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2016年2月

シニアフード

先日、もうひとつのブログに『シニアフード』という題名でうちの愛犬の食事事情を書きましたが、それを書きながら思ったことがあったのでこっちで同じ題名で書き足します。

うちのワンも8歳になり、まだまだキャピキャピギャルのように跳ね回ってはいますが今年の冬は堪えたようで下痢を繰り返しました。なので獣医さんと相談してこの機会にフードを成犬用からシニア用に替えたのですが、どうもそれが物足りない様子で、いつもお腹が空いているそぶりを見せるわけです。

今までになくアピールするけれど、彼女はイヌ用フードしか口にしたことがないので、結局すぐに諦めます。まあ、そうしながらもいつも元気いっぱいですし、シニアフードにしてからウンチも良好に戻りました。そんな彼女を見守りながら、気づいたのです。「物足りなくても食いすぎないのが一番」→「昨今の人間の年寄りは食い過ぎではないか?」と。肉を食う年寄りの方が元気で長生きだとか、歳を取ってからはやせるより太った方がいいとか、そういう情報のためにマジメな年寄りほど無理してでも食おうとするけれど、やはり無意味に食わないのがアンチエイジングだと思って間違いないでしょう。

産まれた時からドライフードしか知らない彼女は幸せ者だと思います。「お腹を空かせてかわいそう」といって飼い主は自分の食べているモノを分けてあげたりする。でも他のものを知らないモノにとっては、それはさほどかわいそうでもない。というか、飼い主が食べているモノが本当に美味しいと感じているかどうかもわかりません。大好きな飼い主が食べているのと同じものだから食べたいのであって、それと同じものを道路に転がしておいたら最初からそれを食うだろうか?少なくとも、臆病で慎重なうちのワンは見向きもせず逃げてしまうでしょう。やはり、わたしたちもイヌたちも、ちょっと物足りない程度の食事がベストなのだろうなと思った次第です。

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せいのつくもの

若くしてガンから生還してきた女性が受診されました。「とかく大病を患うと、周りも本人もつい精の付くものを摂ろうとしてしまいますから、気を付けてくださいね」・・・少し脂肪肝気味になって血糖が上がり気味な彼女に対して、例によってわたしはそんなはなしをしました。そうしたら、「そうなんですよ、親が『食べろ、食べろ』とうるさいんですよ」と彼女は小さく微笑みました。

くどいようですが、ガンなどの大病や感染症などを患った方々が免疫力や抵抗力を高めるために注意すべきことは、熱量になるカロリーの高い食べ物を大量に摂ることではなく、心身を休めることに尽きます。ひとことで云えば、食べるより眠ること。せっかく臓器を休めたいのに、モノを食えば消化させなければならず、休むべき臓器は日夜働かなければなりません。上昇した血糖を下げるためにインスリンがムダに働けば、細胞修復のために働くべき成長ホルモンが分泌されず、癒されるべき臓器や細胞が休みを返上して働かざるを得なくなります。まさしく、”本末転倒”なのです。

「イヌやネコだったら、回復させるために『2、3日は絶食』と指示される状態ですからね」というと、みなさん必ず苦笑い。でも、一般常識をはるかに超えたストレスを受けた細胞が回復するには、それほどの休養が必要なのだということを、もっと分かってほしいと思います。

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『ちょっと今から仕事やめてくる』

話題のこの本をfacebook仲間から紹介されてついamazonでポチ。最近よくあるわたしの本の買い方です。買って最初だけ齧ってそのまま放ったらかすことの多い中で、あまりにサクサク読めるので、先日の出張で行きの新幹線の中で読み上げてしまいました。まあ、途中から涙もろいわたしの涙腺がボロボロになりましたので、できたら公衆の面前では読まないことをお勧めします。

ちょっと今から仕事やめてくる』(北川恵海著、メディアワークス文庫)

ちょっと「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海)に似た乗りでもありましたが、中身は仕事に疲れてウツから自殺を考えるはなし。多くの若いサラリーマンさんが共感するであろうはなし。特別に複雑な内容ではなく、優しい空気だけに包まれながら、粗削りで平易な表現ばかりだけれど、全体的に波乱のないはなしなのですんなり入ってきます。それでもどうしてこの本が話題なのかといえば、これは一般向けの読み物(小説)ではなく、それを必要とするヒトにとっての救いの書だからではないかと思いました。まあ、最後の〆は、きっとドラマ化かなんかを想定しているのでしょうけれど、突飛すぎて現実にはありえません。でも、それはそれでいいんじゃないんでしょうか。

読みながら、就職してすぐの研修中に仕事を辞めた甥っ子のことを思い出しました。まだ研修中の電話当番だけで「自分に合わない」と辞めてしまうのはもったいなかろうとか思いましたが、今は次の人生をきちんと生きています。それはそれで良い選択だったなと思います。

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オーダーメイドに想う

糖尿病に関わる新たな遺伝子を発見 発症前に発見し保健指導で予防

このたび、理化学研究所や琉球大学、東京大学などの研究チームが日本人の2型糖尿病の発症に深く関わる7つの遺伝子を突き止めた、と発表されました。発症しやすいタイプの人は、そうでない人に比べて、2型糖尿病を発症するリスクが1~2割程度高かったということです。ゲノム解析により、むかしは夢物語だった”生活習慣病のオーダーメイド治療”が容易にできる時代になろうとしています。たしかに多々ある糖尿病の治療薬の中で自分のタイプに一番合う薬剤を選ぶことができればすばらしいことだと思います。

