出話。どこどこの角を曲がると○○屋があって、あの店でむかし誰々が何をしたとか、誰くんの家に集まっていつも遊んでいたら誰々がこんなことを云ったとか、さらにそのまま小学生時代にまで遡ることも。よくもまあ、あんなむかしの細かいことまで覚えているものだなあと感心しきり。

こういうことに「くだらない」「バカバカしい」と拒絶する人も居ますし、もともと学生時代の付き合いを一切したがらない人も居ます。でも、こういう思い出話にはしっかり入り込むのが得策だと思っています。みんなが盛り上がっているけれどまったく思い出せない内容だったりするのですが、ここで、「どうせ思い出せない記憶だから」と拒絶せず、わずかな手がかりを元に思い出そうとする行為そのものが大事だと云われています。いわゆる『脳トレ』です。わたしの場合は、全然違うことを思い出してそっちの方がむしろ鮮明に蘇ったりすることもよくあります。ボケ防止のためにどうでもいい計算やゲームをするよりは、こっちの方が得られた記憶の蘇りが楽しいし嬉しい。

このような思い出し行為に長けている連中とてんでダメな連中とがいます(どっちかというとわたしは後者)。でも、突然唐突に何かを思い出そうとし始めるのは、本能のなせるワザかもしれません。脳が劣化しないように、脳を賦活をさせるための何かのシグナルが定期的に流れるのではありますまいか。わたしたちは彼らの脳のお告げに、とりあえず便乗させていただくのがよろしいかと思います。まあ、いくら思い出そうとしても微塵も思い出せずに、かえって凹んでしまうこともありますけれど。

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階段

今年のダイエットトライは意外に苦戦しています。開始から1ヶ月半、まだ2キロ減あたりをうろうろしています。さすがはわたしのカラダ、1年前の不覚の10キロ減がかなりの屈辱だった模様で、ホメオスタシスの原点に立ち返って今年はデンと構えております。なんたらの手褒めではありますが、わたしのカラダは大したモンです。

そんな今年のわたしですが、1つだけ去年と違うことがあります。1日の歩数は昨年とあまり変わりませんが、今年は階段の使用頻度がかなり多くなっています。仕事中に6000歩、自宅の散歩で7000歩が歩数の目安ですが、仕事中に違う階をあちこち徘徊するので自ずと階段の昇降頻度が多くなったのです。『同じように運動していても、歩くのと走るのではまったく違う。高齢になってどんどん衰えがちな筋肉を維持させるのに効果的なのは走ること、そして走るときに使うのと同じ筋肉群が働くのが階段昇降です』と、スロージョギングやニコニコ運動で有名な田中宏暁先生に教えていただいたことを思い出しました。

まさしくその通りだなと、実感するわたし。膝を痛めているので走ることができないわたしにとって、階段昇降は簡単にできるアンチエイジングであり、ロコモ予防です。おかげさまで、ゴルフのラウンドが終わった後に1時間半のワンの散歩をこなしても、ビクともしないカラダになりました。

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老夫婦かい

酢豚を食っていて、突然内頬を噛んでしまった。あまりの痛さにしばらく口を動かすことができなかったわたし。
「脳梗塞じゃないの?」と妻が静かに笑った。

と、次の瞬間、突然むせ始めた妻。
「誤嚥ですか。気をつけてくださいよ」と今度はわたしがそっと云い返す。

そしたら、なんか可笑しくなってきて、二人で声を立てて笑ってしまった。
「老夫婦やなあ」

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COPDを学ぶ(後)

(つづき)

COPDの重要性を認識させてもらいましたから、わたしたちの立場から呼吸器内科受診を勧める機会は明らかに増えてくるでしょう。ただ、該当するヒトの中で本当に”寝耳に水”のヒトは多くなく、確信犯的に受診しないわけです。「どうせ治療しても良くならないから」「どうせ禁煙しろと云われるだけだから」行きたくないと思っている受診者に受診行動を起こさせるのは容易ではありません。結果説明を始める時点から『タバコ』のコトバを意図的にスルーしたり話題を変えたりするヒトは少なくないのです。

