追悼の日
東日本大震災の追悼式典の放送を見ました。あの大災害から5年。各テレビ局で競って特集が組まれています。どれを見ても涙が出てきます。人間の健気さと強さ、助け合う力の大きさとそれらがいかに無力かを思い知らされる自然の力、そして放射能。これからもずっと重いモノを抱えていかなければならない宿命。
でも、埼玉の中学校では「卒業お祝い献立」を昨日に計画していたら、教職員から「震災のあった日にお祝いなんて非常識」という意見が出たというのです。これって、どうなのだろう? 昨日が卒業式だった学校もあるでしょう。校長はお祝いのコトバではなくて追悼のコトバを卒業生に話したのでしょうか。5年前の3月11日の話ではない。それから1年後のことでもない。もう5年目なのです。そんなことを云っていたら、3月11日は永遠にお祝いごとをしてはいけない日になってしまう。”教職員から”ということは、自分たちの目の前の子どもたちにお祝いを云うことよりも大震災の呪縛を優先するのが良識だと思っているわけだろう。それって・・・天災を風化させないとか追悼の日とかの意味をどこかはき違えていないだろうか?これから前向きに生きて行こうと思っている当事者は、むしろこの日を再スタートの日としてアニバーサリーデーと捉えているに違いないのに。
昨日、3月11日生まれの人間ドック受診者の男性の診察をしました。わたしは迷うことなく「今日が誕生日なのですね。おめでとうございます」と話しかけました。このヒトは自分の誕生日にお祝いをしたら世間から顰蹙を買うのでしょうか?3月11日が結婚記念日の夫婦はこれから一生こっそりとしか祝ってはいけないというわけでしょうか?そんなナンセンスな。今日3月12日は九州新幹線5周年の記念日です。5年前には本当に気の毒なくらいに静かにスタートしましたが、もう大々的に5周年を祝ってもいいと思います。
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