アカデミックがキライ
やっぱりわたしは理系人間ではないなと思う瞬間があります。世の学者さんや有識者さんが、森羅万象のあらゆる現象を科学で片付けようとする空気が、どうしても好きになれないのです。
『生きとし生けるものは細胞の集まりであり、すべての生体反応は化学反応であり、万物の法則は必ず物理と数学で解き明かされるものだ。それが科学というものである』と胸を張って云い放つ方々。世の中に曖昧でいいものは何一つない。神が作り賜うたとか神のみぞ知るとかいう表現自体をバッサリ斬り捨てる方々。先日重力波の証明に成功し、次はブラックホールの解明だ!と息巻く方々。
医者になった当時は、そんな考え方がしっくりこない自分は勉強不足で、学生時代にいい加減な勉強をしていたにすぎないのだと思い、こんなことではいけない、と反省しきりだったのだけれど、この歳になってくると、自分の感覚の方が好き。生物は細胞の集まりに超高性能のコンピュータの制御でできているのだと云われる皆さんに教えてもらいたい。自分は今、どこに居るのか?宇宙とか宇宙の彼方とか全部ひっくるめて、今の存在は何なのか? この世の外に何があって、その世の外に何があって、その世の外がある全体は何なのか?
少し興奮してはなしが横道に逸れてしまいましたが、アカデミックなことや科学に取り組む姿が、ちょうど子どもたちが好きな遊びを手に入れて熱中しているのとダブって見えるのです。その『真理の究明』は素晴らしいことだけど、自分のちっぽけな人生のためにはほとんど意味がなく、それが正しいのか正しくないのかすらどうでもいいことに思えます。精神論者でも宗教論者でもなく、科学者でも哲学者でもないわたしにとって、こういうことがだんだんとどうでもよくなっているのって、大丈夫なのかしら。
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