たとえ何とか呼吸器内科を受診させることに成功したとしても、二度目以降の通院をするかどうか・・・禁煙を促され禁煙外来を薦められても、その気になっていない喫煙者の禁煙行動はほとんど皆無です・・・クスリの治療で症状が軽くなるわけでもなく、「定期的に受診しましょう」と云われても・・・というところ。結果として、「毎年の健診を受けるから」という逃げ口上になり、健診時に再受診を勧められても、もうずっと受診していない内科に行くには敷居が高すぎる。

他の生活習慣病の管理も同様ですが、人間ドックや健診から内科受診の行動変容を導く重要性よりも、初診の内科外来で次の一歩をどう指導できるか、外来受診の継続も含めた『考え方の変容』を促すことができるかどうかの方がはるかに大変で重要なことなのだと思います。

COPDはメタボやCKD以上に啓蒙啓発が難しい重症疾患・・・それを学びながら、「これだけ原因が明確な病気はないのだから、国が国を挙げてCOPD治療の啓蒙に力を入れるくらいなら、腹をくくってタバコ製造中止に向けて取り組んだ方が早いのじゃないのか」という、誰もが普通に思いつく結論に達します。

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COPDを学ぶ(前)

COPD(慢性閉塞性肺疾患)が日本における死因順位の第9位にあり、今でも年々増加傾向にある現状の中(WHOによると2030年にはCOPDが世界の死因の第3位になると予測されているそうです)、COPDなのに病院を受診していなかったり診断すらされていない患者が大多数で、治療を受けているのは全患者数の5%にも満たないそうです。これは、予防医療の現場から啓蒙活動に取り組まないと追いつきません。だから、先日うちの病院の呼吸器内科のI先生にミニレクチャーをしてもらいました。

・タバコ感受性喫煙者と非感受性喫煙者
・病型には肺気腫病変優位の気腫型と末梢気管支壁が肥厚する非気腫型がある
・非気腫型の方が急性増悪を起こしやすい
・COPDの病態生理:細気管支が潰れて途中から呼気ができなくなる
・COPDの治療目標は機能維持だが、禁煙だけでなく有効な薬剤がある
・受動喫煙による日本の死亡者数が少なくとも年間6800人

などのCOPDの基本的な内容すら知らないことが多かったのですが、COPDの重要なことは、COPDは末梢肺の炎症が全身に漏れ出て病気を引き起こす『全身病』であるということ。特に呼吸不全による死亡は重症になってから起きますが、病期が軽度の時期に心筋梗塞やがんによる死亡が多いのです。わたしのカラダが蝕まれている”冠動脈石灰化”も、COPDの全死亡率と関連している病態だそうです。  

(つづく)

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サーチュインと糖尿病

「今年はがんばってサーチュインを呼び醒ませるようにしたいと思っています」と還暦前後の男性受診者が云いました。自らの口から『サーチュイン』という単語が出てくるところを見ると、かなり健康に対する意識は強い方なのだろうなと思いました。『サーチュイン遺伝子』、別名『長寿遺伝子』とも云われ、しっかりとしたカロリー制限をしたりレスベラトロールを摂取することで活性化することがわかっています。つまり彼は、つい食べ過ぎてしまう食事量を制限して空腹状態を作る努力をしますという宣言をしたわけです。

ただ、彼は糖尿病です。年々進行して、今年のドック時のHbA1cは7を優に超えています。糖尿病としてはまずまずのコントロールだと思いますが、耐糖能異常とか境界型とかいうレベルではないまぎれもない糖尿病です。この場合、普通の人たちと同じようにカロリー制限をしても大丈夫なものなのでしょうか。飢餓を早期に察知してそうさせまいと意思操作をさせるホルモン(インスリン)がそれを許すのでしょうか? てきめんに低血糖症状を起こさせて邪魔をしたりしないのでしょうか? さらに、低エネルギーが異化作用に拍車をかけて代謝系が暴走したりしないのでしょうか。