ただ、冒頭にある『近い将来に、糖尿病を発症する前の段階でリスクの高い人を発見し、生活指導を行うことで発症を予防できるようになる可能性がある』というコメントには物申したい。日本人の糖尿病はインスリン抵抗性(インスリンの働きが悪くなること)よりもインスリン分泌低下が主因の場合が多いので、自分が糖尿病になりやすいタイプ(分泌低下だけでなく、太りやすいとか他人よりインスリンが働きにくいとか)だとわかれば若いうちからそれに合った生活習慣作りができることは、保健指導の立場からは非常にやりやすい。それはそうです。それでは、そういうタイプではない(関連しそうな遺伝子タイプをあまり有さない)とわかったヒトたちはどうか。「運動したり暴飲暴食を避けたりいい睡眠を取ったりする努力は無駄な労力だから、しなくてもいいよ」と指導するつもりなのでしょうか。運動/食事/睡眠の整備などしなくてもいいのにそんなことをムダにさせられるのはヤリ損である!という扱い(その生活習慣の修正の取り組みが憂鬱なセレモニーであるかのような)は違うのではないか。むしろ運動/食事/睡眠の整備は、遺伝因子にかかわらずやればやるだけ得があるはずです・・・もったいないはなし。

この記事を読みながら、遺伝子タイプを持たないヒトたちのモチベーションを保つことの方がはるかに難しいと感じました。

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手書き文字

最近始まった職場の新しい内部研修システムで、受講者も教育者も評価者も、皆が一枚のレポートを手書きで書き足しながら回していかなければならないことになって、クレームが殺到しました。わたしも書きましたが、確かにちょっと大変でした。

数行しか書けないスペースに、云いたいことを短くまとめて書き込む・・・いや、一昔前なら当たり前の作業です。診断書の書き込みもアンケートの記入も入院サマリーも。一般の方々は今でも諸手続きはなんでも手書きのはず。試験のときだってもちろん手書き。ただ、一方で、最近はなんでもワープロやパソコン入力。スマホも携帯もなんでもキーを叩く。間違ったら訂正できるしコピペも簡単で、文章をまとめるときにはとりあえず打ち込んでから並べ替えたり書き直したりできる。そんな作業に慣れている現代人は、こういう一発勝負の作業が苦手になっています。そこに書くべき内容を頭の中で整理して、どう表現するのが一番妥当かを選択し、漢字の間違いがないかの確認も行いながら、ボールペンで所定の欄内に書き込む必要があるのです。

むかし、大学の卒業論文は手書きでした(医学部にはありませんが)。学会の応募抄録も学術論文も手書きの方が良いといわれていました。原稿用紙に清書していて、最後の最後に「間違った!」と叫んでいた下宿の先輩の姿を思い出します。何度も何度も同じところで間違えてもんどり打っていましたが、そんな姿は今はなく、むしろ指導教官や査読者に手書きの汚い読みにくい文字を見せる方が失礼だ!という時代。

こんな時代だからこそ、「こういう手書きで考えをまとめる作業はたまには必要かもしれないよ」と口走ったら、皆が一斉に非難の目でわたしを睨みました。

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ヒトを思いやる表現

日本語は使い方次第で意味がどっちにもとれる曖昧な表現がたくさんあります。最近韓国語を勉強している妻が、韓国語にはそんな曖昧さがなく、同じ意味でも状況によって違う単語を使わないと通じないのだと云っていましたから、これは日本特有の文化でしょうか。

「そこは、『より』よりも『から』の方が誤解させない表現だから、換えるべきだ」と、遠い昔に先輩から患者向け読本の校正依頼を仰せつかったときに進言したことがあります。でも、「どっちも間違いじゃないのだから、別に換える必要はない」と突っぱねられました。先日、ある文章を読みながら「これは日本語としては悪文だ」と意見したけど結局変更されなかったのを経験したときに、ふと思い出したのです。

文章を書くときに大切なのは、自分の云いたいことがそこにきちんと表現できているか?ではなく、この表現で他人に自分の云いたいことがきちんと伝わるか? ということです。読んだ人が違うように解釈したとしたら、どちらも正しいとしても書いた自分が悪い。それしか表現がないのであればしょうがないが、他に誤解を招かない表現方法があるのに変えないのは、表現の選択としては明らかに間違いだと思います。悪文は、かならず悪文ではない他の表現方法があるのだから、他人に伝えたいと思うなら頭を使う労を惜しんではならないと思います。

ラブレターを書くときに、もしかしたら誤解するかもしれないけれど、自分はこういう気持ちで書いているんだから、誤解したらそれは相手の責任だ!とか考えるだろうか? おそらく、渡す前に気づいてしまったら、かならず自分の気持ちを誤解なく伝えられる表現に変えるはずです。まあ、気づけばのはなし。気づくか気づかないかは、日頃の 観察力と国語の知識、ですがね。

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真ん中

海外留学から帰ってきた新進気鋭のドクター講演を聴きました。こういうときいつも思うのですが、留学先の研究室の集合写真のスライドみると当の本人はだいたい決まって一番後列か二列目の端かにそっと写ってます。他にメインで映った写真もあるはず(少なくとも日本に帰るときには教授と並んで前列中央で写るはず)なのに。奥ゆかしい日本人らしい姿です。

そんな写真を眺めていたら、自分もいつもそうだよなあと思いました。むかしからカラダがデカいからすぐに後ろに回るクセのあるわたしも、気づいてみれば萎んだカラダになっていて大してデカくもない。そういえば、先日、通っている少林拳教室の集合写真はど真ん中(後列)に写っていて、「一番下っ端なのに、あなた偉そうにしてるよね~」て妻に笑われました。

なんでかわからないんですけどね。突然ですけどね。これからわたし、できるだけ真ん中にこだわろうかなと思うんです。記念写真の場合はそろそろ目立つところで写っとかないとまともな写真が残らなくなるかなと思ったからにすぎませんが、もう一つ、男子トイレでも空いていたらできるだけ真ん中でしようかな、と。以前書きましたけど、トイレが空いていたら端から2番目がわたしの定位置だったんです。この心境の変化は、なぜだかわかりません。なんか、気分が良いかな~って。

