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2016年7月

話し方

数か月前、ある若い女性タレントの学生時代の同級生の今を追いかける番組を見ました。さすがにそのタレントさんが才女であるだけあって、紹介された若い女性友達は二人ともバリバリのキャリアウーマンでクリエイティブな仕事の中心となって活躍していました。

その爽やかなキレ者女史の言動を見ていて感動したのは、コトバの一つ一つがとても丁寧だということ。こういう世代のやり手キャリアウーマンにありがちな早口でまくしたてるようなせっかちさが全く感じられず、多くを語るわけでもないのにキチンと趣旨を相手に伝えていること。育ちの良さがわかるのだけれど、かといってお嬢様系にありがちなゆったりおっとりすぎてかえって焦(じれ)ったくなる話し方とも全く違うのです。彼女たちが美人さんだったからというのもありますが(笑)、いつまでも話を聞いていたいなと思わせる話しぶりでした。ビジネスに成功するはずだなと納得しました。

文字も同じように感じることがあります。丁寧な書き方をする方と走り書きのような書き方をする方とがいます。才女にありがちな達筆だけど男っぽい走り書きのような文字も良いけれど、きちんとした楷書を見るとやっぱり清々しい。かといって、一文字一文字に時間がかかるようだと焦れったい。この心地良い頃合いのしゃべり方や書き方って、天性のモノなのでしょうか。なんか、いいですよねえ。

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普遍(後)

(つづき)

わたしが循環器内科で今は亡きボスの元で学会発表の準備をしていた頃は、100人200人に及ぶ患者さんのカルテ(今のような電子カルテではないので)を引っ張り出して事細かに確認していました。半分くらい済んだところで新しい疑問点が生じてきて、一旦返したカルテをもう一度借り直したこともあります。そんなことはデータベースさえしっかりしておけばパソコンに登録されたデータで確認できるからそれは無意味な労力だ、と鼻で笑われそうですが、〇か×か、有りか無しかで篩い分けられない微妙なニュアンスをカルテから見つけ出す作業だったりするわけです。「そんなの『普遍』ではない。そんな重箱の隅をつつくようなことではなく、誰もが簡単に当てはまるもっと大きな法則を求めるんや」という。その割に、出てくる法則は微妙なものばかりで、有意差検定したら有意だったということだけを免罪符のように掲げるけれど、実臨床で通用するのか?と疑いたくなるものばかり。その法則に従って日常の診療を本当に自信持って行えるのか? 単なる学会発表のための研究ではないか?という疑問が付きまといます。

なぜその検討をするのか、それは自分の実績作りでもなければ、検査や治療をすることの妥当性を証明することでもなく、それに従うことで受診者や患者さんのすべてに恩恵が得られる法則を見つけ出すことのはず・・・わたしはやはり研究者ではなく臨床医だなと思う瞬間なのですが、有意差検定をしなくても一目瞭然な法則でないと万人に当てはめられないし、その法則から漏れる少数派にも明確な利益が得られなければ法則の存在意義はないに等しい、と思ってしまいます。

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普遍(前)

うちの施設は学会活動が盛んで、パラメディカルのスタッフの皆さんも積極的に学会発表をします。先日、発表予定者の予演会が行われまして、わたしもたまたま業務が終わっていたので拝聴しに行きました。

みなさんの発表を見ながら思うんですけど、このビッグデータから何か普遍的なものが見つからないかと試行錯誤しているのはわかるのですが、総じて淡白。おそらく、検索ワードをいくつか入れて抽出したデータを決まった群に分けて、そこに当てはめた条件で有意差検定をかけて、ああだこうだと云っている。どうも、それだけのような気がします。世の中のビッグデータを扱うデータ解析はほとんど皆そうなのでしょうけど、そこに求めるものは単純に『普遍性』だから、重要なことは個々のデータの意義ではなくて有意差なのでしょうか。

「結果を見ると少数ながら当てはまらなかった人たちがいますが、こういう人たちには何か特徴はありましたか?」  学会でもよくこういう質問が出ますが、演者は決まって「今回の検討ではそこのところは検討していません。今後の課題にしたいと思います。ご質問ありがとうございました」と答えます。個々のこと、特に条件に当てはまらなかった人のことなんか見てもいないのだと思いますし、今後も検討することはないんだろうなと苦笑いしながら聞いています。 

(つづく)

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ヘッドハンティング

先日、日経メディカルに掲載された武元 康明(半蔵門パートナーズ)氏のヘッドハンティングの記事を読みました。『ヘッドハントで過疎地に赴いた医師の「覚悟」

もうわたしの年齢になると落ち着いてしまいますが、それでも「これから先、自分はどんな医療を手掛けていきたいのか、医師人生の集大成として、これまで培ってきた技能をどこに還元していくべきなのか、次のステージを思案」というフレーズは、医者ならだれでも一度は思い悩む命題なのかもしれません。

この記事に引き合いに出された先生の思い入れと医師としての使命感を実行される行動力には感銘します。うちの病院から地域の病院へと移られた先生方の多くもまた、この先生と同じような葛藤の末に選んだ道なのだと推測します。でも、移った後に「こんなはずではなかった」とか「後悔しているがやむを得ない」とかいうコメントを耳にして寂しい気持ちになることもしばしばです。だから、この先生のメールの「予想以上にトップの器が大きく、驚きました。非常に感銘しています」というフレーズが飛び抜けて印象に残りました。筆者は「大きなファクターとなるのが、受け入れ先の経営者の器です」と書いていますが、『経営者の大きな器』という目に見えないものの評価をするのは当事者なのですから、きっと『当事者(移っていった本人)の大きな器』あっての『経営者の大きな器』なのだろう、と読み解きました。こういう評価を受けるヒトになりたい(というより、こういう評価をできるヒトに会ってみたい)ものです。

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機械たるもの

また職場のパソコンがバグりました。しょうがないなあと思いながら強制的にリスタートをかけます。スマートフォンや家庭のパソコンでも時々何も動かなくなってスイッチを入れ直すことが少なくありません。というか、ちと多くなった気がします。