無知なるわたしにどなたか明確な解説をお願いしたいものであります。

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ガタがきた自分は財産

アラフォーの女性受診者さん。人間ドックは検査項目が多いので、年々小さな異常を見つけ出します。単なる老化現象や女性ホルモンの変化によるものだけでなく、腰椎ヘルニアだとか子宮筋腫だとか、あるいは視力低下だとか、大病を患ったというのではないのだけれど元に戻らない身体のガタが出始めている自分にショックを受けておられました。

わかります、その感覚。何年か前にここでも書きましたが、自分にもそんな『壊れゆく自分への不安』に苛まれた時期がありました。若いころの病気やけがは治れば元に戻るものと思っていましたから、治っても元に戻らないもの、あるいはもう治らないものが出てくるに従って、自分は取り返しのつかないことをしてしまった!という絶望の念、というか挫折の感情。仕事でヘマをしてクビになるとか、犯罪を犯して前科者に成るとか、そういうのと同じような喪失感・・・。

今となれば、どうしてそんなことにそんなに大げさに悩んだのかわかりません。『慣れる』とか『あきらめる』とかとは違います。『この不調も含めて今の自分』・・・そんな今の自分を好きになってほしい。形あるものは必ず壊れるけれど、初めに準備された形が完成形ではありません。いろんな修正や手形や付け足しがあって最後に出来上がった自分が完成品。失っていくものばかりに目が行きますけど、なくなったものを補うために成長したもの(それはカラダだけではなくココロも含めて)、それの方がはるかに価値ある財産なんだと思うようになりました。

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アルツハイマーとテストステロン

ほらほら。予測した通り、わたしを覗き込むようにして”テストステロン”の文字が勝手に寄ってきます。日経ビジネスONLINEから配信されてきた記事です。

男性ホルモンは「認知症」にもパワーを発揮~アルツハイマー病と糖尿病とテストステロンの関係

脳神経細胞の老廃物であるアミロイドβやτタンパクが脳内に溜まっていくことで発症するアルツハイマー病をいかにしたら予防できるのか、その方法が模索されています。厚生労働省の推計では2025年には700万人に達するという認知症患者。65歳以上の高齢者の15%がそれになると書かれているのをながめながら、2025年にはすっかりその世代になってしまうわたしは、それはもう他人事ではありませんのです。

アルツハイマー病と糖尿病に強い相関関係があることを発見した森下竜一先生(大阪大学)のグループの報告は重要です。「血糖を下げるために出てくるインスリンを分解する酵素が脳内のアミロイドβを分解する役割も果たしているのだけれど、インスリンが大量に出る状態(糖尿病や境界型)ではその酵素はインスリン分解に専念するためにアミロイドβの分解まで手が回らなくなる」という説明がとてもわかりやすい。糖尿病の予防である運動と食事と睡眠の注意がそのままアルツハイマー病予防の方法であるということは、もっと伝えて行かなければならないことです。

そして、東京大学の秋下雅弘先生らの研究であるテストステロンと認知症の関係。テストステロン低値の男性にテストステロンを与えると認知力が改善したというもの・・・テストステロンが多いほどアルツハイマー病になりにくい・・・だから、女性の方がアルツハイマー病になりやすい。テストステロンが低いと太りやすくて糖尿病になりやすい・・・もっとテストステロンについて究めなければ。

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臓器は一緒に衰える

80歳になる女性。いつも元気よく畑仕事をしているが、血圧はいつも200mmHgを超えていてハラハラする。こういうヒトにはどのようなアプローチをすれば病院受診行動に繋がるか?・・・ある地域の保健師さんからそんな相談を受けたのは、もう15年以上前のことだったと思います。「その歳になってとても元気なのだから、何もしなくていいんじゃないですか。血管が破綻を来したとしたらそれが寿命でしょうけれど、そう簡単には壊れないと思います」と答えたら、「そんな無責任な。今までなんとか持ちこたえているだけで、いつ何が起きるかわかりません。せっかくお元気なのだから、今のうちになんとかしてあげたいのです」と食い下がられました。