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予後の推測

予防医療を行う中で一番大変なのは予後予測です。検査を受ける側の多くは、今重大な異常があるかということだけでなく近い将来何かが起きないか知りたくて検査を受けています。大きな異常があって、『遠くない将来に心筋梗塞や脳卒中を起こす確率が高いから早く対処しなさい』というのは簡単ですが、『今回の検査に異常がないので当分何も起きないでしょう』と太鼓判を押せるかどうか、なのです。

たとえば負荷心筋シンチグラフィという検査があります。これで明確な異常がなければ 予後良好で今の生活を続ける限り心筋梗塞などにかかる可能性は低いと云える、といわれています。冠動脈CT検査で石灰化が多いと心筋梗塞を起こす危険性が高くなり、それがなければ危険性は極めて低いとも云われています。最近は心筋の細胞に流れる血流予備能を調べて正常ならば危険性が低いというところまで云えるようになりました。

でも、ですよ。ほとんど野放しの糖尿病や高血圧のヘビースモーカーのおじさんの検査結果が悪くなかったとき、ほとんどの場合これからも問題ないはずだから今まで通りの生活を続けてもいいよ、とか云えますか? スモーカーの肺CTだったら、異常がなくても半年後に扁平上皮がんが発生するかしないかは保証できない!といえるじゃないですか。明らかに血管のプラークの破綻が繰り返されているに違いない連中の今の生き方を支持してあげる勇気はわたしにはありません。統計学がどうであれ、数パーセントの例外に入る可能性の高い連中・・・彼のことを本当に心配しているからではなく、わたし自身の保身のために。

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アカデミックがキライ

やっぱりわたしは理系人間ではないなと思う瞬間があります。世の学者さんや有識者さんが、森羅万象のあらゆる現象を科学で片付けようとする空気が、どうしても好きになれないのです。

『生きとし生けるものは細胞の集まりであり、すべての生体反応は化学反応であり、万物の法則は必ず物理と数学で解き明かされるものだ。それが科学というものである』と胸を張って云い放つ方々。世の中に曖昧でいいものは何一つない。神が作り賜うたとか神のみぞ知るとかいう表現自体をバッサリ斬り捨てる方々。先日重力波の証明に成功し、次はブラックホールの解明だ!と息巻く方々。

医者になった当時は、そんな考え方がしっくりこない自分は勉強不足で、学生時代にいい加減な勉強をしていたにすぎないのだと思い、こんなことではいけない、と反省しきりだったのだけれど、この歳になってくると、自分の感覚の方が好き。生物は細胞の集まりに超高性能のコンピュータの制御でできているのだと云われる皆さんに教えてもらいたい。自分は今、どこに居るのか?宇宙とか宇宙の彼方とか全部ひっくるめて、今の存在は何なのか? この世の外に何があって、その世の外に何があって、その世の外がある全体は何なのか?

少し興奮してはなしが横道に逸れてしまいましたが、アカデミックなことや科学に取り組む姿が、ちょうど子どもたちが好きな遊びを手に入れて熱中しているのとダブって見えるのです。その『真理の究明』は素晴らしいことだけど、自分のちっぽけな人生のためにはほとんど意味がなく、それが正しいのか正しくないのかすらどうでもいいことに思えます。精神論者でも宗教論者でもなく、科学者でも哲学者でもないわたしにとって、こういうことがだんだんとどうでもよくなっているのって、大丈夫なのかしら。

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許せない

懸念していたことが起きました。

人間ドックの常連受診者Aさんを外来に紹介したときのことです。その外来担当医師は、マスクで顔を隠し、Aさんの顔を一度も見上げることなく、聞き取れないようなボソボソ声で説明していたかと思ったら、おもむろに手術承諾書を取り出して、そこにサインしろと云う。『何を云ってるの? わたしは手術を受けるとか受けないとかそんな話ひとつも聞いてないよ!』と怒ったAさんは、突然席を立って診察室を出て、そのまま知り合いである病院幹部の部屋を訪ねて説明を求めました。病院幹部が説明をし、お腹を開ける手術ではなくて内視鏡検査に付随した治療のことだということは理解してもらえましたが、その外来医師の振る舞いは許せない!とAさんは引きません。「彼はシャイで朴とつとしているけれど、腕は確かだ。彼に身を委ねたらどうか?」という幹部の言葉にAさんは首を横に振ります。「どれだけ実力があるか知らないけれど、あんな態度の男を信用しろという方が無理だ」と。

その後のことはまだ報告を受けていませんが、まあ、これまでも何度も起きていたことでしょうし、どこの施設でもあることなのだと思います。何となくその場しのぎの対処がなされていたのだとすると、この機会にもっと問題視した方がいいと思います。とかく医療現場では医者は腫れ物を触るような扱いを受けます。自分の意思とは関係なく『裸の王様』状態にされ、よほど目に余る行動を取らない限り面と向かって注意されることがありません。皆が当たり前のようにやっていることは問題ないと思っていますが、それが患者さんには苦痛だったり腹を立てたりすることであってもなかなか自分では気づけないものです。

わたしも他人事ではありません。健診結果の説明は、結果票の数字を追いかけるかパソコン画面に映し出された画像を示すかばかりで、受診者の方を向くタイミングは思いの外少ないものです。何か質問してくれるならまだいいですが・・・。せめて、最初と最後には必ず向き合って顔を見るように心がけていますが、より一層注意しようと、襟を正したところです。

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湯水

立春が過ぎて、一気に春めいてきたかと思ったらまた寒くなり、見事に三寒四温の様相です。今年は暖冬だ!と云われていましたがあにはからんや、何十年ぶりかの寒波に見舞われました。こんな冬にありがたいのは、朝の洗面の時に蛇口からお湯が出ること。