むかしは、「機械たるもの、壊れないのが当たり前。特にコンピュータは精密機械なのだから、構造上のトラブルか製造ミスか、あるいは使い方が悪いかのどれかだ。根本的な原因究明をしないと、今に致命的な事態になるに違いない」と信じて疑いませんでしたから、「専門家のチェックを受けて何が原因かを探すべき。そうでないと不安でたまらない」と思っていました。きっと自分のものが不良品で、高いカネ払ってハズレ品をつかまされたに違いない!と。でも専門家のチェックを受けても決め手になる重大な異常は見つからず、「とりあえず様子をみてください」と云われてイラっとする。

でも最近こういうことが気にならなくなってきました。 スマホなんて、ちょっと反応が悪くなったらすぐにスイッチ切ってリスタート。自宅のパソコンは反応が悪くなったらそのまま放置プレイして、それでも機嫌が戻らなかったらリスタート。いろいろ悩むよりそれが一番の解決策で、それで何事もなかったかのように働いてくれるのだからいちいち「お前何でさっきできなかった?」と問いただす時間がもったいないと思います。

きっと、病気も似たようなものなんだと思います。あるべきでない不具合(症状)が出るのは、精密機械(人間の身体)に何らかのトラブルが生じたから。徹底的に原因究明しないと取り返しのつかないことになるのではないか?と不安になってドクターショッピング。でもこれといった原因が捕まらず、「とりあえず様子をみて」と云われて、「この、ヤブ医者!」となる。左下にして寝た時だけ起きるんだったら右下にすればいい。酒を飲んで起きるのなら飲まなければいい。精密機械だって(精密機械だからこそ)それくらいは許容範囲なんだと思う。せめて、自分の不具合の確実なリセット法だけは見つけておきたいものです。

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高カロリー豆腐

Facebookに企業PRで出てきた記事

食が細くても、手軽にエネルギーを摂取できる「高カロリー豆腐」で毎日元気に!

世のみなさんは『低カロリー』とか『やせる』とかいうコトバには異常に敏感ですが、逆の表現には「あれ?なんで?」と思う人が少なくないかもしれません。若い人たちのメタボ対策、生活習慣病対策のために「やせるべし!」という空気とは裏腹に、ご高齢者の低栄養は大きな社会問題です。高齢者のフレイル、サルコペニアなどの大きな原因が低栄養。きっかけが生活習慣病対策の栄養指導(食べ過ぎない指導)にあった人もおりましょうが、歳とともに食欲も落ちますし、噛むのが面倒などの理由も加わって食べなくなり、だんだん動くのが面倒になり、筋力が落ちていっそう食べなくなり・・・という負のスパイラル。でも無理して食べたくないものを食う作業のなんと虚しいことか。

ですから、こういう食材の開発と社会的な啓蒙活動はとても大切だと思います。井村屋さんて、あの”肉まん””あんまん”の井村屋さんでしょ。いいところに目を向けていますね。豆腐に目のないわたしは、当然将来はこれで筋肉を維持させることになる可能性大ですね。

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理屈は常に明快

適度な「パスタ」は減量に効果的

筆頭著者のIRCCS Istituto Neurologico Mediterraneo Neuromed(イタリア、ポッツィッリ)疫学・予防医学のGeorge Pounis氏はきっと、大のパスタ好きなんでしょうね。イタリアで主食であるパスタがダイエットの敵であるかのような風潮だが、適量のパスタは返って減量効果が強いことがわかった、という研究報告の紹介です。

「肥満の人は、1日あたりのパスタの消費量は多すぎる傾向がみられた」「減量を目指す人はパスタを避ける必要はない」というものです。パスタが悪いのではなく、パスタを食い過ぎるのが悪いのだ、適量は食った方が良いのだと強調したいのでしょう。「そりゃそうだよね。炭水化物は簡単に水とエネルギーに変わるんだから、『適量』に悪いモノなしだわ」と1人ツッコミするわたし。

世の食べもので『悪』はファストフードや精製加工製品だけであって、古来から存在するその土地の料理で今でも残っているものに健康に悪いものなどあるはずがありません。特にイタリア人にとってのパスタ、日本人にとっての米、カラダに良いに決まっています。ただただ、『悪』は”食いすぎる”行為だけ。酒も然り。きわめて明白な理屈・・・でも負けてしまうのは・・・ヒトが誘惑と煩悩に簡単に負けられるほどの金持ちになってしまったのが原因でしょうか。

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屈辱の赤い波線

いろいろと文章を書くでしょ。ワープロソフトを使って書いていると、突然赤い波線が出現したりします。監視している校正機能がここぞとばかりにムチを入れるんです。

アルファベットのスペル間違いとか、助詞の入力間違いとかを修正してくれる分には重宝しとるけどやな、「の」が重なりすぎとるとか、そこは「に」じゃないかとか、そういう文章表現に関する指摘は、ちょっとムカッと来ます。そんなこと承知の上で、「これが一番しっくり来る」と思って選んだ表現なのに、その融通の利かない国語教師みたいな上から目線は何とかならんのか!

右クリックで「無視する」というのを選んだら一旦諦めて消えたふりするけれど、またすぐに復活するでしょ。あるいは再起動させたら元の木阿弥になるでしょ。「このワープロではわたしが基準なのだから、わたしの云う通りにしない限りこの赤波は消させないよ!」という意志に満ち溢れていて、ちょっと悪意を感じることがあります。

まあ、結局そのまま無視して赤波と同居したままほったらかしますけどね。

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慢性腎臓病リスク

慢性腎臓病リスクを高める不健康な生活習慣とは?>という題名で福岡大学スポーツ科学部で後ろ向き解析を行った結果が報告されていました。

2008~2013年に福岡大学で健康診断を受けた者のうち、心血管疾患や脳卒中、透析治療の既往がなく、生活習慣病治療薬などを服薬していない445人(平均年齢50.9歳)の中年期から高齢期の日本人男性を対象に、不健康な生活習慣とCKD有病率との関連を検討する横断研究を実施したものだそうです。

