選択肢
大地震の影響で使えなくなっていた職場のフィットネスジムがやっと復旧しました。「先生、ご迷惑をおかけしましたが来週からまた存分に使ってください」と担当スタッフに云われてすっかりその気になっていたのですが、当日になったら何となく面倒くさくなって、なにもせずに帰ってしまいました。別にだからどうというわけでもないのですが、何か自分に負けた気分。
「運動はしたいけどジムが使えないからしょうがない」と思っていた時には他の方法で身体を動かすことを考えましたから、別に早く帰ることに悩むこともなかった。ところが、「したい時にはいつでもできます」となると、するかしないかの二者択一の選択肢が生じてしまって、さて困った。やらずに帰ることに自分なりの言い訳が必要になる。「今日はいつもより仕事量が多かったから疲れた」とか「昨日の運動で筋肉痛が出たから今日はクールダウンすべき日」とか。そんな、本当は思ってもいない言い訳を考えている自分が何かイヤ。
選択権が自分にある。いいことだけど、これを面倒くさいと感じる時には自分自身があまりありがたくない状態だと思わねばなりますまい。こういうときは、選択しないことだ。「悩むことなく、必ず行く」か「行くことを考えずにさっさと帰る」か、どっちかに徹底する。そうやって行動を決めてしまえば、全然平然としていられるはずだから。
フィットネスジムを引き合いに出しながら、今、自分の生き方への選択肢を考えるわたしであります。
| 固定リンク
« デマ | トップページ | 普遍性と特殊性(前) »
「心と体」カテゴリの記事
- 柔軟性と寿命(2024.09.06)
- アイマスクはグッドアイテム(2024.08.28)
- 急激な老化(2024.08.22)
- オリンピックイヤー(2024.08.21)
- 心電図を読影するのは私(2024.08.08)
コメント