「え、◯◯さんは水で洗うんですか? 考えられない!」と先日、ある若いスタッフのお嬢さんが叫んでいました。「お湯がないと、顔なんか洗えない!」・・・そうか、そうだよね。生まれた時から蛇口からは普通にお湯が出ていたんだよね。右が水で左がお湯で洗面器で混ぜるなんて時期も知らないんだよね。お湯をやかんで沸かして洗面器に移したりする時代なんて想像もできないでしょうね。どうだろう。わたしの朝の洗顔に『お湯を使う』という選択肢自体が生まれたのはいつだったか。大学時代の後半か研修医時代のアパートにはガス瞬間湯沸かし器が付いていたような気がしないでもないけど、使い方自体をあまり覚えていないから、わたしのアパートにはなかったか使わなかったか。なくて当たり前だったから、何とも思わなかった。湯が出る水道をうらやましいとも思わなかったのは、そっちが普通じゃなかったからです。

冬の水は冷たいもの。朝の洗顔は、冷たさで麻痺した真っ赤な掌で包んだ冷たい水でビシッと引き締まった気持ちにさせるのが、よろしかろう! と書いてはみるけれど、慣れって恐ろしいものです。やはり水だけでは手が凍えてまともに洗えません。高血圧の身でもありますし(笑) もっとも、歳を取ってくると、皮膚の潤いのためにはお湯より水の方がいいように感じていますが、いかがなものでしょうか。

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理屈は現実を凌駕できず

冬の長期休暇を経て、突然わたしの体重が1.5キロも増えました。活動量が日頃の仕事中よりはるかに多く、朝も早くから起きて動き回る日々。仕事には行かなかったけれど代わりに朝から洗濯物を干したりワンの散歩をしたり掃除をしたり、座ることなく立派な主夫をやりましたのに。もちろん夜更かしすることもなく。最初は何かの間違いだと思い、すぐに戻るさと思っていたけれど、錯覚ではないことを自覚。それは、旅先のホテルの洗面所で自分の裸体を確認したからです。一週間前に東京の出張先のホテルで見たときには若者と見紛うほどの薄いお腹だったのに大分のホテルで見たときにはプヨんプヨんに逆戻りしてました。一応その時には『貧相な身体が逞しいカラダに替わったのかな』と云ってきかせたけれど、違うことは一目瞭然。

仕事に出て、体重変化のことを話すと皆さんがいろいろ云ってくれます。「それだけ動いていれば必ず減りますよ」「それはやっぱり飲み食いが多かったのですよ」「いよいよ筋肉が付き始めたってことじゃないですか」「消費量が増えすぎたからカラダの戻す力が強くなったんでしょうね」・・・でも、きっとどれも違います。というか、ちょっとした変化にいちいち理屈を並べる意味はないことを思い知りました。生き物のカラダは、何でも説明可能な理屈で制御されているとは限りません。現実は現実。陳腐な理屈などとは無関係に、私のカラダの何らかの制御機構がパニクって右往左往しているのだろうことは想像できますが、如何ともしがたい。

ちなみに、仕事復帰後2日目に減少に転じた体重は週明けに再び一気に上昇し一昨日から徐々に下がり始めました。やっぱり仕事をしていないときに何かが変わっているのだな。仕事のストレスや緊張のせいかな。あ、いやいや、理屈は考えないことにしたんだった。昨日の今日ですけど、わたしの場合、きっと10000歩前後の時にやせて15000歩以上の時に太る。これ、ホント!

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一万歩

万歩計を身に付けてストイックな日々を送るわたしに、数週間前に友人が送ってくれた情報。

「1日1万歩で健康になる」は大きなウソだった

これを書いた青栁幸利氏(東京都健康長寿医療センター研究所 運動科学研究室長)は先日テレビにも出て同じことを語っていましたね。健康ブームの中、マジメな日本人は盲目的にやり始めるからこういう情報をきちんと解説していただくことは大切です。運動のし過ぎがカラダに悪いというのは、先日もここに紹介しました。「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということで。

まあ、最終的に「中等度の運動、早歩き20分を含む、一日8000歩が一番効果的」という、この”黄金律”が提唱された時点で「どこかナンセンスだ」と感じてしまうわたし。結局、運動欲のない人間が健康のために無理矢理する以上は最低限の努力で・・・わたしの一番嫌いな考え方。それでも、結果として毎日の習慣になってしまえば、それでいいのかもしれません。

とにかく健康オタクのみなさんは、ご一読ください(笑) でも、それを知った上で、じぶんの好きなようにがんばるのがよろしかろうと思いますよ。わたしには10000歩も8000歩も一緒に見えます。そんなに目くじら立てるほどのことでもなく、10000歩が「歩きすぎ」で8000歩が「適量」だということに、「ほう、なるほど」なんて相槌を打つ気にはなれません。”目安”という点では10000歩の方が分かりやすい。わたしは毎日のワンの散歩がちょうど7500歩くらいなので昼の仕事場で動くと簡単に10000歩を越しますが、世の普通に生活するみなさんにとって、10000歩を目指しても7000歩~8000歩が関の山なんじゃないんでしょうか。

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朝食食わんと脳出血になる

高血圧症の治療中のくせに朝めしを意地でも食わないわたしを見かねて、一週間ほど前に中学時代の友人が情報をくれたのと同じ内容が保健指導リソースガイドで配信されてきました。

朝食をとらないと脳卒中・脳出血のリスクが増加 空腹が朝の血圧を上昇

JPHC研究というのは、「多目的コホートに基づくがん予防など健康の維持・増進に役立つエビデンスの構築に関する研究」(主任研究者 津金昌一郎 国立がん研究センターがん予防・検診研究センター長)の略で、日本人を対象に、さまざまな生活習慣と、がん・脳卒中・心筋梗塞などとの関係を明らかにする目的で実施されている多目的コホート研究です。

