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目の錯覚

レントゲン写真や眼底写真、あるいは心電図など、わたしが日々多数の受診者の検査結果を読影しているときに痛感することがあります。人間の目の錯覚というものがいかにヒドいかということです。そこにあるものが見えない。わたしが『異常なし』と判定したあとで、前回の所見を確認すると『所見あり』と書いてある。「え?」と思ってもう一度見返すと、その異常所見は画像のど真ん中に明確に存在しています。さっき、あれだけ目を凝らして見ても見えなかったのに、まるでこっそり写真をすり替えたのではないかと疑いたくなるくらいしっかりと写っているわけです。逆に、「気になる影が見えるなあ」と思って他に目を動かしたりフォーカスをずらしたりしたあとにもう一度見てみると、今度は何も見えないということもよくあります。さっき、自分は何を見ていたのだろう?と自信を失います。あるものを見落としたときよりも、ないものをあると思ったときの方が、自分の目は大丈夫なのか心配になって落ち込みます。

そんな人間の力の限界を補うために、機械のもつ自動読影機能やキャドなどの読影補助機器があります。受診者の中には機械の方が正確で見落としがないのだから最初から機械に読ませるべきだという人がいますが、それはそれで問題があります。機械もまた、ないものをあると云ったり、あるものを見落としたりすることは茶飯事なのです。かえって、ありえないようなとんでもないウソを読むこともあって人間の目よりも厄介だったりします。

がんを見落としたとか重要な所見を見逃したとかいうことがときどき問題になりますが、人間の目力の限界を考えると各人の努力だけでは如何ともし難く、さらにダブルチェック、トリプルチェックの複数の目で別々に読むことに勝るものはない(どこもマンパワー不足でなかなかそれができないのが実情なのでしょうが)ように思います。

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