普遍性と特殊性(後)
(つづき)
ところが、先日ある自動車部品製造メーカーの特集番組をテレビで見ていたら、そこの製造機械はとても繊細な動きをするのですが、その繊細で正確でソフトな身のこなしはすべて優秀な職人さんの動きを忠実に模して作成されているのだと聞いて、驚きました。一番効率の良い動きというのは、今までのような『機械的な』動きではなくて、経験のある熟練した職人の動きだという結論に達したという。『経験のある熟練した職人』の存在が加速度的になくなって行く現代社会において、個の技術と経験を積み重ねるよりも、匠の世界をプログラミングする方が現実的で確実に後世に引き継げる術(すべ)なのかもしれません。その時、そこに存在するものはデジタルなのかアナログなのか(もちろん正式にはデジタルなのだけれど)、自分はそれでもヒトとしての存在を強調すべきと主張し続けられるか、ちょっと自信がなくなってきました。AI(人工知能)やロボット手術(ロボット手術は厳密にはヒトの技術の遠隔操作ですが)がどんどん発達していく現代社会の中、むかしの概念にしがみついていると時代遅れになってしまうのかも・・・。
でも、このやり方では、結局過去の成功確率を上回ることができません。匠が匠でありうるのは、自分で試行錯誤しながら創意工夫して新しい自分を作り上げたからです。100%の完成品には100%の魅力しかありませんが、匠たちは100%以上のモノを常に作り出そうとしてのた打ち回っています。進化や発展というのは、そういうことだと信じます。それは、「AIが鉄腕アトムになりうるかどうか」というはなしではありません。AIは失敗体験を蓄積しながら失敗しないように学習する力はありますが、失敗や成功という概念以上の世界に昇華する力を持ち得るのか、というはなしです。
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