詳しいことは、自分で読んでください。朝食を摂る回数が少ないほど、脳卒中の中でも特に脳出血になる危険性が高くなるそうです。「高血圧は脳出血のもっとも重要なリスク因子となる。朝食を欠食することで朝の血圧が上昇し、毎日朝食を摂取する人に比べて脳出血のリスクが高くなっていた可能性が考えられる」とか、「朝食を欠食すると空腹によるストレスなどから血圧が上昇することや、逆に朝食を摂取すると血圧上昇を抑えられる」ことも誘因になると書いております。

わたしは、自分の生き方を通すために論破しようとも思いませんし、他人にわたしの生き方を無理強いする気もありません。食べたいときに食べる、食べたくなければ食べない。ただそれだけのことで、理屈で食事をしたくはないという想いに変わりはありません。でも、JPHC研究の結果は蓋し正論だと思います。もっとも、「空腹がストレスになって血圧が上がる」というところはあまり理解できませんけれど(腹いっぱいになったらストレスになるというのなら分かる気がしますけど)。

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激しい運動は減量のアイテムにあらず

CareNetから配信されてきたMedscapeの翻訳記事が面白い。

Tough Workouts 'May Not Lead to Weight Loss'(激しい運動をしても減量につながらないかもしれない)

要するに、「たくさん運動をすればするほど体重減少に役立つわけではない」ということ。こんなことは、わたしも今まで何度もここに書いてきたはなしです(まあ、研究成果でないわたしの意見はただの戯言でしたが)。

『より長くジョギングをしたり、ジムでより多く汗を流すことで、体が高い活動レベルに適応し、それ以上のカロリー消費を抑えてしまう可能性を示唆している。』
『本研究で示された結果は、減量や体重維持を図るならば運動は食事療法と一緒に行うべきだ、ということをあらためて認識させるものになるだろう』

軽度や中等度の運動はたしかにエネルギーをたくさん消費するけれども、過度の運動をしてもエネルギー消費はあまり増えないらしい。人体が、『追加のカロリーを消費せずにより高い身体的要求に適応している』メカニズムの究明はまだできていないとのことですが、身体活動はどれだけ強くてもやり続けていくうちに必ずプラトーに達するのは当たり前のこと。そうでなければ動物は動いている限り必ず絶滅することになるはずですから。むかし近くの自転車屋のオヤジさんが、「ダイエットなんかしなくても毎日20km自転車で走っていればどれだけたくさん食べても絶対に太らないんだ!」と息巻いていましたが、その運動量に対してもっと少なくしか食わなくても大量に食っても、一定線でプラトーになるはずで、そうでなかったら病気です。まあ、とにかく少なくとも人間のカラダ、計算式通りにはいかないと思って間違いない(他の動物たちは、理屈で生活してないから皆大丈夫)。

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痛み慣れ

最近のわたしのカラダは年がら年中満身創痍です。立ち上がると痛みで腰が伸びきらず、頚椎症の痛みや腰椎ヘルニアの痺れといった元々の持病だけではなく、坐骨神経痛や足首の痛みがいつもあり、さらに最近は膝裏の痛みで正座すらできなくなっていますし、歩きすぎて向こう脛がいつも芯から疲れています。座ったり立ったりするたびに「よっこらせ」「あいたたた」と声が上がる始末。

こんなカラダに対して、一昔前なら痛みを取る努力を惜しみませんでした。鎮痛剤を飲み、テーピングをし、有効なストレッチや体操をし、整骨院にも通い・・・。少しでも軽くなるように努力し、痛いときは行動を自粛したりしていました。

ところが、どうしたことでしょう。最近は痛みを静かに享受できるようになりました。痛くて何をするにも伸びをし、足を引きづることも茶飯事ですが、それでも普通に生活しています。この姿が傍から見ると”爺さん”なんだろうなと思うけれど、不満はありません。どうして自分だけ痛いのか?と悩むこともなければ、これが歳というものだと達観する気もなく、痛くても普通に歩けて普通にゴルフや少林拳や出張ができるのだし、痛くてもじっとすることなく粛々と普通の生活を続けることができているのです。

この程度の五体不満足なんて、人生においては大した問題でははなく、大げさに悲観する必要もないということが、いつの間にか実感できています。ようしたものです。

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必要な知識

「そのことは承知しませんけれど、うちの商品は・・・」~似たような他社の商品があった場合、それとどう違うのかを聞くと担当者はよくこう答えます。あるいは、「その手の商品は一般的に・・・ですが、うちの商品はそれと違って・・・」~きっと担当になったときに研修会などで教わったであろう教科書的な返答が返ってくると、内心ガッカリします。自分が聞きたいのは、つい最近出てきた他社の商品のことであって、その研修会のころにはなかったであろう商品の情報です。自社の商品の長所と短所を熟知していると自負する担当者ほど自信ありげですけれど、大事なのは、日進月歩の世界の中で何が他と違うのか何が他に勝てるのかを明確に答えられることであって、パンフレットやホームページを読めば分かる内容しか答えられなければ実質聞く意味がありません。それは薬品会社のMRさんでも保険の外交員でも同じ。顧客の接待も大事かもしれないけれど、アンテナを高くして広い視野で勉強することの方がもっと大切なのだということをもう少しみなさん心得てほしいと思います。

これは私たちにも云えます。テレビ番組で紹介された健康法やテレビ評論家の意見について受診者さんから「あれは正しいのですか?」と質問されたときに、「その番組を見たことがないので答えられませんが」と答えた時点でこの会話は終わりですし、築けられたかもしれない信頼関係も終わりです。しっかりと番組を見た上で、それの信ぴょう性を自分なりに評価することは、アカデミックな成書を読むことよりも重要だったりします。知識を得るために見たくもないテレビ番組を見なければならない私たちも、それなりに大変なんですよ。

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化身

「女性は種の保存のために女性ホルモンがガッツリと守っていますから、更年期から閉経を迎えると『あとは自分で頑張れ』とばかりに全く違うカラダに変わります。太るとか糖尿病とか高血圧とかいうもともと持って生まれた性質が表に出始めるのがこの世代からです。だから、『去年まではどうだった』とかいうのは全て単なる過去の思い出です。いい意味でも悪い意味でも、自分は全く赤の他人に変身してしまったのだと思ってください」・・・妙齢の女性に健診結果を説明しているときに「わたしは何が悪かったのですか?」という顔をされるとわたしはいつもこういう云い方をします。

