5年目の春
最近どうして急に東日本大震災の特集が多くなったのか、実はピンと来てなかった。そうか、あの日からもうすぐ5年が経つのか。TVの映像を見る限り、5年が経ってもまだまだ復興は進んでいるようで進んでいないように見えますが、それでも当事者でない私たちにはあの大津波の映像ははるかむかしのような感覚になります。
そういえば、あの翌年に起きた九州北部大豪雨で何人もの命を奪った滝室坂の土砂崩れ。先日、親戚の通夜のために阿蘇路を急いでいて、その象徴のようだった大きな山肌の傷跡が消えてなくなっているのに気付きました。月日はいろいろなものを包み込みながらも進んでいくんだなと思ったばかりです。
今週末にはうちのスタッフだった女性が難治性乳がんで無くなってから一周忌の偲ぶ会によばれています。あれからもう1年が経つのか、と月日の流れの早さを感じます。組織はまるでそんなことなどなかったかのように粛々と日常をこなし、彼女のことを知らない若いスタッフが次々と入ってきます。だんなさんともども若いころから一緒に働いてきた同僚だったからわたしの記憶の中から消えることはないでしょうが、大きな組織の中ではもうすでに過去の出来事・・・。
当事者と当事者に関わる多くの人たちには忘れられない大きな傷跡でも、そうでない人には粛々と通り過ぎていく出来事・・・人間はそういう記憶の大津波に洗い流されながら生きています。無情なようで、そんな整理をしないと記憶に押し潰されてしまうからなのかもしれません。あらためて、全世界の皆さまに、幸あれと祈ります。合掌。
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