フォース
先日、学生時代の同級生から連絡がきました。「Aくんが悪性腫瘍で余命数ヶ月だと宣告されたらしく、最後に親しかった友人に会いたいということで、地元に戻ってくるらしい」とのこと。
わたしは仕事上、終末期の患者さんに会うことはある意味普通のことですし、それが身内や親しい友人であっても取り乱すことなく別れの会話をすることができます。母の進行胃がんが見つかった時にも驚くほど冷静でした。
年齢のせいか、自分の同級生たちの不治の病の知らせは毎年届きます。昔ながらの仲間たち、それは当時それほど親しくなかった連中でも、同じ時を過ごした旧友として時が経てば経つほどかえって結束していきますので、その知らせに驚き、もし会えるなら是非最後に会って元気な姿を目に焼き付けて、そして「最後までいい人生であれ」とエールを送ってあげたいと思ってきました。
なのに、今回はその気持ちになれませんでした。Aくんとは最近も親交があり、彼が闘病生活にあったことは知っています。でも、会いたいと思わなかった。むしろ会いたくないと思った自分にちょっと驚いています。おそらく、今の自分に、彼に 何かを与えるだけの元気がないからだと思います。終末期を迎えたヒトが旧知のヒトたちに会いたいと思うのは、人生の区切りであり思い出なのかもしれないけれど、会いに行く者の使命は当人に何らかのフォースを与えること、生命力というかオーラというか安らぎというか・・・むかし脳腫瘍で亡くなった恩師も「君たちの強い念(フォース)を僕に与えてくれ」と云ってその場に来た全員と硬い握手をされたことをふと思い出しました。でも、今のわたしには他人に与えるフォースがない。下手をすると、かえって弱っている彼から力を吸い取ってしまうかもしれない。そう感じています。
わたしの方がむしろ、かなり弱っているな、と思います。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- パンツのゴム(2021.02.22)
- 休日の朝(続編)(2021.02.19)
- 地元飲食店応援プロジェクト(2021.02.15)
- 休日の朝(2021.02.13)
- 昭和の発想(2021.02.11)
コメント