そんなはなしを、妙齢の当事者である妻に話したら鼻で笑われました。

「それじゃダメよ。『あなたはサナギ。これから蝶に変わるのです。もはやイモムシだった頃のことは忘れてください。華麗な蝶になって大きく旅立ってください』って云われたら前向きな気持ちになれるでしょ!」って。

なるほど。さすがやな。

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かくれガッツ

生活習慣病克服のために、わたしが実行し、受診者のみなさんにも勧めているのが『かくれガッツ』。

自分なりに生活の見直しをして自分なりに頑張っているのだけれど、年一回の健診結果は今ひとつ良くならない。先生からも保健師からも「まだまだ努力が足りない」「やったうちに入らない」と云われて打ちひしがれている人、たくさんいるでしょ? ゴルフで、ヘタはヘタなりに練習を繰り返し、バンカーが一度でリカバリーできたとか初めてパーが取れたとか大はしゃぎしていたら、「で、結局スコアはいくつだったの?」と云われ、「まだまだだねえ」と鼻で笑われて凹んでしまう状況によく似ています。

そんな雑音にへこたれることはありません。いつも挫折していた自分が今回は続けられたのだから自分を素直に褒めてやって、「日々の空腹感が楽しみになってきた自分」「毎日動かずにはおれなくなってしまった自分」の生活態度の変化に対して「よっしゃー。すごいぞ、オレ!」「オレ、頑張ってるな〜」と拳を握りしめてガッツポーズしてください。自分で頑張っている感を噛み締めないと誰も褒めてはくれないからという意味もないわけではありませんが、別に更なる修行の上積みを考えなくても、自褒めできる毎日が続けられるならば、ホメオスターシスを盾に抵抗している自分のカラダがそのうち勝手に折れてくれるはずです。

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こっそり

「オレは65歳まで生きたら十分だから、病院なんか行かん。もう電話なんかかけてくるな」・・・精査に行かないまま放置の人間ドック受診者に受診勧奨の電話をかけ続ける保健師さんが、電話口でこう云われたそうです。

先日、そんな受診者さん(62歳男性)の今年の人間ドックの結果説明をしました。「それなら受けなきゃいいのに」と思うかもしれませんが、職場が職員の健康管理のために無理矢理申し込みをする(らしい)のです。今年もたくさんの項目で要精密検査の文字が躍っていました。肺のCT検査ではいつも引っかかる場所とは違うところに怪しい影が複数できていました。頑固な咳が止まらない、と云っています。糖尿病の指標であるHbA1cは11を超えていますし、眼底検査では糖尿病性網膜症らしき出血所見が初めて出現しました。高血圧も年々悪化しています。

どうせ「受診する気はない」と人生を達観しているのだから、わたしはそんな他人の人生観に介入する気はないので、いかにこのまま何事もなくポックリいけるかを考えたときに注意すべき点を中心に説明していましたが、説明しながらふと気づきました。毎年値が悪いから目立たなかったけれど、血糖もコレステロールも肝臓機能も、昨年だけ少しいいのです。「あれ、去年はなんかちょっと良くなってましたよね。今年また悪くなっているけれど、何かが変わりましたか?」と聞くと、「はい。しばらくはちょっと意識して飲む量を減していたけど、去年はまた飲む機会が増えてしまいましたね〜」とちょっと照れ笑いを交えて答えてくれました。

なんだ、一人でこっそり頑張っているんじゃないの。去年は、それなのに「もう病院に行きましたか?」「ほったらかすと危険なんですよ」としつこく追いかけられたから切れてしまったのかもしれません。でも、これが私たちの仕事ですから、しょうがありません。「糖尿病は一筋縄でいきませんし合併症が出ると元に戻れないからチェックすべきところはしておいた方が安心だと思いますが、自分でやってみて、やればよくなるしやらなければ悪くなることは分かったのですから、また生活の仕方を意識してみてはいかがですか」と締めくくりました。

こういう方には、あまり責め立てないで見守りながら後押ししてあげたいものだと思いました。まあ、それでも今年も受診勧奨の追跡をしつこくさせますけどね。

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職員健診

毎年、この時期はうちの職員健診が行われます。個人情報の坩堝ですから、必要のないものには手を出さない良識。でも、診察を担当すると問診票の内容くらいは確認せざるをえません。だからむかしは治療中の病気や既往症を書かない職員もちらほらいましたが、おそらく今はきちんと書き込んでくれていると思います。

もう30年近く働いていると旧知の職員も多く、久しぶりに会った彼らの問診票で近年大病を患ったり手術を受けたりした事実を知って、「ああそうだったのか。前に見かけた姿が妙に元気が無くてやせ細った印象だったのは、これのせいだったのか」とか思うことがあります。むかしはキャピキャピの元気の良いお嬢さんだったAさんが、もうこういう病気になる世代になったのねとか、あの頃は新進気鋭の若手医師だったB先生が割腹良くなったと思ったらこんなことがあったのねとか、年月の流れを感じながらも結果として元気な姿に戻れて良かったなと安堵。

大きな施設ですので、年に一人や二人は毎年のように健診で大きな病気が見つかります。即刻手術を受けるしかない方も少なくありません。それでも皆が元気に生還しその後も元気に働いておられるのは、ひとえに職員健診による早期発見のおかげです。労安法の簡単な検査だけしかしない大学や公立病院と違い、うちは一定年齢以上の職員には日帰り人間ドックレベルの健診を受けさせています。有難いことだと思います。以前と違って最近は結婚後も長く働く女性職員も多くなりました。皆が皆、徐々に歳をとりながらもハードに働いておられます。もしかして、最近大病を患う職員が増えてきたのは、単に平均年齢が上がったからではなく、高齢になるまでハードな仕事を強いられてきた結末だということはないでしょうね。わたしが元気でいられるのは、いい頃合いで救急現場から身を引くことができたらなのかもしれません。

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ネタ切れ

見事にネタが切れましたので、今日はお休みです。

特別に学研的な内容を書くわけではないこういう云いたい放題ブログにネタ切れなんぞなかろう!とタカをくくっていましたが、ないものはない。いや、ないわけではないのだけれど、それなりの文にしなければならない以上、膨らませきれないのであります。

基本、『ネタ切れ』はアタマの回路の滞り。日ごろ思っている数多の内容をすっぱり忘れてしまったか、あるいは思い出して文章を考えるのが面倒くさくなったか、のどちらか。

どっちも老化の象徴やないか!