長い歳月をずっと耐え忍んだ血管壁は確かにヒビだらけで、いつ決壊してもおかしくないから、早くクスリを飲ませてその圧力負荷から解放してあげたい。地域の保健師として住民のために親身になって心配されていました。ただ、どうなのだろう。歳とともに衰えているのは血管だけではありません。解毒作用を司る肝臓も腎臓も一緒に歳を取っています。今まで平穏無事に機能していたところに突然、異物というか毒物が飛び込んできたとき、肝臓や腎臓は一気に狂ったりしないだろうか。脳血流の勢いが一気に落ちて脳貧血を起こすかもしれないということ以上に、そのことが心配になりました。

異物が体内に入らないまま人生を全うできるなら、そんな幸せなことはありますまい。

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ほめられた

「あなた、やせたよね」・・・昨夜、妻が突然、しみじみとそんなことを云いました。
「だろー! ボクもここ数日で一気にやせれきたなあって思うのよ。で、嬉しさを押し殺しながら体重計に載ってみたんだけど、100グラムも減ってなくて、凹んじゃったよ」
「それは、筋肉が増えたからじゃないの。今年は家でもよく筋トレ頑張ってるでしょ。筋肉で引き締まったんだと思うよ」

どうした? 何があった? そこまでおだてて何が欲しいの?(笑)「ありがとう、そうね。そのうち体重も減り出すかもね」と答えたものの、この歳になってあの程度の筋トレ(昨年しぼんでしまったダイエットの反省から、今年は健康運動指導士さんの作った体幹トレーニングメニューを週に2回だけ家でこなしています)で、体重に影響を与えるほど筋肉が付いてくるとは思えません。ご主人様の突然のご乱心で何度も10キロ単位の体重減少の屈辱を味わってきたわたしのカラダは、そう簡単に体重に反映させたりしないはず。そんなことはよくわかっていますが、それでも体感と現実にギャップがあって、期待したほどの効果が出てこないと、ココロは明らかにめげます。「今回は体重減少は目標じゃないから」と云いながらも、そんなわたしでも今回はちとココロが折れ気味です。

そんなときだから、妻からのこんなほめられ方は、思った以上に自分のココロにもカラダにも心地良く響いてくれました。「そんなことねえよ」とはにかみながらも「そう?ありがとう」と口にして答えると、効果はさらに上がる気がしました。わたしも人間ドック受診者のみなさんを気持ちよくその気にさせる『ほめ上手』になれるようにがんばりたいと思います。

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モチベーションの作り方

「ちょっとやせたいな、とは思っているのですけどね」とその若い受診者の男性は云いました。微妙に基準から外れた数値があちこち目立ち始めてきた人間ドックの結果を説明していたときでした。ドックの結果を改善させるために、あるいは生活習慣病を予防するために、という大義名分で生活を見直すにはちょっと若すぎるし異常が軽すぎるのでモチベーションが上がらないだろうなと感じていたので、その気持ちは大事にして欲しいと思いました。「出てきた腹を引っ込めてモテたい」とか「あと2号小さなスカートがはける身体に戻りたい」とか、そういう動機の方がやる気スイッチが入りやすいし、「病気になりたくないから」みたいな後ろ向きの動機でないことも重要です。

ただ、人間、すぐあきらめるんですよね。ちょっと頑張ってみたけど、想像していたほど簡単ではなかったとなると、「やっぱり、この歳になるとしょうがないよね」「やっぱり夢は夢。もっと現実を見ないとね」とか云って、自分を納得させようとするようになります。あきらめてしまったイジケたココロを説き伏せるのはなかなか難儀。「どうせ」「いろいろやったけどダメだもん」となって、おそらくホントに治療としてのダイエットを必要とするような病態にならないと難しい(そんな状態になっても動かないかもしれない)。

あるいは、やり始めたら妙にうまくいった。周りも「さすが」「すごいね」ともてはやしてくれるし、「やればできるじゃない、わたし」とか自褒めしてみるのだけれど、恒常性を発揮し始めたカラダは容赦なくリバウンド攻勢をかけ始めて、結局負けてしまう。「わたしはちゃんとやせられたのよ」という言い訳から始まって、「結局こうなるのよ」「やってもムダよね」となるまで、そう時間はかかりません。

おそろしや、おそろしや。こんなときにすぐに発揮できて一生効果のある呪文かなんかを、だれかこっそり教えてくださいませませ。

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自信喪失?

