倒置法
最近、倒置法が妙にキライになってきました。小学校の頃、この『倒置法』という手法を知った時には、文字通り天地がひっくり返るほど感動して、得意の作文にも意図的に取り入れました。なんか、同じことを云っているのにすごくドラマチックで、それを使いこなせる自分がまるで小説家にでもなったように感じられたものです。
それが、急に嫌いになってきたのは、そこに打算があるように感じ始めたからだと思います。このブログや依頼を受けたコラムなどにはリズムがいいから使うことはあるのですが、それはその効果を期待しているときだけです。政治家の演説が舞台役者の大仰なセリフみたいな言い回しになっているのを見ると、これは本心じゃないな、群衆向けのパフォーマンスだな、と思うでしょ? あの感じ、好きじゃない。自分が聞いていて感じることは、他人が自分の表現を聞いて感じることとそう大きくは変わらないはずだから、自分が本当に伝えたいこと、ココロから思っていることを伝えたいというときには、素直に真っ当な表現方法を意図的に選びたいと思うようになったということです。
ヒトのココロに感動を与えるための手法は、形ではなく、やはりココロだと思うようになった今日このごろです。
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