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コラム再び

そもそもこのブログを始めた理由。それは、職場の広報誌の連載コラムのネタ帳として文章ストックをしておくこと。その広報誌は諸事情で廃刊となりましたが、その後は某共済組合や保険組合などの機関誌に依頼されて投稿しておりました。ただ、ずっとそれを続けるうちに、自分の文章と内容がマンネリ化してきているのではないかという思いに囚われ始めまして、連載打ち切りを申し出たのは2年ほど前。その後は、うちの医局スタッフが持ち回りで連載を続けていたようです。

その連載コラムを、今年の夏から再開させていただくことにしました。書き手探しがなかなか大変で、今年は臨床現場の医師たちに頭を下げなければならないのではないかとのことだったから。また、人間ドックの説明をしていると、いまだに「先生は組合の機関誌に文章を書いている人でしょ?いつも楽しみにしていますよ」と何度も云われるから(よほどわたしのバカ笑いの顔写真が印象的だったのでしょう)。

でも、わたしは媚びを売りませんけど大丈夫なのでしょうか。病院のトップ批判とか平気で書くかもしれないのだけれどな・・・し〜らないっ! 

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マスク

「わたくし、担当をさせていただく○○と申します。これから宜しくお願いします」と云って、ちょっと小太りの男性が頭を下げながらわたしに名刺を差し出しました。

先日のことです。初対面の彼と色々な打ち合わせを済ませてその場が終わったのですがね。いや、その担当者の男性が、ずっと大きなマスクをはめていましてね。『風邪をひいて咳が出るかもしれないから、失礼に当たらないように』という意味だと思うのですけどね。なんか違うんじゃないかな、とおじさんは思ったわけです。初対面で、しかも何かをお願いしようとする立場の人間なのに、顔の半分以上を隠したままというのは、やっぱり大人としてはどうなのでしょうかね。それ以上に違和感があったのは、一緒についてきた彼の上司がそれについて何も云わなかったこと。それで何ら問題ないと思ったか、そんなこと考えもしなかったかのどちらか。

少なくとも、担当を名乗られた○○さん、以後、どこかで会ってもあいさつしません(顔を知らないから絶対気づきません)ので、あしからず。

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睡眠と生活習慣病

最近とても気になるのです。生活習慣病を改善するために何をするかと質問すれば、ドックのスタッフであれ一般市民であれ、必ず『運動と食事』と答えます。うちの施設で生活習慣病に対して新しい取り組みの検討チームができましたが、彼らも運動指導と栄養相談が両輪だ!としか思っていない様子なのです。

それ、間違っていませんか? 今や生活習慣病のトレンドは『睡眠』と『腸内フローラ』でしょ? 『腸内フローラ』は結局食事と運動に関連するとして、『睡眠』こそ、意図的に管理すべき項目でしょ。運動や食事は基本中の基本だからそんなことはやっていて当たり前で、それに加えて、『いかにいい睡眠を取れるか?』が勝負であること、すでにテレビでも特集を組むほどになっています。専門医の研修会でもわざわざ専門医師が講師として招聘されて詳しい講義を受けました。

むかし、腸内細菌が生活習慣病やアレルギーの根源であると研究者たちが色めき立っていても”まゆつば物”扱いされていましたが、いつの間にか市民権を得たと思ったら一瞬のうちに当たり前に語られるようになりました。『睡眠』もそんな流れになるのかしら。後手後手に回らずにたまには先取りしてほしいと思うのだけれど、スタッフが二の足を踏むのはもしかして睡眠の専門家がいないから? 健康運動指導士や管理栄養士はいるけれど睡眠指導士がいないから、異常が見つかったとしてもどう指導して良いのかわからないというのかしら。それとも、睡眠なんてまだ海のモノとも山のモノともわからないのだし日本人は睡眠指導に色めき立たない(”睡眠を削ってなんぼ”が成功の秘訣だと思っている)ところがあるから、営業意欲がわかないのだろうか。どちらにしても、とても残念です。

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老化と舌

先日、テレビの健康番組で、舌の使い方が全身の筋力や抵抗力に影響し、延いては寝たきりになる危険性もあるという話がありました。『舌を使わないと老化する』というわけです。その番組では、予防のポイントは、そしゃく回数(よく噛む)と会話数(よく喋る)の2点だと強調していました。それを見ながら、早速テレビの 前で開眼片脚立ち検査をやってみたわが夫婦。どちらも無事に合格圏内のタイムを出せました。「顎関節が壊れているからガムなどあまり噛まないように、噛まずに済むような柔らかいものを食べなさいと歯科医に云われているわたしなのに、体幹の筋力がしっかりしているのはなぜかなあ。少林拳のおかげ?」という妻に、「違う違う。そりゃ喋る量やろ。仕事でもプライベートでも、すきあらば喋ってるもんね」と答えてやりました。そんなわたしは、『そしゃく信者』を自負しながらも朝食は摂らないし食事量は少なくしてあるのでそしゃくの絶対数は決して多くありません。今はおかげさまでしゃべる仕事だから助かっていますが、社交的ではなくひとり旅をするとほとんど口を開かないわたしは、定年退職したら喋らなくなって一気に老け込むかもしれません。