(1)中等度の運動習慣(30分以上の運動を週2回以上)がない
(2)日常的な身体活動(1日1時間以上の歩行)を行っていない
(3)歩行速度が遅い
(4)早食いの習慣がある
(5)遅い時間の夕食(週3回以上)
(6)就寝前の間食(週3回以上)
(7)朝食を食べない(週3回以上)

この7項目のうち4項目以上該当する人は、正常な人の4倍以上のCKD有病率なのだそうです。どんなもんでしょうか? わたし? わたしは(4)と(7)の2項目かしら。

ただ、最近(3)を自覚します。同年代の中では遅くないと思いますが、町を歩いていても、横断歩道でわたしと一緒に信号待ちしていた若い女性たちが歩き出した途端にどんどん離れていくのを目の当たりにして、ショックを受けたことが何度かありました。

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特定健診受診率

先日、BSテレビで、特定健診の受診率が40パーセント台で、厚労省の目標である70パーセントには程遠い結果だったことを告げていました。特別なコメントもなく、その事実だけを語っていたのは得策だと思います。

わたしの職場は協会けんぽに所属するから、わたしは特定保健指導の対象になりえます(すでに降圧剤を服用しているから対象にならないだけで、ホントは立派なメタボ対象者)。でもわたしの妻も義母も特定健診は受けません。義母は後期高齢者だから当たり前ですが、妻には特定健診のハガキが来てもわたしがすべて捨てています。受ける必要がないからです。なぜなら、毎年うちの施設で人間ドックを受診させているからです。特定健診よりもはるかに詳しい検査をして、保健指導や栄養指導も受けているのに、あらためて何をする必要がありましょう? コンピュータで管理する上で他でやった検査データのコピーは手間がかかるからダメだ、というお上の都合のために、時間と金をムダに使ってさらにムダに痛い思いをしなさいという、そんなことするはずがない。

特定健診が始まった頃からずっと主張していますが聞く耳を持たないらしい。きっと、そんなことは把握しているけれど、そんな連中は一握りだと判断しているか、そうは思わないけど面倒だから知らないふりをしているか。 国保の担当者に云ったら、それは社保の問題(わたしの配偶者だから)だと一蹴され、社保の担当者に云ったら「そういうヒトも居ますけど」とわたしを例外者に分類しました。正直アタマに来る! でも良いんじゃないの?受診者が少なかったり特保で改善者が少なかったら保険料を引き上げるんでしょ。やってみなさいな!そうしたら初めて、人間ドック受診者や外来通院者が含まれていないことが公になるでしょうから。

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車線変更

「その中途半端な車間距離が一番危ないパターンなのよ。もっと近づいておかないと隣の車線から車が割り込んでくるでしょ! 」

自分の暴走族まがいの危険運転は棚に上げて(笑)、運転中に妻がよく助手席からそんな忠告をします。割り込みできそうなできそうになさそうな微妙な距離感で車間距離を空けているというのです。「でもこれより近いと前の車に圧力かけている感じがするからイヤなのよ」と反論すると、「この距離だと隣の車からは死角に入っているかもしれないよ!」と返されました。確かにそれはあるかもしれない。わたしも納得。交差点でも割り込みを許しそうな徐行(相手が突っ込んでくるかもしれないから用心して)をするとかえって出会い頭の衝突事故を起こす危険性が生じるから、絶対に割り込ませないぞオーラを出しておいた方が安全なのだと彼女は主張します。

車の運転に限らず、危険を未然に防ぐということは、こういうことなのかも。割り込んで来ないか注意するという前に、絶対に割り込ませない空気作り。盗めるかもしれないな~襲っちゃおうかな~と相手に考えさせる隙を見せないことが犯罪予防の第一歩ではあるけれど、それって総じて冷たい印象を与えて敬遠されがちになるなあ、襲われてもいいから人懐っこいお人好し感が好きだなあなんて思っていましたが、昨今の犯罪の凶悪さを考えれば、行動を諦めさせる空気作りに専念することが最大かつ唯一の防御策なのかもしれません。

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1年後の健診でフォロー?

人間ドックの結果を受けて外来に精査依頼を出すと、『所見あるが治療不要、1年後の健診でフォロー』という指示が返ってきます。外来の先生方が面倒な管理を健診機関に振っているのが明白な返答です。本当に治療不要なら後半の『1年後に・・・』のコメントは不要のはずですから。

不整脈(期外収縮)の分類に『Lown分類』というのがあります。これのgrade3以上の場合は一応危険な不整脈として精査依頼を出すのですが、これのgrade5=「短い連結期(R on T現象)」というのでいつも困っています。この『1年後の健診でフォロー』の返事が来ると、それ以上に危険な心電図波形でも捕まらない限り、なかなか再受診を勧めにくい。きのうも、毎年同じように気味の悪い短い連結期パターンが頻発する心電図の妙齢の女性が受診されました。本当は「年一回フォローするのなら健診じゃなくて外来でしょ?」と思うのだけれど、本人も免罪符のように5年以上前の精査結果を盾にして「どうもないから」と受診に乗り気ではありません。まあ、5年以上何も起きてないのだし、何かが起きたらその診断をした外来医師の責任なのだから、放っておけばいいのかもしれないけれど・・・でも、とっても気味が悪い。しかもいよいよ閉経を迎える時期になってきているようだし・・・。

外来の先生方、どうか、面倒でもフォローするならご自分の外来でお願いしたいです。人間ドックで年一回数秒間の安静時心電図を取ることをフォローとは云えますまい。そんなこと、知っているくせに、自分で責任持ちたくないし面倒くさいから放棄するのでしょ?

