普遍性と特殊性(前)
酒飲みの間では有名なプレミア日本酒の酒蔵が岩国の山中にあります。1年ほど前にカーラジオを聞いていたらその酒蔵の社長さんのインタビュー番組がありました。実はこのお酒、ちょっと他のプレミア日本酒と違うところがあります。普通、お酒は酒蔵に腕のいい杜氏(とうじ)が居て杜氏の職人としてのさじ加減でできあがる芸術品なわけですが、この会社の酒はその配合の仕方や細かい作り方まできちんとマニュアル化されているのです。「誰が作っても同じ高品質の酒ができるように」というコンセプト。それによって、世界中どこでも同じおいしい酒が製造できる、というのです。
それはそれでいいことだとはわかっていますが、本当にそれでいいの?という気持ちもどこか払拭できません。職人のさじ加減で1つ1つに微妙な違いがあることも含めて、それはそれでアナログ的魅力の大事なポイントなのではないか、という思い。典型的に理系な発想についていけない文系アタマなわたしなのです。
それはわたしたちの仕事でも云えます。担当する医者によって説明内容が変わるのは良くない、医者によって治療方針が変わるのはおかしい。だからガイドラインを作成しパスに乗っかって標準化するのがよろしい、と云う。よくわかるし、その方が同レベルのサービス提供ができて受ける側のメリットも大きいと思うのだけれど、それでも最後は担当医師のさじ加減になる。同じことを云うにしても、云い方次第で全く違う結末になるのが現実。そんなことにならないようにすべて正確に同じこと云う(同じことしか云わない)機械の方が間違いないと云う意見もありましょう。それが良いか悪いかの議論はありましょうが、その会話が機械相手か人間相手かという違いになると、そこには大きな隔たりがあります。少なくともわたしは、相手がヒトである以上、多少の色つけの違いがあってもヒトとしての会話が不可欠だという考え方を変えることはできません。 (つづく)
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コメント
看護学校時代、
「誰がやっても同じように、分かるように看護計画を立てなさい!」
と怒鳴り散らす狂員が数多存在しましたが…。じゃあ「個別性とか、個性を尊重してとかほざくなよ。大体、予備校のバイト学生より教えるのが下手なお前ら要らねえじゃん」
と腹の底で憎まれ口を叩いていたことはおいときまして。
アナログの極地「武術、書道、鍼灸」を生業とする私としましては。
マニュアル、デジタルからはトンデモナイ「達人、感動を呼ぶ芸術品や演劇・音楽・おもてなし」など
が生まれることはないと思ってます。当然「トンデモナイ味」の酒やワインが醸し出されることも。酒蔵をファーストフードにしたいのなら話は別ですが。
これからは「オンリーワン」に着目する人も現れる筈、と自分を鼓舞しつつ下手な書を書き散らし、名もない酒蔵の酒で一杯!
投稿: コン | 2016年5月21日 (土) 09時59分
コンさん
おはようございます。昨夜は4月14日以来、初めて揺れませんでした。このまま終息することを信じて今日一日を始めようと思います。
あいかわらずお元気に酒かっ食らっている頑張っておられる様子ですね。あっぱれです(笑)わたしもこれからもっと試行錯誤しながらとんでもない何かを残せるように頑張ってみます。
投稿: ジャイ | 2016年5月22日 (日) 07時06分