一応、まだ循環器内科医のつもりのわたし。毎日約150人の安静時心電図と約25人の運動負荷心電図とを判読するのがわたしのルーチンワークです。それに何の疑問も感じずに日々仕事をこなしていますが、健診の世界に移ってきてもうすぐ15年、最近ちょっと変わってきた自分に気づいてしまいました。

安静時心電図は、ミネソタコードや独自の判定基準に従った自動判読所見が表示されます。施設によっては医師の判読ではなく、この自動判定所見を結果表にそのまま印字するところもあるようですが、わたしは、その所見など無視していつも勝手に診断していました。機械が機械的に読む所見は、波形を見て形として判断するのではなく、決められた数値の組み合わせのロジックに従って答を出すものなので、時々とんでもない読み間違いをすることがあって信用できないのです。人が相手の顔を見て過去の記憶から「○○さんだ」と判断するのに対して、「この眉毛の配置と口の大きさ、輪郭に対する鼻の比率から割り出すと、この組み合わせの顔は○○さんの可能性が高い」と判断するのと同じだと考えたらいいでしょう。

そこには長年循環器救急で培ってきた経験値というプライドもありました。でも、あれだけ無視してきた自動判定を最近はわざわざ確認することが多くなった自分がいます。ちょっとしたことを見落としたり、二重判読すると他の先生と食い違ったりすることが出てきたからです。数値による診断名(1度ブロックとか徐脈とか軸偏位とか)はいちいち計測して考えなくても機械が瞬時に答を出してくれるからカンニングした方が楽だったりします。絶対正常だと思っても一応確認してみたり・・・明らかに自信がなくなっています。偉そうに自分の目を信じて自分の考えを主張する心意気というものが失せているようです。ちょっと寂しい気もしますが、それでいいのだ!とも思います。

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栄養バランス

食事にはバランスが必要だ、栄養素のバランスを考えましょう。必要なビタミンやミネラルは、足りなければサプリを飲んででも補いましょう。現代社会は栄養バランスが壊れがちになるので注意しましょう。

と栄養士さんからも保健師さんからも云われます。研修会などでも時々レクチャーを受けます。でも、わたしはモノを食べるときに栄養バランスがどうのこうのと考えながらメニューを選ぶことはほとんどありません。昼は何を食ったからとか、昨日の夕飯が何だったからとかどうでもいいこと(まあ家では出してもらったものを食べますが)だと思うから、食べたいときに食べたいものを選択します。だからレストランなどでもメニューが決まるのがとても早いのが自慢です。

そんなことをしていても、別に栄養失調になったり健診の検査値が妙に正常から外れてたりすることはありません。たぶん動物というのは、理屈でものを食う事はしないから、何かがカラダに足りなければ自ら足りないものを補おうとするはずだから、量さえ間違わなければ、本能に従って食べたいものを食っていても特段問題はないのじゃないかしら、と思うのは甘いですか?

好き嫌いを作り上げたのが世のお母さんお父さんだからしょうがないところはありますが、やれ健康のためにあれを食べなさい、カラダに悪いからそればかり食わないようにしなさいなどと干渉しすぎるから、自分の本能の判断力が狂ってしまっているのではあるまいか。「最近の子は野菜を食べない」とか、「お菓子ばかり食ってる」とか云われますけど、わたしだって子供のころはそんなものだった。それが大人になるに従って変わってくることができたのは、子供のころに大人があまりうるさく云わなかったからだと思います。