 

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吉四六ばなし

わたしの故郷の大分には『吉四六さん』というとんちの効いた民話の主人公があります。野津町という今は臼杵市に合併されましたが、県南の小さな町に実在した人物だそうです。

わたしが吉四六さんのはなしをたくさん覚えているのは(まあ、大分県民なら当たり前なのかもしれませんが)、きっと子どもの頃、寝る前に父に吉四六ばなしをいくつも聞かせてもらっていたからではないかと思います。でも、「おまえ、そげん吉四六さんみたいな屁理屈んじょー云わんのぞ!」とよく父に叱られれいた記憶もあるので、きっと父は吉四六さんのことを決して尊敬すべき存在だとは思っていなかったのだろうと察します。『ちょっと怠け者で屁理屈コネ太郎で憎めないけど人の上に立つ人ではない』・・・間違ってもそんな人間にはなるなよ、と父が強く思っていたことが伺えます。

だから私も、子どもの頃には吉四六さんは『憎めないとんち者でいつも人を笑わせれくれる隣のおじさん』みたいな感覚で捉えていました。ところが、年を取るにつれ、特にここ10年くらいは吉四六さんはむしろ人生の憧れの存在に変貌してきています。彦一さんとは違う老練さがあります。悠々自適で飄々としていて、決して他人を非難せず、とんちで自分が得することを考えるけれど他人を蹴落とすことはせず、偉ぶることもなければ自分を卑下することもなく、陰で悪口を云うこともなく、勤勉実直というわけではないけれど実質正直者で不器用。仙人のような悟りなど程遠く到底達観はできずに煩悩だらけだけれど、悲観ということばが似合わない。そして、妻のおへまさんに頭が上がらない。

いいなあ、と思う。なんとかああなりたいと思うけれど、そう考えると絶対にたどり着けない程のとっても遠い存在。その思いは、日に日に強くなるばかりです。吉四六の町、野津には小さな頃一度バスに揺られて行ったことがありますが、今後あらためて再訪問してみたいなと思いました。

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後ろ向きコトバ

今日は、約2ヶ月ぶりに夫婦共通の友人とゴルフに行きます。

「久しぶりだから打ち方忘れたなあ。ちゃんと当たるんだろうか」と話したら、「あなたはどうしていつもそんなに弱気なの? そんな後ろ向きなコトバを口にしてると『病んでる』と云われるよ」と妻に一蹴されました。

そうかね、ワタシそんなに後ろ向きかね? 非常勤の先生が急遽何人も休んだり、夏休みが重なったりして、「この人数で本当に業務をやっていけるのかな」と皆が心配している時に、「やってみないとわからないし。きっと、なんとかなるでしょ」と超楽観的に聞き流したワタシ。これだけ手足がしびれたり、肩が痛くて眠れない夜が続くので、「ちゃんとMRI検査とか受けなくていいの?」と心配する妻に、「いや、きっと大丈夫。そのうち軽くなるよ。根拠はないけど、去年もそうだったから」と答えて日々をこなすワタシって・・・前向きでしょ?

先週あたりから足底筋板を傷めて「腰椎から来ている」「馬尾症候群じゃないですか」などと云われている妻が、散歩をしながらカラダを捻って、「大丈夫かな。わたしちゃんとゴルフできるのかな」と不安気につぶやく・・・あんたの方がはるかに後ろ向きやないか~!

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なくなりました

モノの見事に、書きたいことがなくなりました。

新しいことも古いことも、なーんにも浮かびません。いくつか書きかけのメモもあるけど完成したい気分ではありません。きっと、書くほどの内容ではないのでしょう。

頭の中が混沌として何も考えられない状況というのでもなく、ただただ何もない。不満もなければ満足もない。感動もなければ悲しみもない。ま、良いことなんだと思いましょう。

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「天災と予防医学」

2年ぶりに依頼された原稿、内容を悩みました。結局、こんな文章になりました。もうすぐ発刊だと思います。

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『天災と予防医学』

ゴゴーッという地響きの度に地面に這いつくばり、目の前で瓦が音を立てて崩れ落ちる光景を呆然と眺めていた・・・あの夜からひと月半が過ぎた6月初めにこの原稿を書いています。こんな時に何を書いたらいいか悩み、締め切り間近になってようやく書き始めたところです。皆さま、ご無事でしょうか。おそらく皆さまがこの文章を読む頃にも、多くの方が震災前とはほど遠い日常生活を強いられていると思います。心身ともにくれぐれもご自愛ください。

「脂肪肝や内臓脂肪はいざというときのためのエネルギーの備蓄だから、よほどの天変地異でも起きない限り使うこともなく貯まる一方で、最後は倉庫の隅から腐っていく」などと偉そうに説明していた自分が、まさか被災者になるとは思いませんでした。取るものも取りあえず逃げ、飲むものと食べるものを確保することに必死という状況では、食事バランスがどうこうと考える必要もなければ余裕もないのは当たり前です。自分のカラダを実験台にして分かったことは、起きていれば水と炭水化物だけ食べても太らないということ。そしてタンパク質を食わないとみるみる筋肉がなくなり、脂肪を摂らないとエネルギーが足りずに疲労感が増すということ。日ごろ食べたいとも思わないものが無性に食べたくなったり、大好きだったものをそう食べたいとは思わなくなったりするということ。これは栄養学とか生理学とかいう付け刃の屁理屈ではなく、太古からの飢餓の歴史を乗り越えて生き延びてきた人類の経験則なのでしょう。こういう時には、素直に自らのカラダの求めに従って自然の摂理に身を置くしかないのだと学びました。

『予防医学』は直面した未曾有の天災を前にして無意味ではないかと悩んだ時もありましたが、そうではありません。今回の震災を経験した人の全員が、飢餓状態と極度のストレス状態にありました。一瞬パニクッたカラダはしっかり反省しています。二度とこんな慌て方はすまいと誓い、前よりも備蓄する力を増しているはずですから、このままでは前よりもはるかに貯めやすいカラダに変貌します。いわゆるリバウンドです。ですから予防医学の本当の出番は今からです。パンやカップ麺を貪り食ってきた生活に区切りをつけなければなりません。住む家が倒壊したり仮住まいだったり、あるいは自宅の荷すら元に戻せない状況下で、「それどころじゃない!」と拒絶するアタマを何とか説得しなければなりません。今回、多くの方々の支援によって、食べられることのうれしさをつくづく思い知らされました。電気が点くことや水道・ガスのおかげで料理ができることのありがたさが身に染みました。この経験を踏まえて、欲する時に欲する量を食べられることを喜びと感じるとともに、今まで以上に一噛み一噛みを大事に、感謝を持って戴くように心がけたいものだと思います。

