これから(後)
(つづき)
「しょうがないさ」「命あってのモノダネさ」の時期から、次のステップに進まなければならない時期がきました。これまでの3週間は、皆が同じ時計の同じ速さの進み方の元で同じ方向に共有するものがありましたから、何をしていてもさほどの差は生じませんでした。でもこれからは違います。人生のベクトルが何方向にも広がっていく。うちのように幸いそのままほぼ社会復帰できそうな者と何もかも失ってしまった者との不公平感がじわじわと現れ始める。それに見合った詳細な差をつけた手助けが行政でできるものでもない上に、自ら動くか動かないか、どれだけの情報を得るか得ないか、その情報に目を向けることができるかできないか、その情報は本物か偽物か・・・それによって、大きく変わっていくのだけれど、何しろ未経験のことばかり・・・おそらく被災者の多くが何もできずにいるのだと思います。
自治体同士でも、お隣同士でも、各々の不公平感が焦りを生み、焦りは妬みを生み、「みんな同じだから」「自分だけじゃないから」と云うコトバに白々しさまで漂い始める。これまでの多くの震災でもそうですが、コミュニティが大きければ大きいほど隅々まで行き届かないことへの不満が溢れだそうとしています。被災時はどうでもいいと思って捨てようとしたもの、思い出よりも、高価だったとか他人のものだとか、そんなものに妙に執着が生まれてきます。物欲が生じるようになることはいいことなのかもしれないけれど、その分、虚しさも増長されてきます。
テレビ報道では「どの経費に何十万円、どの補助に何万円が交付されます」としきりに云っています。でも、当然のことながら自己申告をして自ら手続きに出向かなければ何ももらえない。「詳細は市のホームページで」と云われても・・・。
いよいよ、これからが本当の修羅場なのでしょうね。
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