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予備群リスク

がんリスクは糖尿病予備群の段階で上昇 がん予防のために糖尿病を予防

読んでみてください。糖尿病の方でも境界型の方でも、あるいは糖尿病に何の興味もない方でも、とにかく一度読んでみてください。

糖尿病の患者ががんに罹る危険性が有意に高くなることは周知の事実です。 なぜ糖尿病だとがんになりやすいのか。インスリンによる細胞の異常増殖ががん化を助長するとか、高血糖によって引き起こされる慢性炎症ががんを引き起こすとか、メカニズムについては諸説があるようです。当然、血糖コントロールがうまくいっていないほどがんのリスクは高くなるわけで、がんばかり気にして生活習慣病をほったらかしている輩には大きなインパクトを与える要素ではあります。

ただ、それはあくまでも糖尿病の患者さんのはなしであって、境界型とか高血糖とかその程度ではがんとの関連ははっきりしないものだと思っていました。だから、今回のようにHbA1cが若干高い程度でもしっかりとがんリスクが上がるというデータは、とても重大な結果だと感じました。

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社会常識

わたしはとても頑固物です。別にことを荒立てる気はないですが、世間様とはちょっと違う基準でヒトを評価します。

どんなに優れた研究成果を出したり、同僚から高い評価を受けている医者でも、挨拶のひとつもできないヒトとか患者さんに対して高飛車な態度をとるヒトを信用しません(まあ相手もわたしに信用してもらいたいとは思っていないでしょうが)。仕事態度がとてもしっかりしていて部下にも絶大なる信頼を得ているヒトなのに、あるいは社会的に地位の高い紳士然とした態度なのに、運転中にウインカーを点けなかったりハンドルを切りながらウインカーを点けたりするヒトがいますが、こういうのも信用できません。

わたしはオトナだから、普通に対応しますしちゃんと敬語も使いますけど、明らかに形だけです。ダメなんです。この程度の社会常識を遂行できないヒトは、自分だけの価値観で生きているからいざというときに必ず非常識な行動をとります。だからこそクリエイティヴな仕事に長けている”天才肌”なのかもしれませんが、ノーベル賞をもらうような科学者の方々がそんなひとたちかというと、そうでもない。

優秀で仕事ができることよりも、気の利いたことができることよりも、普通にあいさつができて、普通の社会常識を遂行できることの方が、はるかに重要なこと・・・わたしはいつもそういう目で、ヒトを評価しています。もちろん自分もそんな生き方でありたいと思います。縁のないヒトであればどうでもいいですが、自分に関わる可能性のあるヒトであれば、なおさらです。

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「とにかく実行してみる」

一昨日紹介した<幸せな人は9.4年長生きする>の副題は<自分が幸福だと思う人ほど成功しやすいワケ>です。『幸福優位 7つの法則』の著者ショーン・エイカー氏がポジティブ心理学の観点から解説しているモノのレビューで、なかなか面白い。

『生活改善の習慣化が幸福感を高めることに効果あり』~「幸せになることは、適度な食事や運動を心がけることと同様、大切な日々の健康管理の一環である。適度にポジティブな状態を保つことは、そのまま自分をいたわることにも繋がる。そのためには幸福感が高まる取り組みを日常生活の中で習慣化してしまえば最も効率がよい 」という。「人間は単なる習慣のかたまり」だけど「やろうかどうしようか」と悩む20秒間を克服できないと”習慣”にはならないという。

『とにかく実行してみる』~「脳は賢さと同時にずる賢さを併せ持つ。朝の運動が脳の活性化によいと分かっていても、自らそれを拒絶するためにありとあらゆる手段を行使するのもまた同じ脳の働き。自分にとってよいことだという知識があることと、実行することは別物だ」・・・これは蓋し正論。「ポジティブ心理学の目的は、最先端の学術的知識を追求し、その知識を現実の世界へと応用することであるが、知識(knowノウ)をどのように実行に移す(howハウ)ことができるのか」・・・わたしも少しずつこの世界に足を踏み入れつつあることを実感しています。