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成長

「負けたときにこそ自分は成長できると思っている」

先日テレビを見ていたら、七冠という偉業を達成した若手囲碁棋士がインタビューに答えてそう語っていました。「『成長』かあ」と思わず独り言をつぶやいたわたし。そうだね。日常生活の中で自分がいかに成長できるかを考え、日々精進するのが人生の意義であり、その努力をしなくなったら人間は堕落するのみである、とわたしに教えてくれたのは、わたしを今の職場に誘ってくれた今は亡き昔のボスです。仕事をしていても、プライベートを楽しんでいても、「漫然と生きてはいけない。自らを高めるためにいつも全力で生きなさい。いつも問題意識を持ってコトに向かいなさい」というのが、彼の口癖でした。

今の自分はどうか? 「自分がこれから成長するために」、という生き方を続けているか? ノーだろうな。今の憧れは『悠々自適』だから。自分を高めるよりも、自分のあるがままに正直に生きる術を見つけたいと考えるようになっている自分。何かを極め、何かが上手くなるように精進したいという思いが、今の自分には欠如しているのだけれど、それはいけないことなのかしら?

『成長』『堕落』『悠々自適』・・・それらは、相容れないものなのだろうか?

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自然の力

先日、地元大分に帰りました。震災後二回目の阿蘇越えです。途中滝室坂という峠を登ります。この近くに来ると4年前の豪雨災害(九州北部豪雨)を思い出します。山が大きく崩れ落ち山肌がむき出しになってその根元にあった集落が根こそぎ土石流の餌食になった大惨事でした。豊肥本線のレールが受け皿の地面を失ってクルクルと丸まって宙を舞い、長い間道路も鉄道も通行止めのために遠い迂回を余儀なくされました。ここを通る度にあの大惨事を思い出していましたが、先日、ふと気づくと、土砂崩れの象徴だった 茶色の山肌はすべてを草木が覆い尽くしており、樹木が抜けてはいるもののもはや当時の面影はありません。真新しく再建された家屋も自然の中に溶け込み、今となっては昔がどうだったかすらよく思い出せません。

熊本地震から3ヶ月が過ぎました。まだまだ3ヶ月。益城町の幹線道路を通る度に徐々に道側に傾いてきているように見えるビルや電柱、遅々として撤去作業が進まない崩壊家屋の瓦礫の山々とは裏腹に、壊れたコンクリート道路の隙間から力強く雑草が伸び尽くし、液状化で曲がった地面も何となく馴染んできているように感じます。立野地区の山崩れは橋だけでなく国道も豊肥本線も完全に寸断されて4年前の阿蘇の光景に似ていますが、一年もしないうちにあたかも昔からそうであったかのような風景に変わってしまうのだろうかと考えると、雨が降ろうと地面が割れようと容赦なく復活していく自然の力の凄まじさに圧倒されるばかり。

東日本大震災被災地の今を思う時、わたしたちの5年後はどうなってるのだろうかと考えます。間違いなく今までとは違う世界になっているのでしょうが、わたしたちも自然の復元力に負けないようにがんばっていきましょう。

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予防は子どもを狙え

胃がん予防のためにピロリ菌除菌治療が保険診療で行われることはもう常識になりました。胃がんリスクが跳ね上がる萎縮性胃炎の原因となるピロリ菌感染が治療できると、胃がんの大部分はなくなるだろうと云われています。で、ピロリ菌感染は両親から(特にお母さんから)乳幼児期に感染するのがほとんどなので、社会に出て新しい家族が生まれる前に手を打つのが一番確実・・・つまりは中学生や高校生レベルで除菌できるのが一番効果的だという事で、中学生全員を対象にピロリ菌除菌対策をする自治体が出始めてきました。実行に当たってはまだいろいろ乗り越えなければならない課題はありますが、少しずつ前に進んで欲しいものです。

子どもを対象にすべきことはもっと他にもあります。タバコと生活習慣病です。タバコの害を訴えて禁煙を促しても、もはや中毒になって悪魔に魂を売っているオトナや中高生に何を云ってもムダ。小さな子どものレベルで洗脳して「禁煙」などという単語そのものをなくすのが一番。子どもから白い目で非難されるのが親御さんにも堪えます。食生活も、オトナになってからではむずかしい。バブル期に生まれてゆとりで生きてきた連中が親になっている時代ですから、親がキライなものは子には与えないし、夜更かしを一緒にしたり飲み屋に一緒に行くのを当たり前と刷り込まれそうな危険な時代・・・食育や睡眠の重要性は子どもの頃に焼き付けておくのが大事です。

と、わかっているけれどなかなか実現しません。学校に抵抗され、その根底には親御さんの反対が強いからだと思われます。「個人の勝手だ、いらんことに介入するな!」という感じ? 

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メタボ健診の思惑

先日紹介しましたが、初めて特定健診が始まって8年目をむかえて、2年後の見直しのための検討を行った結果、「特定健診は心血管イベントのリスクであるメタボリックシンドロームの洗い出しに成功したけれども、肥満者ではないヒトのリスクを拾い上げられてない」という指摘がされ始めました。厚労省健康局の『特定健康診査・特定保健指導の在り方に関する検討会』がそんな結論を出して追い風になっている様子。「そんなこと、最初から分かっていたことでしょ。その中で、内臓脂肪蓄積の人は自分の力でリスク解除できる可能性があるから、それを拾い出すシステムとして特化したんでしょ!」と、ずっと突っこんできたわたしとしては、とても不本意な風潮だと不機嫌になっていました。

ところが先日配信されてきた日経メディカルの記事、『10年ぶりに見直されるか?メタボ健診』(加納亜子)を読んできて、ガッテン! 厚労省保険局の開催する『保険者による健診・保健指導等に関する検討会』で、既存の基準で継続すべきという意見が多数を占め基準の見直し不要の結論が出たというもの。多田座長の、「メタボ健診の目的は症状の早期発見・早期対応ではない。症状を来す前に指導を行い、疾患の発症を予防するための取り組みだ。国民が自ら生活習慣を改善するのを手助けするものと捉えれば、既存の評価指標で十分と判断した」「非肥満者はそもそもメタボリックシンドロームの定義に該当しないので、健康増進法に基づき、市町村が健康教育などを実施すればよい」と云う意見。そうだ、そうだ~! 財源の違うものを一緒くたにするな~! 臨床現場がすべきことを保険者に丸投げするな~!