介護予防の手段としての内容だと思われ、実際に筋肉年齢が極端に低かった女性が舌を意識的に使う試みで一気に10歳以上若返ったのが画面に出ていました。これからは独居老人が増えてくるので、日常の心がけはとても大切だと思います。ただ、本当に怖いのは高齢者ではなくて今時の若者たちではあるまいか? 今時の若者たち・・・柔らかいものしか口にしないで噛みもしないので極端に顎が小さく、時間があればスマホを黙々といじりながら、会話もSNSです。ヘタをすると隣の友人ともLINEで会話したり・・・。それでなくても外で遊ばずにゴロゴロしてばかりなのを考えると、先日のテレビ番組を見ながら末恐ろしくなりました。

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不整脈の精査とドクター心理

健診の事後フォロー、つまり精査や再検査、あるいは治療などの指示を受けたヒトへの受診勧奨はかなり大変です。とりわけ病院職員の二次精検受診率は極めて低く、中でもナースやドクターといった医療職の受診率の低さは群を抜いています。「医者の不養生ってやつですね」と思うかもしてませんが、そんなものじゃない。たしかに忙しくて外来受診する暇がないというのは嘘ではないかもしれないけれど、基本的に単なる言い訳であり詭弁です。その所見の意味も意義も知っているから、それが本当に受診する必要があるか自己判断するわけです。あるいは、外来で云われることがわかっているから行っても無駄だと思っているわけです。困ったものです。まあプロなのだから自己判断してくれても構わないのだけれど、何らかの返信をしてくれないとそれをフォローしなければならない私たちはたまったものではない。最近は医療機関の精検受診率の低さに労働局もメスを入れ始めましたから、それが追い風になって少しでも受診率が上がるといいのですが。

ただ、たしかにわかります。今年の職員健診でも、心電図検査で不整脈が頻発していて精査指示を受けたヒトが数人います。種類によっては突然死をもたらすこともある危険な不整脈です。毎年指摘されてほったらかしています。その中の一人はマラソンの趣味があることを私は知っています。だから、メディカルチェックとして精査をすべきだと思うのですが、自覚症状がないだけでなく、毎年いくつものマラソン大会を走っても何ともないのです。さて、外来に行って何をする? 心エコー? 負荷心電図検査? 24時間ホルター心電図検査? その結果で、内服治療を要する可能性はほとんどない。そこまで想像できるのに、どうして精査が要るの? 「ほっとても大丈夫だよ」・・・同僚の循環器内科医に相談したらそんな返事をもらうことも想像できます。

そんなことをわかっていながら、それでも私は彼が精査を受けてくれるまではしつこく精検指示を出します。それが仕事ですから。

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去年と変わっていませんね。

先日、東京でお会いした旧知の友人は、友人と呼ぶにはおこがましい、わたしより10歳も年上の方です。まだまだお元気でクリエイティブな仕事をされています。耐糖能異常と軽いメタボを指摘されている彼は、家にエアロバイクを買い込み、近くの運動施設にも定期的に通い、さらに最近は家の近くの雪かきまでこなし、食事も栄養士さんの指示の通りに真面目にしっかりとやられたそうです。

そして先日、都内の某大病院の人間ドックを1年ぶりに受診。結果表を一瞥した担当医はたった一言・・・『まあ、去年と変わっていませんね』

「大して悪いところがない」ということを医師は告げたかったのかもしれませんが、この一言は相当ショックたったようです。「これだけ頑張ったのに」という思いでしょうか。臨床医にとって、”病気ではない”受診者さんの健診評価のコメントは悪くなってなければこうなるんでしょうかね。それを淡々と語る友人のコトバを聞きながら、予防医療に携わる医者として、とても寂しい気持ちになりました。

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失ったメモ

ショックなことが起きました。

今回は早朝からの学会出張に際して、飛行機内で本を読んでいました。最近は目が疲れるので飛行機内ではあまり文字を読まないのですが、睡眠の質が良くなったおかげか、妙に本を読みたくなったのです。読んだのは橋爪あき氏の著書『人生の3割をしめる睡眠が、残り7割の運命を決める』(牧野出版)。

本の内容に興味がある方は買って読んでいただくとして、実は読んでいる途中から頭の中にどんどんコトバの波が湧いてきました。今度どこかで講演に使うか書き記したい内容だったので、その湧いてくる表現をそのまま慌ててメモしました。いつも使うiPadは家に置いてきましたしiPhoneは電源を切っていましたので、本の中に挟まっていた短冊の裏にボールペンで走り書きしました。小さな紙切れなので小さな文字で赤と青を駆使して重ね書きしたりして・・・昔はいつもそうやっていました(これを後ほどパソコンに起こし直すのです)。

当日の夜は旧知の友人と酒を飲みましたので、翌日になって学会場で思い出して、メモを早い時期にまとめ直そうと本を取り出しました。たしか、栞代わりに本に挟んでおいたはずだから。ところが、ない。あれ?カバンの中に落ちているかもしれないと探し回ったけれど、ない。よくよく考えてみるとメモをまとめやすいように本から引き抜いてわかりやすい場所に仕舞った気がする。だからスーツやコートの多数のポケットの中や財布の中やまで学会場で独り大騒ぎしてみましたが、見つかりません。どこに置いたんだろう、あのメモ。わたしは掃除屋だから要らないと思ったらすぐ捨ててしまうからなあ。

ものすごく良い内容を思いついていた(はず)だけどなあ。なくなったものはしょうがないけれど、自分で思いついたことなのだから思い出してもう一度書いたらいいって? いやあ、まったく内容を思い出せないのです。何について書いたのかすら思い出せません。思い出せないのならその程度の内容だったんじゃないのって? そんなことないと思うんだけどなあ。

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