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『幸福感と健康感』追記

昨日の記事を書きながら、「あなたは今、幸せですか?」と質問されたら、どう答えるだろう?と自問自答しましたが、「はい」のことばしか浮かんできませんでした。

10年前だったらどうだろう? 「はいとは云えません」と答えるかもしれない。
15年前だったらどうだろう? 「いいえ」と答えるかもしれない。

決して今の生活が若いころより良くなっているとは思いません。むしろ、カラダのガタはひどくなる一方だし、老いに伴う不安は募る一方です。今も、年末に痛めた腰を擦りながら書いています。心身ともに「満ち足りている」と答えるには程遠い現実です。でも「今、あなたは幸せですか?」と聞かれたら「はい」と答えるだろう、と思うのです。これは年輪でしょうか。「わたしは不幸です。なぜなら・・・」と不幸である証を並べる作業が面倒くさい。というか、その労力がもったいない。そんなことをしても全く意味がないことを知っているから。「では、幸せであると思う理由を答えてください」と云われたら「そう思うからです」としか答えられません。『不幸と思う理由』はいくつでも並べられるけれど、『幸せと思う理由』はそんな具体的なものではありません。具体的に並べられるレベルを『幸せ』と感じるなら、きっとそれはすぐに脆く崩れ去るでしょう。

そんな条件を踏まえても、「あなたは幸せですか?」の問いに「はい」と答えるであろう自分。これこそが「あなたは健康ですか?」の問いに対する「はい」という答と同等だという感じがします。『幸福感』が主観的であるのと同じくらいに『健康感』も主観的なものです。どんな病気を抱えているとか、貧困だとか、孤独だとか、健診の結果がどうだとか、いじめられているとか、そういう客観的な数値では評価できないものが『幸福感』であり『健康感』であることを、再認識させられた元旦の朝でした。

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幸福感と健康感

最近、『幸福』と『健康』の関係についての研究報告が妙に私の目に留まるのはどうしてでしょうか。

幸せな人は9.4年長生きする>という記事を読みましたが、これは2011年のものでした。「あなたは幸せですか?」という問いに「はい」と答えた人の寿命は+9.4年だったという報告を紹介しています。この記事自体はポジティブ心理学の観点から如何に成功するかという話の冒頭に引用されたものでしたが、幸福感に満ちた生活はその生き方自体が健康長寿に関与するだろうことは、さもありなんと合点しておりました。

ところが先日Lancetで報告された<幸せだと長生きするとは本当か?>というオーストラリアの研究結果によると、『不健康は不幸をもたらすが、不幸で死亡率は上昇しない』という。幸福感に満ち溢れていれば健康長寿という結果もでていないそうです。何となくガッカリさせられる結果でした。

一方、京都大学で『幸福が生み出される脳内メカニズム』が解明されたという記事もみつけました。これによって、科学的データに裏打ちされた「幸福増進プログラム」を開発できることが期待されているのだそうです。正直云って、この領域を脳科学で語られるようになることに抵抗はあります(かつて精神科医になりたかったのに「精神分裂病(統合失調症)は科学で解明できる」と当時の教授が嬉々として語っていたのをみて興味を失ったわたしですから)。でも、『幸福感』がコントロールできることはすばらしいことではあるのでしょう。

最後に、先日facebookで日野原重明先生が語られたコトバを。
「健康とは、数値ではなく、健やかだと感じる、『健康感』をもつことです」

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年賀状2016

あけましておめでとうございます。昨年の元旦と同様、正月からがんの話書いてやろうかと思ったけど、後日にします。今年はまずわたしの年賀状を写します。

あけましておめでとうございます 2016年元旦

  アラカンに向けてカラダ作りに再度組み始めましたが、
  どうもココロの盛り上がりが今一つ。負けてたまるか、
  このヤロウ!です。

                      (個人名義)

恭賀新年 2016

  1年が過ぎるのが妙に早くなっていく気がします。
    ★一日一日を大切に! 
    ★心もカラダも前向きに!
  と念じて日々を楽しみたいと思い ます。
  今年も宜しくお願いします。

                      (夫婦名義)

あ~。年々、ヤッツケ感濃厚な年賀状になってきてます。モチベーションが落ちる一方なのです。今年、なんか個人的なすんご~いこと、起きないかなあ。とりあえず、2015年の何もかもをリセット! 皆々様にも佳き年でありますように。そして今年もこの拙いブログにお付き合いくださってありがとうございます。

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