ちとすっきりしました。まあ、健診がどっちになってもわたしたちのすることは一緒ですけれど。くどいようですが、内臓脂肪肥満のマルチプルリスクファクターの方が、非肥満のマルチプルリスクファクターの方よりはるかに軽症。というか、後者は前者と違ってもうすでに病人なんだから、さっさと病院に行かなきゃ。

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アディポロンについて

脂肪細胞から分泌されるホルモン(アディポサイトカイン)のうち、一番中心になる超善玉ホルモンこと『アディポネクチン』については、ここでも何度か書いてきましたし、検査料がかなり安くなったので最近うちのドックでも採用されました。これによって動脈硬化を抑えて心筋梗塞を予防したり老化を抑えたりする・・・現代社会において目の敵にされている脂肪の主たる仕事がこれであり、その主役を演じているのがアディポネクチンです。つまりアディポネクチンの作用は抗加齢を実践し健康長寿を得るために必須のホルモンといわれています。

ホルモンが作用を起こすためには受容体と呼ばれる鍵穴にホルモンがはまり込むことが必要です。アディポネクチンの受容体であるAdipoR1とAdipoR2はほとんどすべての臓器に存在するそうですが、メタボになるとアディポネクチンと一緒にこの受容体も各臓器で減って機能しなくなり、その結果、糖尿病、脂質代謝異常、脂肪肝、心血管疾患、がん、認知症などを引き起こすとされています。

アディポネクチンをくすりで作り出す研究は遅々として進みませんが、アディポネクチンの受容体に作用してアディポネクチンのフリをする物質『AdipoRon』・・・これについて、先日の抗加齢医学会総会教育講演で、開発者である東京大学の門脇孝先生のレクチャーを受けました。「すごいな!」と感動しながら聴いていましたが、実はこれが開発されたのはもう3年くらい前のはなし・・・なかなか動物実験レベルから前には進んで行かないものなのですね。初めてみる単語だと思ったのに、検索してみたら、とっくにここで紹介していました(汗) 興味のある方は、論文レビューなどご参照あれ。

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コグニサイズ

再び第16回日本抗加齢医学会総会のレポート。

シンポジウム『エクササイズとメンタルヘルス』の中で、国立長寿医療研究センターの島田裕之先生が『コグニサイズ』を紹介してくれました。MCI(軽度認知障害)の高齢者に、同センターが開発した複合的な運動プログラム『コグニサイズ』を10か月間行ってもらったところ、全般的な認知機能の低下抑制や記憶力の向上、脳萎縮の進行抑制などが得られたそうです。

このプログラムは、単なる有酸素運動や筋トレを導入しただけでなく、記憶と思考を賦活させる課題を交えながら運動するというところがミソのようです。アルツハイマー病のリスクファクターには糖尿病や高血圧、肥満、うつ病、喫煙などがありますが、それらよりももっと発病に寄与しているのが”身体的不活動”なのだとか。運動が認知症予防の主戦力であることは、もはや常識になりつつあります。運動することで記憶中枢である海馬が発達することが原因なのですが、この海馬の発達は運動や身体活動で促され、単純な運動よりも遊びながら運動した方がより発達するという・・・「何事も、『遊びゴコロ』が重要ですね」と島田先生は総括されました。

『コグニサイズ』・・・英語のcognition (認知) とexercise (運動) を組み合わせた造語だそうですが、ブームになるかもしれませんので興味のある方は国立長寿医療研究センターのHPをご参照ください。

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原因不明?

「わたしは若いころから白血球が1万を超えていて、一度専門医を紹介されて、骨髄穿刺検査を受けたことがあります。でも、特に問題はなく、先生も首をかしげて『原因がよくわからない。体質だろう』と云っていました」

先日、人間ドックを受けられたある男性が、そんな説明をしてくれました。

「その先生、どうしてそんなこと云ったんでしょうね。今日も白血球数が多いですが、その原因は明白です。タバコを吸っているからです。ヘビースモーカーの方の中には炎症でもないのに白血球数が1万を超えるヒトはたくさんいます」

わたしは、思ったままを口にしました。この方が、肺がんの腫瘍マーカーであるCEAもずっと高値で、肺CTに著明な肺気腫所見があるのも、みんなスモーキングのせい。それは、本人も気付いているはず。だから、何度も禁煙に挑戦しているのだから・・・禁煙できれば、きっと値が下がることでしょう。

そんなことは、普通の内科医ならみんな知っていることだと思うのですが、その某公立病院の血液内科医の云ったというそのコトバが気になりました。どうして『原因不明』と云ったのでしょう? 白血病や骨髄異常ではないので学問的興味が失せたからか? 証拠となる所見(炎症反応など)がないような非科学的な説明はできないと思ったのか? あるいは、自分自身も喫煙者だからあまりそのことに触れたくなかったからか・・・。

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だれに言い訳?

「この値は夜の間に回復すべきものが回復していないという意味だから、夜の過ごし方が悪いってことでしょうね。睡眠の質が悪いか、寝る前まで飲み食いしているか、夜の食卓が多すぎるか」「酒やめたら良くなって再開したら悪化するのだとしたら、つまり『わたしは酒が合いません。酒を処理する能力を持ちあわせていません』って云っているようなもんですよね」・・・相変わらず毎日そんな意地悪な説明をしているわたしです。別に意地悪したくて云っているのではありません。数値や所見になって表されているそのヒトのカラダからの訴えを日本語に換えて代弁しているだけです。

それに対して、マジメなヒトほど一々言い訳をしてくれます。「震災のためにスポーツジムが使えずに運動ができなくて・・・」「毎日仕事が忙しくて・・・」「酒を止めるなんてわたしには無理です」「仕事もなくてヒマなんです」などなど、自分も何とかしたいのだけれどどうしようもないのだということを切々と訴えてこられます。でも、わたしは別に入社試験の試験官ではありませんし、人事考課をする上司でもありませんので、わたしに言い訳しても何の意味もありませんよ、きっと。その言い訳を論破することくらい簡単なことですけど、別にあなたと戦う気はありませんし、かと云って肯定してあげる気もありません。あくまでも、わたしはイタコか通訳のようなものですから。

わたしに言い訳なんか要りません。好きにしていただいて結構です。もっと自分自身と対話してください。わたしに言い訳するくらいなら、何か賄賂か貢物でもいただけるとうれしいです(笑)

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論破

『精製糖質』と『複合糖質』の違いについて検索しました。精製糖質とは白砂糖の類で、ブドウ糖として一気に血糖値を上げてインシュリンスパイクを導き出すので代謝に悪影響をもたらす。一方、いわゆる炭水化物(ごはんや芋など)のような複合糖質は腸管吸収が遅いので食後高血糖を助長しないし、満腹中枢を刺激して必要以上に食いたくならない。砂糖やそれを使った菓子は食べれば食べるほどさらに食べたくなる。そんな解説を読んでいたら、それに真っ向から反論する糖質制限支持の学者さんの文章も発見しました。複合糖質だって代謝異常をもたらすし食べ過ぎるしインスリンを刺激するし、ごはんも砂糖菓子と同じで断固摂るべきでないと。

まあ、ここ数日の食べ物に関する知識まとめを読んでいただいた皆さんは気になるでしょう。「で、結局、糖質制限はした方がいいの?しない方がいいの?」ということ。ブドウ糖制限をしてCRをするほど若返るという一方で、麦ごはんや雑穀米がアンチエイジングのキーワードであり、一日一食以上ごはんを食べると良い睡眠を得られるというデータも先日発表されています。くだんの学者さんがひとつひとつの理論を取り出して論破しているように、学者さんだけでなく、世間の皆さんも、なぜか全か無かを選択しようとします。糖質論争やらコレステロール論争やら、ほとんど貶(けな)し合いのように思えます。

人類が太古から備えている体内の代謝経路と太古から口にしているもろもろの食べ物・・・今の世までカラダに否定されることなく、淘汰されることなく、生き延びてきたものなのだから新しい人工物を除けば意味のないものなどないと思います。今までの歴史を全否定して「これこそが真の健康法」と唱えたところでその理論が他を凌駕できないのはなぜか? 食べ物の話を勉強するたびに痛感することは、「理屈で食っている限り、そこに健康はない」ということです。

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全粒穀物?

全粒穀物の摂取は、あらゆる死亡リスクを下げる

大麦を代表とする穀物繊維によって、糖尿病の予防ができ、心血管疾患の死亡率が下がり、全死亡率も下がるというデータがクローズアップされています。今回、前向き研究のシステマティックレビューとメタ解析を行った結果、「全粒穀物の摂取は、心血管疾患、がん、全死亡、呼吸器疾患・感染症・糖尿病・非心血管疾患または非がんによる死亡のリスク低下と関連している」という報告が紹介されました。穀物から摂れる食物繊維は、野菜より糖尿病リスクを下げる効果が強いということも、より強調されています。

ここで、『全粒穀物』というワード。「主に玄米、玄米を発芽させた発芽玄米、ふすまを取っていない麦、全粒粉の小麦を使った食品、オートミール、挽きぐるみのソバなどがある」とWikipedia。食物繊維やビタミン類を十分含んだ精製していない穀物の総称なわけですが、これに対抗するのは精白された穀物ですから、白米みたいなものでしょうか。以前、「白米より玄米が良いよ、とは単純には云えない」という内容の記事をここに載せたことを思い出します。それにしても、『全粒穀物』で検索するとどれもこれもパンの写真を載せてあるのはなぜなの? コメを載せなさいよ、コメを(笑)

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大麦パワー

最近、テレビで『麦ごはん』の単語を聞く機会が急激に増えてきた気がします。最近のマスコミは健康ブームの情報を抗加齢医学会の話題から抜き取っているのではないか、と勘繰りたくなります。先日、<「食物繊維」は健康なエイジングに必須>という情報が配信されてきましたが、実は同じ食物繊維でも、「水溶性食物繊維」と「不溶性食物繊維」で効果が違うことを知っていますでしょうか。先日の総会のランチョンセミナーでそんな話題を聴いてきました。

「食物繊維」といえば、野菜や果物、キノコ、マメなどを思い浮かべるでしょうが、これらにはいわゆる「不溶性食物繊維」の方が多く含まれています。便のかさ増しをして便秘予防、大腸がん予防につながります。一方、腸内細菌叢が好んで食べて環境を整えるのが「水溶性食物繊維」。キター!”腸内フローラ”ですよ。ダイエットのためにやみくもに糖質カットをしていると、腸内細菌環境が乱れて返って太りやすくなったり糖尿病になりやすくなったり老化を促したりする・・・腸内細菌の質を上げるのに必要なのが水溶性食物繊維・・・これが大量に含まれていて毎日無理なく摂れるのが”大麦”なわけです。

腸内細菌に”美腸菌(B菌)”と”不調菌(F菌)”がある、あるいは”デブ菌”と”ヤセ菌”があるということも、世間の方々の方が知っているかもしれません。「炭水化物の摂取量の多い人たちの腸に美腸菌が多く、糖質制限をすると激減する」という事実。この美腸菌を増やす効果が大麦にある、というのです。

むかし、我が家でも麦ごはんは当たり前でした。「縦線が入ってないごはんはごはんじゃない」と子どもの頃に思っていました。「白米じゃないと貧乏くさくて美味しくない」というお方のことは捨て置くとして、わたしの中では実は三割麦ごはんの方が理屈で食ってる雑穀米よりココロもカラダも休まる気がします。楽しかった子どものころの記憶を呼び覚ますからでしょうか?

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ケトン体を知る

『体内年齢がよみがえる科学 ケトン体革命-究極のアンチエイジング理論-』(佐藤拓己著、エール出版)も参考にしながら、先日の第16回日本抗加齢医学会総会のシンポジウム『ケトン体を科学する』をまとめています。イメージはすっかり掴めたつもりなのですが、何しろ学者さんじゃないので理屈で説明することが今ひとつ・・・ま、結局「ちゃんと理解してない」ってことなのでしょうけれど(笑)

ケトン体は飢餓時の緊急避難的エネルギー源として、口から入るグルコースもなく肝臓や骨格筋に蓄えられたグリコーゲンも枯渇したときに、脂肪細胞を分解してできる脂肪酸から肝臓で合成されます。だから、ブドウ糖が摂れなくなったときにやむなく作るエネルギー=停電時の予備バッテリーみたいな印象を持っていましたが、その”常識”が今、覆されてきているということを理解できればいいのだと思います。神様が人間を作り給うた太古の環境を考えると、ブドウ糖を摂れるときの方がめずらしく、基本的なエネルギーシステムはブドウ糖ではなくケトン体だったはずで、その方がカラダにとって有利になるようにできていると考えればわかりやすいでしょう。

●ケトン体のもつ神経保護作用は酸化ストレス(活性酸素)に影響を受けず、ミトコンドリアに直接作用するので神経細胞のエネルギー不足が起きてもシナプス伝達障害が起きない。さらにブドウ糖と同様に脳関門を通過できるエネルギーでもある。ブドウ糖をケトン体に置き換えれば認知症予防、アルツハイマー予防、てんかん予防に有利である。

●ブドウ糖を摂らなければインスリンスパイクを抑制できるので体内老化を抑えられるし、いわゆるカロリー制限(CR)になるので長寿遺伝子の発現を促すことにもなる。この状態は間歇性に絶食しても起きることから、長寿遺伝子発現はカロリー制限自体によるのではなく、絶食しなくてもケトン食を摂れば同じような効果が得られる。

おそらく、結果をコミットする某減量システムはこのケトジェニックダイエットの理論を基本にしているのだろうことが理解できました。

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笑顔

昨日は博多で研究会がありました。熊本駅に行くために自宅から路面電車の始発駅のある商店街まで歩きました。風は強いけれど蒸し暑くて汗だくになりました。商店街では復興の願いを込めて七夕まつり。開けられない店もある中で、店の前に机を出して何やらやってました。暑いけれど、人は決して多くないけれど、店主とお客さんと目線を合わせて笑う顔はちょっと固いけれど、でもなんとなく活気が戻ってきつつある気がして嬉しくなりました。

路面電車の一番前の席に座って街中を通過中、大きなスクランブル交差点の前で信号停車。一気に人が溢れました。街中に繰り出す人数は回復してきましたが、みんながみんな仏頂面・・・苦虫を噛み潰した顔をしています。もっと笑えばいいのに・・・そう思いながら、ふとそんなことを思っている自分もまた仏頂面だということに気づきました。そりゃね、1人で歩いているときにニヤニヤしてたら気持ち悪いわね。外は不快指数ウナギのぼりの蒸し暑さなんだろうし。

そんな中で、大笑いの女の子3人組が通り過ぎて行きました。何が楽しいのか、身体をよじってお互いのカラダを絡ませながら身体中で笑っています。楽しそうです。仏頂面の塊の中なので異様に目立っていましたが、「やっぱり、笑い顔がいいね。疲れがたまっていても、何も良いことなくても、暑くて汗だくでも、それでも笑っているのが一番だね!」

そんなことを考えていたら、電車は熊本駅に着きました。笑顔の大切さ、久しぶりに再認識させられました。

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鬱陶しい。

なんだかね、すっきりしません。というか、むしゃくしゃします。

一気に忙しくなって、さらに非常勤の先生が数人急きょ体調を悪くして休んだりしたもので、一層忙しくて、昨日なんか結果説明の約半数をわたしひとりでやってのけました。だから、検査の読影が遅れてほとんど昼休み抜きの仕事になったんです。

それはそれで構わない。わたしは働き者だから(笑) ただ、そういう忙しさのときにいろんなヒトがいろんな愚痴やいろんな屁理屈をこねまわす。エライ人も下っ端も各々で。勝手にこねまわしてダダこねておけばそれでいいのに、そんな雑音がわたしの耳に入ってくるわけです。

鬱陶しい。

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ランチタイム

世のお父さんのランチは「安」「近」「短」の傾向・・・新生銀行が毎年発表しているサラリーマンのお財布事情が6月29日に発表されたのをテレビで見ました。

お小遣いの月平均が3万8千円弱でバブル期の半分以下、昼食代の平均は587円で去年よりマイナス14円(物価の違う1979年の平均565円とほとんど変わらない)、昼食の内容は1位が「持参弁当」、2位「社員食堂」、3位「購入弁当」、「外食」は4位だったとか。そして、「誰と食べるか」では、「同僚」より「ひとりランチ」という答えが多かったとのことです。

それにコメントするみなさんの「涙ぐましいお父さん方の努力ですね」という意見を聴きながら、「そうかな?」と独り言。まあ、新橋(東京)の物価から考えると500円ワンコインのランチは大変かもしれないけれど、コンビニのお弁当代は全国共通でしょ。最近のコンビニやお弁当屋さんの弁当はヘルシーだし、みんなメタボなんだからお昼その程度で十分なんじゃないのかしら? 限られた昼休み時間につるんで食べ物屋に行く習慣はわたしには元々ないので、コンビニ弁当を職場で食うのを侘しいと思ったことはありません。大学病院の研修医時代は内視鏡検査の担当日には昼飯は食えないと思え!と云われていましたし、今の病院の救急現場では食える時にバタバタ食う日々だったし、東京の病院時代はいつも愛妻弁当だったし、これを”さびしいランチタイム”と感じる人たちの感覚は、わたしにはまったく理解できません。

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